第6話 入れ替えによる弊害

 堂々とした立ち振る舞いに、意思の強い瞳。

 常葉紗良もまた、由梨のよく知る前世の魂を持つ者だった。


(前世で婚約者でしたよー、とは言えないよね)


 内心で乾いた笑いを殺しつつ、由梨は視線を逸らした。

 紗良は、今日もいつも通り真っすぐと伸びた背筋に美しい本物の金髪。咲也とはまた違った輝きを放つ彼女にもまた、由梨の目にはダブる影があった。


 ダリア・エヴァーグリーン侯爵令嬢。

 かつてのガーデンセージ学園にて未来の王妃様と畏れられた、誇り高いエヴァーグリーン家の御令嬢だ。


 彼女は、グレイ・ヴィア・ウィステリア王子殿下の婚約者だった。

 しかし、グレイ王子がフローリア・フェブリーに想いを寄せたことで婚約は破棄され、彼女の王妃という未来の地位は失われてしまった。


 卒業前に亡くなってしまったリリィはその後ダリアがどうなったのかは知らないが、婚約破棄までの過程には様々な出来事があり、王子とダリアの破局は間違いなくリリィたちの学園生活の中で一番大きなスキャンダルとなった。


(もしかして、本当に生徒会長にも記憶があったりするのかな?)


 婚約破棄の前から、既にダリアとグレイ王子の関係はかなり険悪なものだった。

 ダリアは王子によって衆人環視のもと大恥をかかされている状況であったし、グレイ王子は、嫉妬にかられたダリアがフローリアを陰湿に攻撃していると言って強い怒りを示していた。


(でも、結局悪いのは浮気紛いなことをしていた殿下の方だし、現世でまで毛嫌いしたりするかな? それとも前世関係なしに何か理由があるとか?)


 顎に手を当てて考える由梨だが、考えたところで答えが出るものではなかった。


「最近はさらに嫌味が増えたわよ」

「え、どうして?」


 由梨は、何度か遠目に嫌味を言う会長を見たことがあったが、会長の顔が端正な分余計に苛烈さ感じた。あれ以上とは。


「さあ? フローリアとかダリアがどうとか言いがかりをつけてきたわ。それって花の名前よね」


 うんざりだと言わんばかりに顔を顰める紗良に、由梨はまさかと思った。


「紗良ちゃんさ、これ知ってる?」


 由梨はカバンからスマホを引っ張り出すと、例のアプリを起動して紗良の前に出した。


「貴方までそんな非現実的なゲームをやっているの?」

「サクに最近勧められて始めたんだけど」

「それ、私のクラスでもやってる子多いわ。学校でゲームするなんて、校則違反もいいとこよ」


 生真面目な紗良らしく、休み時間のスマホ操作も彼女は良い顔をしない。


「会長もこれやってたりして」

「どうかしら? ああ、でも委員会の女子生徒に勧められてるのを見たことがあるわね。その後からよ、罪を擦り付けて恥ずかしくないのか、とか言ってきて。ほんと意味わかんないことばかり言うわ」


(うわ、やっぱり!)


 理解不能だと愚痴をこぼす紗良を他所に、由梨はほぼ確定した可能性に天を仰いだ。


(これ、きっと完全に誤解されてるパターンだ。てか、え? じゃあやっぱり会長も記憶あるってこと?)


 恐らくだが、藤宮会長は紗良が記憶を持っていてはぐらかしていると思っている。

前世から引き継がれたもともとの不信感に加えて、最近配信された花恋の物語が、会長の勘違いに拍車をかけているのではないだろうか。


(藤宮会長の中では、未だにダリア様が悪役令嬢なんだろうな)


 本来のガーデンセージ学園では、ダリアはグレイ王子を巡ってフローリアを虐めた悪役令嬢の大ボスとされ、最終的にはグレイ王子との仲は最悪なものとなった。それを知る前世の記憶持ちにとって、花恋内でのキャラクターの配役違いは大きな違和感を与えるものだろう。


(ただでさえ、地味顔がキャラ負けしてて配役に違和感あるんだし、前世の記憶があったら不審感一発だよね。会長、キャラの配置替えも紗良ちゃんの仕業だと思ってそう……)


