第15話 突然の容疑

 翌朝は紗良の凛とした声で目が覚めた。

 規則正しく22時に布団に入った紗良の目覚めは早かったようで、由梨が起こされた頃にはすっかり身支度が済んでおり、見事に寝過ごした由梨は叱咤されるままに慌てて洗面台に駆け込んだ。


「お手伝いに来たはずなんですけど、この別荘お手伝いさんがいるから、ほとんどやることないですね」

「でも、ただで豪邸に泊まれた上に楽できるんだから、ぶっちゃけからラッキーだよ」

「そうなんですけど、ちょっと申し訳ないです」


 紗良たちが会議をしている間、由梨は大きな籠を抱えつつ、同じく手伝いで来ている先輩と一緒にのんびりとした足取りで別荘の庭を歩いていた。


 今回、手伝いとしてやって来たのは由梨を含めて五人。

 由梨以外の四人は引退した前生徒会や文化委員であり、全員が三年生だ。もともとがくじ引きで決まった不人気な雑用係であるため、外部大学の受験を控えた他の三人はこれ幸いとそれぞれ部屋に籠って勉強をしている。


 本来なら、今頃は古い施設で参加者三十人以上の食事を用意したり、大浴場や広間の掃除をしているはずなのだが、藤宮家所有の別荘でそれらの仕事は由梨たちのものではなかった。

 掃除も食事の用意も藤宮家の使用人がしてくれている。雑用としてついてきたはずの由梨たちがした仕事は、今のところお茶汲み程度だった。

 不人気な雑用係が一転、ラッキー過ぎる好待遇だ。


「じゃあ先輩、私ちょっと行ってきますね」

「橘さんいい子だねー。いってらっしゃーい」

「籠を持ってもらって、ありがとうございました」


 裏庭につくと、手伝ってくれた先輩も籠を置いて帰っていく。彼女もまた部屋に戻って休み明けのテストに向けて勉強するらしい。

 一年生である由梨はあまりにも手持ち無沙汰だったため、頼み込むようにして屋敷の洗濯シーツ干しをさせてもらうことになっていた。


「お庭も綺麗……さすが藤宮家別荘」


 正面入り口がある表の庭はそれは豪華だったが、裏庭もまた綺麗な作りだった。日当たりのいいテラスもあり、そこで優雅にお茶をする会長はさぞ美しいことだろうと、由梨には目に浮かぶようんだった。

 テラスを過ぎた先に洗濯ものを干すスペースが作られているが、お客様の目から見えないように生垣で遮られている。


 由梨は使用人の人から指示された通りに、預かったシーツを次々と干していった。天気のいい日に風にたなびく純白のシーツが眩しく、干していて気持ち良くなっていく。

 晴れ晴れとした面持ちで空を見上げていた由梨は、足元でぱきりと硬い音が鳴った気がして視線を落とした。


「え……」


 足元で転がる欠片を目にし、心臓がどきりと嫌な音をたてた。

 そっとどけた足の下で、光に反射して輝く乳白色のカードが真っ二つに割れていた。


「そ、そんな」


 焦って手にしたシーツを取り落とした由梨は、そのまま両手でカードキーを拾いあげた。

 割れたカードを合わせたところで、くっつくはずもなく、断面は踏み割れたせいで砕けた破片の分だけ歯欠けのように凸凹していた。


「どうしよう……弁償……」


 複製が作れないと言われたことを思い出して、由梨の顔は真っ青になる。


「あ、橘さんだ。おーい」

「え?」


 どうしようと混乱していた由梨は、頭上から降ってきた声に顔をあげた。

 三階の大きな窓から手を振っているのは、由梨のクラスのもう一人の文化委員だ。


(名前、なんだったっけ?)


