第26話 説教

「で?」


 イル・マリルの話を聞いた俺は、開口一番にそう言った。


「でって、エスト君、嘘でしょ⁉ いまの話を聞いて何も感じなかったの?」


 シャイルが皿にした目で俺を凝視する。イル・マリルの話が琴線に触れたらしく、さっきから号泣している。

 俺からすればシャイルが自分に嫌がらせを繰り返してきた女の片割れの話で涙腺に緩みが生じることのほうが信じられない。


「イル・マリル。俺はおまえに、俺を納得させてみろと言った。だが、おまえはただ自分の過去を吐露しただけだ。仮に俺がおまえに同情したとしても、それが俺の納得につながるわけではない。それどころか、おまえはハーティが人殺しだということを暴露しただけだ」


「それでもハーティは私の命を救ってくれた。それに、ハーティが殺したのは悪だ。だから、ハーティはむしろ正義とたたえられてしかるべきなんだ」


「それは違うよ! 悪いことをしたからって、殺されていい人なんていない。ちゃんと第三者の判断によって正当な裁きを受けるべきだよ」


 めずらしくシャイルが俺以外の相手に異議を唱えた。

 といっても、イル・マリルの発言内容はいかにも俺が言いそうなものだ。実際、いまの発言に限定すれば、俺もイル・マリルに同意だ。

 ただし、それはイル・マリルの思想を肯定するものではない。


「イル・マリル。ハーティ・スタックは復讐したにすぎない。復讐自体を俺は否定しないが、正義とたたえられるのはおかしい。その正義はおまえにとってだけの正義だからな。それからシャイル。殺されていい人はいないって、誰かの受け売りか? そんなことはねーんだよ。殺されていいどころか、殺されたほうがいい人間ってのは確実にいる。他人に害悪を与えつづけるだけの存在とかいるだろ。俺の国には死刑制度ってもんがあるが、それはそういうことだ」


 法律の不支持者である俺はさんざん法律を否定してきたが、価値を認めている部分もあるということだ。実際、法律がなければ、あの平和ボケした世界ですら俺は生きていられなかったかもしれない。


「エスト君の国のことは知らないよ。ここにはそういう法律はないもの」


「それは思考放棄だ。思考を放棄する者にいかなる道徳や倫理も語る資格はない」


「だって、極論だよ!」


「そんなことねーよ。この世界には魔法があって、強い魔法は人を自惚うぬぼれさせる。誰も逆らえないんだったら、やりたい放題にできる。四天魔なんてまさにそれじゃないのか? 特にあのゴリマッチョ女とかな。なあ、シャイル。もしおまえの目の前で殺人鬼が暴れまわっていて、それを殺せる飛び道具をおまえだけが持っているとしたら、そしておまえがそいつを殺さなきゃ大量に人が死ぬとしたら、おまえはどうする?」


「それは……その……、その人の足とかを攻撃して無力化する……」


「勝手に俺の仮定を捻じ曲げるな。殺さなきゃ、殺人鬼は確実に多人数を殺すとしたらって言ってんだ」


「それは……」


 シャイルは黙り込んだ。そういう質問をされること自体に納得していない様子だ。


「考えることを放棄するな。いい機会だから、いまのうちから結論を出しておけ。いざそういう状況になってウダウダ迷っていたら、状況だけが先に進んで、気づいたときには完全に手遅れになっているぞ」


「うう……、あまり納得できないのに、言い返せない……」


 いつのまにかシャイルの説教になっていたが、俺の目的はイル・マリルだ。

 彼女は俺たちの内輪もめに眉をひそめている。


「閑話休題だ。イル・マリル、おまえにとって、他人をしいたげる奴は悪だ。逆にそいつらをらしめる奴は正義だ。これは間違いないな?」


「そうよ。私に限らず、誰から見たってそうだと思うけれど」


「その理屈でハーティ・スタックを正義だと言うのは構わん。だがおまえ、ハーティ・スタックがシャイルに嫌がらせをしているのを見てどう思った?」


「……べつに」


「そんなわけねーだろ。おまえの理屈でいうと、ハーティは悪ってことにもなる。おまえは考えないようにしていたんだろ? 本当は見たくなかったはずだ。恩人がかつて自分を苦しめてきた奴らと似たようなことをしている姿なんて」


 イル・マリルは無言だった。俺と視線をぶつけ合っていたが、耐えきれなくなって視線を下に落とした。

 ゲスのくせに人を説き伏せるために正論を吐くとか卑怯なのよ、とか思っているかもしれない。

 だがそうだとしても、それを言葉にはできない。できるはずがない。それをやると、イルが俺の言葉を認めることになるからだ。


「おまえにはいじめられるシャイルの気持ちが分かるはずだよな? それに、さっきのおまえの話からして、本当はハーティにも分かるはずなんだ。おまえら全員、いじめられた経験があるんだから。イル・マリル、友人が大切なら、その悪行を止めるべきだろ。たとえ嫌われようともな。それとも、標的が自分に切り替わるのが怖かったか?」


