第29話 キーラ奪還作戦

 俺が空に上がって十分くらい経ったころ、足元からメターモの声が聞こえてきた。さすがに音速は超えていなかったようだ。


「旦那、あれが帝国の国境ですぜ」


 俺は速度を落とし、地上を観察した。地上には高く長い壁が生えていた。数箇所に門があり、その両側に兵士が立っている。


「ほう、おまえ、便利だな」


 そういう情報はいつもエアがくれる。そういえば、エアはどこにいるのだろう。置いてきてしまったか? エアでも俺の速さにはついてこられなかったか。


「エスト、キーラを見つけた」


 おっと、失礼。エアはちゃんといた。もしかしたら、空気の精霊だからどこにでも姿を現せるのかもしれない。


「どこだ?」


「東」


 俺は進路を変えて陽の光が差す方角へと向かった。

 俺はこの世界でも日本と同じように陽は東から登り、西に沈むことを確認している。だから迷わず帝国領とやらまで来られたのだ。


「あそこ」


 うっすらと腕だけ姿を現したエアが指し示した場所は、帝国の国境の外側にある廃屋だった。近くに帝国領内へ通ずる門はなく、人目が皆無の場所だ。


 俺は廃屋の屋根にそっと降り立った。

 老朽化して屋根に穴が開いている。その穴から中を覗くと、そこにはキーラの姿があった。

 キーラは鎖で両手を縛られ、吊るされていた。動かないが、生きてはいるようだ。顔を含め、全身に殴られた跡がある。

 予定時刻まではまだ二時間以上あるためか、見張り役は誰もいない。


「メターモ。仕事だ。失敗したら下水に流すからな」


「それだけは勘弁してくだせぇ。旦那、オレっちの嗅覚が鋭いことを見抜いてやしたんすか?」


「当たり前だ。おまえは臭いにかれて学院内に侵入してきたんだ。おまえの嗅覚が鈍いわけねーだろ」


「さ、さすがでやんす……」


 俺はメターモに細かく指示を出し、廃屋へ侵入させた。メターモが液状になり、滴る水に成りすまして侵入する。

 俺は音を立てないよう静かに浮き上がり、地上へと降り立った。

 メターモが俺の指示をこなす時間を考慮し、五分ほど待った。


「エスト」


 俺が突入しようとしたとき、不意にエアが話しかけてきた。姿は現していない。


「何だ、こんなときに」


「キーラを傷つけてはいけない。感謝されなくなる」


 そうだった。こいつの目的は俺の感情を動かすことだ。キーラを助けたいわけじゃなく、キーラに感謝させたいだけだ。

 俺にプラスの感情を抱かせたいと思うのは、精霊の本能なのか、それともエアにもわずかながら感情があるのか。後者だとしたら、それは先天的なものか後天的なものか。

 いっさいが不明だが、何にせよ感謝されるために助けろというのは人間味の欠片もない。薄情そのもの。俺自身も相当な薄情者だが、真っ当そうな他人がそうだとモヤモヤする。

 自然現象に対してそんな感想を抱いても仕方のないことかもしれないが。


「言っておくが、俺はおまえの指図さしずは受けない。契約上、俺は感情を動かす努力をすればいいんだろ? 例えば……」


「使い捨ては駄目。一度で大きな感情が動いたとしても、今後の機会を永遠に失うことになる。結果的に大きな損失となる」


 俺の性質をだいぶ理解しているからこその念押しだろう。

 俺が最初に出会った人間がキーラだった。そのときも俺がキーラを助けたが、エアに言われなければ見殺しにしていたかもしれない。

 そして、いまでも俺の性質は変わっていない。他人のことなどどうでもいい。ここへは脅迫者に俺を冒涜ぼうとくした罪に対する罰を与えるために来たにすぎない。

 だから、俺が助けたとしてもキーラが感謝すべき相手はエアだろう。

 だが、エアは善意から俺に進言したわけでない。自らの使命、あるいは欲望あってのことだ。

 エアはキーラのことを養分としか考えていない。キーラの無事を祈ったり、純粋に助けたいという想いを抱かない。

 こいつが人間の感情を習得完了できるのは当分先のことになるだろう。

 ああ、そういえばさっき、この考察は無駄だと結論づけたのだった。


「エア、とにかく、おまえは黙って見ていろ。文句があれば、すべて終わった後に聞く」


「分かった」


 俺は廃屋の正面玄関の扉を荒々しく開けた。

 扉が屋敷の内壁を叩き、衝撃音が響いた。


「エスト!」


 吊るされているキーラが顔を上げ、目に涙を浮かべる。

 奥の部屋から慌てて駆けつける足音がした。その足音の主を見て、さすがの俺も少しばかり驚いた。


「ほう! おまえ、名誉とか全部捨てる気かよ。せっかく手に入れた権力を失っちまうぜ。そういや、もう地に堕ちたんだっけか? 俺に負けて四天魔ではなくなったもんな」


 そこにいたのは、ゴリラ女、もとい、四天魔の一角であるジム・アクティだった。

 ティーチェが待っていると思ったが、よくよく考えるとティーチェは直接手を下さず他人を使って間接的にちょっかいを出すタイプだった。


「いいや、俺様はまだ四天魔だ。貴様が四天魔にならないと宣言したのなら、入替りもなしだからな。権力は失わない。俺様がやることはすべて正義になる。四天魔の権力で、正義ということにできるのだ」