 罪が云々言っていたということは、その可能性は十分あり得る。

 しかし、それはとんだ冤罪だ。

 紗良に前世の記憶はない。


「最近ますます当たってくるから、相手をするのも馬鹿らしくなってきたのよね。近頃はずっとシカトしてるわ」

「そ、そうなんだ」

「流石に文集の件は、生徒会役員として無視できなかったから来たのだけど」


 それって会長をますます煽るんじゃ? と由梨は思ったが、心当たりもなく辛く当たられる紗良の言い分も分かるため、頷く以外になかった。


(どうにか会長の誤解を解いてあげられたらいいんだけど)


 今後もゲーム内のシナリオが進むごとにさらに会長の当たりは強くなりそうな気がして、由梨は心配にもなった。しかし、肝心のシナリオを提供した犯人が分からないことにはどうしようもない。


 思いがけず会長が記憶持ちである可能性が浮上したが、話の流れ的に彼がシナリオを作ったわけではないだろう。


(私がいきなり突進してもなあ。信じてもらえるかどうか……)


 由梨はさっきぶつかった一件以外で藤宮会長と関わったことがない。リリィを知らないだろう彼には、最悪不審者として認識されているだろう。


(こう、さりげなく会長の誤解を解く妙案みたいなのってないかな。……都合良過ぎるかなあ)


 由梨は藤宮会長の誤解を解く方法を考え始めた。

 基本的に面倒事は御免だと思っているが、由梨は紗良がただ誤解され続けることを友人として看過できない。友人が誤解されていると知っているのに、知らないふりは出来ないと思った。


「それで、少し相談なんだけど」


 どうしようかと考えている由梨に、紗良が珍しく自信なさげな声で言った。


「夏休み前の連休に、生徒会と文化委員で文化祭準備の合宿をするんだけど、もし良かったら貴方も手伝いで参加してもらえないかしら?」

「え、合宿?」


 伺うような紗良のこれまた珍しい表情に、由梨は目を丸くした。

 由梨たちの学校では生徒の自主性が尊重されており、文化祭の時期が近づくと生徒会と文化委員で話し合うべき議題を消化するために合宿を行うことになっている。夏休み前にするのは、休みに入ってしまうと各クラスでの文化祭準備が本格化するためだ。


「今年は文化委員で参加出来る人が少ないらしくて、手伝いの人手が足りないの。あくまで合宿のフォローをしてもらう雑用係になってしまうんだけど……」


 段々と小さくなる声音に、由梨はじっと紗良の様子を見た。

 恐らく、紗良が本当に由梨に頼みたいのは雑用などではない。


 由梨は紗良と初めて出会った時を思い出した。

 勉強道具だけが詰まったカバンを胸に強く抱え、真っすぐ立ちながらも緊張に身を固くするその姿は、周囲を警戒するハリネズミのように由梨には見えた。もともとの釣り目を更に強く吊り上げ相手を睨みつけるのは、針を逆立てて身を守っているようだった。


 同じ姿を知っていて、かつては目を逸らした。魂に刻み込まれたその時の悔恨を覚えているからこそ、由梨は二度と同じ過ちは繰り返したくなかった。


「いいよ」


 するりと口から出た言葉には、一抹の躊躇いもなかった。


「え、いいの?」


 驚いたのは逆に紗良の方だった。


「誘っておいてなんだけど、本当にただの雑用係よ?」

「うん、ちょっとしたお手伝い係なんでしょ」


 確認するように問いかける紗良に、由梨は頷く。


「会議に出席するわけでもないし、生徒会と交流があるわけでもないわ」

「うん」

「いいの?」


 何度も念を押す紗良に、由梨は吹き出しそうになった。


「いいよ。皆のご飯作って食器洗って、お風呂掃除してお布団敷いて、もろもろ片付けすればいいんでしょ?」

「そう、ね。そんな感じ」


 遣いっぱしりともいえる雑用の内容まで理解して頷く由梨に、拍子抜けしたように紗良の肩の力が抜けた。


「日程くらいはもう決まってるの?」

「ええ、合宿で使わせてもらう宿舎の空きに合わせてるから、七月中頃の連休になるわ」

「了解。その日は空けとくから、詳細が決まったらまた教えて」


 なんでもないように笑って告げた由梨に、紗良はそろりとカバンから一つの封筒を取り出した。


「あとこれ、お礼と言えるほどのものじゃないんだけど、良かったら受け取って」

「なに?」

「貴方はこれが一番喜ぶって、如月くんに聞いたものなんだけど」


 微妙な表情で封筒を差し出す紗良からは、本当にこれで喜ぶのだろうかという疑惑がありありと感じられた。


(え、なんだろ?)


