第8話 犯人捜しの考察

(問題は誰がってことよね)


 翌日、由梨は図書室の奥で弁当を食べながら考えていた。

 次回の放課後当番が回ってくるのは当分先だが、上級生より用事が出来たので当番を変わって欲しいと頼まれてしまえば、一年生の由梨に断ることなど出来ない。


 普段ならついてないと肩を落とすところだったが、一人で考え事をするのに図書室は持ってこいの場所だ。由梨は頼んできた上級生に快く了承した。


(教室じゃ、サクがいて落ち着かないからね)


 迷惑というほどでもないが、話すことが好きな咲也は、日々興味を持ったことを由梨に聞いてもらおうと話しかけにやってくる。長い付き合いの由梨には決して苦ではないが、深く考え事をしたいときになどは、なかなか苦労もする。

 静かな図書室の奥、衝立で仕切られたスペースで由梨は一度頭の中を整理しようと、一人お弁当をつつきながらノートを開いた。


(今のところ、私が知ってる前世関係者は私を抜いて八人。その内、学校関係者となると七人か……)


 前世でリリィの姉カトレアだった女性は、今は橘家の近所に住んでいた音大生だ。県外の大学に進んだとあって今は実家を離れて一人暮らしているらしいので、当然容疑者からは外れる。

 由梨は覚えている七人の名前を前世と現世をセットでノートに書きだした。


(あとは、前世でダリア本人である紗良、それに咲也も違うわね)


 自分で自分に近づくなとは言わないだろうし、フローリアにダリアを庇う理由はない。あとは完全な主観だが、あの二人ならリリィである由梨を嫌っていてもこんな回りくどい手は使わないだろう。

 由梨はダリア・紗良とフローリア・咲也の名前を二重線を引いて消した。


(藤宮会長も恐らくシロだ。寧ろあの人は勘違いして紗良ちゃんを責めてるくらいだし)


 紗良を責めている姿がただのフリだったらまんまと騙されることになるが、今のところは暫定で容疑者から外してもいいだろう。

 由梨は藤宮・グレイの名前を消し、残った名前は四人となった。


 一人目は、前世では宰相家の嫡男であり王子の側近だった、グレアム・エヴァーグリーン。彼は現代でも、生徒会書記の五木楓として、藤宮会長を支える立場にいる。

家名が示す通り、彼はエヴァーグリーン家の遠縁の子で、一人娘しかいなかったエヴァーグリーン当主の後継ぎとして引き取られたダリアの義弟だった。


 彼がエヴァーグリーン家に引き取られたのは初等部に上がった頃。その頃からダリアと距離を取り始めたリリィは、グレアムとの接点はほとんどなかった。また、彼もフローリアに惹かれた男性の一人であり、どちらかといえばダリアとは敵対関係にあったはずだ。しかし、家族の情が生まれた可能性は否定できない。

それほどに由梨はグレアムと言う人間についても、五木楓という人間についても知らなかった。


 二人目は、前世では代々王家に仕えた騎士家の三男であったフォルス・ブラック。

フォルスは名門騎士家の三男として生まれながらも、リリィの印象ではあまり目立つ人間ではなかった。彼の父親は近衛騎士団の団長として有名であり、兄二人もまた、田舎貴族のリリィでも耳にしたことがあるほど有名な騎士だったが、肝心のフォルス自身は目立ったところのない青年だった。

 それが変わったのは高等部に入ってフローリアが編入してきた頃だ。きっかけは知らないが、フォルスは王子の護衛兼側近候補として見違えるほど変わり、それ以降はグレイ王子を護衛しつつフローリアの騎士の様になっていた。


 ダリアとの接点はほとんどなく、リリィがフォルスに恨まれる心当たりもないが、彼は現代で黒川南斗と言う名の高等部二年生で、剣道部のエースと呼ばれている。同じ学校である以上は容疑者の一人だ。


