第2話 むかしむかし、あるところに

 橘由梨には、生まれた時から自分とは違う人間の記憶があった。

 前世と呼ばれるであろうその記憶は、日本どころか地球かも分からないどこかの世界の、まだ正確な世界地図さえ存在しない時代のものだった。


 前世での名前はリリィ・マンダリン。


 ウィステリアという王国の下級貴族マンダリン家の次女で、母譲りの茶髪に茶色い瞳。自分で言うのもなんだが地味で大人しい性格で、幼い頃からあまり目立たず、学生時代などはひたすら権力者の傍に寄り添いながら下手に怒りを買わないように大人しく生活していた。

 そんな金魚の糞根性だったためか、婚約者もリリィと似たり寄ったりの誰かの取り巻き男だった。もっとも、その婚約者とは結婚する前にリリィが事故死してしまい、結局結ばれることはなかったのだが。


 そんな前世での記憶をもって生まれてきた由梨は、幼い頃にはそれなりに色々考えて悩みもした。

 由梨としての物心が芽生える前にリリィの記憶によってすっかり自我が形成されており、由梨の人生はリリィ・マンダリンの人生の延長線上にあった。いうなれば、これは転生というやつだろう。

 気が付くと赤ん坊の体に閉じ込められており、思うように動かせない体にリリィは酷く混乱した。転生直後のリリィは、己が疲弊して熱を出し、気を失うまで赤ん坊の体で泣き続けたほどだ。


 そして、その後も少しずつ己の状態に慣れる過程でリリィの驚愕は続いた。

 前世の時代は地球で言うところの中世ヨーロッパに近く、文化レベルも現代に比べるととても低かった。移動手段は馬か馬車だったし、灯りはオイルランプだった。厨房には釜戸があり、水は井戸から汲んでいた。それが目覚めて見れば、鉄の塊が地を走り、蛇口を捻れば水もお湯も出る。スイッチ一つで昼になるのだから、リリィは神の国にでも来たのかとしばらく本気で錯覚していたほどだった。


 しかし、赤ん坊から成長するにつれて世の常識を知ることになる。

 リリィが生まれ直したのは神の国などではなく、ウィステリア王国よりもずっとずっと技術力が発達しただけの人の世界だった。

 前世という異世界の余計な知識がある分だいぶ苦労したが、リリィは赤ん坊として一から橘由梨という現代人の知識を身に付け、地球に馴染んでいった。


 そして、ある日ふと周囲を見渡したとき、由梨は見知った人間がいることに気が付いた。正確に言えば、前世での知り合いの魂が周囲にいることに気が付いた。


 近所に住むピアノが上手なお姉さんは、前世ではリリィの姉のカトレアだった。加えて小学校に入学して最初に仲良くなった男の子は、前世で注目を浴びていた人気令嬢だったし、中学の学力テストで常に学年トップの成績を叩き出していた眼鏡少年は、前世では宰相家の嫡男だった。

 何故前世の魂が分かるのかと聞かれると、なんとなくオーラが見えるとしか言いようがない。前世の知り合いたちは皆、独特の輝くオーラを身にまとっていた。

しかし、由梨の出会った者たちには記憶がないのか、由梨と顔を合わせても彼らが特別反応することはなかった。


 何度かそれとなく前世について話したことはあったが皆首を捻るばかりで、不可解と言わんばかりの顔を向けられたことで、由梨は話すことを諦めた。

 それを寂しくなかったのかと聞かれたら寂しかったと答えるだろう。

 同じ時を生きていたのに、誰にもそれを分かってもらえず、独りだけ懐かしさを胸に秘めているのは寂しい。


 しかし、由梨は己の記憶に確固たる自信がなかった。周囲に同じ記憶を持つ者がいないなか、自分の記憶がただの可笑しな妄想でないとなぜ言える?

