第39話 真実を答える少女②

 理事長は傷を移せないと白状したが、その条件までは漏らさなかった。

 とにかく、さっきの実験で分かったことは、相手に気づかれずに攻撃すれば、傷を移されずに済むということだ。


「マーリン、あいつの魔法は気体の操作ですか?」


 こいつ! いきなり核心を突いてきやがった。

 だがその気体が空気であるところまでは絞っていない。いや、気体といったら真っ先に空気を思い浮かべるだろう。これをあの幼女に答えられたらまずい。

 俺は即座に幼女の周囲を真空の膜で囲った。


「おやおや、おやおやおや。またしても妨害しましたね。でも無駄ですよ。マーリンは精霊の呪いで二つの言葉しか喋れません。だから、口の動きを見れば何と言ったか一目瞭然なのですよ。いまの答えは、『そー』です。あなたの魔法は気体の操作です。では、次の質問をしましょう」


 やはり段階的に特定していく算段か。

 成否しか答えられないのなら、イエスとノーでは確かめられない疑問は何度も質問して範囲を少しずつ狭めるしかない。そんな中、さっきの理事長は俺の魔法が気体の操作であるか確かめた。

 それは普通なら、気体の魔法であること、操作型の魔法であることの二段階で確かめる内容だ。一段階すっとばしている。

 よほど確信があったか、あるいは急いでいる。俺の対策を恐れているからか。


「マーリンのくちびるを読めても、マーリンはあんたの口を読めないだろ」


 だが、幼女はすでに質問に答えていた。

 口の動きは「そー」だった。


「甘いですなぁ。私の見込み違いでしたかな? いやいや、こうしてあなどるのが私の悪い癖でした。教えて差し上げましょう。なにも声だけが意思疎通の手段ではないのですよ」


 理事長はさっきまで幼女の手を握っていたが、いまは彼女の背中に手を当てている。


「なるほど、背中に文字を書いたのか?」


 無意味だと悟って、俺は真空の膜を解除した。


「ご名答! 正解です。では次の問題です。私はこの子に何を質問したでしょう?」


 おそらく俺の魔法が空気を操作するものかということだろう。

 もうバレているのだろうが、万が一にも違っていたら、俺が勝手に自分の魔法の正体を明かして自滅することになる。


「答えねえよ。俺はあんたの生徒じゃねえ。俺の口から情報を引き出せると思うなよ」


「おやおや、これで満点はなくなりましたねぇ。では正解をお教えしましょう。私はこう質問したのですよ。『あいつはロリコンですか?』とね。どうやら君はロリコンのようですねぇ」


「なに⁉」


 それは自分でも知らなかったことだ。

 イルと風紀委員三名からの視線がいっせいに俺へと集まる。どれも不信なものを見る目だ。まるで、玄関前に大きくて真っ黒な見知らぬ鞄が無造作に置かれているのを発見してしまったときのような顔だ。


「ふん。あんた、俺を仲間から孤立させようって腹だな? 残念だが、こいつらは仲間でも何でもねーよ。俺は最初から誰にも信頼されてねぇ。無駄だぜ、そういうの」


 理事長は不敵な笑みをこぼす。こぼすと言うには力のこもった威圧的な笑みだ。さっきのポーカーフェイスは続いていて、この笑みは意図的に作った表情なのだろう。


「不正解! 君、間違いのほうが多いですねぇ。私はね、こう考えたのですよ。マーリンはいかなる真実をも知っている便利な存在ですが、君にとっては敵の所有物です。非常に厄介な存在です。だから私は君がすぐにこの子を殺しにかかると思っていたのですよ。しかし君はそうしない。もしかしたら、そうしないのではなく、できないのではないか。となると、君がロリコンなのではないか、そう思ったのですよ」


「なるほど、名推理だ。だが、そこまで断定できたのに、なぜわざわざマーリンに質問したんだ? もしさっき俺が言ったように仲間との不和が目的でないとすれば、答えはこうだ。あんた、マーリンを奪われるのを恐れているな?」


