第五章 王国編

第177話 三人目の主人公

 学校から帰り、鞄を放り投げて飛び込んだベッドの上で、僕はしおりを目印に読みかけのページを開いた。本は異世界召喚もののライトノベルだ。


 量産されるライトノベルの中には、まともに読むこともできないような素人文章が連ねてあるものも少なくないが、この小説は読んでいて苦痛にならない程度の文章力を備えている。

 ストーリーはラノベにおける王道。異世界召喚された主人公が強力な魔法の力を手に入れて無双する話だ。ストーリーにおいても量産型と言わざるを得ないが、王道なだけあって、読んでみればそれなりに引き込まれる。

 そして何より、その絵が描かれているだけでも購入価値があるほど表紙が素晴らしい。描かれるヒロインも、性格、容姿ともに僕好みで、主人公に感情移入しつつも時には嫉妬心を抱く。それが楽しい。


 僕はあとがきを残して読み終えた本を閉じた。

 仰向けになり、本を胸の上に乗せて目を閉じ、余韻に浸った。

 この本は第二巻。すべての伏線を回収したとは思えないが、打ち切りにでもなったのか、少々強引な幕引きで締めくくっていた。

 第三巻が刊行されるかは分からない。僕としては続いてほしい。


 いかんせん、サンディアちゃんに会えなくなるのはさびしい。初恋の女の子が転校していなくなってしまったときの喪失感に似ている。


 それにしても今日は疲れた。

 理想は学校で授業中に一度も当てられず、二人しかいない仲良しの友達としか話さず、宿題もあまり出ずに終わること。

 疲れたというのは、今日がその理想の一日ではなかったということだ。


「ああ、僕も魔導学院生だったらなぁ……」


 そんなことを考えながら、僕の魂は吸い込まれるように睡眠の中へと埋没まいぼつしていった。


 そして、バケモノに追われる夢を見た。

 バケモノというか、イーターだ。シャツを汗でぐちょぐちょに濡らしながら、とにかく走った。魔法の一つでもあれば撃退できるのに。小説のように都合よく精霊と遭遇もしない。

 小説を読んでいるときはどんなに主人公に感情移入しても死への恐怖なんて感じないのに、夢の中で体験するとこんなにも恐ろしい。

 夢だと? そう、これは夢だ。だったら食べられても大丈夫か?

 いや、やっぱり怖い。さっさと夢から覚めてくれと願いながら、僕は走りつづけた。

 起きろ! 目覚めろ! 夢から覚めろ! なかなか覚めない!


「ん? 光?」


 これは、太陽光だ。

 現実の僕の体に朝陽が浴びせられ、急激に現実世界へと引き戻される。


 僕は不安感に駆られて飛び起きた。宿題をしていない! 何もせずに寝落ちしてしまった。


「……んあ?」


 ここ、どこだ……?


 見知らぬ天井? そんなものはない。天井がない! いまやありきたりとなった目覚めのシーンの表現方法が使えない。

 僕の頭上には無限とも思える広大な青い空が広がっていた。


 夢から覚める夢を見ているのかとも考えたが、背中の下敷きになっていた名前も知らない野草のリアルな臭いで、ここが現実だと確信した。


 それにしても、本当にここはどこだろう。僕が寝ている間に誰かがいたずらで見知らぬ土地へ運んだのだろうか?

