第10話 元モブ令嬢と元王子様

(やっぱり、ノートがない……)


 その後、保健室に届けられた荷物のなかに、あのノートはなかった。

 由梨は額に手を当ててうなだれた。


(これは完全にバレたな)


 よりによって、シナリオライターの考察をしているときに会長が現れるとは思わないではないか。

 タイミングの悪さに絶望していると、保健医不在のひとりきりの部屋の扉が静かに開けられた。


 時間的に午後の授業真っ最中であるため、外の廊下は静まり返り、時折窓の外から体育の授業をしている声だけが聞こえる。そんな中、入ってくる人物がいるとすれば、それは教師か保健委員か、はたまた……。


「具合はどう? 橘さん」

「藤宮会長……」


 予想通りの人物に、由梨は緊張した声になった。


「授業、サポっていいんですか?」

「橘さんが心配だったんだ」


 俺の目の前で貧血を起こしたから、結構びっくりしたんだよ、と微笑む藤宮は美しく、由梨は彼に被るオーラに眩し気に瞳を細めた。


「それに、授業中なら邪魔は入らないよね」


 甘い声で優しく微笑む会長は、見る人を魅了してやまないだろう。人を惹きつける才能は、生まれ変わっても変わらないのかもしれない。


「……そうですね」


 由梨は観念したように肩を落とした。


「単刀直入に聞こう。君は、誰?」


 藤宮の問いに由梨は覚悟を決め、一度呼吸を整えると静かな声で答えた。


「私は、高等部一年八組橘由梨。ずっと昔、ウィステリア王国マンダリン家の次女リリィと名乗っておりました」

「……リリィ・マンダリン?」


 最近になって聞きなれた名前に、藤宮は瞳を丸くした。

 スマホゲームとして実装された花恋の世界では、リリィ・マンダリンはヒロインのフローリアと敵対関係にある。しかし、実際の前世ではリリィは平凡で影が薄く、グレイ王子と関わることなどまずなかった。当然、彼に名前を覚えられているはずもない。


 自分の記憶にない人間については、いくらオーラを見ようが藤宮が分かるはずもなかった。


「そう、君が……君にも、記憶があるの?」

「あります。お初にお目にかかります、グレイ・ヴィア・ウィステリア王太子殿下」


 由梨は滑らかな動きでその場に跪拝した。それはただ跪くのではなく、もう見るはずのないウィステリア王国の正当な形式に則った礼であり、藤宮は由梨の言葉が真実なのだと疑う余地もなかった。


「君が、リリィ・マンダリン。じゃあ何故ダリアの味方をしている? 彼女は君を悪役にしているのに」


 続いた藤宮の言葉に、由梨はすっと瞳を細めた。


「勘違いをしないで下さい」


 由梨は藤宮が記憶の有無を信じたと分かると、さっさと立ち上がった。

 自然とお腹に力が入った。


「紗良ちゃんは私の友人です。彼女がどういう人間なのか、現世では短い付き合いですが知っています。それに彼女にダリア様の記憶はありませんよ」


 分かるでしょう?と問いかける由梨に、藤宮は顔を顰めた。


「確かに記憶がないように見えるけど、ただのフリかもしれない。昔から、彼女はとぼけるのが上手かった」

「何故そんなフリをする必要があるんですか」

「君もあのゲームについては知っているんだろう? ノートに色々書いていたね。彼女はゲーム内で君に罪を被せて自分を優しい人間にしたいんだよ」


 そのためにシナリオを捻じ曲げ、己に都合の良い歴史をゲームによって刻んでいるのだと主張する藤宮に、由梨はだんだんと腹の奥に熱が溜まっていくのを感じていた。ふつふつと湧き上がるその熱は、やがてエネルギーとなって由梨の口を勢いよく動かしていく。


「自分に都合がいい話をつくりたいのなら、ダリア様はフローリアさんと入れ替わってますよ。もっとも、ダリア様が彼女の立ち位置を羨んでいたらの話ですけど」

「だが、彼女以外にシナリオと人物を入れ替えて得する人間はいないじゃないか」

「彼女を愛していたものが、せめて汚名を雪ごうと考えた可能性はありませんか」

「まさか、」

「彼女が誰からも愛されていなかった、とでも?」


 驚く会長に、由梨は苛立たしく問いかけた。返答に困る辺り、彼は半ば本気でそう思っていたらしい。


(ダリア様は、この方と婚約を破棄して正解だったわ)


