第3話 過去が目に沁みる
(これ以上は、ただ考えても仕方ないかな)
色々と思考を巡らせていた由梨は、一度落ち着くように深呼吸をした。
由梨は開いていたネット検索を閉じると、再びアプリゲームを開いた。
ネット上では詳しいネタバレ防止のとしてシナリオ内容は公開されていなかったため、今以上の情報を得るためにはゲームを進めるほかない。
何故リリィがライバルキャラクターとして担ぎ上げられているのか。
(別に、リリィがゲーム上で悪役になったからって、どうってわけじゃないんだけど……やっぱり嫌だなあって思うし)
現代に橘由梨がリリィ・マンダリンであったことを知る人間はいない。
しかし、生まれたときから前世の記憶があり、リリィの気持ちの全てを持って生きている由梨にとって、リリィを完全に他人として切り離すことなど出来ない。
リリィは由梨であり、由梨はリリィだ。
だからこそ、由梨は目の前のゲームをただ無視することは出来なかった。
(それに、私と同じ記憶を持っている人がいるかもしれない。このゲームは、その手がかりになる)
ひとまず、一番簡単だと咲也が言っていた王子ルートにてシナリオを攻略してみようと、由梨は気合を入れてスマートホンをタップした。
「ふあ~」
心地の良い木漏れ日の朝。窓際の席に座る由梨は、噛み切れなかったあくびを隠すように口に手を当てた。
「寝不足?」
「うん……」
咲也の問いにも、ぼんやりとした表情で答える由梨に、咲也は困った表情で首を傾げた。
「目の下クマが出来てるよ? そんなに寝てないの?」
「初めて徹夜した」
「え、全く寝てないの!?」
「うん……」
驚く咲也を他所に、由梨は机につっぷした。
昨夜、花恋の王子ルートを開始した由梨は、その懐かしい情景と人物にすっかり引き込まれ、気づけば朝日を浴びるまでスマホに向かっていた。
現代のグラフィック技術の高さを侮るなかれ。生まれたときから記憶にあった懐かしい故郷だ。瞳を閉じれば昨日のことのように思い出せる過去の短い人生を引きずり出され、由梨はそれをただのゲームと軽視することが出来なかった。
(主人公がフローリア視点でまだ良かった。リリィ視点だったらとてもじゃないけど進められなかった)
机に頬を当て、由梨は物憂げにため息をついた。
(あれが我が美しき青春! とかだったら良かったんだけどな~)
一夜にして王子ルートを攻略した由梨は、花恋がおおよそ、前世にあった実際のエピソードに沿って作られていることを確信した。
ゲームの第一部は、ガーデンセージ学園で秋に開かれる一大イベント、学園祭までで終わっていた。
ガーデンセージ学園は、ウィステリア王国の王都にある貴族が通う学校だ。そのため、学園祭と言っても生徒が何かをするのではなく、貴族が財力と人脈を使って行う芸術鑑賞会のようなものだった。本職の劇団や音楽隊を呼んで演奏させたり、腕の良い菓子職人を雇って精巧な飴細工を飾ったり、彫刻家を呼んでその場で即興の彫刻をさせたりとその催しは多種多様だ。
下位貴族の場合、数人でグループを作って一つの催しを計画したりと様々なのだが、元平民のフローリアはお金も人脈もなく、王子殿下たちと親しくしたことで女生徒の中で孤立していたため、伯爵家の力を効率よく使う術も知らない彼女は一人、手作りのお菓子や刺しゅうのハンカチを教室の片隅でひっそりと配っていた。
(前世ならそこにダリア様が現れて、散々フローリアを貶して品物を踏み荒らして去って行ったらしいんだよね)
以前はそれを噂として聞いただけのリリィだったが、ゲームではダリアの代わりにリリィが荒らしていた。フローリアを嫌う貴族令嬢の筆頭となっているリリィは、フローリアの広げている品を貧相だ、学園に相応しくないと言い、品物は残らず床に叩き落とし踏み荒らした。
(でも子爵家のくせに伯爵令嬢虐めって、ゲームのリリィは馬鹿なの? )
これも配役変更の弊害だった。ダリアであれば問題なかったが、リリィでは家格が悪い。
貴族社会において階級は絶対だ。学内ではある程度目を瞑ってもらえるが絶対ではなく、そんな子供でも分かる貴族のルールを衆人環視のもと破っているリリィは愚かとしかいいようがない。
(所詮ゲームだと言えばそこまでだけど……)
もやもやとした感情が由梨の胸を重くした。
ゲームのリリィは道化だ。捻じ曲げられた配役の辻褄を合わせるために道化にされたと言っていい。もとの自分が優秀だったとは思わないが、ここまで道化にされて気分の良いものじゃない。
「はあああ~」
由梨は憂鬱を吐き出すように、再度深いため息をついた。昨夜から続いて、もう何度ため息をついたか分からないくらいだ。
「どうしたの? さっきから凄いため息だけど」
「なんか、古傷の上から更に傷を負ったっていうか……こういうのなんて言うんだろ」
「古傷って?」
「こう、自分の忘れたかった過去を、捏造増し増しで更に黒く精密に作られた再現映像で見る感じ」
「いや、ちょっとわかんない」
由梨の説明に、咲也は怪訝な顔をした。
確かに言葉にしづらく、意味がわらないだろう。
「まあ、嫌なことなら楽しい話で忘れよう! 由梨ちゃん花恋やったんだよね、どうだった?」
由梨の気持ちを引き上げようと、咲也は明るい声で問いかけた。
しかし、今まさに気にしている事案について聞かれ、由梨はぱたりと再度机に伏せた。
「うん、一応クリアしたけど」
「え、一日で王子ルートクリアしたの!?」
「まあ……」
「なんだ、乗り気じゃなかった割にハマってるね。 それで由梨ちゃんは誰が好き? 王子ルートならやっぱりグレイ様推し?」
由梨の言葉にゲーム仲間が出来たと喜ぶ咲也は、身を乗り出してお気に入りのキャラクターを問いかける。キラキラとした笑みが眩しいのはいつものことだが、このゲームの主人公であるフローリアは彼の前世である。
(私、貴方の前世を疑似体験してるんだけど……)
それを咲也自身が全く知ることなく笑顔で楽しんでいることがなんとも可笑しな状況である。
(ほんと、覚えてないって羨ましい……)
にこにこと無邪気に問いかけてくる咲也を見ていると、しみじみとそう思う。
何故自分だけが前世を覚えているのか見当もつかないが、記憶さえなければ由梨だって咲也の勧めにしたがってそれなりに楽しくプレイ出来ていただろう。
酷く理不尽な気分になり、由梨は身を乗り出していた咲也の額を軽くぺちりと叩いた。
「えっ、なに?」
「なんでも~。別に推しって程まではまだないよ」
「えぇ~、そっかあ」
咲也の残念な声を聴きながら、由梨は眩しい陽射しに再度欠伸をかみ殺した。
(でも結局、前世のフローリアさんは誰と結ばれたんだろ?)
