第92話
「一也さん。私、待ってるから。ずっと、ずっと……」
「クロ! 動け……。動けよ! くそ……。クロ! クロ!」
真っ暗な視界に薄ぼんやりと映るクロの姿。零れる涙と対照的な笑顔は美しくも儚い。
そんなクロに俺は何度も何度も必死に声を掛ける。だが、俺の声は虚しく響き、クロは次第にその姿を消していく。
動かない身体、駆け抜ける焦燥感と絶望。
「俺は……」
クロの姿が完全に消える前に俺は自分の胸につっかえていた言葉を紡ごうとした。
だが、それを言い終わる前にクロの姿は見えなくなり、俺の頬には涙が流れた。
同時に頭に激痛、さらには吐き気が襲うも、俺は続けて言葉を紡ぐ。
「――俺は、クロの……。ことが……」
「――え? 一也さん! 良かった、一也さん! 私、私……。う、うう……」
吐き気を堪えるため一度ぎゅうっと瞼を閉じ、それを開きながら言葉を続けようとすると突然目の前が明るくなった。
「あれ、俺……。なるほど、今のは夢、か。それでえーっと、意識がなくなる前に確か遊園地で……。あのままここに運び込まれたのか。」
見覚えのあるベッド。白い天井。遊園地にいたはずだったが、探索者ビルの医療施設に移動させられたらしい。
俺の腹の辺りでその軽い身体を覆いかぶせるクロを見るにかなり長い間意識を失っていたのだろう。
「ごめんな、クロ。心配かけた。それにここまで運んでもらって……。本当にごめん。それと、ありがとう」
「ううん。私も新しいスキルの効果をよく理解してなかったみたいで……。ごめんなさい」
俺の声に反応して顔を上げたクロ。その顔にはさっきまで見ていた夢と同じ大量の涙が見え、それを止めたいがあまり俺は自然とその涙を右手で拭ってしまった。
「え?」
「あ、すまん。タ、タオル、いや、ハンカチ? ティッシュ? とにかく手じゃ嫌に決まってるよな。えーっと――」
「はい。ここにあるわよ、ハンカチ」
「あ! ありがとうございま――」
俺は動揺するクロの顔を見て自分の行動がセクハラになりかねないものだと自覚し、焦って謝罪。急いで涙を拭える物を探した。
するとそんな俺の姿を見ていたのか、女性がハンカチを差し出してくれたのだが……。
「あ、朱音……」
「おはよう飯村君。身体はもう大丈夫そうね。ただ、起きて早々女の子に手を出そうなんてちょっと元気過ぎないかしら?」
女性、朱音は怖いぐらいの笑顔で俺に顔を近づけると、これでもかと圧を掛けてきた。
よくよく見れば眉間に皺が集まっているし、差し出されたハンカチを握る手はプルプルと震えている。ここで返答を間違えれば再び眠りにつかされかねない。
「べ、別に下心があったわけじゃなくて――」
「じゃあ『クロのことが』って、あれは何だったのかなぁ?」
「も、もしかして俺寝言で……」
「一也さん、それ私も気になります」
にじり寄るクロと朱音。ヤバい、嫌な汗が止まらない。
「その、クロが消えていく夢を見て……。このままダンジョンの異常が収拾されないままクロがいなくなるのはまずいと思ってだな。それで、クロが、必要って言おうとしたんだ」
「……ふーん」
「私が必要……。へへへ」
納得がいっていないような表情の朱音と嬉しそうなクロ。
なんだか変な空気になってしまいはしたが、二人ともこれ以上言及してくる様子はない。
とりあえず難は逃れたらしい。
「そ、それより朱音、迷惑を掛けてごめん。ここまで俺を運んだのはクロ、それに朱音と拓海だよな? 本当に助かったよ」
俺は話を変えながら朱音からハンカチを受け取ると、そのままそれをクロに手渡した。
「……。迷惑を掛けたのは私の方よ。本当にごめんなさい。まさかあんな事態になるなんて……。ここにはいないけど、拓海も飯村君に謝罪したいって言ってたわ」
「そうか……。じゃあ今回はお互い様だな。ははっ」
急に暗い表情を見せた朱音に気を使って俺はわざと明るく振舞って、そっと脇に置いてある机の上にあったスマホをとった。
朱音の真面目過ぎる性格からして、本来これぐらいの対応が一番いいはず。
今までは自分に余裕がなく、朱音のことを考えずに暗い雰囲気でギルドの勧誘を断ったりしていたが、もしかすると朱音はあの時も同じような顔をしていたのかもしれない。
「それより一日寝てたから腹が空いたな。今日は少しこってりしたものを作――」
俺は声のトーンを上げてそれとなくスマホの電源ボタンを押した。
すると……。
「え?」
「……飯村君が寝ていたのは一日じゃなくて一週間。その間にダンジョンの状況はまた変わって……。アダマンタイトクラスの探索者が率先しているっていうのに未だダンジョン探索の進捗は四五階層まで。拓海が今ここにいないのもそれが原因なの」
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