第5話 まるで少女漫画のような出会い
黒板に書かれた今日の日付を目にし、由梨は自分の当番を思い出した。
「あ、今日は委員会の日だから、サクは先に帰ってて」
「うん、また明日」
由梨は図書委員会に所属しており、月に二回は放課後の当番が回ってくる。下校時刻まで図書館で本の貸し出し管理をし、最後に戸締り確認をして鍵を職員室に返すのが仕事だ。
(高等部の図書室って人気ないんだから、試験期間以外はいっそ昼休みだけの解放にすればいいのに)
中高一貫校である由梨の学校は、基本的に試験期間でもない限り高等部の図書室に人は来ない。校門から僅か五百メートルの距離に学校よりも蔵書豊富な市立図書館があり、図書を目的とする生徒は皆そちらに流れるからだ。寂れた古くて狭い高等部の図書室は、もっぱら鍵を持つ図書委員の仮眠室になっていた。
由梨も当番の日は気分で寝たり読書をしたりと好きに過ごしていたが、今日は昨晩からの寝不足で頭に浮かんだ選択肢は仮眠一択だ。
由梨は放課後、咲也と別れると職員室で図書室の鍵を借りて図書室へ向かった。
(下校時間まで仮眠して、夜はまた花恋について調べてみるかな~。でも、正直これ以上調べられることってあんまりないし、そこまでこのゲームに首突っ込む必要もない気もするし……)
どうしようかと考えていた由梨の思考は、廊下の角を曲がったところで霧散した。ドンッという衝撃と共に後ろに倒れ込む。誰かにぶつかったのだ。
「~っ!」
「おい、大丈夫か?」
由梨は盛大に尻餅をつき、痛みに耐えていたところにすっと手が差し伸べられた。同時に気づかう声が降ってきたので顔を上げると、思いのほか近くに顔があり、至近距離で目が合った。
「え……」
そこには同い年の中でも有名な生徒会長がいた。
「おまえ……」
黒髪黒目の爽やかイケメンと名高い男子生徒だが、由梨の瞳にはそれに被るように正反対に輝く金髪と紫の瞳が見えた。彫刻のように美しい顔が目の前に居ることにも驚いたが、なにより驚いたのは、それがつい最近見たばかりの造形だったからだ。
由梨はとんでもない事実に気がついて目を見開いた。
「グ、レイ、王太……」
思わず口をついて出た言葉に、はっとして黙り込む。幸い小さな呟きだったため、さっさと立ち去ろうと由梨は素早く立ち上がった。
「大丈夫です! すみませんでした!」
振り向く勇気などなく、あまりの衝撃に由梨はそのまま可能な限り早足でその場から遁走した。
そのため、当の生徒会長本人が同じく驚きに顔を固めたことなど、ついぞ気づくことはなかった。
(びっくりしたぁ~)
図書室にたどり着いた由梨は、ポケットを漁りながらどくどくとうるさい心臓を感じていた。
(生徒会長を間近で見るの初めてだったから、心臓止まるかと思った)
藤宮幸樹生徒会長。
由梨と同じ高等部一年でありながら、生徒会長に抜擢された非常に優秀な生徒だ。名前と顔だけなら毎週ある全校朝礼で知っていたが、クラスが離れているため顔を合わせたのはこれが初めてだ。
(生徒会長がまさかグレイ王太子殿下だったなんて……至近距離の破壊力強すぎだよ。確かに、前から凄いオーラ持ってる人だなって思ってはいたけどさ……)
前世で見知った相手はオーラで分かるが、生徒会長は朝礼時、遠目に見ても分かるほど輝かしいオーラに包まれているのだ。
誰だか分かってはいなかったが、入学式の代表挨拶で彼が前世関係者だと気づいた由梨は、その日以降なんとなく彼を避けていた。
(でもこんなサプライズになるんなら、先にちゃんと確かめておくんだった……)
あまりに心臓に悪い出会い方に、由梨はため息をついた。廊下の角で王子様とぶつかるなんて、どんな少女漫画だ。
(まあ、あの方にも記憶はないだろうし、元王子様ってだけだから、もう同級生以上にへりくだる必要はないだろうけど。条件反射だよね……)
