第128話 その人は魔王

「ゼル…ニウス?あれ…?どこかで聞いた気がするんだけど…えーと…」


 私は記憶をたどった。

 彼はそんな私をじっと見つめている。


「あ!わかった、アルネラ村の村長さんから聞いたんだ」

「アルネラ村…?」

「シェーラの木がある小さな村なんだけど、知ってます?昔、そこを訪れた旅人の名前が、確かゼルニウスだったような…」


 ゼルニウスの表情が少しだけ動いた。


「ああ、知っている」

「やっぱり!あの村に現れた旅人って、もしかしてあなたなの?」

「ああ…そうだ。あまり思い出したくない記憶だがな」

「あ…」


 そっか、彼はシェーラの遺体を運んで戻って来たって言ってたっけ…。

 病気だったのか、事故だったのかはわからないけど、きっと悲しい別れだったに違いない。

 彼の暗く沈んだ表情がその心情を物語っていた。

 長い睫毛を伏せ、愁いを帯びたような表情に、ドキッとしてしまう。

 この人、どこか寂しそうで放っておけないような感じだ。

 もしかして、聞いちゃいけなかったのかも。


「ごめんなさい…。事情も良く知らないのに」

「いや、過去のことだ。それよりも聞きたいことがある」

「は、はい」

「北国境の砦に行ったことは覚えているか?」

「国境?…砦って?…わかりません。それ、どこですか?」


 突然、何を云い出すんだろう?

 北国境なんて、聞いたこともない。


「…そうか。大司教公国にいた時、魔族に会ったことは?」

「えっと…、一度だけ。下級魔族を退治しに旧市街地へ出掛けたことがあります。結局何の役にも立ちませんでしたけど」

「それはおまえがこの世界へ召喚されてどれくらい経っていた頃のことだ?」


 それを聞いて驚いた。

 この人は私が異世界から召喚されたことも知ってる。

 やっぱり私を知ってるって本当なの…?


「ええっと…ひと月くらいだったと思います」

「その後は?」

「えっと…それがよく覚えてなくて。気が付いたらアトルヘイム帝国のトルマっていう街にいたんです。マルティスが言うには…、あ、マルティスっていうのは私を助けてくれた魔族です。彼が言うには、ポータル・マシンっていう機械の中で倒れていたところを見つけたって。それから2年くらいずっと眠ってたそうです」


 その人は私の話を聞いて、何やら納得したように頷いていた。


「ふむ。どうやら記憶が消去されたわけではなく、時を逆行することで記憶が巻き戻されてしまったようだな。なるほど」

「時を逆行…?どういう意味ですか?」


 よく分からない。

 だけど、この人は私を知っているみたいだ。

 いつ、どこで出会ったというのだろう?

 私はこの人を知らないのに。


「なぜそのような現象が起こったのか、なぜそこまで巻き戻ったのか…。その間の記憶はどこに保管されているのか…」


 彼は私の質問には答えず、ブツブツと独り言を呟いた。


「あの…?」

「つまり、だ。おまえの記憶は、我と出会う前に戻ってしまったということだ」

「出会う前…?あの、本当に何を言ってるのか…」

「眠りから目覚めたのはいつだ?」

「ええっと…半年…くらい前かな?」

「ちょうどおまえの行方がわからなくなった頃だな。ポータル・マシンの作用で肉体と精神が分離し、それぞれ別の時空に飛ばされたということか。不可思議なこともあるものだ」


 なんだか1人で納得しているみたいだけど、私にはさっぱりわからない。


「考えてみれば、我はこの姿でおまえに会うのは初めてなのだな」

「…え?でもどこかで会ってるんですよね?私は初対面だけど」

「ああ。だがおまえが会ったのはこの姿の私ではない」

「え?え?何?どういうことですか?」


 混乱する私に彼は笑いながら手を差し伸べた。

 彼の手を取り、一緒に草の上に座った。


「理解できなくても良い。それよりもおまえの話を聞かせてくれないか」

「私の話…?って言っても大した話なんかありませんよ?」

「トルマで目覚めてからのことで構わない」


 私はマルティスの部屋で目覚めてからこれまでのことを話した。

 便利屋をやっていたマルティスに助けられたこと、彼が目を覚まさない私のために大金を払って治療してくれたこと、彼にその治療費を返済するためにペルケレに来て闘士になったことを話した。


「…金を返すために闘士なんぞになったのか?」

「はい。他に稼げる方法がなかったし、私、役立たずだし…」


 ゼルニウスは呆れた顔で私を見た。


「…いくらだ?」

「え?」

「借りた金はいくらだと聞いている」

「えっと…正確には聞いてませんけど、マルティスは闘技場で金貨一万枚儲けるつもりだって言ってました」

「金貨一万枚だと?嘘に決まっているだろう」

「…もちろん冗談だと思ってます。でもお世話になったことには変わりないし、マルティスがそうしたいっていうのなら協力しようと思ってました。私には他にいくところもなかったし」

「チームの残りの2人は?」

「ああ、ゼフォンとイヴリスのことですか?」


 この人は私がチームを組んで闘士をしていたことも知っているようだ。

 こうして助けに来てくれるくらいだから、それも当然か。


 私はマルティスが何かやらかして、帝国を追われて脱出する際、地下牢に囚われていたゼフォンを救い出したこと、旅の途中で魔族狩りからイヴリスを救出したことなどを話して聞かせた。

