果樹園の終わりに

赤鐘 響

Two people walking in the orchard


「ねぇ、君は今日の天気についてどう思う?」

 短くなった煙草を、地面に落として踏みつけながら、園田楓そのだかえではぼんやり空を眺めた。

「別に、いい天気なんじゃないか?」

 園田に踏まれてボロボロになった吸い殻を拾い上げ、手に持っていた携帯灰皿に捨てて俺は返す。上空には太陽がこれでもかと言うほど辺りを明るく照らしていた。

「いい天気なのは見たら分かるよ……」

 セーラー服のポケットから新しい煙草を取り出し、風に靡く髪を鬱陶しそうにかき分けながら園田は小さく呟いた。

 園田の髪を乱した風は、そのまま後ろのフェンスを抜けて、グラウンドで砂埃を舞い上げた。部活動で練習をしているであろうユニフォーム姿の男子生徒が、園田と同じように手のひらを振る。

「他に感想がないんだからしょうがないだろ」

 園田が地面に灰を落とす度、それを隠すように俺は足で地面を均す。

「そんな事より煙草を吸うならせめてマナーくらい守れよ」

 地面を均したついでに、わざと園田の方へ足を大きく振る。幾つかの小石が園田の足首に当たって地面に転げた。

「それ以前の問題だと私は思うのだけれど」

 園田は煽るように口角を上げて煙を吐き出す。それ以前の問題なのは俺も分かっている。煙草は大人の嗜好品だ。セーラー服を着た女学生が、放課後の体育館裏で嗜んでいいものではない。

「自覚があって何よりだ。別に今更お前の喫煙を咎めはしないが、灰皿くらいは自分で用意しろ。なんで毎回俺が用意してお前のこっそりモクモクタイムに付き合わなきゃいけないんだ」

 手に持っていた携帯灰皿を園田に手渡す。園田はそれをしかめっ面で受け取った。

「ネーミングセンスが絶望的だね」

 受け取った携帯灰皿に、まだ長い煙草を捻じ込んで、園田は再び灰皿を俺に向けた。俺の提案を受け入れる気はないらしい。灰皿を鞄に仕舞いながら、俺は一言「うるせぇ」と返す。園田はそれを笑顔で受け入れた。

「まぁ自分で用意する気は全くないね。本当に、これっぽっちもないよ」

「なんでだよ」

「だって自分で用意したら君が用意してくれなくなるじゃん」

「当たり前だろ。そもそも俺はお前のひっそりこそこそモクモクタイムに付き合いたくねぇんだよ。もし見つかったら俺まで吸ってたと思われんだろ」

「嫌なの?」

「当たり前だろ」

「へぇ、君は私と一緒に居たくないんだ」

 ……その言い方はずるいだろ。肺だけじゃなくて腹まで黒いのかコイツ。

「帰ろうか」

 そう言って、口ごもっている俺の肩を軽く叩きながら、園田は校舎の玄関へと歩き始めた。

 辺りに吸い殻や喫煙の痕跡がないかを確認してから、俺はやや駆け足で園田の後を追った。




「で?何で天気なんだよ」

 帰り道、園田の若干後ろを歩きながら、先ほど体育館裏で園田が俺に聞いた内容を聞き返す。

「天気……?ああ、いや。今日は凄く天気がいいだろう?」

 ほんの少し間を置いて園田は言った。

「そうだな」

 首を僅かに上げて空を見る。先ほどと変わらず太陽が偉そうに辺りを照らしていた。10月に入ったというのに気温は相変わらず高いままで、真夏日に比べたらマシという程度である。

「私はねぇ、嫌いなんだよ」

僅かに湿った額を手の甲で拭って園田を見る。同時に園田がこちらに振り返った。

「嫌いなんだ。こういういい天気ってやつがさ」

セーラー服でスカートとは言え、俺と同じく歩いているのだからそれなりに暑くはあるのだろうが、それを感じさせない涼しい顔をしていた。

「そもそもね、いい天気――」

 俺は右手を伸ばして、言いかけた園田の言葉を遮る。

「長くなりそうだ。あそこで座りながら聞くよ」

 伸ばした右手の先に、園田が視線を向ける。俺が指した先には、古びた自動販売機と、それ以上に古びたベンチが並んでいた。

 園田は無言で俺の腕を下ろして、ベンチへと足を進める。ベンチに座る際、スカートのポケットからハンカチを取り出して、それをベンチに置いてから腰を掛けた。着ている服が汚れないようにするためだろう。

