第38話 真実を答える少女①

 ローグ学園はしんと静まり返っていた。

 まだ空は赤味を帯びはじめたばかりだというのに、深夜のような不気味さを醸し出している。


 風紀委員長のルーレがローグ学園に到着したころには、大半の生徒が目を覚ましていた。

 風紀委員たちいはいまだ目を覚まさない仲間を介抱している。

 ローグ学園の生徒たちは俺がローグ学園校舎の屋上にはりつけにしてやった。


「では、エストさん。申し訳ないが、彼女たちのことを頼みます」


 ルーレはまだ目を覚ましていない風紀委員たちを大きな箱型の四輪馬車に詰め込み、屋根へと登って御者に「出してくれ」と言った。

 この世界では、クーペや幌馬車のような背後と左右の視界が悪い馬車で遠出する場合には、見張り役の魔導師を一人はつけるらしい。ルーレはその役割を果たすために馬車の中には入らなかったのだ。


「ああ、任せてもらおう」


 馬車には全員は乗れなかった。

 風紀委員たちはここまで馬車で来たが、シャイルとリーズはローグ学園生に魔法か何かで強引に連れてこられてここにいる。イルとハーティはタクシー馬車でここまで来た。ルーレと俺は自分の魔法を駆使して駆けつけた。

 だからここには風紀委員たちが乗ってきた馬車が一両しかない。計算すると、定員オーバーで馬車に乗れない者は四名となる。

 馬車にはシャイルとリーズ、それにハーティも乗ったため、イルと風紀委員三名が残されることになった。その三名は、副委員長のサンディアと、アンジュ、エンジュ姉妹だ。


 ルーレには俺の魔法で全員連れて帰ると言ってある。


「あの、エストさんにイルさん。このたびは助けていただいて本当にありがとうございました。本来であれば我々が助ける側であるはずだったのですが、私が至らぬばっかりに、彼らに敗北をきっしてしまいました」


 サンディアはローグ学園の屋上に視線を向ける。ローグ学園の生徒たちだ。

 そういえば、俺はあの毒男に約束していたことを思い出した。今度魔導学院に侵入してきたら、ローグ学園を壊滅させると。それはローグ学園を校舎ごと消し飛ばすという意味だ。


「俺はあんたらを助けに来たわけじゃない。シャイルやリーズを助けに来たわけでもない。この学園に裁きを与えにきただけだ。帰る前にちょっと時間をもらうぞ」


 俺が校舎の方へ歩きだしたとき、背後から聞き覚えのない声がとんできた。


「おやおやおやおや、これは壮観ですな。私の学園の生徒たちが屋上で整列しているではありませんか」


 俺たち五人全員がいっせいに振り返った。

 まったく気配を感じなかった。音もなく、どうやってここまで来たのか。

 そこには上下を黒い服で固めた男が立っていた。

 彼は幼い少女を連れている。幼女の手を外から覆うように握っている。

 幼女は薄い水色のワンピースを着ていて、パンダのぬいぐるみを抱いていた。


「あんた、この学園の教諭きょうゆか?」


「私はねぇ、この学園の理事長なんですよ。魔導学院にはいないんでしたっけねぇ、理事長」


 こいつ、俺たちのことを知っているらしい。やはりティーチェとつながりがあったのだろう。

 つまりこいつは魔術師で、そしてマジックイーターの一人だ。


「おやおやおや、キムシーがやられているではありませんか。ということは、彼も負けたのですね。かたき、討たなければなりませんねぇ。マーリン、キムシーを殺したのはあいつですか?」


