第37話 テイムドイーター②

「ゲス・エストォオオ……」


 さっそくキムシーのイボから男が生えてきた。皮膚が所々で剥がれかけている。顔は特にひどい。見ているだけで痛々しい。

 それでも男の瞳には強い憎しみがこもっているのが分かる。その瞳だけで俺を殺さんばかりににらみつけてくる。


「ウオオオオォ……」


 彼の声に呼応するように、イボというイボから人間が生えてきた。老若男女さまざまだ。

 彼らはこれまでにキムシーが食してきた者たちなのだろう。しかし、彼らの瞳だけは捕食される前の色艶いろつやを保っていた。たしかにそんな瞳で見つめられたら、因縁の深い相手には刺さるものがあるだろう。


「イル……イルゥ……」


「イル……マリルゥ……」


「イールー……」


 さっきからイルを呼んでいた女の周囲のイボにも同年代の女たちが生えてきた。イルをしいたげていた一味が勢ぞろいしているようだ。


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 イルは俺にしか聞こえないようなか細い声でつぶやいていた。まるで自分の内に溜まっていく恐怖の水溜りを体の外へすくい出すかのように、必死につぶやいていた。


「ごめんなさい、ごめんなさい。あなたを見殺しになんてしたくはなかった」


 イルが最も恐れていたのは、彼女を呼びかける顔ではなく、その隣の無言の顔だった。イルは彼女を見捨てて逃げたことにずっと罪悪感を抱いてきた。


「サズ……」


 サズ。彼女だけはスケア一派の中にいながらイルにひどい仕打ちをしなかった。ときおり気遣いさえ見せてくれた。

 イルはそんな彼女を見捨てたのだ。

 サズの顔は何も言葉を発しないが、隣の絶望の象徴ともいえるスケアの言葉が、サズの心を代弁しているかのようだった。


「重症だな……」


 べつにイルを救ってやりたいわけじゃない。が、もしイルがキムシーに挑むならば、スケアに対する恐怖の克服と、サズに対する罪悪感、その二つを同時に乗り越えなければならない。


「ゲストォ!」


 さっきの男がひときわ強く吠えた。こいつだけはただのイボには納まらないらしい。ほかの人間飼料と同じく、その身はちていくしかないが、キムシーの主導権はいまだに握っているようだ。


「コロスゥ!」


 キムシーのイボというイボから赤黒い煙が噴出した。生えている人間たちはそれをまともに浴びてダラリと重力のままにうな垂れる。

 俺はキムシーを空気の壁で囲っているため、キムシーの噴出するガスは俺の元へは届かず、キムシーのいる場所に充満していく。俺を攻撃するどころか、逆に男がゲホゲホとき込んだ。


「ふーん、なるほどね」


「タス……ケ……テ……」


 イルの仇敵きゅうてきの女が俺に向けて手を伸ばす。


「感謝は前払いでよろしく」


 俺は女の頭と首と胸を空気の針で串刺しにした。

 腐りかけの女は溶けてキムシーの体液と同化した。

 その後、少女が再びイボから出てきた。


「やっぱりただのイボじゃねーか。趣味がわりぃと言いたいところだが、やっていることは疑似餌で魚を捕らえる鳥と変わりゃしない。所詮はただの動物、ただのイーターってことだな」


 ただし、キムシーを従えるあの男だけは、キムシーに捕らえられているいまもなお生きて自我を保っている。さっき男が咳き込んだのを見て俺はそう確信した。

 せきというのは生体反応の一種だ。生きていればこそ体内から異物を排除しようと咳をする。


「ヨク……モォ……ゲストォ!」


 キムシーが前進を始めた。空気の壁にぶつかると、上体を起こし、そして一気にのしかかる。

 力ずくで見えない壁を突破しようしているようだ。


「エスト」


 突然のエアの呼びかけ。

 エアは用件を言う前に俺を呼ぶ。俺が「何だ?」と問わなければ用件を言わないことが多い。だがそれが多いおかげで、エアの声のトーンで用件がどういったものかが判別できるようになってきた。

