第100話 リオン城⑧

「待ちかねたって、そいつに呼ばれて逆らえずに来ただけだろ」


 俺はドクター・シータにあごでジャック・ジャックの方を示した。


「これはこれは、第二皇妃殿。私を呼んだのはあなたでしたか。ジャック・ジャック……あなたの本名はなんだか男みたいでいらっしゃいますな」


「無礼ですね、ドクター。あなたはわたくしには逆らえないことを理解していないようです。あなたがゲス・エストを殺したら、じっくりとお仕置きして差し上げますわ。もちろん、あなたの体に鞭を打つのはあなた自身でしてよ」


 ジャック・ジャックはドクター・シータより身長が低いが、顎を少し上げてから見下ろすかのような冷ややかな視線を送っていた。

 もし視線の先にいるのがドクター・シータでなく俺だったら、どんな極刑に処してやろうかとたかぶっていたことだろう。

 だが、ドクター・シータは俺以上にプライドよりも効率を優先するストイックな人種のようだ。


「おやぁ? 第二皇妃殿、あなたの頭上ではえが飛んでおりますよ。五護臣として私が退治して差し上げましょう」


 ドクター・シータがジャック・ジャックの顔に人差し指を向けた。

 彼女はまたしてもドクター・シータの無礼な行動にひたいの血管を浮き上がらせたが、身の危険を感じている様子はない。

 彼女がドクター・シータに心の中で命令を下しているのだろう。ドクター・シータは絶対に彼女を攻撃できない。


 しかし、ドクター・シータは腕の角度を上げた。ジャック・ジャックの上方、そこにはシャンデリアがある。

 そこへ向けて、指が飛んだ。高速の弾丸はシャンデリアのつけ根を破壊した。


「アアアアアアァァッ!」


 ジャック・ジャックの甲高かんだかい悲鳴が響き渡り、その声はガッシャーンという音と交代して消えた。

 黄金の枠組みの下を赤い液体がゆっくりと這い出てきた。


「ウィッヒヒヒ。これでこの私に命令できる者はいない。自分よりも頭脳がまさる人間を操ろうとすることは、自殺するようなものだと気づかないものかねぇ」


 近くに倒れていたリーン・リッヒは俺が空気で包んで退避させていた。ドクター・シータの強さが未知数であるため、保険として戦力を残しておく必要がある。

 もちろん、俺が負けるはずはないし、自信はあるのだが、万全は期すべきだ。


「ほう、助けたね、ゲス・エスト。貴様が人を助けるとはね。ウィッヒヒヒ」


あおっても無駄だ。ドクター・シータ、貴様程度では俺には勝てないぜ」


 すぐ傍で発生した強烈な衝撃により、サキーユが我に返った。


「あ、ああ、あああっ!」


 サキーユは重力を制御して天井の大穴から外へと逃げ出した。

 だが、ドクター・シータの腕が膨張し、蛙の舌のように驚異的な瞬発力で伸びて逃亡者を捕らえる。

 そのまま白い腕が膨張して彼女を飲み込んでしまった。


「うーむ、魔導師を捕食しても魔法は奪えないか。残念。おっと、魔術師の魔術も駄目か。魔法と魔術の吸収は新たな研究課題だな。とりあえず体組織と生体エネルギーだけでももらっておくとしよう」


 いつの間にかシャンデリアの下で白い肉塊がひしめき合っており、ドクドクと脈打って何かをドクター・シータ本体へと送り込んでいた。


「俺はそういうの待たねーよ」


 俺は風の刃を飛ばしてドクター・シータの両腕を切り飛ばした。

 白い塊のウネウネが止まり、ペタリと床にへたり込んだ。


「かまわんさ。十分に吸った。残りはあとで吸収すればいい」


 ドクター・シータが五本の指をこちらへ向けた。

 俺はどんな攻撃がくるのか即座に悟ったし、その事実を彼も悟っただろう。


 俺はとっさに空気の壁を作った。刹那的に五つの衝撃が音をき散らす。

 五つの白い指先が空気の壁にぶつかって潰れる刹那、その光景のバックグラウンドでドクター・シータが腰を落としているのが見えた。

 脚を白い膨張筋肉で増強し、屈むことでバネをたくわえている。さっきの五指弾は牽制で、俺がそちらに気を取られている間に急接近してくるつもりだろう。などと考えていると、すでに彼は俺に肉薄していた。