 小鬼が脅迫状を持っていたということは、ジム・アクティはティーチェとつながりがある。ティーチェの情報を聞き出すチャンスかもしれない。


「ジム・アクティ、おまえもなかなかのゲスだな。ま、俺ほどではないがな」


 ジム・アクティは三歩進んでキーラの横に並んだ。そしてそのでかい手でキーラのほおを顎の下から鷲掴みにする。


「貴様、存外馬鹿だよなぁ。どうやってこんなに早く駆けつけたのかは知らんが、こっそり侵入すれば、この女を助けられたかもしれないのに」


「勘違いすんなよ。俺はキーラを助けに来たわけじゃない。おまえを裁きにきたんだ。これがどういう意味か分かるか? つまり、おまえがキーラを開放したとしても、俺のおまえへの裁きは止まらないということだ」


「ふん、こいつに人質の価値がないようなことを言っても無駄だ。おまえは他人を口車に乗せるのがうまいらしいが、俺様は他人にだまされるような馬鹿ではない」


「馬鹿め。俺がいつ、キーラに人質としての価値がないなんて言ったよ。俺はな、俺に対して人質を取っても無意味だって言ってんだよ。人質に価値があったところで、俺は人質なんて助ける気はねーからな」


 俺の周囲で勝手に空気が渦巻いている。エアが俺の言葉に異議を申し立てたいらしい。しかし俺の言いつけを守って黙って見ている。


 ジム・アクティのほうはイライラをつのらせていた。それが顔にはっきりと出ている。ひたいに血管が浮き出て、頬をひきつらせ、何度も足に体重を乗せ換えている。


「ハッタリだな。人質がどうでもよければここに来るはずがない」


「人質はどうでもいいが、俺に脅迫状を送りつけたおまえのことはどうでもよくないんだよ。俺はおまえを処すためにここへ来たんだ」


「いいのか? こいつ、死ぬぞ。本当にいいのか?」


 ジム・アクティはキーラの頬から手を離し、首を掴んだ。そして、のどに親指を突き立てる。

 容姿もさることながら、そのパワーは体育会系男子も顔負けだ。少し力を込めれば、彼の、いや、彼女の親指は、キーラの喉を突き破るだろう。


「エスト、助けて」


 キーラの頬を透明な液体が伝う。

 ジム・アクティはキーラが自己犠牲偽善者でなく素直な女の子であることに安心し、そして希望を抱いたようだ。ニヤリと意地悪な笑みをたたえ、そして俺をにらむ。


「こいつを助けたければ、まずはおまえの魔法が何なのか喋ってもらおうか!」


「だから、助けねえって言ってんだろ! それより、おまえはいいのかよ。俺のときは未遂に終わったが、キーラを殺したら正真正銘の人殺しだぜ、おまえ」


「俺様が潔白だと言えば潔白になるのだ。俺様はここで貴様を殺すが、仮に逃がしてしまったとしても貴様の言葉を信じる者はおらん。俺様の言葉と貴様の言葉が食い違えば、人は四天魔たるこの俺様の言葉を信じるのだ」


「救えねえな、おまえ。ま、救う気はないが。じゃあ、やれよ。俺はおまえがキーラを殺す証拠を残す算段をつけている。おまえは殺人者として、人々から軽蔑と侮蔑の眼差しで見下ろされることになるけどな」


「本気か? 本気でやれって言っているのか? じゃあ、やるぞ! 言っておくが、俺様を見下ろせる奴なんていない! そんな奴がいたら、俺様が直々に叩き潰す! 恫喝どうかつして睨みを利かせる! 誰にも俺様を見下ろさせはしない!」


「ばーか。見下ろされるのは、おまえじゃなくて、おまえの墓標だ」


 ジム・アクティのひたいに無数の血管が浮かび上がる。顔はトマト並みに真っ赤にであがっていく。

 そして、額の血管が一つ、はち切れた。

 だが血はすぐに止まる。彼女の怒りは頂点に達していた。

 これまで高い所から人を見下ろすばかりだったせいで、やはりあおりの耐性は皆無だ。


「エ、エ、エス、ト……」


 ジム・アクティの親指がキーラの喉に食い込み、減り込み、そして埋没まいぼつしていく。

 真紅の液体がジム・アクティの太い指を辿り、手首、腕と伝っていき、ひじにまで到達した。

 キーラの血はそこで垂れずにこらえている。


「ゲス・エスト、貴様、本当に……、本当に助けなかったというのか……」


 ジム・アクティは自分で自分の指を見て驚愕している。

 そして、喉を貫かれた少女の苦悶くもんの表情を見て、顔を恐怖にひきつらせた。


「あーあ。おまえ、人を殺すのは初めてか? おまえみたいに肉体だけ鍛えて精神が弱いままの奴はな、人を殺しちゃ駄目なんだよ。二度とまともに眠れなくなる。毎晩、毎晩、殺した奴が自分を殺しにくる。そんな夢を見る。そんな夢を見ていて安眠できるはずもなく、寝不足になって、昼間でもウトウトして、そこでまた殺した奴が復讐にやってくる。幻覚も見るようになる。そのうち現実と夢の境界を見失って、おまえは何度も何度も殺されるんだ」


