第136話 アークドラゴン①

 気持ちをたかぶらせた俺は、熱意とともに冷静さも増した。普通の人なら逆に冷静さを欠くところだろうが、俺という人間は違う。

 すぐにアークドラゴンを探すより、アークドラゴンと戦うときのために体を休めようと考える。


 大きい島に降りると先ほどのようなトラブルが発生しかねないので、今度は小さい島を探した。無人で草木がなくて見晴らしのいい島がいい。警戒を解けるなら精神も安らぐからだ。


 海上を高速で飛び、島をいくつか見送った。そしてついに俺はちょうどいい島を見つけた。

 広大な島から少し沖に出たくらいの場所に裸の山があった。草木がまったく生えておらず、黒褐色の岩肌が隆起している。

 俺は岩山の頂上に降り立ち、腰を下ろした。見晴らしがいいので、島に住む民族やイーターからの不意打ちの心配がない。

 だからといって、完全に警戒を解いてしまうのはだ。常にあらゆる可能性に備える必要がある。


「エア、アークドラゴンを見たことはあるか?」


「ある」


 エアは俺の前に顕現けんげんした。

 相変わらず簡素な白いワンピースをまとうのみだが、そこから伸びる四肢の白肌には、血流からくる赤みを含んでいる。顔のパーツもさることながら、指や爪といった末端のディテールも作り物の領域ではない。

 彼女の姿は完全に人間の少女だ。もはや彼女が人間の姿をしているかどうかを観察するのはナンセンス。人間として見たときにどうかと評価する段階にある。


 エアの身長はマーリンよりは大きいが、キーラよりは小さい。俺の世界で言うところの中学生くらいだろうか。それも新入生くらいの。

 そして、顔も端整だ。綺麗な流線型で、上品な口と小鼻としとやかな目がバランスよく配置されている。つやのある長い白髪は、毛の一本一本が滑らかで美しく、彼女の立ち姿には気品がある。


「アークドラゴンはどれくらいの大きさなんだ?」


「翼を広げたら、魔導学院の校舎くらいの大きさはある」


 恐れを抱くでもなく、ただ知っている事実を淡々と口にする少女が目の前にいる。

 抑揚はないが、流暢ちゅうちょうな回答。そして、数字ではなく比喩で分かりやすく説明しようとする意図が汲み取れる。


 エアはずいぶんと成長したものだ。

 俺は感慨にふける自分を、まるで親戚のおじさんのようだと鼻で笑った。


「エスト」


「ん?」


「見つけた」


 突如、俺はバランスを崩した。腰を落ち着かせていた岩が動いたのだ。

 こうなる可能性を、もちろん俺は見落としてはいなかった。ただ、可能性が低いため確認をおこたった。

 俺は反省しながら空気に乗って即座に宙へと上がった。


「グルルルルゥ! ゴロロロロロォオオオォ!」


 雷のような重厚な音が空気を震わせる。

 さっきまで俺が座っていた岩がり上がり、島が面積を増していく。

 海水で幾筋もの滝を作りながら黒褐色の塊が上昇し、そしてその全貌をさらけだす。


「ここにいたか」


 翼をバサリと広げて首を持ち上げた姿は、たしかに魔導学院の校舎くらいの大きさはあった。だが高さはそれ以上だ。頭を上げると高さは学院の屋上を遥か下に見下ろせるくらい高い。


 おそらく、いや、間違いなく、いままで会ってきた中で最強であろうイーター。

 ネームド・オブ・ネームドイーター。


「アークドラゴン!」


 返事をするかのように鼻から解き放たれた息は、暴風となって俺とエアをはためかせた。


 それを目の前にした俺の心に、心臓に針を突き立てられたような恐怖が寄り添った。

 しかしそれが引き起こすのは萎縮いしゅくではない。

 高揚感!

 俺が少しでも恐怖を覚えるほどの迫力を眼前にのぞみ、そこにいっさいの後悔はなく、狂わんばかりの喜びを感じている。

 最強竜と戦えるのだ。期待感が体内に充満してはち切れそうだ。


「グルルルゥオオオオォッ!」


 今度は咆哮という形で熱風が俺とエアを襲う。

 その風には大粒の唾液が多分に含まれていた。触れれば火傷は必至。

 俺は空気の壁で風も唾液もさえぎった。しかし一所ひとところに留まれば熱でやられかねない。俺はアークドラゴンの頭上へと飛んだ。


「さて、どう攻略するか」


 本来であれば相手の強さや能力を想定してあらかじめ戦闘シミュレーションをするのだが、こいつに対しては何も準備をしていない。

 それは楽しみにしていたからだ。

 あっさり終わってはつまらないではないか。


 俺は肩ならしと小手調べを兼ねて、最初の攻撃方法を決めた。


 俺はまず空気の塊を作った。大きさにして十メートルくらいか。鉄球並みに硬度を上げる。

 手を振りかざし、そして振り下ろす。必須ではない動作だが、それをすることで空気の塊が動くという魔法のイメージを増強できる。

 空気塊は加速した。初速を速くするよりも、距離をとって高い加速度を与えたほうが最終的に速い砲弾となる。後者のやり方でアークドラゴンにぶつけた空気塊の時速はおよそ九十キロ。


