5   魔術師 サシーニャ

 鳥がさえずり始めた。夜が明けたのだろう。今さら眠気が襲ってきた。今夜はまだ一睡もしていないとスイテアが思う。


 リオネンデに体をまかせていれば、後宮から追い出される事はなさそうだ。ならば、ばらば……リオネンデの寝顔を盗み見てスイテアは思う。


 これほど憎い相手なのに、身体はこの男を受け入れている。4年前、突然 ついえた愛撫を思い出して欲しがっている。身体が燃えるのと比例して、憎しみの炎も燃え上がるのを感じる。このまま焼け死んでしまいそうだ。


 それにしても、とスイテアは思う。男は全て同じなのかと。手順も動きも同じ、強弱さえも同じ……それともこの4年でわたしがリューズ様を忘れただけなのか?


 けれど口にする言葉さえ同じとは、いくら双子とは言え示し合わせたのではと、つい疑ってしまう。そんなはずはないのに。


「さて、寝るとするか ―― 来い、可愛がってやる」

 そう言って寝台に押し倒された。唇を吸われ、胸を弄られ、耳たぶを甘噛みされて、自分でも耐えているのか、より深く感じようとしているのか判らないまま身動きしないでいた。


 そして耳元でささやかれた微かな声に、スイテアは緊張する。

「……スイテア――」

リューズと同じ声に、心の中でスイテアが答える。

『リューズ様……』


 あぁ、いっそ、この男をリューズと思えればこの時を苦しまずにいられるのに。それを裏切りと思わなければ、どんなに楽になる事か ―― 心の震えをどうにか止めようとスイテアが耐える。ぎゅっと目を閉じる。


(……?)

 だが動かない。名を呼んだきりリオネンデは動きを止めてしまった。恐る恐るスイテアがリオネンデを盗み見る。

(眠っている?)

スイテアの上に半ば身体を乗せたまま、リオネンデは寝息を立てている? スイテアはリオネンデの頭の下から自分の体を抜こうとした。


「う……ん?」

 リオネンデが頭を起こしスイテアの顔を見る。そして目が合う。

「ダメだ、眠い……おまえは俺の枕になれ。おまえも眠れ。疲れているだろう?」

「……」

そしてそのまま頭を落とし寝息を立てた。


(なぜその言葉をこの男が口にする?)

 スイテアが大きく動揺する――


『どうしてだろう……スイテアと一緒だと、よく眠れる』

 リューズがスイテアの胸に頭を預けて言う。

『枕が優しいからかな?』

『スイテアはリューズ様にとって枕程度の存在なのですね』

『うーーん……毎晩、眠るのに必要って意味ならそうかもしれないね』


―― 枕になれ、おまえも眠れ、と言われたが、眠れるはずもなかった。リオネンデが熟睡したなら、あのチェストに入れられた小刀を取り戻しこの男を刺してやる。壁に掛けられた剣は高い位置にありすぎて、スイテアには手が届きそうもない。


 そろそろいいかと抜け出そうとすると、すぐにリオネンデは気が付いて『眠れ』と言って抱き締めてくる。そうでなくても時々、半覚醒のまま、思い出したように少しだけ口づけし軽く胸を撫で、やはりすぐに眠ってしまう。スイテアとしては、とても眠れたものではなかった。


 それでも夜が明け、小鳥が囀るころにはさすがに睡魔がスイテアを襲う。そしてリューズの夢を見る。


 夢の中のリューズは昔のままで、優しい笑みを浮かべてスイテアを見詰めている。

『この守り刀をスイテアに。僕の紋章が柄に掘り込んである』

『リューズ様……』

『スイテアは母の侍女。父王の後宮の女。僕の妻にはなれない』


 判っております、そんな大それた……スイテアはリューズ様に一時いっときでも愛された。それで充分 ―― けれどそれは声にならない。


『母上を溺愛する父上に限って、ないとは思うが、もし父がおまえを所望したならば、この小刀を見せろ。僕がおまえの処女おとめを破ったことを父が知る ―― 後宮の女の密通は死罪だ。だがそれは表面上の話。この小刀は乙女を破った責任を取る、それとともに娘を貰いたいという意思表示だ。たいていは相手の男に払い下げられる』


 もし、国王が許さなかったら? 聞きたいのに聞けなかった。


『……好きだよ、スイテア――』


 リューズ様、わたしも……そして口づけて、愛撫が始まって……


「あぁ!」

 現実のスイテアが声をあげる。いつの間にか目覚めたリオネンデが目の前にいる。今、入ってきたのはこの男だったのか、でも! こらえきれずスイテアがリオネンデの背を抱き返す。リオネンデがスイテアの口元に唇を寄せる。そして ――