 その一点について納得しながら、由梨は一度気を静めようとポケットから先日届いた警告文の紙を取り出した。

 ここまで来ればもう、藤宮会長は完全にシロだ。


「これが、昨日私の靴箱に入っていました」

「これは……」


 警告文に目を見開く藤宮。


「差出人はAria。恐らくゲームシナリオを書いた人物と同じ名前です」

「……つまり、犯人は学校内にいる?」

「私もそう思っています。なんの因果か、花恋の攻略対象にされている人物は全員、この学校にいるようですから」


 そう、由梨がノートに書き連ねた四人の人物は、全員が花恋の攻略対象となっていた。リリィの知る限りフローリアと接点のないと思っていたアダンも攻略対象となっており、これはわざととしか言いようがない。


「これでもまだ、紗良ちゃんのことを疑いますか?」

「それは……」


 藤宮の瞳が揺れる。信じたくない思いと、信じるほかないという思いが交差して迷うように揺れていた。


「本来の記憶を考えても、私は彼女を信じます。……グレイ王子も、本当は分かっているはずです」


 由梨は、躊躇いなく藤宮を正面から立って見返した。

 かつての王太子の影がちらつくも、現世の藤宮と由梨は同じ学生として対等だ。分かりやすく示すため跪拝の礼を見せてたとしても、由梨の心は決して藤宮に平服などしていない。

 もう、違うのだから。


「紗良ちゃんは糾弾されるようなことは何もしていない。今も、かつても」


 由梨の言葉に、一瞬だけ藤宮の顔に痛みが走った。

 それは、恐らく藤宮の記憶に刺さった棘なのだろう。犯してしまった過ち。尽きることのない後悔と、結果に対する責任の重さ。

 それを瞬きひとつで隠してみせた藤宮に感嘆しつつ、由梨はもういいだろうと息をついた。


「そう、かもしれない」


 絞りだすように言われた言葉で、今は手を打とう。

 後悔と痛みを覚えているのなら、これ以上彼が過ちを繰り返すことはきっとないと信じて。


(ちょっと引っ張られちゃったな)


 記憶に引きずられて口調までもがリリィのようになってしまったが、由梨は自分を取り戻すように深く深呼吸した。


「……お前のような芯を貫く令嬢が、下級貴族にもいたのだな」


 藤宮の言葉に、由梨はぐっと奥歯を噛み締めた。

 藤宮というより、今のはグレイ王子の言葉なのだろうが、それは偏見だと由梨は思った。


 貴族に生まれた令嬢たちは、始めに生家から花となれと教えられる。

 殿方の目を楽しませ、時に寄り添い心と体を癒し、のちに子孫を残す。生まれながらにそう躾けられる彼女たちには、家の位によって求められる振舞いも違いがあった。


 高位の家柄であれば、下の者を導く堂々とした威厳ある振る舞いを。低位であれば、上の者を支えるために粛々と思慮深く。彼女たちの振る舞いに違いがあるとすれば、そのくらいだ。


 数多の令嬢から憧れを注がれてきた王子が誤解するの仕方のないことかもしれない。見たくもない女同士の醜い部分も知っているだろう。しかし、彼女らの振る舞いを令嬢というだけで傲慢や嫉妬に表現されることが、由梨は苦手だった。


「私の行動が貴方に強く見えたのなら、それは現世だからです。前世であれば、私はきっとまた、かつてと同じ行動を取ったでしょう」


 友人を守れなかったことを深く後悔している。しかし、再びあの場に立てたとして、自分の出来ることは変わらないのではないかとも思っている。周囲に溶け込み、周囲に合わせて行動する。下級貴族が己が身と家を守るために出来ることは少ない。


「だから…………いえ」


 由梨は言おうとした言葉を飲み込んだ。

 遠い過去なのに、これを言うのは狡い。


「ここには爵位も何もない。私は、今度こそ間違えたくないんです」


 由梨は藤宮とすれ違うと保健室を後にした。


◇◇◇


 立ち去った由梨にを無言で見送り、幸樹は天を仰いだ。


『貴方も、分かっているはずです』


 真正面から睨まれたのは久しぶりだった。


(あんな強い目をしたやつだったのか)