 理事長が俺を指差した。

 マーリンというのは幼女の名前だろうか。なぜこいつは幼女にそんなことを聞いたのか。

 理事長が彼女の手を引いている以上、彼が知らないことを幼女が知っているはずがない。


「ちがー」


 いまのは答えたのか? 違うということか。それは合っている。なぜ知っているのか。


「では、あいつですか?」


 今度はイルを指差す。

 幼女は首を縦に振るでもなく、横に振るでもなく、ただひと言だけ口にする。


「そー」


「そうかそうか。あいつがやったのですか」


 理事長はふところに手を突っ込んだ。何か武器をひっぱりだそうとしているように見える。

 俺は念のために彼の正面に空気の壁を作った。


「イルさん、気をつけてください。彼は不気味です。相手が魔術師だとしたら、生きて逃げ帰ることも難しいかもしれません」


 イル以上にサンディアが理事長を警戒していた。

 俺はそれを大袈裟だと思ったが、副委員長である彼女の予感はもっと参考にすべきだったと思い知らされることになる。


「なにっ⁉」


 理事長が取り出したのはジャックナイフだったのだが、なんと彼はそれを自分の腹に突き刺したのだ。


「うっ……」


 突然、イルが両手で腹を押さえてうずくまった。純白のブラウスが赤く染まっていく。


「イルさん!」


「これは、まさか……」


 理事長の方に視線を戻すと、再びナイフを振り上げて腹につき下ろそうとしているところだった。

 俺は即座に理事長の腹の前に空気の壁を作った。ナイフが弾かれ、不思議そうな顔をしている。

 彼の腹をよく見てみると黒い服には切れ目があって、その奥からはちゃんと血が出ていた。しかし、またたく間に傷口がふさがっていく。


 ここまでで分かったことと、推測されることをまとめてみよう。

 まず、理事長の魔術の正体だが、おそらくは自分の負った傷を相手に共有させること。

 そして自分の傷は即時再生することができる。

 痛みはおそらく感じていない。

 一度は自分も傷を負う以上、この魔術によって致命傷となる攻撃はできない。

 しかし、腹を刺せば相手のダメージは甚大じんだいだから、ゆっくり近づいてナイフで直接トドメを刺すのはたやすい。

 あるいは、致命傷となる攻撃でも再生が間に合う範囲であれば問題ないはずだ。例えば、動脈を切って相手を失血死させるとか。


「マーリン、私を妨害したのはあいつですか?」


 理事長が再び俺を指して幼女に尋ねる。

 そして幼女は無表情のうちに答える。


「そー」


 今度は俺を標的にする気か?

 舌を噛み切られたりしたらどうしようもない。

 いや、それはあるまい。舌は再生できても、血や落ちた舌で喉を詰まらせる可能性があるからだ。

 それにこれが魔術だとしたら、何らかの制約、発動条件があるはずだ。魔術というのは相手の脳に作用するもので、いわば超強力な催眠術と換言してもいいだろう。

 問題はその制約が何かだ。例えば、男が傷つく様子を相手が見ていなければならない、とか。


 何より厄介なのは、こちらからは迂闊うかつに攻撃できないことだ。

 しかしあいにくながら、俺は決まり事の抜け道を探したりするのは得意だ。

 今回の場合、こっそり小さな攻撃をしかけ、俺の攻撃によって敵だけが傷つくかどうかを観察する。

 男の手元で小さな風の刃を作り、そして手の甲に走らせる。


「どうやらしつけが必要のようですねぇ。教育者としての腕が鳴りますねぇ」


 男は自分の手の甲が傷ついていることに気づいていない。俺の手の甲に傷はない。イルも然り。

 つまり、あいつが傷ついても自動で傷が共有されるわけではない。

 あと確かめるべきは、男が自分でつけた傷以外も相手に移せるのか、そうだとして、遅れて気づいた場合にも傷を共有することができるのか。あと、相手が見ていなくても傷を移せるのか。


「おいおい、理事長さん。教育現場を離れて鈍感になっちまったんじゃねーの? あんた、躾するどころか噛みつかれているのに、気づいてすらいねーな」


「何ですと?」


「手の甲を見てみな」


 理事長が自分の手の甲の傷を見つけて顔をしかめた。


「いつの間に……」


「傷、移さねえの?」


 理事長は俺の方に視線を戻した。

 そこには先ほどの悔しげな表情はなかった。真顔。いや、ポーカーフェイスと言うべきか。


「移せないのだよ。君もそれを確かめるためにこんな浅い攻撃をしたのだろう? なるほど、君は狡猾こうかつですよ。うちの学校の生徒は馬鹿ばかりでね、子供を相手にするとつい舐めてかかってしまう。私の唯一の欠点と言ってもいい。だが、もう君のことはあなどりませんよ。絶対なる存在としてこの私が君を粛清しゅくせいします」


「ふん、吹きやがる」

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