第13話 むかし話とすり合わせ

 夜、規則正しい生活を心がけている紗良につられ二十二時にはベットに入った由梨だったが、枕もとのスマートフォンの振動で目が覚めた。端末の時刻は23時。


(なに?)


 届いたのは藤宮会長からの呼び出しメールだった。


(これから会長の部屋へ来いって……当然のように呼び出すのに慣れてるあたり、やっぱり王子様ね。寝てたらどうするんだか)


 この別荘で一人部屋なのは主催である藤宮だけだ。

 夜に女性を呼び出すなんてと思うものの、無視することも出来ない。

 

 紗良を起こさないように慎重にベットを抜け出した由梨は、着替えると藤宮の指定した二階にある一番東の部屋へ向かった。薄暗く静まり返った廊下はどこか不気味で、由梨は薄く月明りの入る窓側に手をついて歩いた。

目的の扉を控えめにノックをすると、すぐに内側から鍵が開けられ扉が自動で開いた。


(さすが、未来館)


 躊躇いながら由梨が足を踏み入れると、リビングのソファーに腰かけた藤宮が待っていた。彼は由梨を待っている間に読んでいた本を閉じると、由梨に向かいのソファーを勧めた。


「飲み物は何が良い?」

「いえ、お構いなく」

「少し話がしたいんだ。夜も遅いし、良かったらハーブティーを淹れるけど」

「ならそれで」


 由梨が頷くと、藤宮は棚から客人用のカップを取り出してたった今まで自分が飲んでいたものと同じハーブティーを淹れた。


「先日は申し訳なかった」


 二人が落ち着くと、藤宮は向かいの由梨に深く頭を下げた。


「い、いえ、私も言い過ぎましたから」


 感情が高ぶっているときは言えたことでも、冷静になった今ではとても言えないだろう。小心者として自信のある由梨は、自分に頭を下げる王子という絵面からして勘弁してほしかった。


「それで話って、花恋の件ですか?」

「ああ、シナリオライター、藤アリア探しを私にも手伝わせて欲しい」


 真剣な表情の幸樹に、由梨は思わずどきりとした。


「藤アリアがうちの学校にいるのなら、見つけだしたいんだ」

「でも、別に犯人を特定しなくても、会長が困ることはないんじゃないですか?」


 花恋はあくまでゲームだ。プレイしている人たちは、あれが実際にあった異世界の歴史だとは夢にも思わないだろう。


「でも君は、藤アリアを見つけようとしていたはずだ。ノートに書いてあった」

「それは、そうですけど……」

「なら、俺にも手伝わせてくれ。生徒会長である俺なら、ある程度であれば全校生徒の情報を知ることも出来る」


 力になれるだろうと言う幸樹の言葉は、由梨にとって確かにありがいことではあった。

 生徒会長なら教員についても探りを入れられるだろうし、一人でぐるぐると悩むよりも人に聞いてもらえることで考えを纏められることもある。


 一番の目的は会長の誤解を解くことだったが、ここまで来れば藤アリアを特定したいという思いもある。

 何故リリィ・マンダリンをライバル役に選んだのか。


(警告文を送ってきたということは、私がリリィであることも知っているってことだし、やっぱいリリィに恨みがある人なのかな)