「!」


 いきなりリオネンデがスイテアを突き飛ばす。ズルリと失われたのを感じる間もなく、勢いがスイテアを寝台の向こうに落とした。同時にリオネンデが寝台から飛びおり、寝台の下に隠された剣を引き抜き、剣先を侵入者に向けピタリと構える。


「おや、気付かれてしまった」

 己に向けられる剣先を面白そうに眺めながら、侵入者が薄笑いする。

「……」

チッとリオネンデは舌打ちし、剣をさやに納めた。


「自分の剣も納めたらいかがでしょう? なかなかのものをお持ちのようですが」

「なにを基準になかなかと言うのやら」

「ま、そうですね。使えれば問題ない」

「使えないなんてこと、あるのか?」

「お若い王にはお判りになりますまい」

「サシーニャ、幾つになった?」

 するとサシーニャと呼ばれた男がニヤリと笑う。

「王より1つ上なだけでございます」


 全裸のまま、気にすることなくリオネンデは水差しの水を杯に注いでいる。

「おまえ……いつからそこにいた?」

ですよ。まさか姿を現した途端に気が付かれるとは ―― わたくしもまだまだという事でしょうね。お陰で面白いものを見損なった」

「ふぅん、魔術師殿に、他人の色事を覗く趣味がおありとはね」

リオネンデの言葉にサシーニャがクスッと笑った。


「わたくしはリオネンデ王の全てを知っておきたいのです」

「ほう、それなら俺に抱かれてみるか?」

「おや、リオネンデ王には男色のご趣味がございましたか」

「ない ―― おまえ、魔法で女になれ」

「そんな魔法はございません。女装なら、魔法を使わなくてもできますが」


 くだらない話をするうちに、やっとリオネンデも下穿したばきをけるほどには落ち着いたようだ。


「王が寝台の向こうに突き飛ばした娘が、例の踊り子で?」

「見たのか?」

「黒髪の若い女というのは判りましたよ」

下穿きを履き終えたリオネンデが鼻で笑う。


「ジャッシフに聞いたんだろ?」

「ジャッシフからは『王の後宮に女が増えた。いつもの憐れみを掛けるつもりだろう』とだけ聞いております」

「憐れみ、ねぇ……」


 ジャッシフは極秘裏ごくひりと言っていたが、サシーニャにも明かさない積もりかと、それとも俺の見立てが違っていたかと、あての外れたリオネンデだが、そんな事はおくびにも出さない。


 上衣を身に着けたリオネンデが寝台を回り込みスイテアを見ると、スイテアは寝台に隠れて、すでに着衣の乱れを直していた。

「向こうに行ってレナリムに朝食の用意をさせろ。レナリムは名を呼べば、眠っていようがすぐに姿を現す。早く行け」

慌てて立ち上がったスイテアが後宮の入り口の向こうに消えた。


「盗み聞きの防止の魔法を掛けろ、サシーニャ ―― おまえに出していた密命を一つ、取り下げる」

「おや……あの娘がお探しの娘で? リューデント様の隠された想い人 ――」

「相変わらず察しの早い……ドラゴンの小刀を持っていた。ジャッシフには言ってある」

「ふぅん、で、そのリューデント様の想い人をご自分の物にされた?」

「非難がましいな」

滅相めっそうもない、リオネンデ様を非難など。ただ……リオネンデ様はなぜそんなにリューデント様にこだわるのだろうと思った次第で」

「……リューデントの命を奪い、地位を奪った。ついでに女も奪っただけだ。どのみち、リューデントはこの世にいない。奪ったところで痛みも感じないだろう」


 サシーニャは、それだけなのか? と言いたそうな顔をするが黙っている。そこにレナリムが足つきの大皿を持って現れる。今朝は、レナリムだけでなく、女が二人、やはり大皿を掲げてついてきた。ひとりはスイテアだ。敷物の上に女たちが料理を並べた。


「リオネンデ様、スイテアの寝所はいかがいたしましょう」

 終わると一人は後宮に戻ったが、スイテアとレナリムが残り、スイテアの処遇をレナリムが尋ねた。


 リオネンデは少し嫌そうな顔をしたが、

「スイテアにはしばら夜伽よとぎを命じる。寝所の用意はいらぬ。が、控室は用意しろ。衣装は上等な物を用意し、その控室に置くようにしろ。判ったら二人とも下がれ」

レナリムが一礼し、スイテアを伴って後宮に消えた。


「随分な入れ込みようだな」

 クスクスとサシーニャが笑う。それが判っていたからリオネンデは嫌そうな顔をしたのだ。サシーニャに聞かれたくなかった。


「あの娘は俺の命を狙っている。手元に置いた方が安心だ」

「ふふん、いろいろとお楽しみってことですか……で、わたしを呼び出したのは、例の件?」

「うん、バイガスラの動静だが……」


 やっと二人の男は話を本題に移す気になったようだ。

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