第11話 文化祭準備合宿

(うっわ、広っ)


 目の前に広がる豪邸に、由梨は脳内で乙ゲーかっ!と渾身のツッコミを入れた。

 七月の中頃。三連休となるその日に、由梨は紗良の頼み通り文化祭準備の合宿に参加することとなった。しかし、宿泊場所は当初予定していた施設ではない。


「すげー豪邸。あ、庭もある」

「藤宮財閥所有の別荘だってよ」

「これが別荘かよ。本邸はどうなるんだ」


 合宿に参加する他の生徒たちの感想に、由梨も大いに頷いた。

 自然溢れる山の麓に位置する白亜の豪邸は、まるで乙女の理想をぎゅっと集約した小さなお城のようなものだった。


「しかも、外観はこんなファンタジーなのに、中身はまるで近未来みたいなハイテクぶりだもんな~」


 しみじみと頷く男子生徒に対して、由梨も心の底から同意した。

 扉はリビングのドアから私室のクローゼットまで、全て人が近づけば開く自動ドア。空調はAIによる自動温度管理。掃除は人の手も入るようだが、基本は自動ロボット数台によって磨かれており、その他ほとんどの電化製品がセンサーにより手をかざすだけで、もしくは音声でオンオフ可能となっていた。


 まさに現代の科学技術を駆使した近未来館だった。

 ここは藤宮幸樹生徒会長の実家が所有する別荘の一つだった。


「文化委員の部屋割りは二階らしいけど、手伝いの橘さんは私と同じ部屋よ」


 部屋のカードキーを一つ渡された由梨の隣で、咲也が目を輝かせている。今日は文化委員である咲也も参加していた。


「由梨ちゃんの部屋に遊びに行くね。花恋で新イベントやってるから、夜は一緒に走ろう」

「えー」


 花恋と聞いて由梨は気まずげに頬を引きつらせる。


「夜は外出禁止よ。山の中なんだから、勝手に出てマラソンなんてやめてよね」

「え?」


 眉を寄せて苦言した紗良の言葉に、咲也はきょとんと見返した。


「それに、男子は夜21時以降は女子の部屋へ侵入禁止です。勝手な行動は許しませんから」


 ふんと鼻を鳴らす紗良に、勘違いに気づいた咲也がおっとりと訂正した。


「あ、走るってマラソンじゃなくて、ゲーム内のイベントを進めるって意味だよ」

「そ、そうなの?」

「そうそう。流石に夜の山でマラソンはしないよ~」


 ほけほけと笑って否定する咲也に、紗良の頬は羞恥でほんのりと赤くなる。


「紛らわしい言い方しないでよ……」

「ごめんね。ついゲーマー用語が出ちゃった」


 あははと笑う咲也はおっとりとしていて、その言葉に嫌味は感じられない。そのことに気を取り直した紗良は、別のカードキーを咲也に渡した。


「このカードキー、複製は簡単に作れないものらしいから、無くさないように注意してね」


 手渡されたキーは手のひらサイズのつるりとした薄い板で、乳白色に光るカードはそれだけで不思議の国の扉を開けそうな雰囲気があった。


「見るからに特別って感じの鍵だよね。鍵だけじゃなくて、お屋敷全部がファンタジーみたいすっごくワクワクする!」


 ファンタジーが大好きな咲也は瞳がキラキラと輝いており、由梨は微苦笑した。 


「でも、どうして急に宿泊場所が変更になったの? いつもの施設だって、予約いっぱいだったわけじゃないんでしょ?」

「問題なく借りられたわ。合宿は毎年のことだから、施設側もそれなりの空きを確保しておいてくれてるのよ。それなのに、あの生徒会長が無理やり自分の別荘に変更したの」


 由梨が疑問を口にすると、それに反応して紗良が憤慨した様子で訳を話した。


「急にちょうどいい場所があるとか言って、もともと手配していたバスや宿を丸ごとキャンセルして勝手にここに変更したのよ。会長所有だから宿泊料金は発生しないし、お詫びとか言って交通手段も用意されてたら誰も反対できないわ」