 理事長は無表情に戻った。何も答えない。理事長はマーリンの手を握っているが、そこに込められる力がさっきより増している。マーリンの表情が苦痛に歪むほどに。


「やはりそうか。さっきのあんた、ちょっとおしゃべりがすぎたようだな。あんたはマーリンのことを便利な存在とか、所有物とか言っていたし、不都合ならマーリンのことを殺すという発想を持っていた。つまり、あんたとマーリンには信頼関係のたぐいはない。あんたが一方的にマーリンを利用しているだけだ。そのつないだ手も一見は過保護な親のするものに見えるが、実際にはマーリンが逃げないよう鎖でつないでいるようなものだ。どうだ、今度は正解だろ?」


 理事長は相変わらず表情を出さないが、手の力には感情が出ている。理事長が怒る代わりに、マーリンが潰されそうな右手の苦痛に表情をゆがめている。パンダのぬいぐるみを強く抱きしめ、痛みをこらえている。


「おい、マーリン。おまえが望むなら俺がおまえを助けてやる。俺は基本的に他人を助けたりはしないが、どうやらロリコンらしいからな。おまえは特別だ。俺がおまえを助けてやる。そいつのこと嫌いだろ?」


 マーリンは返事をしない。

 理事長がマーリンをにらみ降ろしている。

 マーリンは震えていた。パンダの頭に顔の半分を埋めることでしか、防御反応を示すことができない。


「おい、理事長。だんまりしていたって無駄だぜ。俺の洞察力をもってすれば、あんたの情報は筒抜けだ。マーリンはあんた以外の人間の質問にも答えられる。いまのでそれが分かった。そしておそらく嘘はつけない。いまのマーリンは『そー』としか言えないが、言ったらおまえに殺されるから無言なんだ」


 理事長は握っていたマーリンの手を一度離し、手首を握りなおした。もはや幼女の細腕ではどうあがいても逃げられない。


「お仕置きをする対象が一人増えたようですね。覚悟しなさい、マーリン」


「おい、マーリン。助けてほしいか? 答えろ。答えたら絶対に俺が助けてやる。おまえなら俺の言葉が嘘でないことも分かるんだろ? さあ、答えろ! 俺に助けてほしいよな?」


「答えるな! 許さないぞ」


「答えろ。俺がおまえを守ってやる。俺と理事長と、どっちが強いかおまえなら分かるだろ? マーリン、助けてほしいよな?」


 マーリンが理事長を一瞥いちべつする。

 理事長の無表情は消えていた。鬼の顔をしていた。カッと見開かれたギョロ目がマーリンのつぶらな瞳に殺意を流し込んでいる。


 しかし、マーリンは答えた。俺の目を見て、はっきりと、そう言った。


「そー」


 その瞬間、即座に理事長がナイフを振り上げ、そしてマーリンに向かって振り下ろした。

 マーリンは思わず顔を逸らしてその場にへたり込んだが、その刃は通らない。俺の空気が邪魔をしている。


「なるほど、なるほど。だが忘れてはいまいな。私の魔術を!」


 理事長はナイフをもう一度振り上げ、そして今度は自分の腹に突き立てる。だがそれも弾かれる。


「あんたこそ忘れたのかよ。さっきもそうやって防がれたろ」


 マーリンの手首を握る理事長の左手がこじ開けられていく。さっき手を離した一瞬、マーリンを空気の薄い層で覆ったのだ。薄いから弾力はマーリンの手首と同じになる。だから理事長は気づかなかった。