 誰かに恨まれたことのない由梨は、得体のしれない相手からの敵意に寒気がした。


「分かりました。よろしくお願いします」


 人手は多くあったほうが良い。

 由梨は会長からの申し出を受けることにした。


「こちらこそ、よろしく」


 差し出された手に由梨も右手を差し出し、互いに握手を交わした。


「ところで、彼には記憶はないのかな?」


 話に決着がつき、出されたハーブティーに口を付けていた由梨に、どこか落ち着かないようすの幸樹が問いかけた。彼というは十中八九、咲也のことだろう。


「はい、サクとは幼馴染なんですが、彼にも記憶はありませんよ。私、記憶がある人に会うのは会長が初めてです」

「そうか……俺も君が初めてだよ」

「五木書記にもないんですか? 彼もですよね?」

「ああ、楓にも記憶はないよ」


 残念そうな顔で答える会長の心境に、由梨も心当たりがあった。知り合いだと思った相手が自分のことを覚えていない寂しさは、体験したものにしか分からないだろう。


「中等部で初めてあいつに会った時は驚いたな。思わずグレアムと声をかけてしまって、かなり不審がられたよ。あいつ、見るからに日本人だから」


 友人と間違えたと苦しい言い訳をしたと苦笑する幸樹に、由梨も苦笑するほかなかった。


「そこから何度も話しかけて友人になったんだ」

「私も、サクと紗良ちゃんには自分から声をかけました」


 記憶がないと分かっていても、どこか面影を追ってしまう。


「重ねすぎるのも良くないとは思うんだけど、こればっかりはどうしてもね。でも誰も覚えていないから、一時期は俺の記憶違いかと随分悩んだよ」

「私もです! 私なんて、自分の勝手な妄想なんじゃないかって、サクのオーラを見る度に自己嫌悪してた時期がありました」


 高校生になって、記憶と感情を切り離して生活できるようにはなったが、それでも時折前世のことを考えては悩んだりもした。


「予想外の人物が身近に転生していたりして驚くんだ。でも、それを話して共有できる人も居なくて」

「分かります! 私も、前世の姉が近所に住むピアノのお姉さんになってて、びっくりしたことあります」

「俺なんて、今世の妹が前世の妻だったときはどうしようかと思った……」

「え……」


 幸樹の思いがけない言葉に、ヒートアップしていた由梨は思わず固まった。感情の昂りと共に体の前で振っていた腕を止め、驚きの表情のまま動きを止める。


「つ、妻って」

「あ、勘違いしないで。今世ではちゃんとただの大事な妹だから。もともとが政略結婚だったから、奥さんに恋愛感情は持ってなかったし」


 由梨の驚きを勘違いしたのか必死に弁解する幸樹だが、由梨が聞きたいのはそんなことじゃない。


「だいたい、当時の感覚でも年の差がかなりあったんだよ。親愛は築けても恋情は持てなかったんだ」

「そ、そうなんですか」


 由梨は幸樹の言葉に相槌を打つので精いっぱいだった。

 当時グレイ王子とフローリアは同じ年だった。ということは、明らかにグレイ王子の伴侶はフローリアではない。


(二人は結ばれなかったんだ……)


 予想外に二人の結末を知ってしまったと、由梨は居た堪れなかった。

 しかし、今なら由梨が知ることの出来なかったリリィの死後の話を知ることが出来る。


「あの、失礼を承知で伺うんですが」

「うん? なに?」

「フローリアさんは、どなたと結ばれたんですか?」

「え?」


 由梨の問いに、幸樹は何を聞いているんだと目を見開いた。


「それは、俺を揶揄ってるの?」


 戸惑いの中に怒りを感じさせる声音に、由梨は緊張しながらも首を振った。


「いいえ、本気で聞いています」

「知らないはずないよ。王都中で話題になったじゃないか」


 知らないはずはないと思い込んでいる幸樹に、由梨は言いにくそうに口を開いた。


「私は、リリィ・マンダリンは、実は卒業式の前日に事故死しているんです」


 由梨の言葉に、幸樹は驚きに目を見張った。


「……そう、だったんだ」

「はい、だからフローリアさんを巡る皆さんの結末を知らないんです」


 ずっと気になってはいたものの、聞ける相手もおらず諦めていたことだった。しかし、花恋が前世の出来事に沿って作られている以上、聞けることなら知っておいた方がいいだろう。

 由梨の主張に、幸樹はどこか痛まし気な表情を浮かべたが、すぐに切り替えたように頷いた。


「分かった。まず、フローリアの結婚相手だけど。彼女は学園で話題になっていた相手のうち、誰とも結ばれていない。花恋で例えるなら、攻略対象とされた人物のうち、誰とも結ばれなかったんだ」

「え、そうなんですか?」


 由梨の驚きに、幸樹は普通驚くよねと眉を下げた。


「彼女は卒業後、誰にも言わず隣国へ出奔した。つまり、俺を含めて全員が彼女に振られたってわけ」

「出奔って……」

「その辺は色々あってね。今はこれ以上あまり言いたくない」

「わかりました」


 幸樹の強い拒絶の意思を感じ、由梨はフローリアのその後についてそれ以上聞くのをやめた。


「じゃあ、グレイ王子は別の方と?」

「そう。自分から婚約破棄しておいて、今更ダリア嬢にもう一度なんてあり得ないし、彼女で無理だったのに自分が婚約しようなんて御令嬢は同年代にはいなかったんだ」


 それだけダリア・エヴァーグリーンという令嬢の力は大きかった。

 同派閥の家からは一方的な婚約破棄による不満が溜まっていたし、対抗派閥には、ちょうどよい年齢の令嬢がいなかった。政治的なバランスも考えねばならず、王子の婚約相手について、それから数年まとまらなかったそうだ。

 罰が当たったんだと話す幸樹の表情には、深い後悔が浮かんでいた。


「それから数年後、同派閥伯爵家の娘が婚約者になったんだ。婚約当時で妻は七歳。俺は二十歳。十三歳差はキツかったなあ」


 現代でこそ年の差婚という言葉をよく聞くが、前世のウィステリア王国では後妻でもない限りは滅多に聞かなかったはずだ。


「国もごたついてて、結婚できたのは婚約から七年後。奥さんが十四になった頃だから、奥さんにも大変な思いをさせてしまったよ」


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