第7話 エリーナの秘密
先ほどから、奈美と絵麻の視線が痛い。そして、目の前のエリーナの視線も痛かった。
「あのストイックなエース、ブラッディ・オスカーがこんなに浮気性だったなんて初耳」
「特に宣伝はしていないんだよ」
「今夜は寝かさないわ。あの二人との関係、洗いざらい吐かせるから」
「お手柔らかにお願いしたい」
「あなた次第よ」
エリーナは身持ちの堅い女だと言われていた。あの、官能的な体つきであるにもかかわらず、男の誘いは全て断っていたからだ。そんな彼女が俺に興味を示したのは意外だったのだが、これは彼女の本気のアプローチなのだろうか。彼女とは親しくしたいと思っていたのだが、俺のプライベートに深く入り込まれるのは困る。
小柄な方、絵麻が料理を運んできた。俺は取り皿にちらし寿司を半分ほど取り分け、絵麻に頷く。
「ありがと」
絵麻はにっこりと笑いながら、半分残ったちらし寿司を下げた。
「あれ……彼女達の夕飯なの?」
「そうだ」
「貴方が親なの? いえ、親がわりなの?」
「そういう訳ではないのだが、まあ、事情は単純じゃないな」
「だからこの店を選んだの?」
「そう。この店のメニューは、一人で食べきれるものの方が少ない」
「私は意地でも、これ完食するから」
「どうぞ」
奈美と絵麻。俺とあの二人の関係が気に入らないのだろうか。不機嫌そうに激辛麺をすするエリーナだった。
食後のデザートもコーヒーも頼まず、俺たちはカフェ宇宙海賊を後にした。エリーナは俺の手を引き、歓楽街へと向かう。そして、路地の中に入り俺に抱きついて来た。
「ねえ。このままホテルへ直行したいの。いいでしょ」
「
「もちろんよ。今日は大事な話があるから」
「ホテルで?」
「ええ」
俺はエリーナと軽くキスを交わし、そこからすぐ近くのラブホテル『夏至の夜の夢』へと向かった。薄暗いエントランスの脇にある小窓で、料金を電子マネーで前払いする。中から皺だらけの細い手が部屋のキーを差し出した。
「慣れてるのね」
「ここはよく利用するんだ」
「誰と?」
「後で話してやるよ。さあ行こうか」
エントランス正面にあるエレベーターではなく、左側の階段を使う。二階の一番奥、212号室だ。
俺の手からルームキーを取り上げたエリーナが、キーを使ってドアを開き先に入った。
「へええ。地味だけど綺麗にしてあるわ」
「そうだな。冷蔵庫の中身も良いモノが揃えてある」
「え? そうなの?」
エリーナは食いしん坊なのだろうか。早速、部屋の奥に据え付けてある大きめの冷蔵庫の扉を開き、感嘆する。
「ああ。これ、飲み物も充実してるし。ビールに酎ハイもだけど、ワインもあるわね。でも、冷凍食品が豊富。ピザにピラフ、チャーハンにうどん、そば、ラーメンもあるわ。品揃えが豊富ね」
「まだ食べるのか?」
「今は食べないわよ。一通り汗をかいた後でね、何かいただこうかしら」
「それは構わんが、冷蔵庫の中身は有料だからな」
「男ならケチケチしない」
エリーナは冷蔵庫の隅々まで物色している。強壮剤が何本もあるとはしゃぐ姿はまるで十代の子供のようだった。その彼女の後姿を眺めながら、俺はとんでもない事実に気が付いた。
今のエリーナには影がある。
彼女は影がないゴーストのはずだ。
絶句した俺の態度に気づいたのか、彼女は振り向いてから俺を見つめる。唇に微かな笑みを浮かべながら。
「あらら? 何か気付いたの?」
「いや、君には影がある。いつもは影なんてないのに」
「なかなか鋭い観察眼ね。よく見てる」
「どういう事だ?」
エリーナは着ていた服を脱ぎ始めた。最初は上着のジャンバー。次に長袖のTシャツ。そしてジーンズ。
ブラとショーツだけのエリーナは、ことさら胸と腰の肉付きの良さが強調されていた。これは目の毒だ。
疑問は後回しにしてセックスに没頭するか、それとも、疑問をきっちり解決してから事に及ぶか。眼前の蠱惑的な裸体から目が離せないその一方で、俺は彼女の影が気になって仕方がなかった。
「どうしたの? 押し倒したっていいのよ」
怪しい笑みを浮かべつつ、彼女は俺の着ていたジャンバーを脱がせ、ハンガーに掛けた。
「いや、とりあえずは服を着て欲しい。君の事が少し信じられなくなった」
「あら。私のこと、妖怪か何かだと思ってるの?」
「そうかもしれない。何かこう、特別な存在だと思う。俺はそもそも、ここ一年ほどの記憶しかない。何故、パイロットなのかもよくわかっていない」
「そうね」
「二つに分かれている陣営。使用されている兵器。それを供給している国家とそれを支える産業構造と消費構造。全てが曖昧模糊だ」
「ふーん。気づいちゃったのかな?」
残念そうに、先程脱いだTシャツとジーンズを身に着けるエリーナだった。
「でも、どうにもならないけど」
「どうにもならない? それはどういう事だ。俺たちはここから逃げることができないって意味か?」
「そうね。絶対に」
漠然とだが、そう感じていた。しかし、面と向かって宣言されると、やはりそれは衝撃的だった。
「理不尽だな」
「そうね」
神妙な面持ちという訳でもなく、笑みを絶やさないエリーナ。彼女の赤毛は段々と黒く変色していく。白人であるはずの肌は浅黒くなる。そばかすは消え、二重瞼の大きな瞳は一重のややきつい切れ長の形状へと変化した。
「ごめんなさいね。これが本当の私」
「君は誰だ? エリーナは何処へ行った?」
「あわてないで。ちゃんと教えてあげるから」
俺は状況の激変についていけなかった。それに対し、彼女は落ち着いているようで、冷蔵庫に入っていたビン入りのコーラを取り出した。栓抜きでシュポンと王冠を外し、コップに注ぐ。
「はいどうぞ」
コップに注いだコーラを俺に差し出す。そして自分は、口飲みでビン入りのコーラを飲み干した。
「私の名前はマリカ・サイード・
中東の国。日本人。仏教徒。何故か馴染みのあるワードだ。しかし、ここではほとんど聞くことがない。
それは、俺が元いた世界での記憶なのか? ここは一体……何なんだ?
「ここは異界なの。あなたが元いた世界とは別の時空間になる」
「それはもしかして、地獄という奴か?」
「違うわ。ここは死後の世界じゃない。私たちは生きているし、生きるためここにいる。世界を救うために、人々の命を救うために戦っているの。ここアルスで」
異界……アルス……全く理解できない。
しかし、俺がこのとんでもない世界で戦争しているのは事実だった。
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