 三人目はリリィたちの一つ上の先輩だったジラルド・ロイヤール様。彼の母親は慈善事業に力を入れていた方で、その関係からジラルドとフローリアは学園へ編入前からの幼馴染だった。遠目に見ていた限りでは、ジラルドは貴族社会に慣れないフローリアを助け、兄のように接していたように思う。

 そんな彼は、現代では宮永司紗という名の由梨たちの先輩であり、由梨と同じ図書委員会に所属している。


 由梨と一番接点があるのは宮永先輩だが、ジラルド様にもリリィは恨まれる心当たりはなかった。


(そもそも、ゲームの改変も警告文も恐らくはダリアである紗良のためのもの。でもこの人たちは皆ダリアではなくフローリアの関係者……)


 最後の四人目は、宮廷楽団長のアダン・メークス。彼に関しては、リリィは式典の際に遠くから見かける以外なにも接点がなかった。王宮に仕える楽士と王立学園の生徒で関わることなどあるはずもない。


 現代での彼は生徒ではなく教師だ。由梨たちの音楽教師である鳳楽斗が前世関係者だと気づいたのは、彼の授業を三回ほど受けた後だった。

 当然、アダンにも鳳先生にも恨まれる覚えなどない。


(アダン様はフローリアにも関わりはなかったはず。鳳先生も除外して良いかな)


 アダンが接点があったとすれば、王宮で楽器指導をしていたグレイ王子だろう。しかし、王子の関係者であれば、フォルスやジラルドと同じくダリアのために行動するのは疑問が残る。


(となると、一番可能性があるのは義弟であるグレアムこと、五木書記か)


 由梨はノートの名前下に強調の二重線を引き、飲み物を手に取った。

 考え事で疲れた脳に甘酸っぱいオレンジジュースが染み渡る。


(でも、あの人藤宮会長と仲良いはずだよね。同じ生徒会だし、こんな回りくどい手でダリアを庇っているのなら、会長の誤解のせいで紗良が責められてるの止めてくれそうな気もするけど)


 会長の隣を歩く気真面目そうな眼鏡の青年を思い浮かべて、ううんと由梨は唸った。

 物思いにふけっていた由梨は、扉を叩く音ではっと顔を上げた。


「はい」


 返事をすると、由梨が立ち上がる前に引戸の鍵が開けられ、現れた人物を衝立越しに見て由梨はびしりと硬直した。


「失礼します」


 良く通る声と共に、堂々とした足取りで入室してきたのは藤宮会長だった。


(グレイ王子再びー!!)


 突然の遭遇で内心絶叫する由梨を他所に、グレイ王子こと藤宮生徒会長は真っすぐ由梨のもとへやって来た。


(やばいっ、ノート!)


 記憶があるかもしれない藤宮会長に、前世の名前等を書き綴ったノートを見られるのは大変具合が悪い。由梨は瞬間的に手元のノートを閉じた。


「ふ、藤宮会長どうかしました?」

「昼休みはもうすぐ終わるよ。そろそろ片付けた方がいいんじゃない?」

「あ、すみません」


 ノートの横に広げられっぱなしのサンドイッチを見ながら言われ、由梨はそれにも手を伸ばしてランチボックスを仕舞った。


「それで、ご用件は……」

「図書室に灯りが付いているのに鍵がかかっていたから、生徒の消し忘れかと確認しにきたんだけど」


 違ったようだねと苦笑され、由梨は引きつった笑みを返した。


「人が来ないから寛いでしまうのは分かるけど、流石に鍵をかけるのは止めたほうがいいよ。」

「す、すみません……」

「まあ、気持ちは分かるから、ほどほどにね」

「はい」


 素直に謝った由梨に、藤宮は頷くと踵を返した。

 てっきり何か言われるのではないかと身構えていた由梨は拍子抜けした。


(まあ、そっか、殿下はリリィを知らないだろうし)