 振り上げられた形で腕が再生され、そして打ち下ろされる。


「執行モード!」


 そう言ったが、言う前から俺はそれを発動していた。柔剛じゅうごう一体の空気で自身を包み、あらゆる行動をアシストする。

 ただし、動体視力と判断力だけは補強のしようがない。集中して自分の能力の限界をフルに使って頑張るしかない。


 ブオンッとくうを切る音に気圧けおされ、発生した風圧にも気圧される。

 俺はどうにかドクター・シータの白い一撃をかわした。


「ほう、いまのを避けるかね。しかし表情に余裕がない。あと三手で決まりそうだ」


 そのとおりだ。俺はドクター・シータがそう言うよりも先にその三手を読みきった。

 そして、打開策となる妙手を発想した。それは天啓に近い。我ながらよく思いついたと思う。


「おまえこそ全力で詰めなければ詰めきれないほど余裕がないようだな。笑えよ、あのウザい笑いで」


 ドクター・シータは笑わない。大きな白い拳の三連撃が飛んできた。

 しかし俺はそれらをすべてかわした。かわしたというより、俺の身体が勝手に拳を避けた。


「チッ、それは面倒だよ」


 ドクター・シータは俺から距離を取った。俺が何をしたのか察したらしい。

 俺が何をしたのかというと、周囲の空気の流動性を液体程度まで落としたのだ。

 ドクター・シータが巨大な拳を振れば、空気が押しのけられる。その押しのけられる空気に俺も一緒に動かされ、自動的に攻撃を避けられるというわけだ。

 水中の魚を素手で捕まえようとしてもスルリとすり抜けられるようなものだ。空魚モードと名づけよう。


「さて、次はこちらから攻撃させてもらうぜ」


 どう攻撃するか。

 さっき腕を切断したが、痛みを感じている様子はなかった。しかし本体から切り離された腕は動かなくなった。切断攻撃は有効と見ていい。

 ただし、再生はされる。再生できなくなる条件を探さなければならない。

 余裕があれば真空に閉じ込めて呼吸を奪ってみるのもいい。


「いいや、やめだ。貴様とこの私との戦いは、私の見立てでは五分だよ」


 ドクター・シータが突然、妙なことを言い出した。

 もちろん、彼の言は俺の見立てとは異なる。


「五分だと? 明らかに俺のほうが優勢だ。五分だと言うのなら、なおさら決着をつけるべきだろう」


「私は貴様と違って戦闘狂ではないのだよ。引き分けを良しとしないのであれば、この戦いは貴様の勝ちでいい。私はもっとイーターどもを捕食して強くなる。貴様を圧倒できるほどに強くなるぞ。私は未開の大陸へと旅立つ。そこで強力なイーターどもを捕食し尽くしてやるのだ。貴様のような戦闘狂は強い奴と戦いたいのだろう? ならばウィンウィンのアイデアではないかね? 私は最強の生物となって貴様を待つ。未開の大陸へ来い。逃がさないというのなら、いまここで決着をつけることもやぶさかではないが、どうするかね、ゲス・エスト?」


 そんな提案をしておきながら、ちゃっかり俺の攻撃に備えて体の状態を整えている。

 切断され分離された腕を本体へとつなぎなおし、無意味にブクブクと膨れた部位を引き締めて、筋繊維の塊のように腕や脚を造りあげた。


「いいぜ。見逃してやる。俺はここにマーリンを探しに来たんだ」


 ドクター・シータはあやしい微笑をたたえ、片手を挙げて別れを告げてきた。

 ウィッヒヒヒという笑いのみを発声して窓から出て、腕を翼に変えて空へと飛び立った。

 はるか西方の未開の大陸へ。

 ネームド・オブ・ネームド級のイーターであふれる暗黒の世界へ。

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