 むしろ高級ホテル並みの豪邸に泊まれるとあって、委員会メンバーからは喜びの声があがっていた。


「なんで会長は別荘にしたんだろ?」

「さあ? この間、突然今まで悪かったって頭を下げてきたの。思わず熱でもあるんじゃないかって額に手を当ててしまったわ。結局熱はなかったみたいだけど。今までのせめてものわびにって、この施設を手配したって言われて、あれよあれと決められてたのよ」


 紗良の言葉に、由梨は内心納得した。

 先日のやり取りが原因かは分からないが、多少会長の心境に変化があったのなら、それは良いことだ。


「あとは、前の施設の水回りが嫌だったみたいね」

「ああ、分かる。確かあの施設のトイレって和式しかなくて、風呂は共用の古い大浴場だったもんね」


 中学のころに一度だけ行ったことがある。年季のいった施設は外観や室内は改修されて綺麗になっているが、トイレや風呂場といった水回りが未だに古いままで、生徒にはなかなか不人気だったはずだ。


「来年度に大掛かりな改修工事をするとのことだったから、確かに古い建物だったのは認めるけど」

「いや、水回りは大事だよ。私もあれはちょっとやだったし」


 人によっては建物が古い程度と思うだろうが、由梨にとっては大いに重要な点だ。そして恐らく、会長にとってもそうだったに違いない。


「人間、一度良い環境を知っちゃったらもう戻れないんだよね……」


 つい過去に思いを馳せ、由梨の目は遠くなった。

 かつて、現代日本よりも科学技術が低く、あらゆる機関が発達していなかったウィステリア王国は文化水準も低かった。その辺、花恋内では大いに省略、補正されているようだが、本来のウィステリア王国に水洗トイレはなかったし、そもそも水回りが発達していなかったので毎日お湯につかる習慣もなかった。


 下水施設もなかったため王都の川の水はあまり綺麗ではなかったし、異臭を誤魔化すために香水を乱用するご婦人も多かったので、夜会は慣れない者にとっては恐ろしい悪臭の場でしかなかっただろう。


 無論、由梨がそれらに強い不快感を抱くようになったのは、現代の清潔な水事情に慣れたからであって、リリィであった頃はそれが常識であり、当時も好感を持つことはなくとも、耐えられないほどの不快感を持ったこともなかった。


 しかし、人間一度良い環境に慣れてしまえば、かつての悪環境に耐えられるはずもなく。かえって前世での水事情を知っているだけに、現代技術の有難みが身に染みて分かるものだった。


(会長ほどの権力を持っていれば、わざわざ古い施設に行かなくてもいいもんね)