 情報社会の現代で、ウィステリア王国を検索してみても当時の国名も歴史も出こない。少なくとも地球上の歴史に存在しない国の記憶を、純粋に前世の記憶だと自信をもって主張出来るだけの根拠は由梨の中にはなかった。

 不確かな地面に立たされている感覚に、由梨は口を閉じるほかなかった。



「それなのに」


 由梨はスマートホンの画面を見つめながら項垂れた。

 画面上では、輝く美形たちがプレイヤーに向けて微笑み手を差し出している。


 学校では咲也の手前、由梨は適当な理由をつけて一度アプリを閉じたのだが、自宅に帰ってから再度起動したアプリでもやはり同じオープニングムービーが展開され、前世の自分と非常によく似たキャラクターが同姓同名にて紹介されていた。

 さらにアプリ画面を改めてよくよく見ると、国名にも学園名にも、男性キャラクターの名前にも覚えがあった。ゲーム用に修正されたのか記憶と完全一致というわけでもないが、雰囲気から既視感を得る世界に、由梨の驚きは止まらなかった。


(でも、ライバルキャラってどういうことなの?)


 由梨はいったんアプリを閉じると、パソコンにて花咲く初恋~ファーストラブ~を検索した。

 咲也の言う通り人気作らしく、花恋は検索の上部に公式サイトがあがっており、由梨はそこを開いた。


  花咲く初恋~ファーストラブ~(通称、花恋)

 クイーンメイト社が提供しているスマートホン向けアプリケーションゲーム。恋愛アドベンチャーゲームとリズムゲームの両方の側面を併せ持ち、メインシナリオは全編フルボイス。キャラクターとの会話選択と、リズムゲームにて一定の条件を満たすことでストーリーが解放される仕組みになっている。現在メインストーリーは第一部まで配信済み。

 第二部は今冬配信予定。


※ストーリー概要。

 孤児院育ちの少女フローリアは、ある日貴族家の血を引く子だったことが判明し貴族社会へと迎え入れられる。慣れない世界に戸惑いながらも懸命に生きるフローリアは、春から王都にある貴族学校へ入学し、自国の王子や宰相の息子、騎士団へ憧れる少年など、様々な思いを抱く男性と交流し惹かれ合っていくこととなる。


 始めに書かれているどこかで聞いたような説明文を素早く読むと、続いて由梨は登場人物欄へ目を通した。まだ第一部が配信されたばかりということで、紹介文は短く簡潔なものだった。


※登場人物

 フローリア・フェブリー。本作の主人公。プレイヤー名は自由に変更可能。

 孤児院育ちだが、ある日フェブリー伯爵家の血を引くことが判明し引き取られる。平民の出による貴族に無い考え方と、天真爛漫な可愛らしさから多くの人を惹きつけていく。


(うん、これは多分合ってる)


 主人公に関する記述に自身の記憶と相違がないことに頷いた。ちなみに、ここで主人公とされている少女フローリアの現世名は如月咲也。本日このアプリをグイグイと由梨に勧めてきた張本人だ。現世では何故か男として生まれていた彼とは、小学校からの友人である。

 続いて由梨は、主人公のライバルとして名があがった少女の欄へカーソルを動かした。

 

 リリィ・マンダリン。主人公のライバルキャラクター。

 マンダリン家の次女。王子の婚約者であるダリアの友人であり、宰相の娘である彼女の威光を笠に着て影で傲慢に振舞っている。数々の男性から愛されるフローリアを平民と嫌っており、たびたび彼女へ陰湿な嫌がらせを繰り返している。


「だからなんで!?」


 紹介文を読み終えると、由梨は驚愕のあまりわなわなとスマホを持つ手を震わせた。


(私は彼女と話したこともなかったんですけど!)


