第99話 リオン城⑦

 リーン・リッヒの敗北。

 それは結末ではなく、一つの結果にすぎなかった。


 状況は激変する。

 まさかリーン・リッヒが敗れるなど、俺以外の誰も予期していなかっただろう。皇帝も、近衛騎士団員たちも、ポカンと口を開けたまま呆然としている。

 予期していなかったから、どうすればいいのか分からない。予期していなかったから、どうなるのか分からない。

 誰一人動けない。俺を除いて。

 そう思いきや、俺より先に動く者がいた。


 皇帝はこの部屋にいる人物に順に目を向けている。

 気を失っているリーン・リッヒ、同じく気を失っている大臣、放心状態で座り込んでいる第三皇妃、いそいそとリーンに駆け寄る第二皇妃。


 リーンが倒れて最初に足を動かしたのが第二皇妃だった。

 きらびやかなドレスをまとっている彼女の顔は白い。その病弱そうな印象は、リーンが倒れたからではなく元からのものだ。うつ伏せに倒れているリーンを抱き起こし、仰向けに寝かせる。

 第二皇妃に釣られて皇帝もリーンの元へ駆け寄った。膝を着き、絶望に揺れる視線を垂直に落とす。軽く肩を叩いてみるが、反応がない。


「あぐっ!」


 絶望の色に染まっていた皇帝の瞳が、別の色に塗り替えられる。

 それは痛みと苦痛。皇帝の背中にはナイフが突き立てられていた。


「ジーン……なぜ……」


 それが第二皇妃の名のようだ。彼女はいつの間にか立ち上がり、皇帝の後ろに回ってナイフを突き立てていた。

 近衛騎士団員たちは、皇帝に刃を突き立てたのが皇帝家の人間だったために困惑して動くことができなかった。彼らを動かせる人間は意識を失っている。


 第二皇妃は皇帝の手に自分の指を這わせ、よどみのない動きでスルリと皇帝家の指輪を引き抜いた。


「わたくしがジーン・リオンを名乗るのは今日までです。わたくしの名はジャック・ジャック。今日をもってわたくしが皇帝となり、帝国はジャック帝国と名を変えるのです。さあ、指輪よ。わたくしのものとなるために、盟約の終わりを告げるのです」


 第二皇妃が指輪を前方に掲げると、紅い紋章が光り輝いた。

 指輪から飛び出した光の粒子が雪のように舞い、床に降り積もる。俺の攻撃によって空いた大穴に降る粒子は、ほかの粒子につなぎとめられたかのように穴の上で静止した。

 床に堆積たいせきした粒子がひときわ輝いたかと思ったら、皇帝の間に二人の見知らぬ人物が向かい合って立っていた。二人の姿は透き通っていて向こう側の景色が見える。どうやら光によって投影された幻のようだ。


「近衛騎士たち、あなたたちは投影像にかぶって邪魔ですわ。出てお行きなさい」


 近衛騎士たちは第二皇妃の命ずるままに部屋を出ていった。

 リーンを運び出そうと皇妃のいる方へ向かう者がいたが、皇妃が恫喝どうかつすると即座に退散した。


 ここから指輪に込められた盟約が音声付きで再生される。それも、盟約が交わされたときの一部始終とともに。




 向き合う二人は、歳は三十半ばというところだろう。

 首から下を甲冑かっちゅうで包む眉目秀麗びもくしゅうれいな男と、モノクロトーンのローブを身にまとう沈魚落雁ちんぎょらくがんの女。

 男のほうはどうやら現皇帝の若かりしころのようにも見えるが、似ているだけで彼の祖先だろう。

 女のほうはおそらくリッヒ家。魔導師でありながら、剣士のような凛としたたたずまいがリーン・リッヒに似ている。


 男は指輪を胸の高さまで持ってきて、そこに向かって話しだした。

 それは盟約の背景を指輪に語り、後世に残すためだと察しがついた。


「私はここにリオン帝国の建国を宣言する。この土地に住まう我々は力で土地を奪い、奪われ、覇権を争ってきた。長く続いた争いの歴史であったが、突出した力を持つ者が二人現われ、それぞれが領土を広げ、ついにはこの広大な土地も二人の魔導師だけで占有するに至った。領土割合はほぼ五分。ここで我々には二つの選択肢が生まれた。一つは領土を巡る闘争を終えて私と彼女がそれぞれ皇帝となり二つの国を建国すること。もう一つは二つの領土の領主である私と彼女が決闘し、勝ったほうが皇帝となり負けたほうが領土を捧げること」


 男が女に指輪を渡し、今度は女が指輪に向かって語りはじめた。


「私たちは後者を選んだ。なぜなら、私たちは愛し合っていたから。私たちが二つの国に分かれて各々で皇帝となれば、もう一緒にいることはできない。だから、決闘してどちらが皇帝になるかを決めた。二人がこれからも傍にいられるように。そして、私は負けた。私は領土をすべて捧げ、そしてリオン皇帝陛下の守護者になることを誓う」


 女は男の左手の中指に指輪をはめた。


「我が愛しのリーネよ、本当に皇妃になる気はないのか?」


「リッヒ家は武勲のみを誉れとする誇り高き一族です。皇帝となれども皇妃にはなりません。しかしあなたを愛する気持ちに変わりはありません。リオン皇帝陛下、リッヒ家は末代までリオン家を守護する最強の盾でありつづけます。もしもこの誓いに背くことがあれば、リッヒ家は魂を放棄します。抜け殻となったリッヒ家の戦士を道具としてお使いください」


