第28話 ゴブリン

 俺はバトルフェスティバルでイルとの戦いに勝利した。

 それが昨日の話だ。そして今日、バトルフェスティバルは準決勝だ。

 午前と午後に一試合ずつあり、俺の試合は午前。あと二時間もしたころには、俺はあの風紀委員長殿と戦っていることだろう。


 俺はベッドに横たわったまま、扉の方を意識して耳を澄ます。

 空気を操作し、そちらからの音声を集音する。


「何をやっているのよ。貸しなさい!」


「無駄ですってば。誰がやっても同じですわ。きっと内側から細工をしていますのよ」


「じゃあなんで来たのよ、あんた」


「毎日来れば、いつか細工を忘れて眠る日にあたりますわ」


「それ、もうほぼストーカーじゃない!」


「わざわざ別の寮から通っているあなたに言われたくありませんわ」


 俺は毎朝こんな会話を聞いている。キーラとリーズのやりとりだ。

 だが、今日は二人の声がしない。ただガチャガチャという音がするだけだ。鍵と鍵穴が喧嘩している音だ。

 俺は扉の前まで歩いていき、鍵を開けた。

 ドアノブに手をかけ、そして回した。


「鍵は変えておいた。その鍵で開くわけがない」


「な、なんですって? 寮長の許可なく鍵を変えるなんて、規則違反ですわ」


「そんな規則は聞き覚えがない。それに、俺が規則なんて守るとでも思っているのか? それ以前に、他人の部屋に無断で入ろうとするおまえのほうがよっぽど規則違反だろうが」


「そ、そんなことはしていませんわ。鍵の確認をしていただけですもの」


 白々しい。毎度同じ言い訳を出してくる神経の図太さは、人の部屋に勝手に入ろうとすることにも通ずるものがありそうだ。


「それより、今日はキーラは来ていないのか?」


「ええ。見ていませんわ。まったく、どうしたのかしら」


「いや、毎朝来ないのが普通だと思うが」


 俺がそう言った直後のこと。

 廊下の向こう側から複数の悲鳴が聞こえた。突き当たりを右に曲がった所で何かがあったに違いない。


「あら、何でしょう?」


 悲鳴はすぐにはやまなかった。悲鳴の数が増え、合唱になった。

 黄昏寮に住まう女子生徒たちが、いっせいにこちらへ駆けてくる。中にはネグリジェ姿の者もいるが、男の俺を視界に捕らえても、恥じらいなど抱く余裕もない様子だった。


「アンジェさん、何がありましたの?」


「イーターよ、イーターが寮に侵入しているのよ!」


 女子生徒たちは俺とリーズの横を通りすぎて姿を隠してしまった。

 彼女たちが来た方向を見ると、ちょうどそのイーターらしき者が廊下の角を曲がってくるところだった。


「ほう、人型のイーターもいるのか」


 イーターは二本の足で歩いてくる。

 腰に小汚い布キレを巻き、上半身は緑色の肌を露出させている。その緑色の皮膚は樹皮くらいには硬そうで、頭を含め全身をその緑の肌が覆っていた。

 掘りの深い目に、でかい鼻。口から二本の鋭い象牙色が飛び出ている。


「鬼型のイーター!?」


「ほう、ゴブリンかな?」


「エストさん、あのイーターを知っているのですか? その名前、まさかネームド……」


「いや、いまのは俺が勝手に名前をつけただけだ。それより、なぜみんな戦わない? この寮にいる奴は全員が魔導学院の生徒で、魔法が使える魔導師なんだろう?」


「だって、人型ですもの。普通のイーターよりも知恵がありますの。残忍で、残虐で、捕まったら何をされるか分かりませんわ。鬼型ともなれば、なおさらですわよ」


「強そうには見えないが」


 そのイーターは、顔はいかつく筋肉もたくわえているが、体のほうは小さかった。鬼というか、小鬼だ。

 鬼がギラついた笑みをたたえ、のっしのっしと近づいてくる。

 リーズは後ずさりして俺の陰に隠れた。

 俺は手を伸ばせば届きそうな距離まで小鬼の接近を許した。


「ゲス・エストォ!」


 モザイクのかかったようなガラガラ声で、小鬼は俺を見上げた。背の丈は俺のヘソくらいまでしかないが、横幅は俺の倍以上ありそうだった。

 俺は念のために空気のバリアを張った。

 こいつを殺すことはたやすい。だが、このイーターがいったい何をしてくるのか、興味をそそった。


 突如、小鬼は踊りだした。両手を挙げて跳ねながら回っている。

 そして、歌いだした。


「バーカバーカ、アホ、マヌケー。おつむクルクルパーのボケなす、おたんこナスーッ! デブ、ハゲ、チビ、キモオタニート、ひき肉ミートッ! おまえのウンコ臭いんじゃー! この、ち、ち、ちんすこう野郎!」