 当時の学園内での勢力図を思い出しつつ、由梨は人物紹介のあまりの書かれように悪意さえ感じ、驚きと混乱が沸き上がった。

 それと同時に、由梨はやはりこのアプリゲームの製作に同じ前世の記憶をもった人物が関わっていると確信した。それも、恐らく自分と同期として王都の学園に在籍していた人物だ。


(そうじゃなきゃ、そもそもリリィをライバルキャラとして仕立て上げたりしない)


 ゲームの主な舞台となっているのは、ウィステリア王国の王都にあるガーデンセージ学園だ。リリィの入学した世代は、王子が同級生だったり異例の元平民が編入してきたりとやや特殊な環境下にあったせいで学生時代は事件や噂話には事欠かず、由梨だって文才と意欲があれば前世の記憶で小説の一つでも書こうと考えただろう。

 実際、由梨もやろうとしたことがないわけじゃない。


 しかし、リリィの容姿は平凡そのもので、自分で言っていて悲しくなるが、乙女ゲームのヒロインと張り合うには咲也の言っていた通りキャラクター負けしている。当時の学園でも目立つようなことはなく、リリィの名前も知らずに卒業した同期だって多数いたはずだ。

 そんな地味な子をライバルとして担ぎ上げるには、当然リリィのことをそれなりに知っていなければならない。


(少なくとも、相手に好かれてはいないんだろうな……)


 明らかな故意を感じる設定に、由梨の心は憂鬱に沈んだ。

 単に過去の騒動をもとにストーリーを作りたかっただけなら、リリィをライバルにする必要はない。当時、その位置には別の令嬢がたっていたのだから。


 ダリア・エヴァーグリーン侯爵令嬢。

 ウィステリア王国宰相の娘にして、王太子の婚約者であったその人は、美しい金髪に意思の強い新緑の瞳を持つ、それはそれは気高い女性だった。

 学年の成績は常に上位であり、背筋をピンと伸ばして堂々と歩く姿は未来の王妃として申し分なく、学園の女子たちからは密かに恐れと憧れを集めていた。

 彼女の名前は同期と言わず学園全体に知られていたし、その在り方は威厳に溢れていた。いかにも乙女ゲームのライバルとして相応しい。


(ダリア様も登場するのはオープニングムービーで確認できた。ポジションは何?)


 オープニングムービーの段階では顔と名前しか出てこなかったダリアの立ち位置を確認すべく、由梨はホームページを読み進めていく。すると、人物紹介の後半にダリアの名前があった。


 ダリア・エヴァーグリーン。ゲームでの解説&お助けキャラクター。

 ウィステリア王国宰相の娘であり、王太子グレイの婚約者。

 気が強く勘違いされがちだが、本来は不器用で優しい心の持ち主。主人公の良き友人として手助けや色々なアドバイスをくれる。


(主人公へ助言をする助っ人ってところか。普通、リリィと逆じゃない?)


 由梨が真っ先に思ったのはそこだった。

 助っ人こそ地味なリリィの役目であって、容姿端麗で高貴族でもあるダリアは明らかなミスマッチだ。ちょうどリリィとダリアの立ち位置をまるっと入れ替えれば良い状態だろう。


(ゲーム的にも絶対に合ってないでしょ。これでよく人気が出たわね)


 ゲームに限らず、小説や漫画でも主人公やヒロインに次いで重要となるのが敵対するライバルや悪役だ。主要キャラクターと同じくらい登場するシーンの多い彼らもまた、魅力あるキャラクターでなければ物語の面白さが半減してしまう。

 過去の自分を卑下するわけではないが、リリィ・マンダリンは誰の目から見てもヒロインのライバルとしては不足していた。


 シナリオを進めていない由梨は、まだゲームのオープニングムービーしか見ていない。内容もまた、当時の事件を忠実に再現されているのか分からなかった。


(ヒロインがフローリアさんなんだから、多分ストーリーのメインになっているのは彼女と殿下たちの交流だろうけど)


 リリィたちの世代で、いつも噂の中心にいたのは元平民のフローリアだった。異例の編入というだけでも注目の的だったのに、加えて王太子殿下やその側近候補たちと深く交流するようになったことで、彼女はさらに人目を引くようになった。特に王太子殿下との交流は、彼にダリアというれっきとした婚約者がいたことで、より野次馬の関心をひいたのだ。


 当時の学園では、にはフローリアとダリアは王子殿下を挟んで恋敵の関係にあった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る