第137話 アークドラゴン②

「執行モード!」


 俺は小さく角状にガッチリと固めた空気の塊を無数に作る。同時に別の領域に操作リンクを張り、流動性の高い空気を用意する。操作する二種類の空気をよく混ぜ合わせ、それをまとった。


 この状態は飛行を維持することはもちろん、近接戦闘において攻守ともに能力が格段に強化される。

 並のイーターであれば一発殴れば殺せるだろうし、打撃に特化したイーターの必殺の一撃にも耐えられるだろう。

 切断系の攻撃にもある程度は耐えられる。


 しかし、俺の自己強化はまだ終わりではない。


 俺がまとう高粘性空気を第一層目とし、第二層目を作る。第二層目は第一層目ほど丁寧には作り込まない代わりに、超大量の空気を使う。もちろん、第二層も高い硬度を誇る空気の塊と流動性の高い空気の組み合わせで作る。

 冷えた頭の中に、俺の想像力を邪魔する思念は存在しない。第二層をどんどん大きくしていき、特に表面は硬めの空気を集め、そうして俺は空を飛ぶ空気の巨人と化した。

 幅にして翼を広げたアークドラゴンの二倍、高さにしておよそ十倍。


「制裁モード!」


 空気巨人化した俺は右手でアークドラゴンをガッシと掴んだ。

 握りつぶせないほど硬いが、拘束されたアークドラゴンは翼を動かすことができない。


「グルルルロロラララララァ!!」


 ひときわ大きな雄叫おたけびをあげ、ようやく俺の方を見た。そして大口を開けた。

 さすがにアークドラゴンのブレスをまともに食らえば空気巨人の腕は壊されるだろう。

 だが、すぐに阻止はしない。俺はブレスが放たれるその瞬間まで我慢し、いままさに業炎が放たれるというところで、もう片方の手、つまり左手でアークドラゴンの大口を上下から挟んで閉じさせた。


「グウウウウウゥッ!」


 左手を離すと、鼻と口から黒い煙が立ちのぼった。

 だが、右手の中で抵抗するアークドラゴンの力はそれほど弱まってはいない。


 俺はアークドラゴンを掴んだ右手を頭上高くに振り上げた。

 アークドラゴンは強靭な尻尾で空気の右手に斬りつけるが、その部分の空気を柔らかくして尻尾を減り込ませ、それから空気を固めた。

 アークドラゴンは尻尾を動かせなくなった。


 俺は右手を思いきり振り下ろす。その先にめがけて、右膝を思いきり振り上げる。

 瞬間的に右手と右膝の硬度を極限まで高めた上での挟撃。


「ガフゥッ」


 アークドラゴンは大ダメージを負ったようだが、潰れはしなかった。さすがはネームド・オブ・ネームド級だ。その硬さは表皮を覆う鱗だけに由来するものではない。


 だが、鱗が強力な盾になっていることも間違いない。


 俺は再び右手でアークドラゴンを掴んだ。

 その右手の形を崩し、アークドラゴンを空気の巨人の上腕部内に取り込んだ。粘度を高めた空気で完全に包み込むことにより、アークドラゴンを拘束した。

 アークドラゴンは鋭い爪でひっかいたりしているが、それは水槽に手を突っ込んで水かきしているのと変わらない。それに、粘度が高いので二度三度でその力もなくなった。口も開けないし、翼も動かない。尻尾も動かない。


「いでよ、執行者たち」


 そう言いつつも、それは召喚されるわけではなく俺の想像により形作っている存在なのだが、俺の腕の表層部分が変形して人の形になった。アークドラゴンの半分程度の身長だが、普通の人間と比べれば紛れもなく巨人だ。

 その空気人形が五体ほど、制裁モードの空気巨人の右腕に立った。人形に取られた部分の空気を補充しつつ、同時に人形も動かす。

 人形は空気の右腕の中を歩いて進む。そのための道は俺が開けているのだ。


「執行せよ、執行者たち!」


 俺が執行者と呼ぶ人形たちは、アークドラゴンの頭、首、腹、背中、尻尾にそれぞれ取りついた。人形が動けるように右腕内の空気を緩めたため、アークドラゴンの体の自由が利きはじめた。

 だがそれで執行者たちが振り払われることはない。右腕の空気が彼らを保護しているし、彼等自身が空気なのだから、動く物体にまとわりつくことに難はない。

 すべて俺の脳のイメージによって動いている空気操作の一部なのだから、俺の意に反する事態は生じ得ない。


 執行者たちはアークドラゴンの鱗の隙間に指を突き立て、手を差し込み、ガッシリと掴んだ鱗を剥ぎ取った。


「グァアアアアアアアァァッ!」


 それは雄叫びというよりは悲鳴だった。

 竜の鱗、高く売れたりするのだろうか。いや、余計なことを考えていると不覚を取る。それは完全に仕留めた後で考えよう。


 俺の邪念によって執行者たちの動きが少し鈍くなっていたが、再び社畜のごとき献身的な働きを再開した。

 アークドラゴンの鱗を全身から半分くらい剥ぎ取ったところで、執行者たちの腕がチェーンソーに変形した。それで鱗のない表皮へと斬りつける。すべて空気で再現しているので、俺の空気の右腕内に血が浸透する。まるで血管だった。