 歌と踊りがピタリとやみ、腰に提げていたダガーを手にして思いきり突いてきた。

 当然、空気の壁に跳ね返される。小鬼はよろけて尻餅をついた。


「すまん。聞いてなかった。もう一回言ってくれる?」


「な、なにっ⁉ え、えっと、チビ、デブ、ハゲ!」


「全部おまえの特徴じゃねーか!」


 俺は空気の拳で鬼の禿頭を殴った。

 鬼は目に涙を浮かべて再び俺を見上げる。俺の瞳に写る自分の姿が見えたのか、顔が驚愕したそれに変貌した。


「ほ、ホンマやぁ……」


「ていうか、おまえ、ティーチェだろ」


「え……」


 小鬼は固まった。その反応がティーチェであることの何よりの証だ。

 べつにカマをかけたわけではない。そうするまでもなく確信していた。


「なんでやねん! どうみてもイーターやないかい!」


 関西弁を話す鬼。違和感しかない。きっとこの世界のどこかに関西弁を公用語とする国があるのだろう。

 言語について言えば、いろんな人種をかき集めたような学院の生徒たちは一様に日本語を話している。この世界は現実世界の、それも日本とまったく無縁の存在ではないらしい。


「口調を変えても無駄だ」


 さっき殴ったときの手応えからして、鬼の身長は本物だ。ティーチェはもっと背が高い。つまり、幻覚を見せているわけではないようだ。

 となると、魔術でイーターの中に精神を潜り込ませて体を乗っ取ったか、あるいはイーターを操る術で遠隔から操作しているか。


「ふん! 悪口言われて悔しかったんだろ。悔しくてどうにか機転の利いた返しをしたつもりなんだろ! 必死だな 図星だろ! これくらいで怒るなよ、顔真っ赤だぞ」


「必死、図星、顔真っ赤。こういう言葉を言えば優位に立てるとでも? 勘違いもはなはだしい。滑稽、そして、哀れ。語彙力がないせいで、まともな挑発もできないな」


「ぐぬっ! じゃあさ、じゃあ言うけど、根拠は? 証拠は? どうせ当てずっぽうなんだろ? テキトーに言っただけなんだろ? はずれだよ。恥ずかしい奴め。あー恥ずかしっ!」


 関西弁はどこにいったよ。やはり正体を隠すために口調を変えていたようだ。


「聞いても後悔するだけだろうが、その根拠とやらを言ってやろうか? おまえ、初対面のくせに俺のことを知っていたじゃねえか。俺は人から避けられていて交友関係も狭い。そんな俺にわざわざイーターを操って悪口を言いに来るなんて、そんな手の込んだことをするほど恨みを抱いている奴は限られる。ああ、悪口を言いに来たんじゃなくて殺しに来たんだっけか? それにおまえがただのイーターだったら、ティーチェだと言われて動揺する必要なんて皆無だろ」


 小鬼はうつむいたまま黙り込んだ。

 俺の陰からリーズがそっと顔を出す。


「ね、ねえ。このイーターがティーチェ先生って、どういうことですの?」


「ティーチェはただの魔術師じゃねえ。もちろん、ただの先生でもねえ。何かをたくらんでいる悪党ってことだ」


 魔導学院に入学した初日、俺はティーチェ本人に向かって、さんざんコケにしておいて、何か悪事をくわだてているだろうと言った。

 それはラノベでありそうな設定だから、テキトーに言っただけのことだった。カマかけにもならないただの暴言。

 それに対して先生が激怒するのは当然として、しかしティーチェは俺の命まで狙ってきている。

 リーズとともにダースを迎えに行ったときのネームドイーターとの三体同時遭遇、魔導学院内へのメターモの侵入、バトルフェスティバルのイル戦での能力入れ替わり、そして寮へのイーター侵入。

 どれも証拠が残らないよう間接的な攻撃ではあったが、ここまで執拗しつように狙われたということは、ティーチェにはどうしても俺を消さなければならない理由があるのだ。単なる腹いせや復讐ではない。俺は相当に都合の悪い存在なのだ。

 おそらく、ティーチェは自分の重大な秘密を俺が握っていると思っている。


「きゃっ!」


 リーズの悲鳴。唐突に顔を上げた小鬼に驚いたのだ。

 ギラついた眼差まなざしは、何かを決心したことを示すのだろうか。あるいは元々そういう目つきなのかもしれない。


「これ、預かった」


 小鬼は腰のベルトに挟んでいた手紙を俺に差し出した。

 俺はダガーを警戒し、手に硬い空気の膜を張ってそれを受け取った。

 俺が二つ折りの手紙を開こうとしたとき、小鬼が素早い動きでダガーに手をやった。そして引き抜く。だが無駄だ。俺の前面にはすでに空気のバリアを張っておいた。


「きゃあああっ!」


 再びリーズの悲鳴。俺の予想は少しだけ裏切られた。

 小鬼が自分の首をダガーでかき切ったのだ。どす黒いほどの真っ赤な血が辺りに飛び散り、小鬼は仰向けに倒れた。最後に何かつぶやいていたが、それは人間の言葉ではなかった。それが彼の使う本来の言語なのだろう。


