第27話 イルとハーティ

 俺はイルを尾行した。

 それはもちろん、イルとハーティ・スタックの関係を把握し、情報を最新に保つためだ。


 イルが立ち止まったのは、寮と思しき建物の玄関前だった。料亭のような外観をした立派な建物だ。ここにハーティ・スタックが住んでいるのだろう。

 ちなみに俺の黄昏寮が洋館風であることを考えると、この世界の文化は俺のいた世界のさまざまな国と時代がごちゃ混ぜになっているようだ。


 ともあれ、建物が和式で開放的なため、空気を応用すれば中の様子をうかがい知ることができそうだ。

 空気の密度を変化させて光の進行方向を曲げ、内部の様子をモニターのようにして見ることができる。

 音声に関しては、振動が減衰しない空気を、筒状の硬い空気内に満たせば、集音機のできあがりだ。


「映像はぼやけているし、音声も小さくて聞き取りづらいな」


「私がサポートする?」


「……ああ、頼む」


 自らサポートを進言してくるとは、エアも少しずつ成長しているようだ。

 俺の精霊は優秀だ。


 そして俺はイルがハーティ・スタックに対峙する様子をうかがった。




「ハーティ、私だよ。ここを開けてちょうだい」


「帰って。あたしはもう誰にも会わない」


 イルのノックした扉が開くことはなく、木板越しにそっけない声が返ってきただけだった。

 かつてのイルであれば、ハーティ・スタックの言葉を絶対命令のように尊守してすぐに帰っただろう。

 しかし、いまのイルは簡単には引き下がらない。


「じゃあこのままでいい。少し話を聞いて。私はまた、あなたと一緒に学院に行きたい。あなたが隣にいてくれなきゃ嫌なの」


「放っておいて。あんたはあたしを虫除けとして利用したいだけでしょ?」


「違う。私はあなたが心配なの。あなたは私にとって恩人だから」


 イルは扉に手を添えている。まるでそこから親友の体温を感じ取ろうとしているかのようだ。


「重いのよ。うんざり。あたしはあんたのこと、便利なつき人くらいにしか思っていなかった。でも、あんまりあんたが献身的だから、どんどん重たくなって、気持ち悪くなった。あたしはあなたのこと、友達だなんて思ってなかったわ」


 イルの手がずり下がり、その上にひたいが押しつけられる。

 だが彼女は頭を上げ、手の位置を戻した。


「そうね。私はハーティのことを友達だと思っていたけれど、私の態度は一方的すぎて、あなたの言うとおり、友達としてのそれではなかったと思う。ごめんね。だから、今度こそ本当の友達になりましょう」


「結局、あたしがいなきゃいじめられるから、近くにいてほしいんでしょ? 薄っぺらな言葉はもういらない。あいつみたいに建前ばかりで中身のないことばかりを言う奴は大嫌いよ」


 あいつとはシャイルのことだ。

 しかし、いまのイルは前よりもシャイルのことを知っている。たとえ恩人だろうと、シャイルはいじめていい相手ではない。

 もちろん、恩人だから誰かをいじめてもいいなんてことはないと、いまのイルなら理解しているだろう。


「ハーティ、聞いて。私、シャイルとも友達になったの。だから、いまの私はもう一人じゃない。あなたについていかなくても私は生きていける。でも、あなたには私の隣にいてほしいの。だって、あなたは私にとって大切な友達だから。損得勘定じゃない。今度は私があなたを守る。もしあなたが道をあやまりそうになったら、私はあなたを止める。断るべき頼みは断るし、困っていたら助ける。そして、楽しいときは一緒に笑って、悲しいときは一緒に泣きたい。だからハーティ、もう一度、今度は対等な関係として、私と友達になってください」


 イルがシャイルと友達になったことを打ち明けたのは、きっと勇気のいることだったはずだ。シャイルはハーティ・スタックが嫌いなのだから。

 それはイルにとって初めての、ハーティ・スタックに対する否定的な行為だ。しかしそれが、本当の友達への第一歩になると信じたのだろう。


 ハーティ・スタックの返事はない。沈黙が流れる。

 イルは不安な面持ちだろう。彼女は辛抱強くハーティ・スタックの応答を待つ。

 そしてようやく帰ってきた声は、寝たきりの老人のように弱々しかった。


「正直に言うわ。あたし、怖いのよ、あいつが。だから……」


 今度のあいつは俺のことだろう。

 イルの表情は少し明るくなった。ハーティ・スタックが自分に弱みを見せてくれたことが嬉しかったに違いない。

 おそらく、ハーティ・スタックもイルのことをちゃんと友達だと思っている。完全に下に見ているような相手には自分の弱みを見せるはずがない。


「じゃあ、あいつを乗り越えなきゃね。あなたが非人道なおこないをしようとした場合には、私がそれをすべて止める。でも、もしゲス・エストに復讐するというのなら、その復讐だけは止めない。いいえ、私も手伝うわ。一緒にギャフンと言わせてやりましょう」


「無理だよ。あんなデタラメな魔法を使う奴にかないっこない。そもそも、あいつの魔法が何の魔法なのかすら分からないじゃない」


「あいつの魔法は風の操作型よ。操作型は使い勝手がいいけれど、それを抜きにしても、あいつは魔法の使い方がうまい。それも飛び抜けて。でも、ただそれだけよ。たしかにいまの私たちでは力を合わせたってあいつにはかなわないと思う。けれど、いつかは勝てる。そのために学校でいっぱい学んで、修行もして、強くなりましょう。ね、ハーティ。あいつを乗り越えるまでの間は、私があなたを守るから」


 少しの沈黙と、小さな足音が響いた後、静寂の中で悲鳴をあげるように、ゆっくりと戸は開いた。暗がりの中からハーティ・スタックが浮かび上がる。

 イルは乱暴に笑ってみせた。不器用なりに、精一杯、友達をおりからひっぱりだそうとした結果がその笑顔だった。


「あんた、笑顔が下手ねぇ」


 それは実にささやかなものだったが、イルはたしかに見た。彼女がいまいちばん望んでいるものを。ハーティ・スタックの笑顔を。




 俺は複雑な空気の固定を解き、深く息を吐き出した。

 ビューイング・ジャックも楽ではない。


「エスト、感情が動いた。ハーティ・スタックが立ち直って嬉しかった?」


「んなわけねーだろ。あいつらが強くなってから俺に挑んでくるって話が楽しみなだけだ。今度は不届き者に制裁を加えるのとは違う。強者として蹂躙じゅうりんできる」


 エアの姿は一段とヒトに近づいていた。いまや目は開いているし、唇もあり口も滑らかに動くし、耳のしわが増えた。

 今後は皮膚に細かい皺が出てきたりするのだろうか。いまは服を着ているため顔以外の部分は観察できない。決定的に足りないのは表情くらいか。

 エアは確実に俺の感情を吸収していっているようだ。

 自分で言うのもなんだが、エアは本当にこんな感情ばかりを食らっていて大丈夫なのだろうか。

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