 つい先ほど煙草を足で踏みつぶしていた人間とは思えないほど上品な佇まいだった。

 俺はカバンから財布を取り出し、自動販売機で缶の炭酸飲料を二つ購入し、一つをベンチに座っている園田に差し出した。

「ありがとう」

 僅かに微笑み、園田は缶を受け取った。

「で、天気が何だって?」

 少しだけスペースを空け、園田の隣に座ってプルタブを手前に倒す。

 炭酸特有の乾いた音の余韻を楽しむ事無く、俺は乾ききっていた喉を一気に潤した。

 園田も俺と同じように口元で缶を傾けた後、「私はいい天気が嫌いなんだ」と口を開いた。

「そうか」

 一言返す。

「理由を聞かないの?」

「聞かなくてもどうせ話すんだろ」

「それはそうだけど聞いてくれてもいいんじゃないかな」

 ちびちびと飲みながら園田は俯く。

「……なんで嫌いなんだ?」

 俺が尋ねると、園田はまってましたと言わんばかりに大げさな仕草で顔をこちらに向けた。

「そもそもいい天気ってのはどういう天気か分かるかい?」

「今みたいな天気の事を言うんじゃないか」

「そうだね。そして私はそれが気に入らない」

「今みたいな天気をいい天気と呼ぶのが嫌だと?」

 飲み終わって空になった缶を足元に置く。

「流石、理解が早くて助かるよ」

「まぁこういう話題は何回も振られてるからな」

「不満かい?」

「いや、大満足だ」

 俺がそういうと、園田はにっこりと笑った。

「例えば100人にさ、今日の天気はいい天気ですか?って質問したとしよう。そしたら99人の人はそうですって答えると思うんだ」

「まぁ、そうだろうな。俺もその99人の中の一人だ」

「こういう雲一つない青空が広がっている天気を、いい天気って呼ぶのはこの空が好きな人だと思うんだ。私は晴れが嫌いだ。だからこの空をいい天気と呼びたくない。99人にとってはこの空はいい天気なのかもしれない。でも私にとってはこの空は悪い天気なんだよ」

 立ち上がって空を見つめながら、園田は缶ジュースを飲みほした。そして俺と同じように空になった缶を足元へと置く。

「お前の言いたいことはよく分かった。その上でさっき俺に聞いた質問に対して再回答するなら、やはり俺は今の空は良い天気だと思う」

「そうかい。それは残念だね」

「俺は別に雨が嫌いとか雪が嫌いとか、晴れが好きとか曇りが好きとか、そういうのはどうでもいい。天気に対してそんなにまで思い入れはないからな。園田は雨が好きで、晴れが嫌い。だから園田にとってのいい天気と、99人の言ういい天気に相違があるってだけの話だろ」

 足元に並んだ二つの缶を拾って、ゴミ箱に捨てながら俺は返す。

 園田はそれを黙って聞いていた。

「でもお前のそういう所、俺は好きだけどな」

 俺がそう言うと、園田は一瞬だけ驚いた表情を見せた。

「それは告白と受け取っていいのかい?」

「それを聞くのは野暮じゃないか?」

 再び園田の隣に、そしてさっきより近くに座った。

「そうだね。しかしまぁこういう話に付き合ってくれるのは君くらいのもんさ」

「嫌いじゃないからな。そういう話は」

 園田は時折こういう話を俺に振る。定着している言葉への懐疑というか、逆張りというか天邪鬼というか……、この天気の話一つとってもそうだ。この話なんて言ってしまえば雨が好きで晴れが嫌いだから今日の天気は嫌いだってだけの話だ。だが園田はそれを複雑に話す。いい天気とされている晴れをなぜいい天気と呼ぶのか。雨をいい天気と呼ばないのは何故なのかなんて言う根本的な問いかけをしてくる。本当にくだらない質問だ。多くの人はどうでもいいと思う質問だ。だけど俺は園田のそういう思考がたまらなく好きなのだ。

