第145話 漆黒の誘惑
ゴラクホール付近の大通りにようやく到着した傭兵部隊が見た光景は、街中で巨大な魔獣とドラゴンが戦っているところだった。
傭兵隊長を先頭に、人間のみで編成された傭兵部隊はその様子に戸惑っていた。
「なんだ、ど、どっちを攻撃したらいいんだ?それとも両方か?」
「治安局からは、魔獣が暴れているから退治しろとしか聞いていないぞ」
「隊長、どうします?」
「情報が不足しているな」
そこへ駆けつけてきたのはゼフォンたちだった。
「お!あんた…雷光のゼフォンじゃないか?」
傭兵の1人がゼフォンに声を掛けた。
どうやら闘技場に足しげく通っている客だったらしい。
「個人戦チャンプのエルドランもいるじゃないか!こんなところで会えるなんて嬉しいぜ!」
「あんたたち、傭兵部隊だな。今戦っているドラゴンとあの連中に手を貸してやってくれ」
「あの連中…?」
ゼフォンが指さす方向を見ると、魔獣と戦っているドラゴンを援護している数人の魔族たちがいた。
「あのドラゴンは味方なのか?」
「そうだ」
「よくわからんが、あれが味方だってんなら心強い。よし、了解した」
傭兵隊長はそう云って、部下を集めた。
ゼフォンが戦っているカナンに声を掛けると、彼は戦いを中断して駆け付けて来た。
イヴリスがあの魔獣についての知識があることを話し、ゼフォンは傭兵部隊との共同作戦を提案した。
傭兵たちもそれに同意し、魔族たちとの共闘作戦が始まった。
外で皆が魔獣と戦っている最中、ゴラクホール内では私とルキウスの前に漆黒の髪の魔族が現れていた。
同じ黒髪でもサラサラストレートの魔王と違ってクルクルした巻き毛の癖のある長髪だった。
黒の上下スーツの胸のあたりには白いヒラヒラのレースの襟がついていて、中世の貴族みたいな雰囲気があった。
私がその人物に目を奪われたのは、好みの顔だったからじゃない。
その唇が毒々しいほどに紅かったからだ。
怪しげなその人からルキウスは私を守るように前に立ちはだかった。
「あんた、誰だ?」
「私は魔公爵ザグレム」
魔公爵…?
噂に聞く魔貴族とやらなのだろうか。
ザグレムと名乗る男はわざとらしく大袈裟に礼を取った。
「そちらのお嬢さんを迎えに来たのだよ」
「え?私を…?」
「ここから避難させてあげようと思ってね。私ならここからひとっ飛びで安全な場所へ連れて行ってあげられる」
見ず知らずの人にそんなことを云われても「お願いします」とはならない。
私が断ろうとした時、ルキウスが口を開いた。
「…やめておいた方がいい。この人が味方だって言う保証はないよ」
「君には用はない。私が用があるのはその娘だけだ」
「…やっぱり目的はトワか」
「えっと、何なの…?」
「魔公爵って、魔貴族の中でもかなりの力を持つ大貴族だって聞いたことがある」
「そ、そうなの?」
「トワ、付いていっちゃダメだ。この人はきっと君の能力を狙っているに違いない」
私の手を掴んで、ルキウスはホールの通路へと駆け出した。
「やれやれ、邪魔なことだ」
ザグレムは怪しげに微笑んだ。
彼はふと振り返り、外へ脱出するために並んでいた人間たちの列に近づいた。
そして何やら数人の人間たちの肩に触れ、語り掛けたかと思うとその人間たちはザグレムの後ろにぞろぞろと列を成してついて来た。
10人程の人間、その全員が女性であった。
中には夫や彼氏らしき人物に、必死に引き留められている女性もいたが、彼女たちはそれを振り払ってザグレムの後についていった。
「君たち、あの青年を排除して、彼女を私の前に連れて来てくれないか」
「はい、ザグレム様」
「仰せのままに」
「お安い御用です」
ザグレムがそう命じると、女性たちは私たちに向かって全力疾走してきた。
面食らったのはルキウスだった。
「な、何だ?君たちは一体…」
彼女たちは履いていたヒールを脱ぎ捨てて疾走し、先回りして私たちを取り囲んでしまった。
ルキウスは、全く面識のない一般の女性たちがなぜ急に自分たちを追いかけてきたのかわからず、戸惑っていた。