「そんなことは心配していない! 私はただ、深い恩があるから裏切りたくないだけ」


「イル・マリル、俺はシャイルのためにハーティ・スタックを止めろと言っているわけではないぞ。おまえ自身のためであり、ハーティ・スタック本人のための話だ。おまえもそれが分かっていて、本当はそうしたかったはずだろ?」


 イル・マリルは無言のまま、視線を横に逸らしてうつむいている。


「イルちゃん……」


 シャイルが心配そうに見つめる。こいつも大概、病気だと思う。むしろこいつのほうが重症だ。

 だがいまはイル・マリルの時間だ。


「ハーティ・スタックが自分のために止めようとしてくれている友人を嫌うような奴なら、命の恩人だとしてもそんな奴に恩義を抱く必要はないし、その価値はない。そもそも他人をいじめるなんてことをおまえの目の前でやるなんて、それこそがおまえに対する裏切りなんじゃないのか? はっきり言ってやる。友人は、選べ!」


「私には、ハーティしかいない」


「おまえはただ見ていないだけだ。本当は世界は広い。ただ、それを見ていないから狭く感じる。もし友人が一人しかいなかったとしても、選択肢は一つじゃない。たくさんある。言ってやろうか。一つ、何もせずいまのままでいる。二つ、ほかの友達を作ろうと努力する。三つ、思いきって友人をゼロにする。四つ、親友を説得して健全な関係を築く」


 しばらく無言でうつむいていたが、顔を上げたとき、目尻に透明な雫が浮かんでいた。


「まわりくどいぞ。貴様が私に求める答えはどれだ? 四か? それならそうとはっきり言え!」


 怒鳴るイル・マリルは「そうだ」と言ってほしそうだった。俺が「そうだ」と言ったとしても、彼女は一度、反発してみせるだろう。それでも俺に捻じ伏せられ、仕方なくそうする。そうしたいのだ、きっと。

 だが、彼女のプライドに付き合ってやるほど俺は甘くはない。

 それに、四つ目はいちばん難しそうに見えて、案外そうでもなかったりするが、それも教えてはやらない。


「俺がおまえに求めるのは、おまえ自身の選択だ。自分で選べよ。俺はおまえに興味なんかないんだ。おまえがどれを選ぼうが、俺の知ったことではない」


 イル・マリルは視線を少しだけ落とした。彼女は俺の胸元を見つめているが、その瞳に映るのは、おそらく俺が見ることのできない光景だろう。

 彼女の瞳が急速に潤い、しかしダムのように想いはせきとめられている。


「ゲス・エスト。もし……、もし貴様が私の立場にあったら、貴様はどれを選択する?」


「俺の選択はどれでもない。五つ、力でも言葉でも捻じ伏せ、支配する」


 イル・マリルが思わず顔を上げ、すぐに視線を戻した。

 その拍子に目に溜まっていたしずくこぼれ落ちた。右にひと筋、それから左にもひと筋。

 彼女の表情を覆っていた硬い殻が剥がれ落ちた。目を赤くしながらも、ささやかな笑みをこぼす。


「なるほど、私の負けだ。用意された箱の中でしか活動できず、そこから抜け出すという発想を持てなかった。六つ目の選択肢を挙げてひと泡吹かせたいところだが、私は貴様の示した選択肢から選ぶことしかできない。説き伏せて謝罪させるつもりだったのに、返り討ちとは」


「そうだな。べつに選択肢の中から複数選んでもよかったんだ。それが思いつけば、少しは俺と張り合えたかもな」


 イル・マリルはハッとした様子で俺の顔を見た。それをゆっくりとシャイルのほうへ移す。

 シャイルは彼女にニッコリと微笑んでみせた。


 イル・マリルが内心ではもう四つ目の選択肢に決めていることは間違いない。そしてその四つ目と共存できる選択肢は一つしかない。しかも、シャイルの返事はもう聞けたようなものだ。


「私をだましたな? このお人好ひとよしめ!」


 イル・マリルの眼が俺を刺す。


「あん? 勘違いするな。俺はゲスだ。おまえを完膚かんぷなきまでに打ち負かす手段として、言葉で追い討ちをかけただけだ」


「言ってろ。貴様の正体、私があばいてやる」


 彼女は元気を取り戻しつつあった。

 その足取りで、彼女は俺とシャイルを背にして新たなる道を歩みだした。


 俺はふと思いついた。

 イルが発生型の風使いで、リーズが操作型の風使い。二人の力が合わされば、なかなか面白いのではないか。

 こいつら二人がかりでなら、少しは俺をたのしませられる力になるのではないか。

 ま、思いついただけで、何もしないけどな。

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