「雨の日をいい天気と呼ぶのに何か不都合があるのかなぁ……」

 足を小刻みに揺らしながらそう呟く園田に対し、俺は「さぁな」と相槌を打った。

 別に雨が嫌いなわけでもないし、園田の考えを否定する気もないが、さすがに雨の日をいい天気と称するのは無理があるんじゃないか、という言葉は口に出さなかった。

「いい天気という言葉が指す天気が一般的にどういう天気なのかを色んな人に聞いて回って統計を取るのも面白いかもな……でも待てよ、それだといい天気イコール自分の好きな天気という事になるのか……?」

 ぶつぶつと一人で考え込む園田の横顔を、俺はしばらく眺めていた。




 数分経って不意に園田が「ま、いっか」と言って大きく仰け反った。

「人は自分の見たいようにしか物事を捉えられないからねー」

 どうやら園田の中で結論が出たようだ。

「解決したか?」

 俺がそう聞くと園田は「ま、区切りはついたかな」と偉そうに頷いて見せた。

 俺が何も言わずに立ち上がると、園田も同じように立ち上がり、下に敷いていたハンカチを丁寧に畳んでポケットに仕舞った。

「結局の所人は自分のいいようにしか物事を見ないんだ」

 沈みゆく夕日を背中に帰路を歩きながら園田が口を開く。

「それで本人が満足ならいいんじゃないのか」

「なんとも君らしい意見だね」

「見たいものだけを見て、見たくないものからは目を逸らす。そうやって俺たちは生きてんだ。さっきの天気の話もそうだろ」

 俺がそういうと、園田は笑いながら俺の隣に駆け寄り「その通りだよ」と笑みを浮かべた。

「自分の見たいように物を見る。そしてその本質からは目を逸らし、自分で都合のいい解釈をする。というか見えないんだよ本質なんてものは。美人なお姉さんも、男前なお兄さんも、外見は見えるけれど、その中身が何なのかなんて誰にも分らない」

 歩きながら園田は俺の手を握り、自身に俺を引き寄せながら「君もそう思うだろう?」と言った。

「事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけであるって事か?」

 俺がそう聞くと、園田はすかさず手を放し「それは違うね」と否定した。

「ニーチェの言葉はどちらかと言うと、正しい事実を解釈で捻じ曲げるなという想いが込められているだろう?私が言いたいのは、物事を断片的に捉えるなという事さ。もちろんニーチェの意見には同意するけど、私たちはもっと自由に物や人を見ればいいのさ。もちろん天気もね」

「視野を広げろと?」

「君は本当に私の言いたいことを理解するのが早くて助かるよ」

 園田が背伸びをして俺の頭を撫でる。俺はその手を雑に払いのけると、園田は不満そうな顔をした。

「もちろん誤解や曲解は駄目だけれど、結局物事の本質なんて分からないんだから、それに目を向けるよりもっと別の視点で見るべきなんだよ。ほら、私のクラスにいるあの真面目な学級委員長も本当は不真面目かもしれないだろう?」

 天気の話からここまで飛躍すると、最早何が何だか分からなくなっているが、まぁコイツが楽しそうだから敢えてツッコむ必要もないだろう。

「そうだな。大人しそうなお前が放課後隠れて煙草を吸っているとは誰も思わないだろうな」

「その通り。ザクロみたいなものさ。ザクロは綺麗に咲いているけど、熟れて収穫して中身を見たらグロテスクだろう?案外そういうもんなのさ。私だって綺麗な顔をしているけれど肺は真っ黒だしね。だけどそんな事実は事実で置いておいて、好きに解釈すればいいんだよ」

 しれっと自分の顔を褒めたが、これも敢えてスルーしよう。

「成る程な。だとするとお前の喫煙と言う行為も一つの見えない本質なのかもな。まぁ俺には見えてるが」

「そうだね。これは君にしか見えていない私の本質の一部さ」

 園田は再び俺の手を取り、今度は振ることなく手を握ったまま歩き続けた。

「以上を踏まえたうえで、君も私の事を好きなように解釈してくれたまえ」

「……それは告白と受け取ってもいいのか?」

「それを聞くのは野暮だろう?」

 笑顔でそう答える園田の手を握り直し俺は「そうだな」と返した。

 

 

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