 焦って真っ白になっている頭でただただ見上げていると、他にも数名が窓から顔を出してくる。どうやら会議室は休憩時間のようだ。

 顔をだした咲也も由梨に気づいて大きく手を振っている。隣には紗良がいて、優等生の彼女は控えめに手を振っていた。

 反射的に振り返そうとしたところで、由梨は両手に持っているカードキーを思い出した。


「あれ、それ!」


 あ、と思った時には鋭い声が飛んだ。


「部屋のカードキーじゃん! 橘さん割っちゃったの!?」


 真っ二つになったカードキーを両手で持っている由梨に、驚いた文化委員の子が高い声をあげる。

 途端に窓から顔を出す人間が増えた。


(どうしよう……)


 誤魔化すつもりはなかったが、一気に倍に増えた視線が頭上から由梨の手元にざくざくと刺さってきて、由梨は思わず首を竦めた。


「あちゃー」

「あれって世界に一個しかないっていってなかったけ?」

「まじで? やばいじゃん」


 口々に降り注ぐ言葉が由梨の精神をどんどん削いでくる。

 気持ちがいいと思っていた陽射しが、今では由梨に証拠を突き付ける照明のように思えて気分が重くなった。


「橘さん!」


 うつむいていた由梨に、会長の声が届いた。


「下に行くから、ちょっとだけ待ってて」


 それだけ言って引っ込んだ会長は、ものの数十秒で裏庭まで出てきた。


「会長……」

「屋敷内をショートカットしてきちゃった」

「すみません、私……」

「ちょっとそれ見せて」


 肩を落として謝る由梨に、幸樹はそっとカードキーを受け取った。

 幸樹から遅れて数十秒後、紗良と咲也もやってくる。


「由梨ちゃん、怪我とかしてない?」

「サク、私は何ともないよ。カードキーを踏んじゃったみたいで」

「由梨さん……」

「ごめんなさい」


 謝る由梨を紗良はじっと見てきたため、由梨はますます眉を下げた。

「何をしていて割ってしまったの?」

「シーツを干していたんだけど、いつの間にかカードキーを落としていたみたいで、それを気づかず踏んでしまったんだと思う」


 天気の良さに浮かれて空ばかり見上げていたせいだと、由梨は肩を小さくした。


「でも、由梨さんなくさないようにって、カードキーはジャージの上着ポケットに入れてなかった? そんなに簡単に落とす場所かしら?」


 紗良の言葉に、由梨は首を傾げた。

 確かに上着のポケットに入れたし、そこはポケットが深くて物が落ちにくいところだから選んだのは確かだ。だが、現物が目の前にあるのに何故そんなことを言うのか。


「ちょっと失礼」

「ひゃっ」


 不意に後ろから上着のポケットをまさぐられ、由梨は高い声をあげて飛び上がった。


「ちょっと、サク!」

「由梨ちゃん、じっとしてて」


 何かを探すように手を差し入れた咲也は、すぐにぱっと表情を明るくされて手を引き抜いた。


「由梨ちゃん、カードキーあるよ!」

「え!?」


 慌てて咲也の手元を見ると、つるりと傷一つない乳白色のカードキーが、朝と変わらぬ姿で輝いていた。


「じゃあ、あれは私たちの部屋の鍵じゃないのね」

「よ、良かった……」


 カードキーはどれもほとんど同じで似てるため、ぱっと見はどの部屋の物か判断が付きにくい。

 ほっと胸をなでおろす由梨の横で、紗良は三階の皆にも見えるように手を上げてカードキーを見せつけた。


「由梨さんのカードキーあったわ。彼女のじゃなかったのよ」


 紗良が説明するように声を張り上げ、三階から見ていた皆はどういうことだと首を傾げる。

「これ、空き室の鍵だね」


 カードキーの表面を確認していた幸樹が呟き、紗良が空き部屋の鍵が落ちてただけだと三階へ伝える。

 なんだ、と興味を失ったように散っていった視線に、由梨は改めてほっと肩の力を抜いた。しかし、直ぐに割れたカードキーを見て顔を強張らせる。


「でも私、踏んで割ってしまったのは変わらないよね」


 弁償の二文字が由梨の頭を駆け巡る。


「ああ、それは心配ないよ。多分橘さんが割ったわけじゃないから」


 呆気からんとした幸樹の声に、由梨は肩透かしをくらったように目を瞬いた。


「どういうこと?」