 話をするうちに、いつの間にかタメ口まじりになっていたけど、ゼルニウスは特に気にした様子もなく、私の話を聞いていた。


「トルマからセウレキアまで旅をしてきたのだろう?」

「はい。ここへ来るまではほとんど野宿でした。お金もなくて街に寄ることもできず、さっき言ったアルネラ村で収穫をお手伝いしてお金を貯めて旅の資金にしたんです」

「そうか。それは大変だったのだろうな」

「そうなんです。野宿なんて初めてだったから、いつもマルティスに役立たずって怒鳴られてたんです。でもその通りだから何も言い返せなくて。せめて役に立とうと思って川まで水を汲みに、小さな桶を持って2キロ以上の道のりを何度も往復したのに、マルティスってば遅いって怒鳴るんですよ?酷くない?」


 話すうちに、私自身の不満をぶちまけてしまった。

 最初こそ笑って聞いていた彼も、なぜだか徐々に不機嫌そうな表情になっていった。


「おまえは役立たずなどではないぞ。そのマルティスとやらがおまえの価値をわかっていないのだ」

「フフッ、ゼフォンと同じこと言うのね」

「あの槍の男か」

「うん。彼は闘技場のチャンピオンだった人で、何かと私を気遣ってくれるんですよ。イヴリスも良くマルティスと喧嘩してるわ」

「…フン。気に入らぬ。…だが、事情はよく分かった」


 彼は私の話を聞いて、いろいろわかったことがある、と伝えた。


「おまえは2年もの間眠っていたと言ったが、実際は半年前まで別のところで存在していたのだ」

「は?それ、どういうこと?私が2人いたってこと?」

「そうだ。どういうわけか精神と肉体が分離し、肉体だけが時空を遡ってしまったのだろう。それは、いわば中身のない抜け殻のようなものだ」

「抜け殻って…セミじゃあるまいし…」

「通常なら重複する存在は時空の修正力により消滅してしまうはずだが…どうやらおまえは人ならざる手により守られているようだ」


 時空の修正力?人ならざる…?

 悪いけど、もう私の理解の許容量を超えている。


「…ごめん、言ってることが全然わかんない…」

「わからなくて当然だ。これは人智を超える案件だからな。それに我にもわからぬことがまだある」

「ゼルニウスさんて何者…?」


 その名を口にした時、ふとアルネラ村の村長の云っていたことを思い出した。


『それが、ゼルニウスと名乗ったんです。後々調べてみたら、その名前は魔王だっていうじゃありませんか。もうビックリしたのなんのって』

『魔王の姿は人によって違って見えるんだそうです』


 そうだ…。

 村長が云ってた。

 ゼルニウスって名前は魔王の名だって…。

 魔王の姿は見る者によって異なる。

 そうか、ザファテって人がバケモノって云ってたのは、彼にはこの人がそう見えていたからなんだ。

 だからさっきこの人は、私に自分がどう見えるかって聞いたんだわ。

 やっぱり、この人って…


「ゼルニウスさんって、もしかして、魔王…?」


 私の言葉に、彼は反応した。


「なぜそう思う?」

「アルネラ村の村長が言ってたんです。ゼルニウスって名は魔王の名前だって…」

「だったらどうする?」


 私は慌てて立ち上がり、一歩後ろに下がった。


「や、やっぱりそうなの!?」


 彼もゆっくりと立ち上がった。


「来ないで!私を捕まえに来たんでしょ?」

「捕まえるだと?」

「こないだの決勝戦でのこと…噂を聞いたんじゃないの?」

「魔族を癒す能力のことか?」

「やっぱり…!知ってるのね」

「ああ」

「もしかして、私を閉じ込めるつもりでここへ連れて来たの?」


 亜空間なんて、絶対に逃げられない場所だ。

 ザファテから助けてくれたのは、私を捕えるためだったんだ。

 迂闊だった…!

 だって、こんなイケメンが魔王だなんて思わないじゃない。


「おまえは何か勘違いをしている。なぜ我がそんなことをすると思うのだ?」

「だって…魔王が私の力を知ったら利用しようとして捕まえに来るって、捕まったら一生閉じ込められるって仲間が言ってたわ」

「ほう?他には?」

「魔王は残酷で恐ろしくて、少しの失敗も許さないっていうし、魔族でも気に入らないとすぐ殺すって…」

「まあ、間違いではないな」

「や、やっぱり…!」


 もうどうしようもできない。

 ここから出る方法がわからないし、逃げたってすぐに捕まってしまうだろう。さっきみたいなすごい魔法を使われたら、私には抗う術はない。


「だとしたら、どうするんだ?」

「どうするって…こんな場所にいて、どうにかできるわけないじゃない」


 諦めてその場に座り込んだ私を、彼は笑って見ていた。


「恐ろしいと言いながら、ちっとも恐れていないように見えるが」

「そ、そんなことない!ずっと緊張してるわよ。これからどうなるのかって…」


 黒髪の青年は、フッと口元を緩ませた。

 彼は私に近づいて来た。

 ああ、どうしよう…!このまま囚われてしまうの?

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