第14話 死後の話
色々な苦難があったのだろうと、幸樹の口ぶりから察した由梨は乾いた喉を潤すために再びカップに口をつけた。
「他の者たちは順当に別の相手と結婚したかな。グレアムも、親戚筋からお嫁さんを貰ってエヴァーグリーン家を継いだし、フォルスも従妹と結婚してずっと俺の護衛をしてくれていた。フローリアと仲の良かったジラルド殿も、もともとの婚約者と結婚したし」
「エヴァーグリーン家はやっぱりグレアム様が御継になられたんですね」
グレアムはもともと、ダリアが王家に嫁いでしまうために、後継がいなくなるエヴァーグリーン家を継ぐ者として親戚から迎え入れられた子だった。しかし、ダリアが婚約破棄されたことで実家に残ることとなり、家督争いが起きるのではと一部では危惧されていたのだが、予定通りグレアムが継いだのか。
由梨の言葉に、ああ、と幸樹は頷いた。
「ダリアは学園を卒業後、東のアストランティア王国へ留学したんだ」
「留学!?」
「ああ。学びたいことがあるのだと両親を説得したらしい。婚約破棄のせいで嫌な噂も絶えなかったから、ほとぼりが冷めるまではいいんじゃないかと許しを得て、すぐに飛び出して行ってしまったよ」
アストランティア王国はウィステリア王国よりも教育制度が進んでいる国だった。現代のように皆が平等にというわけにはいかなかったが、男も女も関係なく、あらゆる教育を受けられる国に感銘を受けたダリアは、その後帰国すると女性の地位と生き方について改革を始めた。その活動はやがて王都を超えて国中に広まり、歴史に名を遺すほどになったのだという。
「ダリア様らしい……」
婚約破棄に傷ついていたはずなのに、ただ泣きくれるだけではなく、新たな道を見つけて邁進する姿が目に浮かび、由梨はそっと呟いた。
「私は学園であれだけの騒動を起こしたのに、結果は何も残っていなかった。思い返せば、王宮よりも自由の利く学園で初恋に浮かれていただけなのかもしれない」
幸樹は憂い顔で目を伏せた。
「多くのものに迷惑をかけて振り回し、たくさんの信頼を失った。いわば黒歴史だな」
今だからこそ言える言葉に、由梨もそっと目を伏せた。
「でもそうか、君は俺の即位後を知らなかったんだな。通りで……」
一人で納得して頷いている幸樹に、由梨は首を傾げた。
「グレイ王子?」
「それだよ」
「え?」
それと言われても、何と分からない由梨に、幸樹は苦笑して続けた。
「君は出会ってからずっと、俺のことを会長か王子と呼んでいるだろう? 跪拝したときだって、王太子殿下と呼んでいた。私は即位後、十年は王として玉座にいたんだ、普通なら陛下と呼ぶ。だからきっと、学園で不甲斐なかったことへの当てつけなのだろうなって思っていた」
「そんな!? 違います!」
完全に無意識だった由梨は、慌てて否定した。
由梨の中には、王太子殿下であった頃のグレイ王子しか存在しない。彼の即位以前に死んでしまった由梨には、彼を陛下と呼ぶ機会はなかったのだ。
「ああ、大丈夫。どうりでと言っただろう? もう分かったし納得した」
君は知らなかったんだねと苦笑する幸樹に、由梨は驚きで早鐘を打つ胸に手を当てながら深い息を吐いた。
現代と言えど、王太子殿下へ当てつけなど心臓に悪いことこの上ない。
「陛下と呼んだ方がいいですか?」
「いや、花恋は王子時代の話だし、王子で構わないよ。それに、ゲームに引っ張られたのか、今は王子時代の記憶が強く思い出されるから、俺もそっちの呼び方のほうがしっくりくる」
「会長も花恋をされたんですね」
「一応ね」
由梨と同じく、ゲームシナリオが前世通りであるか確認のためにプレイしたのだろう。
「だれルートにしたんです? やっぱりご自分の?」
「ちょっとだけ覗いたけど、すぐにギブアップしたよ。その後はグレアムにした」
自分の黒歴史に打ちひしがれたのは由梨だけではなかったようだ。
「でも、それで紗良ちゃんに当たるのって酷くないですか?」