「このカードキー、結構丈夫なんだ。替えが効かないから壊れないようにって、結構頑丈に作られててさ、俺が踏んでも多分割れない」

「そうなの!?」


 驚く由梨を他所に、俺も割れてるの初めてみたと、幸樹は興味深そうにカードキーの断面を見つめていた。


「でも、ぱきって音が聞こえたんだけど」

「一度割れた断面に乗っちゃったんだと思うよ。ヒビが入れられてたところに体重をかけたから、端が欠けたんじゃないかな」


 幸樹の指摘に、由梨はじっと鍵の断面を見つめる。確かに欠けたように断面はぼこぼこしているが、実際のところ由梨には分からない。

 しかし、所有者がそうだというのならいいのだろうか。


「欠けたかは置いといて、割れたのは絶対橘さんのせいじゃないから、心配しなくても大丈夫だよ」


 安心して、と微笑む幸樹に、由梨は肺に溜まっていた空気を吐き出した。


「よ、よかった……」


 心底ほっとした様子の由梨の肩を、紗良が労わるように撫でてくれた。


「サクも紗良ちゃんもありがとう」

「どういたしまして!」

「気にしないで。貴方のせいじゃないんだから」


 由梨がお礼を伝えると、二人とも気さくに微笑んで返してくれた。


「でも、なんでこんなところに落ちてたんだろう」


 割れたカードキーを見ながら、幸樹が怪訝な表情で首を傾げた。


「普段、鍵はどうしているの?」

「いつもは屋敷の管理人が専用金庫で管理してるはずなんだけど」


 あとで確認させるという幸樹に、紗良はそれがいいでしょうね頷いた。

 四人が顔を見合わせていると、頭上から書記である楓の声が聞こえ、会議をどうするかと指示を仰いでいた。


「会議を中断させちゃってごめんなさい」

「いや、休憩時間だったし、このままお昼にしよう」


 幸樹がお昼休憩と声を張ると、楓は頷いて窓の奥に引っ込んだ。


「さ、中に戻ってお昼にしよう」

「あ、私はこれ全部干してから行きます」


 由梨は足元の籠を指して言った。

 自分から分けてもらった仕事なのに、やりかけて放り出すわけにはいかない。


「手伝うわ」


 慌ててシーツを手に取る由梨の横から、紗良のすらっとした綺麗な指が伸びる。


「僕も!」


 先に戻って指示をだすという幸樹が屋敷の中へ抜け、喜々として手をあげた咲也も加わると、三人で干すと残り数枚のシーツはあっという間に物干し竿に並んだ。


「早くお昼にいこ!」


 使用人に籠を返すと、三人は揃って食堂となっているダイニングへ向かった。


「お待たせしました」


 ダイニングでは、既に全員が自分の席についていた。

 お昼は合宿メニューとしては定番のカレーだったが、中身はどこのカフェかと思うくらいおしゃれだった。美味しそうなバターカレーとドライカレーの二週類が全員の器につがれ、焼き立てのナンが一枚ずつ置かれている。昨日の夕食時も言われたが、おかわりは自由だった。


「おいし~」


 頬を染めてうっとりとカレーの味に舌鼓を打つ咲也の周りには花が咲いた。


「ほんとこんな美味しいカレー食べたことない」

「流石藤宮家」


 他の生徒たちもまた、普段食べない味のカレーに笑顔を浮かべていた。


「ねえ、結局さっきの鍵はどうだったの?」


 やはり先ほどの件は気になるのか、一人が口にすれば全員の視線が由梨に集中した。

 注目されることに慣れていない由梨は、肩を強張らせて緊張する。


「空き部屋の鍵だったって言ったじゃない」

「でも、鍵を割っちゃったのは変わらないんだよね?」


 由梨の代わりに紗良が答えると、すかさず一人の生徒が問いかけた。


「いや、それはないよ。あの鍵はそう簡単に割れないようになってるんだ」

「そうなの?」

「ああ、気になるなら後でこの鍵を踏んでみてもいいよ」


 そう言って幸樹が見せたのは、さっき拾った割れたカードキー。


「じゃあ、どうしてその鍵は割れて落ちてたんだ?」

「さあ、それはこれから調べてみるよ」

「はっきりしているのは、あれは橘さんのせいじゃないってことよ」


 紗良の言葉に、由梨を見ていた数人が口を閉じた。

 ちょっとした事件の容疑者となっていた由梨は、ほっと息をついた。

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