多くの男性に好意を向けられていたフローリアだが、リリィは彼女を取り巻く恋愛模様の結末を知らない。一番親密なのはグレイ王子だという噂があったが、結局のところ誰と結ばれたのか知る前にリリィは事故死したため、由梨に結末を知るすべはない。
(やっぱりグレイ王子だったのかな)
グレイ王子はダリアと婚約していたが、彼らは学園の卒業間際に婚約破棄をしている。それが、リリィたちの学年での最後にして最大のスキャンダルだった。
(でも、グレイ王子は見るからにフローリアさんに傾倒してたけど、フローリアさん本人はさして王子だけを特別視しているような感じはしなかったんだよね)
リリィはフローリアと親しかったわけではないが、それゆえに遠目から見ている限りでは王子がフローリアに言い寄っているように見えた。フローリアは積極的に近づいてはいなかったが拒みもしていなかったため、平民出身の彼女をよく思わない者たちからは非常に疎まれていた。
「サクの推しは誰なの?」
由梨はふと、目の前に立つ咲也を見上げて問いかけた。
前世と現世は違うと分かっているが、せっかく当の元ヒロインが前世を疑似体験しているのだ、咲也が選ぶ相手には興味があった。
(有力候補としては、やっぱ王子様なのかな~)
由梨の脳裏に浮かぶのは、自信に溢れた佇まいで人々の中心に立つ好青年だ。
リリィたちと同じ年のグレイ・ヴィア・ウィステリア様。
金髪に紫の瞳を持ったウィステリア王国の第一王子であり、王家に待望された王太子であったことで、未来への希望と自信に溢れた典型的な王子様だった。
フローリアへ言い寄る男性は多数いたが、そのほとんどは王子がライバルと言うことに及び腰となり諦めていった。残った少数が花恋での攻略対象キャラクターとなっていたが、そのほとんどが王子殿下と親しい側近候補だったため、彼らはきっと身を引いただろう。
「僕の推しはね……あ、これ言っちゃうとネタバレになるからやっぱ止めとく」
気になるところで言葉を止めてしまった咲也に、由梨はえー、と不満げな声をあげた。
「由梨ちゃんが全ルートクリアしたら教えるね」
「いや、私いまこれ以上やったらたぶん再起不能になる」
由梨は未だに癒えない昨晩からのダメージに、頬を引きつらせながら視線を逸らした。
咲也の話では花恋には全部で五つのルートがあり、全てのルートをクリアすると、最後に特別スチルが見られるらしい。
由梨にはフローリアと結ばれる五人の男性に心当たりはあったが、五回も過去を読み返す気力はなかった。各ルートでフローリアが結ばれる男性は違うが、ライバルとなるキャラクターは変わらずリリィのままだ。つまり、どのルートに突入しても、由梨は嘘と本当が入り混じった己の過去と対面することとなるのだった。
(ゲームのリリィは別に相手の男性に恋してるわけじゃないもんね。ただフローリアのことが気に食わないから、誰が相手でもつっかかる)
ある意味、一番フローリアを気にしているのがリリィと描写されており、由梨が攻略した王子ルートでもグレイ王子とフローリアが共に写っているスチルには必ず端にリリィが写っていたので、割と本気で驚いた。
「てかさ、リリィの出演回数多いと思わなかった?」
「……思った」
今まさに思っていたことを言われ、由梨は一拍遅れて頷いた。
「なんかイベントが起こる度に現れるし、神出鬼没過ぎて君今どこから出てきた?って聞きたくなる感じに出てくるんだよ。ネットでも、そこはすごく言われてるんだ」
「そ、ソウナンダ……」
確かに、咲也の言う通り、リリィはイベントが起こる度にフローリアの前に現れた。主人公を邪魔する悪役令嬢なのだから当然と思うだろうが、それにしたって頻度が多い。
フローリアがグレイ王子と後夜祭を抜け出す直前の裏庭にも、宰相の息子であるグレアムと勉強していた図書室にも、騎士子息のフォルスの自主練を見学していた鍛錬場にも、幼馴染のジラルドと慈善活動の手伝いをした街の市場にも、リリィ・マンダリンは姿を現した。
いっそフローリアのストーカーだと言われた方が説得力があるほどに、リリィはフローリアの行くところ行く先々に現れた。
(ほんと、なんでかなぁ……)
由梨には何故そこまでリリィを推されるのか意味が分からなかった。
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