「あの時は、当時の記憶に強く引っ張られてたんだ。それに予想外のライバルキャラ登場で混乱したんだよ。リリィ・マンダリンなんて名前聞いたことなかったし、ダリアはフローリアを買い物に誘う手引きをしてくるし。」
話す幸樹の眉は困ったように下がっていた。
「正直、こいつは誰だと腹立たしくもなった。真っすぐ私を見つめて叱咤してきたはずの口からは、聞いたこともないような優しい声で私を他者へ送り出す言葉が紡がれてる」
ふざけるなという感情が爆発したのだ。
「わけを聞こうにも誰に聞けばいいのか分からないし、それで常葉に当たってしまったんだ。ごめん、言い訳にもならないね」
うなだれる幸樹に、由梨はそれって、と困惑の表情を浮かべた。
怒りが湧いたのは分かるのだが、幸樹が怒ったのは、紗良が自分の悪事を他者に擦り付けたからではないように聞こえる。
そもそも花恋内で描かれている悪役令嬢の悪事は大部分が誇張されており、実際は彼女のせいではないことも多い。他の嫉妬した令嬢たちに名前を勝手に使われていたことも多く、それは婚約破棄後に辛酸をなめたというグレイ王子だって理解しただろう。
(会長が怒っているのはむしろ、逆?)
自分を他者へ送り出すダリアの姿勢に怒ったように聞こえ、由梨はなんと言っていいものかと言葉に困った。
「橘さんは誰ルートをしたの? 花恋やったんだよね?」
「あ、私はグレイ王子ルートを……その、初心者用だとオススメされて」
素直に答えたところで目の前に本人がいることに気づき、由梨は言い訳のような事実を付け加える。
「ああ、一番攻略しやすいチョロい王子様、でしょ」
しかし、幸樹が自嘲しながら言った言葉に、由梨は首を傾げた。
「攻略掲示板みたいなサイト、見たことない? そこで結構叩かれてるんだ。婚約者がいるくせにすぐヒロインに落ちる一番チョロい攻略キャラクターだって。まあ、事実だけど」
「え……」
確かに咲也からも一番簡単なルートだと聞いていた。てっきりそれはヒロインが王子様と結ばれるシンデレラストーリーの王道として、初心者向けに難易度が下げられているのかなくらいに受け取っていた。
だが、実際に花恋のプレイ者たちからはなかなか厳しい評価を受けているようだ。
「多少ご都合的に書き換えられてる部分はあるけど、大筋は外れてないところがまた痛いんだよね」
幸樹がそう言ってため息をついた。
◇◇◇
遅くなったから部屋まで送って行くよ、という幸樹の言葉を受け取って、由梨は会長の部屋を二人で後にした。。
すっかり話し込んでしまったことと、始まりが既に23時だったこともあり、気づけば深夜一時を回ってしまっていたことに幸樹は謝罪した。
「明日もあるのにごめんね」
「いえ、私よりも会長の方が忙しいですし。私も話せてよかったですから」
言いたいことを言い合って、互いに知らなったことを知ることが出来た。何より、長年貯め込んでいた前世についての気持ちを話せる相手が出来たことは、互いにとってとても大きな収穫だ。
互いに晴れやかな顔つきで廊下を歩く姿は、外から見た者がいればすでに友人のように見えただろう。
「あ、この部屋です」
「カードキーはある?」
「大丈夫です」
由梨は複製が作れないという乳白色のカードキーを扉に翳そうとしたところ、扉の下に何かが挟まっていることに気が付いた。
「これは……」
それは小さな白いシンプルなカードだった。
“卑怯者のリリィ・マンダリン。まだ罪を重ねるか”
「っ」
書かれた文字に声にならない悲鳴を零した由梨は、震える左手で口元を覆った。
カードの右下には、以前と同じくAriaの文字。
「ちょっと借りるよ?」
震える由梨の手から、幸樹がカードを取り上げた。
文面をよく見た後、裏返したり匂いを嗅いだり触れたりと確認していたが、パソコンで打たれた文字以外はただのカードだった。
「このカード、前のやつと同じだね」
「この合宿に、アリアが来てるってことですよね」