 アークドラゴンは鱗を剥いだ部分であっても、分厚い筋肉に守られて高い防御力を誇っていた。

 ただ、執行者たちの作業によってアークドラゴンの筋肉は弛緩しかんしていき、刃もだんだんと通りやすくなっていった。


 いまさらながらアークドラゴンの顔をよく見てみると、うっすらと右眼を縦断する傷がある。眼球に傷はないが、まぶたを閉じると傷と傷の間に傷の橋がかかる。

 これはきっと、かつてリーン・リッヒが帝国から撃退したという伝説を作ったときに付けた傷だろう。

 そう、リーン・リッヒはアークドラゴンを撃退するに留まった。

 ダース・ホークは殺すことができないから封印するに留まった。

 盲目のゲンとは戦わなかったのだろう。護神中立国はイーターも手を出さない神聖な領域だからなのだろうが、もしも盲目のゲンと戦っていたなら、おそらくアークドラゴンはいまここにはいなかったに違いない。


 なんにせよ、E3エラースリーはアークドラゴンを仕留めきれなかった。

 だが、この俺はアークドラゴンを仕留める。最強の魔導師たるこの俺が。


「アークドラゴン、イーターの王よ。俺の言葉が理解できるか? 最強の魔導師たるこのゲス・エストが、敬意をもって貴様に尊厳のある死を与えよう。勝利の手段として鱗を剥いだことは許せ。……などと言うとでも思ったか! くそ雑魚が! さっさと散れ!」


 五人の執行者は腕の中に溶け込み消えた。

 右腕内の空気がアークドラゴンの頭部と尻尾を掴んだまま、胴体部分の空気の粘性を極限まで落とした。そして空気巨人の左手を包丁のように鋭く長く尖らせ、左膝をアークドラゴンの腹にえた。

 そして、左手の包丁をアークドラゴンの胴体に打ち下ろした。


「グァアアァ……」


 拘束を解くと、体が前後に割れたアークドラゴンは、弱々しい悲鳴とともに海へと落下していった。


「ま、こんなものだろう」


 俺は空気の右手の中に漂う数枚の竜の鱗を手元へと引き寄せた。

 空気でこすり、血肉の汚れを削り落としてから手に取った。


「ウィッヒッヒ」


「――ッ!?」


 下方から聞き覚えのある声が聞こえて視線を落とす。

 海中から白い塊が飛び出してきて、落下するアークドラゴンの上半身にまとわりついた。

 白い塊はグネグネとうごめきながら重力のままに落下を開始したが、海面に着水する前に落下は止まった。

 白い塊はアークドラゴンの上半身を丸々飲み込み、竜に形に変形して羽ばたいていた。

 じんわりと黒褐色の色が浮かび上がる。その姿はまさにアークドラゴン。

 大きさは元の半分程度。上半身分ということか。


「貴様、ドクター・シータか」


「いかにも。ゲス・エスト、私は未開の大陸にてあなたを待つと言いましたが、なかなか来ないではないですか。怖気づきましたか?」


 小さめのアークドラゴンは俺を見上げた。

 言葉をしゃべれるということは、ドクター・シータが体内を変形させているということだろう。見事に元のドクター・シータの声帯まで再現している。声は聞き覚えのある彼のものだった。


 俺にいいようにやられてうらめしく敬語を外していたくせに、まるで優位に立ったかのように敬語を復活させて余裕を演出しているところがまた腹立たしい。


「ああ、悪かったな。おまえに興味がなくて無視していた」


 そう言って俺は竜の鱗を海に投げ捨てた。


「ウィッヒヒヒ。私はねぇ、実は怒ってはいないんですよ。待ちぼうけを食らった、などと思う余裕もありませんでした。なにしろ、あそこのイーターどもはなかなか手強くてね、退屈どころか生き残るのに必死でしたからね。まさに弱肉強食の世界でしたよ」


「で、逃げてきたわけか」


「それは違いますよ。否、まったくの間違いというわけでもないのかもしれませんねぇ。弱肉強食の世界、それは私にとって理想の世界です。その頂点に君臨すれば、の話ですがね。だから、もう少し強くなって出直すために、未開の大陸をいったん出ることにしたのですよ。私が捕食できるレベルのイーターを捕食し、捕食に捕食を重ね、強くなってからあそこに戻って強いイーターどもを食い尽くす。そんな私にアークドラゴンを捧げてくれたあなたには感謝……」


 そのとき、異様な気配を感じたのか、ドクター・シータは言葉を失った。

 海中に現われた巨大な影は、諸島連合の中でも大きい部類の島ほどの面積があった。それを見たときには、さすがの俺も言葉を失った。

 海中からり出した二つの山脈がドクター・シータを挟み、海中へ引きずり込んでいった。


「いまのは、イーターか?」


「そー」


「そのジョーク好きだな、エア。おまえをジョーカーと呼んでやろうか」


 こんな状況下でもマーリンの真似で答えたエアに脱帽しながらも、俺はあの圧倒的な光景を脳内で反芻はんすうし、しばし空に立ち尽くしたのだった。

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