 いまのは警告だ。俺に危険が迫っている。

 俺は即座に広範囲の空気を等しく動かした。


「ああ、分かっている」


 動かしているはずの空気が、物体にさえぎられて動かない場所がある。

 イルがいる場所、ハーティがいる場所、それともう一箇所。

 その一箇所は動いていた。俺の方へ近づいてくる。そのポイントで重点的に空気が遮られる座標を探知した。人型に遮られている。

 俺はあえて振り返らず、自分を固めた空気で覆う。


 ぺチン、と音がした。


「な、なんだぁ? どうなってんだぁ?」


「よぉ、毒使いの僕ちゃん」


 俺がゆっくり振り返ると、毒男はギョッとした。

 俺がかつて彼に言ったことを彼は少し遅れて思い出したようで、一歩、二歩と後退し、つまずいて尻餅をついた。

 起き上がることよりも俺から遠ざかることを優先させ、そのままジリジリと後ろへさがっていく。顔は死人みたいに色を失っていた。


「ち、違うんだ」


「あぁん? 何が違うんだぁ?」


「俺ちゃんは何もしてない。何も知らない」


「おいおい、おまえ、俺に嘘をつくっていうことが、どれほどの重い罪が分からねえのか? 全部見ていたんだぜ、俺。エンジュだっけか? おまえ、うちの学院の女生徒のほおを舐めていたよなぁ?」


 毒男は固まった。発汗と震えにエネルギーを使っているせいか、もう後退もできない。


「おまえの罪状を教えてやる。一つ。俺の言いつけを守らず再び魔導学院に侵入したこと。一つ。俺と関わりのあるシャイルとリーズをさらったこと。一つ。俺に攻撃を加えようとしたこと。一つ。俺に嘘をついたこと。あと……」


「違うんだ。あ、いや、違わないかもしれない。でも、でもっ、俺ちゃん、命令されただけなんだっ!」


「誰に?」


 毒男は即座にその相手を指差した。気持ちがいいくらいにビシッと肩から指までまっすぐに伸ばしている。

 その方向はキムシーのいる方向だ。もちろん、彼が差したのはキムシーではなく魔術師のほうだろう。


「それは察しがついていた。あいつの名前は? 正体は?」


「わ、分からない。聞いてない。誰も興味を持たなかったから。あいつも名乗らなかった。正体も知らない。魔術師ってことしか知らない」


 新しい情報はなかった。収穫なし。こいつに情状酌量の余地もなし。


「一度だけチャンスをやる。おまえが俺に対して犯した罪で、何がいちばん重いか当ててみろ」


「え、え、えっと……えっとぉ……分かった! 女をさらったことだ! あ、いや、違う。待て、じゃない、待ってください。さっき最後に何か言いかけて……そうだ、話を途中で遮ったこと!」


「それも重い罪だが一番じゃない。ちなみに最後に言いかけた罪は、おまえが俺の存在に気づいてもすぐに謝らなかったことだ」


「そ、それだ! それがいちばん重い罪だ! 最後まで話を聞くべきだった。はっ! す、すみませんでしたぁ!」


 男は慌てて土下座した。

 俺が無言でいると、不意に顔を上げてチラと俺を一瞥した。


「はずれ。おまえの犯したいちばん重い罪は、俺に嘘をついたことだ。極刑な」


 俺は毒男を空気の腕で掴み、持ち上げる。そしてキムシーの方へ運ぶ。


「な、貴様、なにを!」


「今度の極刑は、マジもんだぜ」


 罪人への最後の手向けとして、俺はニッと笑ってやった。

 キムシーを遮る空気の壁を一部だけ開放した。

 そして――。


「よ、よせ、やめろぉおおおおお!」


 毒男をキムシーの口の中へ押し込んだ。キムシーは抵抗するどころか、モシャモシャと口を動かし体をうねらせて毒男を飲み込んでいく。


「ム、ムウウ! ゲストォ、キサマ、ナニヲシタァ!」


 キムシーのイボから生えている人間が、すべて重力のなすがままに垂れた。それは一つの例外もない。もはや俺に向けられた瞳は一つもない。


「何かをしたのは俺っていうより、おまえの生徒だろ。おまえの生徒が痺れ毒の魔法を使ったんだ。そんなことをしたって助かりはしないのにな」


「ゲェスゥトォオオオオオ!」


 弱い。弱すぎる。つまらない。

 俺が強すぎるのか?

