第87話 リオン城①

 ――リオン城内。


 リーン・リッヒはレイジー・デントを連れて自室へと向かっていた。

 リオン城内には一般人は入れないが、リオン城内部に住む人間の客人は手続きを経れば入ることができる。

 帝国において警備はリオン城の入城門がいちばん厳重であり、次に皇帝室と続くため、城内に入ってしまえばマーリン捜索は無理なことではない。

 加えて、レイジーは光の発生型魔導師である。周囲の景色と同等の光を発生させることで、カメレオンのように景色に溶け込むことができる。


 リオン城に入ってすぐに二人が分かれると怪しまれるため、リーンが友人のレイジーを部屋に連れ込み、リーンだけが部屋から出てレイジーがリーンを待つ。そのように見せかけて、光学迷彩で姿を消したレイジーもリーンとともに部屋を出て、そこから単独でマーリンを探す。


「レイジー、分かっていると思うが、私は帝国・近衛騎士団団長だ」


「うん、分かっているよ。何があってもリーンは自分の立場を守って」


 二人は簡素な白い扉の前で止まった。そこがリーン・リッヒの自室である。


 リーンがドアノブに手をかけたとき、誰かが彼女を呼びとめた。


「団長! 至急、皇帝室までお越しください」


 リーンが振り返ると、そこには近衛騎士団の団員がひざまずいていた。

 近衛騎士団の正装は白を基調として、剣を想起させる銀の模様と盾を想起させる青の模様が散りばめられている。その姿を見れば帝国外の者が見ても一目で特殊な兵士であると分かる。

 近衛騎士団長のリーン・リッヒの格好に似ていることからも、近衛騎士団であることは一目瞭然。リーンの騎士服は青い盾でなく金の剣と赤い翼の模様で、通常の団員よりもさらに特別な存在であることを主張している。


「それは誰の命だ?」


 騎士団を動かせるのは基本的には団長であるリーン・リッヒのみであるが、彼女が不在の場合、または彼女に対する伝令を出す場合に、例外的に皇帝家や大臣などの執政官が命令を下すことができる。


「大臣です」


 リーンの表情は険しかった。作戦開始直前の呼びとめに、リーンが嫌な予感を抱いていることをレイジーは悟った。

 帝国・近衛騎士団団長は帝国の政治からは独立した組織であり、彼女に命令を下せる者は皇帝のみである。

 つまり執政官である大臣の言葉では彼女を動かすことはできない。ただし、団長ではなく団員に例外的命令系統を行使すれば、間接的に団長のリーン・リッヒを動かすことができる。

 もしもリーンが伝令役となった団員の伝言を無視すれば、その団員の任務が失敗または不履行ふりこうとなってしまう。

 リーンは団員を守るためにも彼の持ってきた言葉に従わざるを得なかった。


「……分かった。すぐに行く。レイジーは私の部屋で待っていてくれ」


「団長、ご友人も一緒にとのことです」


 リーンがレイジーを見つめると、レイジーはうなずいてみせた。

 それは、覚悟はできているという意思表示だ。何が待っているのかは分からない。強制的に追い出されるかもしれないし、はっきりとおとがめを受けるかもしれない。存外、歓迎される可能性もある。


「分かった。向かおう」


 リーンとレイジーは伝令役に先導される形で皇帝の間へと向かった。

 伝令役が重そうな両開きの扉の片側を押し開け、後ろに控える二人を中へと導き入れた。


「帝国・近衛騎士団団長リーン・リッヒ、ここに参上つかまつりました」


 リーンは皇帝陛下の眼下にて片膝を着き、こうべを垂れた。

 リオン帝国皇帝は恰幅かっぷくのいい老人だ。老人といってもまだ若さのためにモウロクするほどお歳を召しているわけではない。これから後継者に引継ぎをおこなって余生を愉しむための準備に入る頃合であった。