そしてもし藤宮生徒会長に記憶があったとしても、王太子殿下であるグレイ・ヴィア・ウィステリア王子としがない下位貴族であったリリィは接点はなかった。
かろうじて同じ学園の同期であったくらいだが、王子は絶対リリィの名も顔も覚えていないだろう。自国の貴族家としてマンダリン家の名は頭に入っていようが、その家のしかも次女の名など覚えているはずもない。
どちらにせよ、由梨が必要以上に彼を畏れる意味はなかったが、前世で刻まれた王族への畏怖と敬意はそう簡単にはなくならないらしい。
由梨は図書室の鍵を取り出すと、悩まし気に息を吐いた。
(でもあんな近距離で、しかも王太子殿下にぶつかるなんて、ほんと人生って何があるか分からないもんだな)
前世の記憶があるなんて驚き体験しておいてなんだが、かつて雲の上の人だった王太子殿下と体一つ分ほどの距離で顔を突き合わせることなど早々ないだろうと、由梨は改めてあまりの恐れ多さに身震いした。
(しかも手を取らずに立っちゃって、大したお礼も言わず逃げたし。前世だったら不敬罪でつるし上げられてそう)
勿論、その時の実行犯は王子に心酔していた学園のご令嬢たちだ。
(ここが現代で良かった)
想像しなくても分かる未来に、由梨は乾いた笑みを浮かべて図書室へ入った。
いつもと同じく人気の全くない室内で、由梨は受付カウンター内の棚にカバンを置くと、カウンターで早速寝る体制に入った。
(下校時刻まで、二時間は寝られるかな)
カウンター横に置いてあるデジタル時計のアラームを二時間後に設定し、入り口から見えない本の影で机に突っ伏すと、徹夜明けの頭にはあっという間に睡魔が襲ってきた。
ついさっきの衝撃的再会に、最後の体力を持って行かれたのかもしれない。
(このうとうと感が一番気持ちい)
眠る直前の、眠気に身を任せる瞬間の浮遊感が好きだなと、由梨は既に朦朧とする意識の中で思っていた。
「ちょっと」
あと少しで意識が完全に落ちると言うところで、由梨の意識は謎の声により強引に引き戻された。未だ霞がかった思考が再び眠りを呼ぶが、校内で役割を放棄して居眠りをしているという罪悪感が、声の主を無視して眠りに落ちることを躊躇わせる。
「起きなさい! ねえ!」
どうしようかとぼんやりとする頭で迷っていた由梨だったが、再度鋭い声を掛けられたことで寝たふりは諦めた。乱れた髪を抑えるように顔を上げ、相手の顔を認識したところで由梨の眠気は吹き飛んだ。
「随分と堂々とした居眠りね。クラス違うし、授業中以外で他人にうるさくするつもりはなかったけど、ここまで堂々とさぼられたら口出ししたくもなるわ」
上から目線の厳しい声が由梨の耳に突き刺さった。
「……あー、紗良ちゃんどうしたの?」
きらきらと輝く御令嬢の幻影が見える。
由梨と同じ高等部一年生でありながら、生徒会の副会長を務める威厳も気品も一味違う雰囲気をもった女生徒がそこにいた。
隣のクラスの常葉紗良。
母がイギリス人で癖のある美しい金髪を地毛に持っており、日本人寄りだが端正な顔立ちに異色の色彩を持っていることで、由梨の学年では目立った存在だった。本人は気が強く、自分へ向けられる不当な言い分や扱いには断固として戦うタイプの人間だったようで、あっという間に彼女の存在はクラスで浮き彫りとなった。
そんな彼女と、クラスも委員会も違う由梨が知り合ったのはこの図書室だ。今日と似たシチュエーションで居眠りをしようと体制を整えていた由梨のいる図書室に、彼女が勉強をしにやってきたのが出会いだった。
「どうしたの? じゃないわよ。いくら図書室に人がほとんど来ないと言っても、これは貴方が委員会で受けた役割でしょう。常に背筋を伸ばしていろとまでは言わないけど、初めから寝る体制で役割を放棄するなんて、許されないわよ」