 ぎこちなく対応する由梨に対して、会長はいたって普通の接し方だ。以前零れ落ちた名前も聞かれなかったのか、たいして気にしていないのだろう。

 自分の早合点だったと結論づけた由梨は、ほっと肩の力を抜いた。


「今後は気をつけます」

「分かってくれたのならいいんだ。それと、俺も図書室に用があったんだ。委員会の人がいるならちょうど良かった」

「用?」


 由梨は生徒会長の言葉に首を傾げた。


「学校の文集を見たいんだ。高等部の分はこっちの図書室に保管してあるって聞いたんだけど」

「あ、それ、この間紗良ちゃんに頼まれました。もう彼女が生徒会に持って行ってると思いますよ?」


 先日紗良に依頼された件を思い出し、由梨の声は明るくなった。だがすぐに、不自然さを感じて眉を寄せる。


(紗良ちゃんに命じたのは藤宮会長本人って聞いたけど、その人が今度は自分から図書室に来る?)


 紗良は確実に文集を届けているはずなのに、ここに無いと分かっている文集を探しに来る意図はなんだ。

 由梨が思案していると、突然顔の両脇に手をつかれ逃げ場を塞がれた。

わけも分からずぎょっとする由梨の頭上から、先ほどより幾分低くなった会長の声が聞こえた。


「やっぱりな」


 目の前で生徒会長がゆっくりと顔をあげる。


「君にいくつか聞きたいことがある」


 にっこりと微笑む藤宮会長から振りかかる謎の威圧感に、由梨はだらだらと冷や汗を流した。


「まず、君の名前と学年クラスを教えてくれないかな。お互い自己紹介をしよう。俺の名前は藤宮幸樹、生徒会長をしている」


 律儀に名乗ってくれた生徒会長に、由梨は存じております!と内心で絶叫した。


「それで、君は?」


 まるで二重の意味に捕らえられる問いに対して、由梨はごくりと唾を飲み込むと口を開いた。


「橘由梨。同い年です」

「そうだったんだ。ならなんで敬語? なくていいよ」

「いえ、癖みたいなものなので気にしないでください」

「ふーん、それで、クラスは?」


 どうせ図書委員ということはバレてしまっている。ここで誤魔化しても大して意味はないと分かっている由梨は、大人しく答えた。


「8組です」

「理系か。俺は1組だから端と端だね。だから見たことがなかったのかな」

「そうかもしれませんね。それよりも、この体勢は色々と誤解を招きそうなので離れてもらえませんか?」


 絶賛、女子憧れの壁ドンを学年一の美形に受けているが、由梨には恋愛的なドキドキよりも恐怖が勝った。


「人気のない図書室しかないC棟の三階に、昼休みわざわざ来る生徒なんていないよ。それでも心配ならさっき入るとき鍵はかけてあるから問題ない」


(逃げ道ゼロじゃん!)


 準備万端に退路を断たれた由梨は、頬を引きつらせた。


「さて、まわりくどいことをしても時間の無駄だね」


 今にも卒倒しそうな緊張感のなか、藤宮は由梨の瞳を覗き込むように見つめながら問いかけた。


「君、記憶があるんだろう」


 それは、疑問と言うよりも確信に近い問いだった。


(え、普通こんなド直球で聞いてくる? 何も証拠はないじゃない。ていうか、近い近い近い!)


 唖然と固まる由梨を他所に、藤宮は視線を逸らさない。それどころか拳二つ分ほどしかなかった距離をどんどんつめはじめ、由梨の脳内は羞恥で混乱した。

 国宝と謳われた紫の瞳と黒曜石の瞳が混ざり合って近づいてくる様は、下っ端根性の強い由梨には拷問でしかない。鼻と鼻が触れ合いそうだし、なんなら藤宮会長の息遣いさえ感じてしまいそうだ。


(ひぃ~!! ムリムリムリ!!)


 由梨は重なる幻影に目を回し、不意にかくんっと足の力が抜けた。相手を突き飛ばさなかったのは、かつて叩き込まれた貴族として王室を尊ぶ姿勢の賜物だろう。

 由梨はそのまま現実から逃げるかのように、藤宮の腕の中で意識を失った。

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