 もっとも、現皇帝は後継者候補が存在しないことに頭を悩ませているのだが。


「大臣、彼女を呼んだのは君かね? 何事じゃ?」


 皇帝は少し戸惑っていた。皇帝には彼女を呼んだ覚えがないからだ。そして、大臣が皇帝に無断で彼女を呼ぶことなど、よほどの緊急時でなければありえないことだ。

 髪よりも長い白ひげあごからで下ろしながら、大臣に不安げな視線を投げた。


「陛下、まずは緊急につき無断でリーン・リッヒを召喚したことをお詫び申し上げます。そしてここからが本題ですが、心してお聞きください。現在、このリオン城内に陛下のお命を狙う刺客が侵入しております」


 瞬間、皇室内に緊迫した空気が張り詰めた。それは大臣以外の者全員にとってあまりに想定外の言葉だった。

 そのため、水が瞬間的に蒸発したかのように衛兵たちの緊張が刹那せつなの高まりを見せた。


「刺客じゃと!? そやつはいま、どこにおるのじゃ?」


「そこにおります!」


 大臣はリーンの後方を指差した。その指先はレイジー・デントの位置を射ている。

 レイジーはもちろんのこと、リーンも驚きのあまり目を丸くした。


 リーンがレイジーの方を振り返ったとき、伝令役となった騎士団員と視線が合った。


「わ、私はただ呼んでこいと命令されただけでして」


 伝令役となった団員は蒼白もはなはだしく、膝を着いて頭を抱えた。

 彼を責めるのは筋違いというものだ。


「陛下! 彼女はわたくしめの友人にございます。決して刺客などではございませぬ」


 レイジーは正式な手続きは済ませているものの、たしかに秘密裏の行動をする目的でこのリオン城に入城している。しかし皇帝を暗殺するなどというおそれ多いことをくわだててはいない。


「大臣! 彼女が刺客だというのなら、なぜここに招き入れたのじゃ!? 危険ではないか!」


 近ごろの皇帝は大臣を盲信している節がある。帝国をいとなむ皇帝という使命に疲れたのか、政治を大臣に任せがちなのだ。

 そんな皇帝でも、さすがにこの状況には不信感をあらわにした。咎めるような視線を大臣に降ろす。

 大臣は微塵みじんひるむことなく、むしろ微笑さえたたえて理由を献上した。


「いえいえ、近衛騎士団団長殿がおられるではありませんか。ゆえに、ここはいま世界一安全な場所ですぞ。たとえその刺客を招き入れたのが近衛騎士団団長殿本人であってもです。彼女は古の盟約に従い、絶対に皇帝家を守らなければならないのですからな。まあ、団長殿は自分が陛下に手を下せないから刺客を招き入れたのでしょうから反逆者には変わりありませんがね。さて、皇帝陛下、帝国・近衛騎士団団長リーン・リッヒにご命令くださいませ。陛下のお命を狙う刺客、レイジー・デントを処刑せよと。これは謀反むほんを企てたリーン・リッヒへの罰でもあるのです」


 リーン・リッヒは焦った。最近の皇帝は大臣の言いなりと言っても過言ではない。あっさりと大臣の妄言もうげんを信用しかねない。


「陛下、大臣の戯言たわごとを信じてはなりませぬ。大臣は国家転覆を画策する謀反人の可能性がございます。陛下を落としいれようとしているのです。大臣は皇帝家とリッヒ家の信頼関係を崩壊させ、リッヒ家を排除した後に陛下に取って代わる算段なのでございましょう。どうか聡明なる陛下自身で賢明なるご判断をお願い申し上げます。レイジー・デントはわたくしめの単なる友人でございます。いたずらに処刑命令などお出しになりませぬようお願い申し上げます」


 皇帝は顎をさすり、首を右に左にとかしげて考え込んだ。

 普段は二つ返事で大臣の進言を受け入れるが、さすがに今回ばかりは安易な結論は出さない。皇帝が結論を出したとき、大臣かリッヒ家が帝国皇室から失われることになる。これはどちらに転んでも一大事だ。