 藤宮幸樹として生を受けて十六年。同じ前世の記憶持ちと出会ったのは生まれて初めてだった。


 リリィ・マンダリンという令嬢のことは正直全く記憶になかった。だからこそ、彼女に出会ってもすぐにはそれと気づかなかったわけだが、橘由梨に関しては紗良の友人ということで少しだけ知っていた。

 彼女の存在を知った時、勝気で人付き合いの不器用な紗良に口を開けて笑い合う友人がいたことに衝撃を受けた。


「こんなところにいたのか」

「楓」


 どれくらいそこに立っていたのか、不意に声を掛けられて幸樹は顔をあげた。

 書類束を持った黒髪の少年が眼鏡を押し上げながら立っており、幸樹はその名を呼んだ。


「文化祭予算案のことで話があったんだが……出直す」

「どうして? 聞くよ」


 探していたと言いつつ帰ろうとする楓に、幸樹は呼び止めるも返ってきたのは呆れた表情だった。


「鏡見たらどうだ。そんな酷い顔しておいて、予算案の数字を間違えられるのは御免だ」

「酷い顔、してるかな?」

「随分と憔悴しているように見える」

「そう……」


 正直な楓の返答に、幸樹は気が抜けたようにうつ向いた。


「何かあったのか?」

「まあ、少し?」

「少しじゃ分からない。聞かれたくないならしゃんとしろ。うつ向いてるならわけを話せ。だらだらと落ち込むだけなら会議の邪魔だ」


 一切の慰めのない友人の言葉に、幸樹は苦笑した。


「お前は、いつも容赦ないな」

「いつの話をしているのかさっぱりだが、うじうじしているやつにご丁寧に手を差し出すほど、俺は優しくない」


 楓は眼鏡を押し上げてため息をつくと、持っていた書類を指ではじいた。


「予算案は生徒会室のお前の机に置いておく、明日の会議までには目を通しておけよ」

「あ、ああ」

「あと、いい加減、子供みたいに常葉に当たり散らすのは止めろ。委員会の中にも、お前の言動に疑問をもっているやつが出てるぞ」


 幸樹と紗良の仲が悪いことは、互いが有名人であることから学年中で知られていることだ。しかし、その実、幸樹が一方的に紗良を嫌っているだけということを知っている人間は少なかった。

 紗良が一方的に言われるだけの女子生徒でなく、不当な言いがかりをつけられれば反射で言い返す性格だっただけに、今まで幸樹の理不尽さが浮き彫りにならなかったのだ。しかし、ある程度傍で見ているものなら、幸樹の接し方にこそ大きな問題があるのだとすぐ気づく。


 現に、目の前の五木楓はすぐに気が付き、幸樹に真っ先に苦言してきた。

 それを分かっていながら、過去から引きずった私怨でずるずると続けていたのは幸樹の弱さだった。


「そう、だな。俺が悪かった。もうやめるよ。明日、常葉にも謝らないとな」

「……随分と聞き訳がいいな。今まで何度言ってもやめなかったくせに」

「ああ、随分ときついジャブを食らったあとだからかもしれない。自分の愚かさを再認識させられたよ」

「なるほど」


 幸樹の言葉に、楓は紗良絡みで落ち込んでいると悟ったのだろう。

 釣り上がっていた瞳をやや和ませて、落ち込んでいる幸樹に苦笑を見せた。


「お前に進言してくれたその子に、感謝するんだな」


 呆れを滲ませながらも、どこかほっとした様子で笑う楓に、幸樹は胸が痛くなった。


 かつて、同じように苦言してくれたにも関わらず、最後までそれを聞き入れなかった時間があることを思い出した。友人として気さくに接していたはずなのに、日に日にその表情に陰りが滲んでいき、気づいたころには修復不可能なほどの溝が出来上がっていた。

 それを作りだしたのは自分だと、当時は認めることさえ怖くて出来なかった。


(また生まれたときに、同じ後悔はしないと決めたはずなのにな)


 幸福な日々に埋もれて、すぐに忘れてしまったのだろうか。

 白状な自分が今度こそ忘れてしまわないように、幸樹は強く拳を握りしめた。

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