「私は誇り高きお主にれたが、ここまでとは誠に見事なことだ。ただただ感服するばかりである。私も誓う。もしもリオン家の血が途絶えたとき、皇帝の座はリッヒ家の頭首に譲渡する。盟約の指輪よ、二人の誓いを聞き届けよ。そして盟約の指輪よ、お主を指にはめる者が最強の魔導師であり、リオン帝国の皇帝であることの証となれ」


 プラチナリングの上に乗っている大きな球状の透明な宝石が白い光を放ち、赤い紋章を浮かび上がらせた。

 その紋章は何かの翼のようにも見えるし、風になびく獅子のタテガミのようにも見えた。



【盟約】

 リッヒ家の人間は末代までリオン家を守護し、リオン家の血が途絶えたとき、リオン帝国の皇帝の座をリッヒ家頭首に譲渡する。

 指輪は帝国で最強の人間である証であり、皇帝であることの証である。




 盟約の指輪は再びまたたいた。白く眩い光を放ち、部屋中の人間の視界を一瞬だけ奪ってから静まった。

 さっきまでの赤い紋章が青い紋章に変わった。


 俺は小声で相棒に呼びかけた。


「エア、あの指輪は何だ?」


「あれは盟約の指輪。人が何かを指輪に誓えば、指輪が誓い対する強制力を与える」


「紋章の色の変化は何を意味する?」


「赤は盟約の履行中を意味する。青は盟約の履行が完了し、新たな誓いの宣言が可能な状態であることを示している」


 つまり、こういうことだ。

 リオン皇帝が死んだため、盟約の指輪により皇帝の座はリッヒ家の現頭首であるリーン・リッヒに移った。そして、指輪による誓いへの強制力は行使されたことで消失した。


 指輪を掲げていた第二皇妃はまゆをひそめていた。おそらく彼女は指輪をはめた者が皇帝として認められると思い込んでいたようだ。

 リオン帝国の第二皇妃と第三皇妃と大臣はマジックイーターで、帝国の乗っ取りの機会を粛々とうかがっていたのだ。


「ジャックとか言ったか? 貴様は皇帝にはなれない。なったところで俺に殺されるだけだ。それに、最強の剣士とやらは皇帝がリオン家だからこそ守護の責務を負っていたが、貴様なんぞが皇帝になっても守ってくれる騎士はどこにもいないぞ」


 失望色の顔は彼女の血色が元々悪いためにそう見えるだけのようで、彼女の垂れ目は殺気立っていた。

 第二皇妃が皇帝の座に就くことを諦める気配はない。


「リッヒ家の頭首はそこでノビているではありませんか。帝国は力ある者が皇帝を務める国です。皇帝も第一皇妃もわたくしの手に落ちました。この指輪は最強の証であり、皇帝の証。わたくしがこれをはめれば、わたくしが皇帝なのです」


 そう言って、第二皇妃は自分で指輪を左手の中指へとはめた。


「リーン・リッヒを倒した俺を差し置いて最強を名乗るとはおこがましい。帝国最強の人間が皇帝になるのなら俺が皇帝だ。指輪は俺がもらう」


 空気を操作して第二皇妃の中指から指輪を抜き取り、自分の元へと移動させた。

 そして俺はそれを左手の中指にはめた。


「ゲス・エスト。あなたはわたくしのことを何も御存知ないようですね」


「知っている。小汚いマジックイーターだろ」


「やはり分かっておりませんのね。わたくしはマジックイーターの幹部第二位、ジャック・ジャック。わたくしの魔術はジャックされたものをジャックすること。例えば闇の概念使いが他人の影から遠方の景色を覗くのはサイトジャックになりますけれど、わたくしはその景色を誰にも気づかれずに覗き見ることができるのですわ。そして本日、最強のイーターが誕生しましたのを御存知ですかしら? そのイーターは、一匹のイーターが五護臣の一人を食べ、食べられた五護臣が逆にイーターの体と能力を乗っ取ったのですわ。それはつまりボディージャック。それをわたくしがジャックする。つまり、最強のイーターがわたくしの最強の盾であり、最強の矛となるのですわ」


「おいおい、ペラペラ喋りすぎだぜ、あんた。そいつを呼ぶ前に俺があんたを殺すことなんてたやすい」


「もう呼んでおりますわ。さっきまで軍事区域におりましたけれど、彼の身体能力であれば一瞬で飛んでこられるでしょう。あら、来たかしら?」


 ジャックが割れた窓の方に視線をやると、窓から何か白いものが飛び込んできた。

 それは紙飛行機だった。

 フワフワとゆっくり部屋に入ってきて、ゆらゆらと俺の方へ飛んできた。何か文字が書いてあるようで、紙飛行機を掴んで開いてみる。




 ゲス・エストへ


 五護臣のドクター・シータがイーターになりました。彼いわく、最強のイーターだそうです。あなたにリベンジすべく研究所で待つとのことです。

 とんでもないモンスターの誕生を阻止できませんでした。

 しかし、最強の魔導師を豪語するあなたなら嬉々として退治してくれるでしょうから、私は謝りません。頑張って退治してください。


 セクレ・ターリより




「ほほう、価値のない情報をありがとう、クソ書記が! せめて謝れよ」


 俺は紙をクシャクシャに丸めて床に叩きつけた。

 その直後、一人の男が窓をぶち破って飛び込んできた。すでに割れた窓もあるというのに、わざわざ割れていない窓を割って入ってきた。

 白衣を着た男が俺を見つけ、ニヤリと笑った。


「やあ、待ちかねて来てしまったよ。最強のイーターとなったこの私がね!」

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