腕を組んで自分を見下ろす彼女の剣幕に、由梨は首を竦めた。
「ごめんなさい」
「私に謝っても仕方ないわ。今後は真面目に務めればいいのよ」
知らない人から見れば冷たいと言われる口調で由梨を窘めた紗良は、ため息をついて腕を解くと、図書室に来た目的を口にした。
「資料を探したいんだけど」
「えっと、タイトルは?」
「本じゃなくて学校の文集なの。図書室に仕舞ってあるって聞いたんだけど」
「それは……図書の先生じゃないと分からないかも」
検索機にタイトルを打ち込もうとしていた由梨の指は、キーボードの上で止まった。
由梨の学校では、毎年文化祭で発行される文集が二種類ある。文芸部が自主的に作る作品集と、生徒会と文化委員会が合同で作る学校の文集だ。
双方の文集は文化祭で販売され、最終的にバックナンバーは図書室で保管されている。学校の文集内容は学校の歴史や職員紹介になっており、特段面白味や変化のあるものではないため、毎年前年の文集を少し改変した程度のものになっていた。
(今年の文集用に、去年のものを確認しにきたのかな?)
今はまだ六月に入ったばかり。文化祭は毎年十月開催のため、確認にしては随分早いなと感じた由梨だが、生徒会は他にも様々な業務がある。色々事情もあるのだろうと、深く考えずに答えた。
「司書の先生は?」
「職員会議じゃないかな?」
「じゃあ、それまで待たせてもらうわ」
「え!」
カウンターに一番近い席に座り、勉強道具さえ広げ始めた紗良に由梨は驚きの声を上げた。
「なに? 私が待ってたら悪いわけ?」
「そうじゃないけど……紗良ちゃんも色々生徒会の仕事があるんじゃないの? 文集くらいなら先生には私から伝えとくけど」
「別に、これは生徒会の仕事じゃないから構わないわ。会長からのただの嫌がらせよ」
下手をしたら下校時刻まで待ちぼうけをくらう可能性もあるわけで、由梨が委員会のついでと引き受けようと提案したが、紗良から返ってきたのは意外な言葉だった。
「どういうこと?」
「さあ、私にも分からないわ。あの嫌味な会長さんが勝手に苛立ってるのよ」
「えぇ……」
ついさっき会ったばかりの人物を引き合いにだされ、由梨は目を瞬いた。
「小姑のように人に指図してきて、ほんと腹立たしいわ、あの阿保生徒会長。何かある度に人のこと親の仇みたいな目で見てくるのよ。おまけに意味のわからない捨て台詞を吐いたりして、中二病か!」
紗良は話しながらも怒りを思い出したのか、段々と声が大きくなっていった。
しかし、紗良の怒りは尤もなものだと由梨は知っていた。
「大体、あの生徒会長なんなわけ? 人の顔見ては嫌そうな表情してきて、ちょっと反論したらそれみたことか言わんばかりに人のこと貶しまくってくる。いい加減、こっちの我慢も限界ってものよ」
「なんであんなに紗良ちゃんに突っかかるんだろうね?」
つい先ほど由梨が激突した藤宮生徒会長は、普段は人当たりの良い紳士だが、どうしてか紗良のことを毛嫌いしていた。
紗良が言うには、初対面からいきなり忌み嫌われているということだが、紗良自身にはどうしてそこまで嫌われているのかとんと心当たりがなく、非常に不愉快な思いをしているとのことだった。
「知らないわよ。入学式で顔合わせたときからずっとよ。私が何したっていうの」
「実は昔どこかで会ってたとか?」
「あんな軽薄顔、流石に一度会ったら忘れないわ。それにあいつ一応お坊ちゃんでしょ? 結構有名人みたいだし、外部入学してきた私じゃ会ってるはずないわよ。それこそ、前世でもない限りね」
紗良の言葉に、由梨は内心でぎくりとした。
未だ怒りが冷めやらない紗良を横目で確認しつつ、由梨の背中には汗が流れていた。
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