 ジム・アクティは恐怖に震えている。全身をわなわなと震わせている。ジム・アクティはすでにキーラの死体に襲われる幻覚を見ているのだ。

 なぜそれが分かるかって? そりゃ分かるさ。俺にも見えているからな。


「な、な、な、なんてことだ……。だが、貴様だけは、貴様だけは殺す」


「そりゃ無理だろ。その前におまえはキーラに殺される」


 キーラの髪がフワリと浮き上がり、ジム・アクティの首に巻きついた。キーラの目が溶け落ち、紅い液体となって頬を伝い、ジム・アクティの指にからみつく。

 キーラの手がジム・アクティの手首を掴んだ。


「ひぃいいいいい! わ、悪かった! 助けてくれ! 頼む、何でもするから!」


 ジム・アクティは死人のように蒼白した顔で俺を見る。わらにもすがる思いなのだろう。

 残念ながら、俺は藁ではなく薔薇ばらだ。すがれば棘に刺されて血まみれになる。


「俺ならたやすく助けられるが、タダでは助けねーよ。ティーチェのことを話せ。キーラの誘拐はティーチェに依頼されたんだよな?」


「ち、違う。貴様に復讐したかっただけだ。負けた腹いせだ」


「ほう、ティーチェの情報は自分の命や面子よりも重いのか。次の質問だ。ティーチェは何者だ? ただの教師ではないだろう」


「知らない! そこまでは知らない!」


「じゃあどこまで知っている?」


「い、言えない。言えない!」


「なぜ? 言えない術をかけられているからか?」


「違う。だが、あのお方を敵に回してはいけない。何も、言えない……」


「言わなければ助けないぞ。そのまま死ぬ気か? 死ぬより恐ろしいことがあるのか?」


「あの人をあばいては駄目だ。あの人たちに関わったら魔導師は終わりだ。俺様は自分の命惜しさに魔導師を滅ぼすような不名誉だけはこうむりたくない。だから、言えない。何も言えない!」


「なるほど。結局、おまえ自身の名誉のためか。さよならだ」


 完全に液状化したキーラのむくろがジム・アクティを覆い尽くした。


「旦那ァ、もう食ってもいいでやんすかぁ?」


「そいつは俺が差し伸べた手を払ったんだ。俺はそいつを助けない」


「じゃあ食っちまいやすぜぇ!」


「メターモ、俺は先に帰る。自力で帰ってこい。もし逃げたら、次に会ったときにただのイーターとして狩るからな」


「逃げやせんぜ。あっしは旦那についていきやす。そのほうがうまいもん食えやすからねぇ」


 俺は廃屋から出た。

 エアの気配は消えていた。文句はないらしい。


「あの人たち、ねえ」


 ティーチェは単独の悪党ではなく、何らかの組織に属しているようだ。敵は多いほうがいいが、ティーチェのような奴は邪魔でしかない。その組織を突きとめて潰すか。


 俺が考え事をしていると、突然、横から声をかけられた。


「あの、助けてくれて、ありがと……」


 しなやかな金色のサイドテールを揺らし、少女がモジモジしながらちょこんと頭を下げた。

 俺はメターモにキーラとの入れ替わりを命じ、キーラには俺が出てくるまで廃屋の外で待っていろと言っておいたのだ。

 キーラの様子からして、中を覗いてはいなかったようだ。ジム・アクティがどうなったのかも知らないだろう。


「礼を言うのがそんなに恥ずかしいのか? キーラ、おまえのどこにプライドを高くする要素があるってんだ」


「なっ!? 失礼ね! あたしにだって取り柄くらいあるわよ!」


「さあ、行くぞ」


「え、ちょ! 訊かないの? ねえ、あたしの取り柄、訊かないの? 普通は『だったら言ってみろよ』とか言うでしょ?」


「俺が普通だと思っているのか?」


「それは、まあ……普通ではないかもだけど。じゃなくて、普通じゃなくても訊いてよ!」


「言っておくが、おまえが俺に礼を言う必要はないんだ。俺はおまえを助けるために助けたわけじゃない。ジム・アクティの策を徹底的に潰して悔しがらせるために助けただけだ。結局、あいつはおまえが無事だってことに気づかなかったようだがな」


「もう、バカーッ!」


 嘆息一つ。

 ツンデレキャラというのはどうしても口が悪い。それは自然の摂理みたいなもので、その性質を覆すことはおそらく俺にも不可能なことだ。

 俺は問答無用でキーラを浮かせた。そして俺自身も浮き上がる。


「え、何? なんなの?」


「帰るんだよ。俺がおまえを運んでやる。これについては感謝しろ」


 体に負担がかかりすぎない程度に加速する。

 空へ、高く、速く。どんどん速く!


「きゃぁあああああああ!」

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