第29話 旧車のクーペと華奢な娘

 俺はエレベーターを使い地下二階の駐車場へと向かう。そこでセナは、白いクーペの脇に立っていた。フェンダーミラーがとにかく古臭い印象を与える旧型車だ。


 セナはジーンズに紺色のパーカーを羽織っているだけのラフな服装。体つきは華奢で女性的な魅力とは縁遠いかもしれない。ティターニア基地のニルヴァーナ司令も華奢だったが、セナの方はさらに小柄でいわゆるロリ体形だ。


「はーい。祐君でいいかな」

「そういう呼ばれ方は恥ずかしいかもしれない」

「かもしれない? じゃあOKって事ね」

「いや、やんわりと否定したんだが」

「気にした方が負けよ。じゃあこれに乗って」


 セナが助手席のドアを開く。ツードアクーペの大きくて長いドアにいささか躊躇してしまった。


「さあ、遠慮しないで」

「わかったよ」


 俺は助手席に座ってシートベルトを締める。セナは当然、右の運転席へと座ってシートベルトを締めた。


「さて、一丁かましますか」


 セナがシフトノブの後にある小さなレバーを引いた。


「それは?」

「チョーク。珍しいでしょ?」

「なるほど。四輪では珍しいな」

「あら? チョークを知ってるの?」

「俺は900のニンジャに乗ってたんだ。チョークレバーはスロットルの横にしっかりついてたよ」

「何だ。つまんない」


 ちょっと頬を膨らませたセナが、セルモーターを回しエンジンを始動する。ボボンと一息ついてから轟音を立ててエンジンが始動した。チョークのお陰でアイドリングの回転数は高く、なかなか豪快な排気音を響かせている。


「この車は?」

「フェアレディ240ZG。1971年製ね。エアロダイナノーズとオーバーフェンダーが特徴なの」

「改造車じゃないのか?」

「超ノーマル。違ってるのはタイヤサイズだけ。でもカッコイイでしょう」

「そうだな。しかし、そんな古いものをよく持ってこれたな?」

「持ってきた? ふふーん。その辺の事情もね、後でゆっくり説明してあげるわね」


 何だって? この車を持ってきていないのか?

 セナはニヤニヤと笑うだけで何も答えない。


 ここは異界アルス。地球とは別次元になるのではないか。こんな、70年代の旧型車など、地球から持って来なくてどうするんだ。


 セナがチョークレバーを戻し、アイドリング回転数が低くなる。排気音も太い重低音に変わり、それなりの音量へと落ち着いた。


「じゃあ出すわね。目を回さないでよ」

「大丈夫うっ!」


 タイヤを激しく軋ませて、まるでロケットのように加速する。そのまま駐車場内をレーシングカートのように旋回しながら駆け抜ける。キチガイじみた運転だ。


 地上へと向かうスロープでもめいっぱいに加速し、表に出たとたん車がジャンプした。着地の瞬間、舌を噛みそうになる。


「オイ。もう少しゆっくり」

「嫌よ。あなたのその情けない顔を見るのが快感だから」

「ちゃんと前を見てろ」

「嫌」


 何て女だ。荒っぽい運転だけならまだしも、運転中に俺の顔を観察しているだと? 気が狂ってる。


「顔色が悪いみたいだけど、大丈夫?」

「大丈夫じゃない。この危険運転を何とかしろ」

「命令するんだ。生意気ね」

「誰が! うわ!」


 今度は道路の真ん中でスピンターンを決めやがった。しかも360度。


「ブラッディオスカーさまも、地上では小心者なのね」

「うるさい!」


 俺はもう訳が分からなくなって怒鳴り散らしていた。


「そんなに怒らないの。もうすぐ着くから」


 左手で俺の右手を握ってくる。この車、フェアレディはマニュアルシフトなんだぞ。左手を離してどうするんだ!


 セナは器用に右手でシフト操作し、そして片手でハンドルを切る。タイヤを軋ませて滑り込んだのは、どこかの高級なホテルの玄関前ロータリーだった。


「はい、到着。あらら? 本当に顔色悪いわね。どう? 大丈夫?」

「馬鹿野郎。何て運転しやがる」

「減らず口を叩く元気はあるみたいね」


 セナは出てきていたドアボーイにキ-を預け助手席側に回って俺を引っぱり出した。


「じゃあ行きましょうか」


 俺はただ頷く事しかできなかった。

 セナに手を引かれ、そのままエレベーターに乗る。そして行き着いた先は何と、最上階のスイートルームだった。


「こんな部屋、どうして?」

「気にした方が負け。さっ、入ろ」


 再びセナに手を引かれ、やたら立派な部屋へと入っていく。眺めの良い広い窓と十分すぎる大きさのダブルベッドが目立つ。しかも、二台並んでいるじゃないか。


 俺はとりあえず、手前にあった革製の豪華なソファーに腰かけた。


「お食事はどうする? レストランに行こうかと思ってたんだけど」

「とりあえず水をくれ」

「わかったわ」


 セナはこれまた立派なサイドテーブルからコップを取り、ピッチャーから冷水を注いで俺に渡してくれた。俺はそれを一気に飲み干した。


「落ち着いた?」

「ああ」

「食事は?」

「もう少し後で」

「わかったわ」


 セナは冷蔵庫を開いてサイダーのペットボトルを取り出した。


「何か飲む?」

「いや」


 彼女はサイダーのキャプを捻って空け、そのままゴクゴクと喉を鳴らす。


 キャップをボトルに戻してから向いのソファーに座って俺の顔を見つめた。にやりと笑いながら。


「私の名前は篠目瀬奈しのめせな。日本人っぽいでしょ」


 日本人ぽい?

 何の事だ?


「あれ? また固まっちゃってるわね。もう、慣れてもらわないと困る。見た目も名前も日本人、でも中の人は日本人じゃないって事」

「それは? 君は外国人なのか? いや、この言い方じゃおかしい。日本人から見た外国人もここには沢山いる」

「そうね。でもそうじゃない。私とヤブサカは日本人っぽいけど日本人じゃない。もう少し付け加えるなら、地球人じゃないの」


 それはとんでもない爆弾発言だった。

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