 リーンは緊張にのどを鳴らした。

 対して、大臣のかすかな笑みには余裕があらわれていた。これまで皇帝を意のままに操ってきた大臣には、皇帝を動かす自信があるのだ。


「リッヒ家の者が裏切れば、皇帝家の指輪の紅い紋章が黒ずむはずじゃが」


 皇帝は自分の手を重そうに持ち上げ、左手の中指にはめている指輪に視線を落とした。

 プラチナのリングの上には大きくて透明度の高い球状の宝石が嵌められており、その表面には紅い紋章が乗っていた。


「リッヒ家の者とて指輪のことは承知しておるのです。紋章はリッヒ家の者が明確に一線を越えなければ変化しないのですよ。もし紋章が黒ずんでしまえば、リッヒ家の人間はただただ陛下の言いなりな操り人形と化すのですから、そうならないよう巧妙に振舞っておるのです。そして自分では手が出せないから、代わりに手を下させるために友人と称して強い魔導師を呼んだのです」


「陛下、だまされてはなりませぬ! もしわたくしがそのような企てごとを致しますれば、その時点で紋章は濁ってしまいます。紋章はリッヒ家の精神に反応するのです。行動に反応するのであれば、初撃にてお命頂戴すればいいだけのことでございます!」


「おお、お聞ききになりましたか、陛下! あの女、かような恐ろしきことを考えておりますれば、一刻も早く対処すべきでございます。陛下、加えて皇帝家緊急連絡回線でリッヒ家の人間を処刑するよう勅命ちょくめいを出すのです!」


「なんと、そうなのか!」


 皇帝は明らかにモウロクしていた。皇帝は頭をフルに回転させていたところに追加の提案をされたことで、思考がオーバーヒートした。

 これまで考えることを放棄してきたつけが回ってきたのだ。突如として必要に迫られた思考活動が十分な働きをするはずがない。

 たったいま、この刹那の間にも皇帝陛下のモウロクは加速している。それはおそらく、大臣の目論見もくろみどおりだった。

 そしてそれがリーンの苛立いらだちとなり、覇気として表に現れた。


「違います、陛下! 大臣の言葉遊びに惑わされないでください! どうか冷静に言葉の意味を……」


 皇帝はひとつ、大きく咳払せきばらいをした。

 リーン・リッヒが口をつぐみ、皇帝が口を開く。


「リーン・リッヒよ。わしはおぬしが怖い。その鋭い目が怖い。リッヒ家が怖い。じゃがおぬしはいままでよく皇帝家に尽くしてくれた。おぬしを信じたい。じゃから互いの痛みをもって見極めさせてくれ」


 皇帝は自身が座っている椅子の横のボタンを押した。すると皇帝の正面の床に穴が開き、そこから赤く四角い物体が競りあがってきた。

 それは皇帝家緊急連絡回線だ。五護臣全員に強制的に直通の回線を開き、絶対の命令を伝えるための装置だ。


 皇帝が赤い装置の上部分を手に取り、口に近づけ、そして声を流し込んだ。


『リッヒ家が皇帝家を裏切った。帝国内を捜索し、リーン・リッヒ以外のリッヒ家の者を全員処刑せよ』


「そしてリーン・リッヒよ、そこの客人を討て。おぬしもつらかろうが、わしも心が痛む。おぬしは家族と友人を失う痛みを、わしは信頼するおぬしにかような残酷な勅命をくだす痛みをこうむる。痛みの共有をもって、皇帝家とリッヒ家の信頼関係を確認させてくれ」


 リーン・リッヒは返事をしなかった。互いの痛み? 皇帝の心がどれほど痛むというのだ。

 これまでずっと忠義を尽くしまもりつづけてきた皇帝家に家族を殺され、親友をあやめさせられる痛みを、他人が共有できるわけがない。


「許さない……絶対に……」


 リーン・リッヒはひどい形相で親友をにらんでいた。だがそのうらみは親友に対するものではなく、皇帝に対するものだ。

 リーン・リッヒの美しい顔は憎悪のために決壊している。そして決壊したダムのように大量の涙を放出している。

 リーン・リッヒは皇帝に明確な殺意を抱いたが、指輪は濁らない。その殺意を実行に移す意志をいだいていないからだ。まだ、リッヒ家の皇帝家への忠誠は失われてはいない。


「ごめんね、リーン。抵抗するね。レイジーだって死にたくないし、何よりあなたを傷つけたくないからね……」


「全力でかかってこい。私を殺してでも生き延びろ。私も手は抜けない」

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