 俺への恨みの強さは変わらないだろうが、強い人間に負けたからと敗北を納得されてしまっては、俺のゲスの名がすたってしまう。

 俺の極刑は、精神的にも重い裁きでなければならない。

 トドメはあの男が自分より弱いと見下した相手にさせるのが一番だ。


「おい、イル。やられっぱなしでいいのかよ。やられたらやり返せ。いまのおまえは魔導師なんだろ。おまえをいじめた女にはもう復讐できねぇが、その女を食ったあのバケモノを倒せば、おまえはその女よりも上だと証明できるんじゃねえか? おまえはいま、過去のトラウマを克服する唯一のチャンスを手にしているんだぜ。どうすんだ? さっさとしねーと、俺がやっちまうぞ」


「…………」


 イルの頭が少し動いた。しかし、反応は薄い。


「それに、あそこにいるのはおまえの敵だけじゃないだろ。楽にしてやれよ。本当に友達だと思える奴もいたんだろ?」


「…………」


 イルが少し頭を上げた。暗くて表情までは見えないが、チラッと光るものが見えた気がした。


「あーあ、なに言ってんだか俺は。イル、いま俺が言ったことは忘れろ。俺が他人に親切にするなんてバカバカしい。我ながら愚行だった。おい、魔術師! 絶対強者の俺がおまえにトドメを刺してやる。光栄に思うがいい」


 俺はキムシーと魔術師に向かって手を掲げた。

 背後に気配を感じ、少し待つ。


「待って。私が、やる!」


 瞬間、俺の横をすさまじい轟音を立てて何かが横切った。

 イルの魔法は発生型の風。横切ったのは風の刃だった。

 その攻撃を通すために空気の壁を解除しようと思っていたが、不意の轟音に驚いてタイミングをいっしてしまった。

 にもかかわらず、キムシーが真っ二つに裂けた。大量の酸性体液が噴出し、雨のように降り注ぐ。

 俺は即座に自分と学院生たちを固めた空気で囲った。もちろん、屋上にはりつけにされているシャイルやリーズ、風紀委員のことも忘れてはいない。

 イボから生えていた魔術師は、キムシーの体液がもろに直撃し、酸の雨が降りやむころには溶けて消えていた。


「イル、おまえ……」


 俺が振り返ると、そこには白いオーラをまとったイルの姿があった。

 これが黒いオーラと対をなす白いオーラか。たしか、自分の魔法を強化する効果がある、だったな。

 俺の空気の壁をも破るほどの力。今後、感情の動きが激しい人物には気をつけたほうがよさそうだ。


「ありがとう」


 ポツリとイルがつぶやいた。

 それが俺へ向けられた言葉だと気づくのに少し時間がかかった。


「お、おう……」


 それからイルは、ボソリとつぶやいた。

 それは俺に向けられたものではなかった。


「さよなら、スケア。ごめんね、サズ。私は、生きる……」


 それは誰に向けられたものでもない。イルが自分自身へ向けたものだ。

 過去の自分と決別し、新たな一歩を踏み出すための、自分への決意表明。


 イルはハーティを抱き起こし、自分の肩にハーティの腕を回して立ち上がった。そして、ローグ学園の校舎内へとゆっくり進んでいく。

「待て。屋上の連中は俺に任せろ」と思わず言いそうになったが、どうにか飲み込んだ。

 そんな言葉は下衆げすの吐く台詞じゃない。

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