「嫌な臭いですわね。ああ、絨毯じゅうたんを買い換えなければいけませんわ。ここの廊下をたったの一枚で埋められる特注品でしたのに……」


 リーズが深呼吸して、落ち着きを取り戻すための強がりを口にした。

 バリアを張っていたので俺とリーズは返り血を浴びていない。だが、高級そうな絨毯には血がベットリ付いている。

 そう見える。


「案ずるな。予想より早かったが、こうなる可能性を考えて対策しておいた」


 絨毯の上に飛び散った小鬼の血が、小鬼の屍骸とともに浮き上がる。

 そして、勝手に窓が開いて外へ飛んでいった。


「な、なんですの!? エストさん、いまのはあなたの魔法ですの⁉」


「ああ、そうだ」


 リーズにはたしか、透明な手を任意の本数と大きさで生やして自由自在に操れる、といった感じの能力だと言っていた気がする。厳密には、俺が暴漢にそう言っていたのをリーズが聞いていたはずだ。

 リーズはいまでもそれを信じているのだろうか。ま、俺の能力の正体が知られていなければ、それでいい。


 俺は絨毯を汚さないために、小鬼の足元や壁にも空気の膜を作っておいた。ティーチェは証拠を残さないよう立ちまわるので、小鬼は使い捨てにするだろうと踏んでいたのだ。

 ティーチェはこう考えただろう。鬼の言語が人語でないとしても、俺が何らかの方法で翻訳に成功し、鬼を拷問して自分に関することを聞きだそうとするかもしれない、と。


「助かりましたわ。ところで、その手紙には何と書いてありますの?」


 もちろん忘れてはいない。

 俺は二つ折りの紙きれを開き、そこに書いてある人間の文字を読みあげた。


「キーラ・ヌアは預かった。返してほしければ帝国領の国境沿いにある廃屋へ来い。刻限は正午。ただし、ゲス・エスト一人で来ること。複数人で来たり、刻限に遅れた場合、キーラ・ヌアの命はない」


 ふーん。どうあがいても俺には勝てないから、人質を取ることにしたのか。

 そんなことを悠長に考えていたら、青ざめたリーズが俺の体を揺すってきた。


「大変! どうしましょう。誘拐されていたから今朝は来なかったのですわ。でもこれ、絶対に罠ですわ。でもでも、従わなければキーラさんが殺されてしまい……、いいえ、先にキーラさんが自分の寮にいないか確認しなくては。本当は誘拐なんてされていなくて、ただの寝坊かもしれませんし」


「落ち着け。慌てる必要はない。いいか、聞け。これは罠ではない。こんな直接的な脅迫を罠とは言わない」


 俺がそう言うと、リーズは見開いた目で俺を突き刺さんばかりに凝視した。


「罠の定義なんて語っている場合ですか! それに、落ち着いている場合ではありませんわ! 帝国の国境までは、馬車を飛ばしても三時間はかかりますのよ。すぐにでも出発しなければ間に合いませんわ。ああ、それにしても、なぜこんな無茶な時間設定に……。ああ、そうですわ! 今日はバトルフェスティバルの準決勝。エストさんを大会に出場させないために違いありませんわ」


 腕を組んでウロウロするリーズの肩に手を置き、その動きを止めた。やはり落ち着けと言っても無駄だろう。リーズを落ち着かせるよりも、さっさと事態を解決するほうが早い。


「おい、メターモ。食事は終わったか?」


「へい。血の一滴まで完食しやしたぜ。ごちそうさんです、旦那」


「おまえ、そんな喋り方だったか?」


「へい。旦那に無礼な口は利けやせんから」


「まあいい。それより、ついてこい。ひとまず俺の足首にまきつけ」


「長い物に巻かれろってんですね? 承知しやした」


「長い物にはとっくに巻かれているだろ」


 窓の外からスライム状の液体が寮内へと侵入し、そして俺の足にまとわりつく。

 そして一瞬発光したかと思うと、灰色の無骨なアンクレットとなった。


「え、え? なんですの? いま、何が起きましたの? さっきのは……」


「リーズ、一つだけ教えろ。帝国というのはどの方角にある?」


「え? えっと、ここからだと、北北東ですかしら」


「分かった。おまえは寮内で待っていろ。誰かに言う必要もない。一時間以内に戻る」


 俺はさっき小鬼の血を捨てた窓に足をかけ、そして飛んだ。振り返らないが、地上ではリーズが目を皿にしていることだろう。

 俺は自分を覆う空気の膜を動かして空を飛んでいる。その膜は全身を覆っているため、空気が頭にぶつかることはない。

 だが、急加速による体への付加、いわゆるGがかかるのはどうしようもない。

 だから最初はゆっくりで、少しずつ加速していく。速度メーターなどないので、時速でどれくらい出ているかは不明だ。地上との距離も大きく開けているため、ゆっくり流れる景色は速度の指標にはならない。

 だが、新幹線よりは速い自信がある。

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