第32話 素粒子論と諸法無我

「それは住民のほとんどがゴーストだからか?」

「もちろんゴースト、つまりNPCノンプレイヤーキャラクターが妊娠する事はない。システムに作られた影のような存在だから。でも、私たちのようなPCプレイヤーキャラクターは違うわ。影ではなく確かに存在している。でもね、ここでは六次元存在に変換されているの」

「六次元だと?」

「知らなかったみたいね。あなた、地球から宇宙船に乗ってここまで来たと思ってるの?」

「違うのか?」

「違う。宇宙船で六次元に来れると思ってるの?」


 確かに、ここへ来た時の記憶はない。しかし、地球からは遠く離れた異次元空間なのだ。しかも六次元。ここに来れる宇宙船とは……何なのだろうか。あるのか無いのか、それさえわからない。


「わからない。そもそも、宇宙船に乗った記憶などないし、六次元まで来れるのかどうかなんて知らない」

「でしょうね。教えてあげる。一般的な宇宙船は、殆どがワープ機能が付いているの」

「ワープ機能?」

「別の言い方なら次元跳躍航法よ」

「そんな事が可能なのか? アニメのような、あんな特殊な?」

「当たり前じゃないの。三次元空間なら光速の1パーセント程度まで加速するのがやっと。それでも1光年を飛ぶのに100年かかる」

「そうだな」

「だから、宇宙船を四次元化することで距離を短縮できる。更には宇宙船の加速度による影響も軽減できるのよ」

「加速度か、考えてもみなかった」


 光速の1パーセントは秒速3000キロメートル。仮に、そこまで加速できる技術があったとしても、その凄まじい加速Gで生身の人間はぺしゃんこに潰れてしまうだろう。しかし、四次元化によってそれが軽減できるなら願ってもない。それに、距離を短縮するワープ技術などがあるなら、現代の技術であれば数百年かかる距離でも、わずかな期間で到達できるのだろう。しかし、宇宙船を四次元化できたとしても、六次元存在であるこのアルスに到達できないのではなかろうか。


「それに、宇宙船を四次元化しても六次元には到達できない。そうだな」

「そうね」


 セナが怪しく笑う。そして話を続けた。


「でも、六次元に到達できる方法があるの」

「だろうな。どんな技術なのかは皆目見当がつかないが」

「でも、その技術のお陰であなたも私もここにいるの」


 俺はセナの言葉に頷く。その技術とは何か、どんな答が飛び出てくるのか。俺は息を殺しながらセナを見つめた。


「アルス・ピリア・ラズラス。日本語で言うなら〝素粒子転換型次元転送装置〟って感じの意味らしいわ。どの星の、どの時代の言葉なのかはもうわからなくなっているけれど」

「ああ」


 俺は頷いたのだが、もちろん形だけだ。日本語で表現されているにも関わらず、意味が全く分からない。


「わかり辛いよね。簡単に言うと、人間の肉体と精神体の両方を素粒子化して転送するのよ。転送先で再構成する」

「そんな事が可能なのか」

「可能なの。でもね、これは建前」

「建前だと?」

「わかりやすく言うと、素粒子に変換するところまでは正しい。その配列データをこの六次元存在であるアルスへと転送して再構築するんだけど、それは本物じゃないの」


 セナは何を言っている。

 それじゃあ俺は本物の俺じゃないって事か?


「三法印って知ってる?」

「仏教の言葉か? 俺が詳しく知っている訳ないだろう」

「そうね。もちろん私も詳しくない。聞きかじった話なんだけど、大まかには仏教をそれ以外の教えから区別するしるしの事。諸行無常しょぎょうむじょう諸法無我しょほうむが涅槃寂静ねはんじゃくじょうの三つ」

「諸行無常は聞いたことがあるが、それは古典で習った。確か平家物語の冒頭だった気がする」

「そうらしいわね。私も聞きかじった話だから詳しくないけど」

「栄枯盛衰を表しているとの記憶があるが」

「そうらしいわね。でも、本質は違う」

「違うだと?」

「そう。私たちの本質は意識体であり、それは永遠不滅の生命であり高次元存在。しかしこの世界の存在、肉体は常に変化していく。成長し老いて死ぬ。人の活動としては栄枯盛衰に該当する。例えば、歴史において多くの国が生まれて栄え、そして滅んでしまう。その移り変わりが諸行無常だと言われている。その本質は存在論なの」

「存在論だと」

「そう、存在論。高次元存在である意識体は不変だけど、三次元存在は常に変化していく。三次元存在とは別の本質がある事を示唆しているの」

「そういう話なのか」

「ええ、そうよ。諸法無我とは、我執、いわゆる執着を取り除く事のように言われているのだけど、この諸法無我こそが存在論の決定版になるの。繰り返しになるけど、私たちの意識体は高次元存在なのよ。その意識体の投影が三次元存在としての肉体となる。この肉体は確固たる物質のようでそうではない。だって、素粒子の集まりでしかないし、隙間だらけでスカスカだしね」

「そんな話は聞いたことがある」

「そうね。その素粒子でさえ、存在は確定的ではないわ。生成したり消滅したりするの。でもそれは三次元の目線だからそういう風に観測されるのであって、実際はエネルギーが高次元から低次元へと行ったり来たりしているだけなのよ」

「生成したり消滅したりする素粒子。それを諸行無常と諸法無我で表現したのか」

「ご名答。科学が未発達な社会において、その悟りを得た仏陀は大変優れた存在ね」

「そうなのか」

「そうよ。地球では科学よりも宗教真理が先行している。私たちの故郷では逆だった。科学的見地から地球のような高次元の宗教真理が生まれたのよ」


 途方もない話だ。これを全て理解する事など不可能だと思う。


「話を整理しよう。三次元の存在とは高次元の影のようなもので、そもそも不安定だと」

「その通り」

「だから、三次元の存在を高次元化できる」

「そうね」

「そして、高次元化した存在を素粒子として転送した」

「そうよ」

「ここにいる俺は元の素粒子を再構成した存在であり、地球にいた時とは存在の在り方が異なっている。その際に生殖機能を奪われたのか」

「ご名答。正確な事は分からないけど、ここで生まれた子は三次元存在に戻せないからだと言われている」


 ここ、異界アルスは表の宇宙と裏の宇宙がつながっている場所だ。表と裏の双方が防衛のためだと聞かされここで戦っている訳だ。


 何故そんな事になっている。

 この戦いを仕組んだ奴は何を考えている。


「何か気付いたようね」

「ああ、そうだ。この戦いを仕組んだ黒幕がいる。それは誰だ?」

「覚悟は良いの? これを聞くともう戻れないわ」

「わかっている」


 俺は真剣な眼差しでセナを見つめる。彼女も俺をしっかりと見つめて頷いた。もう後戻りできないかもしれないという不安を消すことはできない。しかし、俺はただ真実へと近づきたかった。

 



 


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