 僕はここがどこなのか、それを知るために辺りを見渡した。何かヒントになりそうな建物はないだろうか。


「ん? えぇっ!?」


 この辺りはだだっ広い草原地帯だったが、ポツンと一つだけ石造りの建物が建っていた。そして、その建物には見覚えがあった。


「ミドレジ遺跡……」


 ここは日本ではない。地球上のどこの国でもない。ラノベの中の世界だ。

 そして、ミドレジ遺跡があるということは、ここはシミアン王国だ。あの遺跡はラノベの挿絵で見たことがある。


 ラノベの中では、主人公のダース・ホークが異世界召喚された先がこのミドレジ遺跡だった。

 このミドレジ遺跡は精霊が集まりやすいという特質がある。精霊とはそうそう出会えるものではないが、どうしても契約したいのであればミドレジ遺跡に行けばいい。


「ふふっ、主人公になった気分だ」


 ラノベの主人公、ダース・ホークと同じ道筋を、その世界に入り込んで辿るというのはたのしいものだ。主人公の追体験ができそうだ。

 ただ、ダース・ホークと決定的に違うことがある。それは、召喚初期におけるこの世界の知識。

 ダース・ホークは最初、遺跡を気味悪がって離れようとした。そこをイーターに襲われたため、やむを得ず遺跡の中へと逃げ込んだのだ。


 ダース・ホークが遺跡へ入ったのは仕方なくだが、僕は違う。

 ここに精霊が溜まるのを知っていて、精霊と契約して魔導師になるために遺跡へ入る。


 さすがに小説と違って自分自身の体で遺跡内を進むのは不気味だ。外では空に透き通るような青が広がっていたが、遺跡の中は暗い。

 遺跡は石造りの廃墟だが、その構造はほぼ洞窟だった。遺跡には内にも外にも大量のツタがまとわりついており、一見すると自然が建物を造形したように見える。

 まれに天井や壁に小さな穴が開いており、そういった所では日光が差し込んで遺跡内の形をほんのり浮かび上がらせていた。

 それでもやはり暗い。薄暗くて不気味。こんな所、精霊が多くいることを知らなければ絶対に入らない場所だ。


 遺跡内部は複雑な迷路状になっているが、最終的にはどの経路を辿っても目的の最奥部さいおうぶにつながっている。

 しかし、正解の道というのがあって、それ以外のルートを辿ると落命必至の罠が仕掛けられている。


 正解の道というのが、実はまっすぐ進むルートなのだが、初見でそれを選べる者などまずいない。


 僕はダースの冒険をラノベで読んだから正解のルートを知っている。

 ダースは罠にかかりながらもかろうじて落命を回避し、どうにか最奥部へ辿り着いた。

 魔導師になった後になって、魔法で遺跡の中の構造を調べたことで、先に述べたようなことが分かったのだ。


 この不気味さは精神上の衛生をおびやかすが、罠ルートを回避しているので危険にさらされることなく最奥部まで到達することができた。

 最奥部は地下二階ほどの深度にあるため外からの光源はゼロだが、澄んだ池があり、そこを飛びまわる精霊が蛍のようにほのかな光を発していて全景を知ることができた。

 池の中、上、縁の陸地、壁といろんな場所にさまざまな精霊がいる。僕を注視する者もいれば、視界に入れようともしない者もいる。

 精霊には感情はなくとも性格はあるのだ。


 僕はこの空間の中を見渡して目的の精霊を探した。

 僕がしばらく足を止めていたからか、鳥型の精霊が千鳥足で近づいてきた。


「チミ、オナマエハ?」


 黒い羽に鮮やかなオレンジのクチバシを持った鳥だ。九官鳥をモチーフにしているのだろう。ノイズの入った耳障みみざわりな声だが、人の言葉を話すことができる。


「僕は公汰こうた新戸あらと公汰こうただよ」


「コータ・アラト・コータ」


「ああ、違う違う。苗字がアラトで名前がコータだよ」


 首をクイッと横に曲げる仕草はいかにも鳥だった。

 しかし鳥らしく鳥頭。しゃべれたところで人と同等のコミュニケーションは難しいだろう。


「コータ。ワタシト、ケイヤク、スルヨロシ」


「悪いね。僕はあっちの彼と契約したいんだ」


 精霊のタイプから、契約して得られる魔法の種類はある程度分かる。

 僕が探していた精霊はこの九官鳥ではない。通常の動物型の精霊だと、契約者の魔法は物質種か現象種になる。

 僕は最強種である概念種の魔法を得るため、幻獣種の精霊を探していた。この空間の中を見る限り、幻獣種の精霊は一体だけ。

 それはツチノコだった。


「ソウ。ザンネンヨ」


 棒読みで残念そうには聞こえない。まだ感情がないから断られて悔しいとか悲しいとか感じないのだろう。

 精霊でも社交辞令を言うというのは驚きの新事実だ。


 九官鳥型の精霊はパタパタと飛び去った。

 羽音にもノイズが入って、全体的に耳障りな精霊だった。


 僕は空間の奥の方でひっそりとたたずんでいる茶色い塊に歩み寄った。


「ねえ、ツチノコ君、僕と契約してくれよ」


 ツチノコは言葉を話せないが、僕の言葉を理解することはできるようで、僕の方に向き直って頭を突き出した。それは僕に撫でてほしいと催促しているようだった。

 精霊との契約方法というのは精霊ごとに異なるが、精霊に触れるという点はほぼ共通している。精霊に契約の意思があれば、どうすれば契約成立になるのか分かるよう相手に示してくる。

 ツチノコの姿を見れば、頭をでれば契約が成立することは一目瞭然だった。


「よし、契約成立だな」


 僕はツチノコの頭を撫でまわした。

 この瞬間、僕は魔導師になった。


「キュイッ」


「うおっ、鳴いた」


 ツチノコの皮膚はゴツゴツしているが、しっとりしていた。

 爬虫類はそんなに好きじゃない。これ以上触りたいとも思わないので手を離した。


「よし、冒険開始だ、アンダース!」


 僕はツチノコの精霊とともに遺跡を出た。

 元々見慣れた景色ではないが、遺跡の外の景色は新しいものに見えた。

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