「グガァア!」


 頭部に直撃。アークドラゴンの頭が衝撃で腹の位置まで下がった。まるで頭を垂れる従者のように。


 だが、顔を上げて俺をにらむその瞳には鋭い殺意が光っていた。

 羽ばたく速度が倍になり、高度を上げて俺に接近する。太く鋭い牙を並べた大口が俺へと向かってくる。

 俺はその軌道から退避しつつも、その場所に空気でつっかえ棒を残す。竜の口は俺を捕らえられなかったが、空気の異物の存在など意に介さないとばかりにガチリと閉じた。あごの力がすさまじい。


 アークドラゴンの羽ばたきによる風圧を利用して即座に距離を取る。

 一瞬、アークドラゴンが鋭い爪でぎ払おうと構えていたが、距離が足りないと判断したのか動作を中断した。

 代わりにこちらへ向けて大口を開けた。


「これは!」


 放たれる業炎。

 激烈な光、熱、音。


 俺は全速力でその軌道の外へ出て、さらに距離をとった。それでもヒリつく高熱によって大きなダメージを負う。

 熱のダメージによる影響は皮膚の痛みだけではない。運動能力と思考力が奪われる。


 火炎が中空を駆け巡り、下方の島の森が熱によって発火した。


「ちっ」


 俺は真空の塊を島に落として火事をしずめた。

 諸島連合の国々を助ける義理はないのに、俺はなぜ彼らを助けているのか。何か理由があったはずだが忘れてしまった。


「グルルルゥ」


 アークドラゴンが顔の向きを変え、それに追従するように体の向きを変えた。そして再び火を吹いた。今度は別の島に向かって火を吹いたのだった。


 俺は即座に風の流れを作り、島側から暴風を吹かせた。真空を作って火を消すだけでは島が熱でやられるため、熱ごとはね返す必要がある。

 火炎のブレスと俺の暴風は拮抗きっこうした。

 いまの位置で暴風を強くしすぎても島に被害が出る。それに、俺の想像の上限に近い力で風を吹かせているので、アークドラゴンのブレスに対して真っ向からぶつかって圧倒することは難しい。


 それにしても、なぜアークドラゴンはそんなことをしたのか。俺と戦っている最中に脇見をして、そちらに手を出すとは。

 俺はいくつか可能性を考えた。


 一つ。俺が島を鎮火したため、かばいながら戦わなければならない俺のウィークポイントと判断したということ。


 一つ。俺が魔法で空気を操作しているということを理解していないために、俺のことなど眼中になくただ破壊衝動に駆られているということ。


 一つ。アークドラゴンは俺ではなく、人類と戦っているつもりだということ。俺は人類の一戦士でしかなく、人類に対してダメージを与えるために、島に向かって火を吹いた。


 もっと考えればほかにもさまざまな可能性が沸いてきそうだが、それがどんなものであれ、俺の納得する理由は出てきそうにない。

 俺は決闘に水を差された気分になった。もちろん、俺が勝手に決闘として戦闘に臨んでいるだけだということは分かっている。


 アークドラゴンはいまの位置からだと島を焼けないと判断したか、羽ばたいて移動を始めた。俺に背を向け、品定めするように下方の島々を見渡しながら飛んでいく。

 アークドラゴンのその行為は俺の逆鱗に触れた。


「つまんねーことしてんじゃねえよ……」


 やはり俺のことは眼中にないらしい。

 相手の力量を測れない雑魚め。


 昂ぶっていた気持ちが急激に冷えていく。

 ガスバーナーで一生懸命に熱して赤い光を放っていた鉄が、突然に冷たい冷水中へと放り込まれた感覚だ。

 ぶくぶくと煮えきらない気持ちの泡を浮かび上がらせながら、水の底に沈んだまま冷え固まっていく。


 実は俺には秘かに考えていたことがあった。

 アークドラゴンを倒し、あわよくば従属させようと考えていたのだ。

 ドラゴンは知能が高いと聞く。あれだけの巨大な頭をしているのだから、脳も大きくてしかりというもの。言葉を話せなくとも理解はできるはず。

 だが興醒めした。一度でも俺の気分を害した以上、もう愛着が沸くこともないだろう。

 もういらない。抹殺してやる。完膚なきまでに叩きのめし、細かく切り刻んで、海中のイーターどもの餌にしてやる。

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