 由梨だって、古めかしい施設よりハイテク技術を詰め込んだ豪邸は大歓迎である。

 合宿と言っても終日会議をするわけではなく、初日は親睦を深めようということで、早めの夕食後は自由時間となった。


「これはそう、女子会だね!」

「なんでよ!」

「え、するよね。せっかくのお泊りなんだし。初日は親睦を深めようって聞いたよ」

「それはそうだけれど。そもそも貴方女子じゃないでしょう」


 はしゃいだ声をあげる咲也におされ、紗良はたじろいだ。

 小学生の頃からの付き合いである由梨は慣れているが、咲也の押しの強さは付き合いの浅い紗良にはまだまだ躱せない。


「なら親睦会ってことで、いっぱいお話しよう!」


 既にジャージに着替えた咲也は、わざわざ持ち込んだのか可愛らしいアザラシのぬいぐるみを抱きしめて紗良に迫った。


「は、話せと言われても、私に話せるようなものはないわよ、他を当たりなさい。というか、なんでわざわざそんなもの持ってきてるのよ、邪魔じゃない」

「僕この子がいないと眠れないんだもん」

「だもんって貴方ね、幼児じゃないんだから」

「ねえねえ。コイバナ~」

「このっ、人の話を聞かないわね」

「はいはい、サク、ストップ。紗良ちゃん困ってるよ」


 だんだんと壁際に追い詰められている紗良に、由梨は呆れ顔で静止をかけた。ほっと息つく紗良を他所に、止められた咲也は不満顔だ。


「それに、花恋のイベント走るんじゃなかったの?」

「はっ、そうだった!」


 由梨の指摘に自分で言っていたことを忘れていたのか、咲也はさっと自身のスマートフォンを取り出すと、素早くゲームを起動させた。


「今回はイベントポイントを稼いで競うハイスコアイベントだった! 出遅れた!」


 画面に向かって吠えている咲也の変わり身の早さに、紗良はややあっけにとられた表情をしていた。


「一部屋一部屋にソファーとリビング、バスルームまでついてるなんて、どこのスイートルームだって感じだよね。紗良ちゃんも一緒にくつろごうよ」


 既にソファーの一角を陣取ってスマホを構えている咲也に、由梨は慣れたように向かいのソファーに座った。ふわりと身が沈む感覚に、うわっと一瞬驚きの声をあげる。


「なにこのソファー、ふっかふか。人を駄目にするタイプのやつだ。この部屋に泊まれるだけでも、合宿の雑用係がけっこう美味しい話になるよ」

「まあ、そこはあの会長に感謝しなくもないわね」


 一連の流れに置いて行かれたように突っ立っていた紗良だが、咲也と由梨の自然体な様子にふっと肩の力が抜けたようだった。


 室内に置かれている調度品も全て高級品のようで、チェスト横に置かれた花瓶などは、由梨は怖くて触れそうになかった。部屋にはそれぞれ冷蔵庫もあり、開けてみると高そうな水のペットボトルが入っていた。


「ほらほら、由梨ちゃんも早く起動して。今回のイベントは豪華なアイテムをいっぱいもらえるんだから、やらないと損だよ」


 急かすように体を揺らす咲也に、隣に座った紗良は振動が伝わり顔をしかめた。


「ちょっと、子供みたいに揺らさないで。落ち着きのない子ね」

「えへへ、それほどでもないよ」

「全く褒めてないわ。どう聞いたら褒められていると思えるの」

「大丈夫、分かるよ。元気な子って言いたかったんでしょ?」

「言ってないわよ!」


 ポジティブを素で行く咲也に絡まれ、紗良は長い目を吊り上げて声をあげた。

 真面目な紗良の性格上、いちいち突っ込まずにはいられないらしい。


(ほんと、難儀な性格してるよ)


 なんだかんだとテンポよく会話している二人の漫才を聞きながら、由梨は己のスマートフォンを取り出した。


「あ、せっかくなんだから紗良ちゃんもアプリ入れなよ」

「なっ、そんな生産性のない遊びで、親からもらったお金を使うつもりはないわ」

「大丈夫だよ、インストールするだけなら無料で遊べるから」

「……そうなの?」


 無料という咲也の言葉に、紗良は驚いたように目を見開いた。

 あまりアニメやゲームといった娯楽に触れてこなかったのか、紗良は無料という言葉に驚くと、続いて胡乱気に咲夜を見返した。


「無料で配信していて、その会社は採算が取れているの? ただより高いものはないって言うわよ」

「確かにゲーム内課金って有料制度があるけど、それは使うか使わないかの選択権が本人に委ねられてるから、勿体ないって紗良ちゃんが思うなら使わなければいいんだよ」

「自制心が試されるゲームなのね」

「そうそう!」


 咲也の説明に、なるほどと頷く紗良。

 結局、咲也にのせられて紗良もまたアプリをインストールした。


「私、スマートフォンでゲームをするのは初めてだわ」

「結構楽しいよ。レベル上げのコツとか、色々教えてあげるね」

「ええ」


 なんだかんだと楽しみだした紗良を、咲也微笑まし気に眺めていた。

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