 その空気を硬化させて操作し、マーリンから理事長の手を引き剥がす。

 そして、空気でマーリンを抱えてこちらへと運ぶ。


「正直、あんたはいままででいちばん厄介な敵だったぜ。でも、それは未知な部分が多かったからだ」


 俺はわざとらしくマーリンを一瞥してから理事長に笑いかけてやった。

 理事長は目をいからせているが、体はもう動かない。俺が固い空気で彼を覆っているからだ。自傷行為はさせない。


「マーリン、教えてくれ。理事長の魔術は、理事長以外の者がつけた傷も移せるのか?」


「そー」


 理事長がうなる。その心境は裸にひん剥かれる少女といったところか。

 だが絶望するのはまだ早い。これから理事長の魔術の正体を丸裸にして、そして理事長に刑を執行するのだ。


「理事長の魔術は、傷つく前に移すと決めておかなければ移せないのか?」


「そー」


「理事長が自分で見ることのできる傷しか移せないのか?」


「ちがー」


「移すことのできる傷は痛みを感じているものだけか?」


「ちがー」


「相手が理事長を見ていなければ傷を移せないのか?」


「ちがー」


「理事長が相手を見ていなければ傷は移せないのか?」


「ちがー」


「傷を移せるのは理事長から一定距離以内にいる相手だけか?」


「そー」


「外傷以外も移せるのか」


「ちがー」


 なるほど。相手が近くにいて、あらかじめそうすると決めていれば、どんな状況にあってどんな攻撃を受けようとも、その怪我を相手になすりつけることができるということか。

 だったら気絶させてから息の根を止めるか、細菌を使って病気にするか、あるいは超遠距離から攻撃するか、といったところだろう。


「理事長先生、俺は決めたぜ。あんたを処す方法をな」


「ふん、無駄ですよ。私にはどんな攻撃も跳ね返す魔術があるのです。さすがに即死攻撃は防げませんが、そのときは君も道連れです。ゆめゆめお覚悟を」


「ばーか。完全な優位にある俺が自爆なんてするかよ。あんたを処す刑はこれだ」


 俺は理事長を覆った空気の層を操作してその体を持ち上げた。

 速度を一定に保ったまま、彼を空へ上昇させる。


「な、何をするのです! さては高い所から落とそうという魂胆ですね? たとえ頭から落としても、必ずダメージを共有させますよ。落下中のショックで気絶させようと考えているのなら無駄です。いまの私はかつてないほどにたかぶっているのですよ。死ぬその瞬間まで絶対に気絶なんてしませんよ」


「それはご愁傷様。気絶したほうが楽だったかもな。言っておくが、あんたに課す刑は落下なんかじゃないぜ。あんたは地上から永遠に遠ざかりつづける。ただそれだけだ」


「な、何ですと⁉ そんなことをしたら私は……」


「ま、そうだよな。空は永遠ではないからな。どうなるかな。窒息か、凍死か、焼死か、ミイラ化か。どうなるのか観賞したいところだが、近くにいると外傷を移されるからな。一人旅を満喫してきてどうぞ」


「きさまぁあああああああ!」


 理事長は体勢を固定されたまま空の彼方かなたへ消えていった。

 俺の目が届かないところの空気は操作できないが、速度を固定すれば、空気の塊は勝手に上昇を続ける。


「やっつけたの?」


「ああ」


 イルは横たわって腹部を押さえていた。理事長が死んだとしても、イルの受けた傷は消えたりしないだろう。

 魔術というのは相手の脳に働きかける呪いのようなものだ。イルが傷つくという絶対的な暗示にかかって傷が開いたのだとしたら、それはもはやイル自身を由来とする怪我なのだ。


 イルの横で彼女を看病していた副委員長が顔を上げた。


「エストさん。助かりました。あなたはアンジュとエンジュを連れて先に帰っていてください。イルさんはまだ動けないでしょうから、私がつき添って、イルさんが治ってから帰還します」


 副委員長の言葉を受け、アンジュが声をあげる。


「サンディア副委員長、アタイらも残ります」


 エンジュは黙って頷いた。


「その深手が治るまでどれくらいかかると思ってんだ。学園は壊滅したが、ここは安全じゃねーんだ。俺が全員連れて帰る。あんたらの大将とそう約束したからな」

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