 不思議に思うままに封筒を開けると、中から出てきたのは一冊の情報雑誌だった。


「女性ファッション誌ならまだしも、本当にこれで嬉しいのか迷ったんだけど、人の好みはそれぞれって言うし」


 本当のところどうなの? と伺う視線を向ける紗良の前で、由梨の表情は目に見えて輝いた。


「これ!! 今月お小遣いが厳しくて買えないと思ってたの!! うそ、すごく嬉しい!! 紗良ちゃんありがとう!!」


 紗良が今まで聞いたこともない声音で感謝を告げた由梨は、その跳ねあがったテンションのままに家電・電化製品雑誌を封筒ごと抱きしめた。


「嬉しいのね」

「うん! すっごく嬉しい!」

「そう……」


 女子高生が家電専門雑誌を愛おし気に抱きしめる構図に、紗良は微妙な表情をするほかなかった。先ほど己で口にしたように、人の趣味嗜好はそれぞれである。


「それ、そんなに高くなかったわよ」

「知ってるよ。いつも買ってるし。でも、今月は他にも四冊くらい買っちゃってて、流石に五冊目は厳しかったんだよね~」

「……他も全部家電雑誌?」

「そうだけど、家電雑誌も色々種類あって、各雑誌ごとに得意な分野や特化したジャンルってものがあるから、なかなか一つに絞りづらくて」

「あ、そう」


 饒舌に語る由梨に対して、紗良はそう、としか言えなかった。


「紗良ちゃんも一緒に読む? 今の私の一押しはこれ、自動掃除ロボット、ルルパ。」


 ささっと雑誌のとあるページを開いて見せる由梨には、不思議な迫力があった。


「種類は二十以上。シリーズごとに性能が上がっていて、今一番の注目株。自動充電に、ゴミを感知するゴミセンサー、設定によって自動で動き出すスケジュール機能つき。丸くて薄い美しいフォルム。主婦だけでなく高齢者や独り暮らしの味方にもなり得る姿は可愛らしく、一家に一台置いてはニックネームをつけて呼びたくなる親しみやすさだよ」


 淀みなくスラスラと家電の性能と利点を語る由梨の様子は手馴れており、ユーモアさえ込めて語る余裕っぷりに、紗良はお前どこの家電メーカーの回し者だと問い質したくなった。


 先ほどまでの司書仕事とは、熱意に天と地ほどの差があった。


「学校で雑誌を読むのは校則違反よ。せめて科学情報誌にしなさい」


 図書室に常備してある唯一の雑誌を示して、紗良は由梨の暴走に終止符をうった。

 友人の、新たな一面を知ってしまった瞬間だった。


(そういえば、同じ雑誌を阿保会長も読んでたわね)


 ちらりと脳裏に浮かんだどうでも良い情報に、紗良は頭をひとつ振って切り替えた。




「あれ?」


 下校時刻の迫った夕方。由梨は人気のない昇降口で、己の靴箱の中に見知らぬ封筒を見つけて首を傾げた。

 あの後、職員会議から戻ってきた先生により文集は無事紗良の手に渡され、彼女は生徒会室へ戻って行った。きた時より幾分表情も柔らかくなっていたので、肩の力が抜けたのかもしれない。


 良かったな、と思い出しながらシンプルな白い封筒を手に取る。裏返してみると隅に『Aria』とだけ記載されており、由梨は訝し気に眉を寄せた。


(ラブレターっぽくはないよね……)


 ただ真っ白い封筒はどこか冷たい印象を与え、由梨は嫌な予感を抱きながらもカバンを置いて封を切った。


“裏切者のリリィ・マンダリン。ダリア様に近づくな“ 


「え……」


 パソコンで打ち出された思いがけない文章に、由梨は硬直した。


(何これ……)


 紙を持つ手が震え、力を込めているはずなのに何故か指先から力が抜けそうだった。たった一文を読むために、何度も目が文字を滑っていった。


「裏切者……」


 これを書いた相手は、リリィ・マンダリンに決して良い感情を持ってはいないのだろう。たった一文の文面からは、強い怒りの感情が伝わってきた。


(私をリリィ・マンダリンと知っている人間が、この学校にいる)


 それは由梨の十六年の人生において、初めての出来事だった。

 しかし、その相手から向けられたメッセージは警告文。


(ダリア様って紗良ちゃんのことよね。私と彼女が友達ってことも知ってて警告してきている……)


 裏切者の文字が、由梨の心に重くのしかかる。


(この人、リリィとダリア様の関係を知っているんだ)


 突如現れた謎の人物からの敵意に、由梨は今度こそぎゅっと紙を握りしめた。

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