「どうやらそうらしい。とんだストーカーだ」
由梨は湧き上がる気味悪さに、震える手をぎゅっと握りしめた。
「でも、おかげでまた絞り込めました。学校関係者の中で、今回の合宿に参加したのは生徒会と文化委員の人間だけ。会長なら、その全員の名前と連絡先が分かりますよね」
「うん。かなり絞り込めるね。恐らく、該当する容疑者は一人だけだ」
「じゃあその人が……」
「たぶんね。ただ疑問は残る」
「誰なんですか?」
もともと由梨の知る学校関係者で前世の関係者は七人。そこからダリアやフローリア、グレイ王子を抜けばたったの四人だ。その四人のうち、今回の合宿で来ていた人物となれば、また絞られる。
「君のノートに書かれた人物で、今回合宿に参加しているのは二人。生徒会書記の五木楓と、音楽教師であり、生徒会顧問の鳳楽斗先生だ。そして、楓に記憶がないことは、中等部からの付き合いで俺が知っている。いくらなんでも、四年も隠し続けるなんて無理だろ?」
「そうですか?」
「楓が俺に嘘をついてるって? なんのために?」
「それはわかりませんけど、安易に信じるのはどうかと……」
「それを言ったら、俺もまたダリアとフローリアの件で同じことを君に言わないといけなくなるよ」
「……そうですね」
自分は証拠もなしに信じられると言っておきながら、王子の友人は信じられないというのは可笑しいだろう。
「ダリアとフローリアの記憶については君が、楓の記憶については俺が保証するでどうかな?」
「わかりました」
となると、残る容疑者は一人ということになる。
「鳳先生がこれを?」
「まだ分からない。疑問点があるって言っただろう?」
「なんですか、疑問点って」
眉間に皺を寄せて考え込む幸樹に、由梨は首を傾げた。
「鳳先生は音楽教師だ。つまり公務員ってこと。公務員は基本副業禁止だ。花恋のシナリオいライターは出来ないはずなんだよ」
「なるほど……」
「それに、アダン先生がダリアを庇う理由も、リリィ・マンダリンを貶める理由も分からない。あの方は王宮務めだったから、学園にくることはなかったはずなのに」
「そこは私も引っかかりました。リリィなんて話したこともないはずなのに、私の家のことをよく知っているなんて可笑しいです」
花恋のリリィ・マンダリンは、性格こそキツメに修正されていたが、実家の話やリリィの背景についてはほとんど事実のままだった。
関わったことのない人間があんなシナリオを書けたとはとても思えない。花恋を書いた人間はリリィのことをよく知っているのだ。
「でも、それを言ったら花恋のものでは無理じゃないか?」
「そうなんです……」
結局はそこに堂々巡りしてしまう。
リリィ・マンダリンは地味で目立たない平凡な下級貴族だった。王子やその側近たちと関わり合いに慣れるほど積極性も身分もある生徒ではなかった。
「どうしてリリィなんだろう」
「そしてそこに戻るわけか」
二人深いため息をついた。
「取り敢えず、今夜はもう遅い。早く休んでまた今度話そう」
「そうですね。わかりました」
部屋まで送ってもらっただけなのに、扉の前でまた話し込んでしまった。
「明日は会議で忙しくなるから。また時間の空いたときに連絡してもいいかな?」
「もちろんです。会長が忙しいのはよく分かりますから」
「ごめんね。でも、くれぐれも気を付けて。もしなにかあったら、廊下に飾ってあるやつ投げてもいいし」
「とんでもない!」
廊下に飾られている花瓶や皿はいかにも高そうで、とてもじゃないが投げられそうもない。
「撃退用じゃないよ? あれらには防犯用にセンサーがついていて、動かすと警備室に自動で連絡が行くんだ」
「そうなんですか」
さすが未来館。そんなところにもセンサーが付いているのかと、由梨はじっと廊下の花瓶を見つめた。
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