「あなた邪魔よ。退きなさい」
ルキウスは女性たちに突き飛ばされ、腕を掴まれて羽交い絞めにされた。
「くっ、離せ!」
「大人しくしてちょうだい」
「な…何なの?あなた方は誰なんですか?」
「トワ、この人たち普通じゃない。逃げろ!」
ルキウスは叫んだ。
だけど私は逃げる間もなく囲まれてしまった。
「あなた、こっちへいらっしゃい」
「ザグレム様がお呼びなのよ」
「ぐずぐずしないで!」
見知らぬ女性たちによって怒鳴られ、両腕を掴まれた私は、ザグレムの前に連れて行かれた。
ザグレムは目の前に迫り、その指で私の頬から顎にかけてを指でなぞった。
ゾワゾワして鳥肌が立った。
「…触ら…ないで…」
「さあ、怖がらないで。私と一緒においで。そうすれば最高の夢を見させてあげるよ」
ザグレムがそう云うと、周囲にいた女性たちが私を睨みつけた。
彼女たちは、ザグレムに触れられている私に嫉妬しているかのようだった。
だけど私にはこの男に触れられることが不快でしかなかった。
私はザグレムの手をパシッ!と手で叩き、振り払った。
「勝手に触らないで!気持ち悪い!」
「何…っ?」
ザグレムは目を見開き、愕然としていた。
「誰だか知らないけど、こういうの痴漢と同じなんだからね!」
「私を…拒絶した…?」
ザグレムは信じられないとばかりに、はねのけられた自分の手を見つめた。
「そりゃそうでしょ?見ず知らずの男に触られたら嫌だもの」
私がそう云うと、ザグレムはもう一度手を伸ばして私に触れようとした。
もう一度、その手を叩き落した。
これに怒ったのは周囲にいた女性たちだ。
「ザグレム様になんてことするのよ!」
「信じられないわ!この女!」
「なんてもったいないことを!」
私は彼女たちに詰め寄られ、後ろへ下がった。
「何…?何なの?」
「許せない!ザグレム様の手を払うなんて!」
「そうよ、ザグレム様に触れてもらえるなんてこれ以上ない喜びなのに!」
「懲らしめてやるわ!」
「身の程知らず!思い知らせてやる!」
女たちは私に対して怒り心頭で、罰を与える許可をザグレムに求めた。
しかし彼はなぜか棒立ちのまま何やらブツブツと呟いていて、それどころではなかった。
「どうして…なぜだ?なぜ私のスキルが効かない?そんな女はこの世界にいないはずだ…」
茫然としている彼に許可を求めるのを諦めた女たちは、大声で罵詈雑言を吐きながらこちらへ迫ってくる。
ルキウスが女性たちを止めに入った
「今のうちに逃げろ!」
私はホールの通路へと逃げた。
ルキウスは顔を爪で引掻かれたり腕を噛まれたりして、止めるどころか返り討ちにされてしまった。
通路には脱出の順番を待つ人がまだ大勢いたため、進路を変えて人のいない客席上段の方へと逃げるしかなかった。
だけど女性たちは、走りにくいのかスカートの裾を破ってまで、異常なスピードで追いかけて来る。
ホールの外壁近くの最後尾の客席まで追い詰められた私は、女性たちに囲まれてしまった。
「さあ、もう逃げ場はないわよ」
「二度とザグレム様にあんな態度が取れないよう、お仕置きが必要ね」
「…こ、来ないで!」
もう何を云っても彼女たちには通じないと思った。
なぜ見ず知らずの彼女たちにこんなことをされるのか、私にはまったくわからなかった。
ついにはホールの壁際まで追い詰められ、絶体絶命のピンチに陥った。
「誰か…!マルティス、ゼフォン…カイザー、助けて…!」
私は思わずそう口にした。
すると次の瞬間、突然ホール内に突風が吹き荒れた。
空が突然陰ったかと思い、頭上を見ると巨大なドラゴンが飛来していた。
「ひぃっ!ドラゴン!!」
女たちは悲鳴を上げながら客席の下の方へと後ずさりした。
それでも逃げずに、めくれ上がるスカートを押さえながら、吹き飛ばされるのを必死でこらえていた。
「ドラゴンが…!」
ルキウスは驚き、ザグレムも我に返ったように空を仰いだ。
カイザードラゴンはドシン!と観客席を押しつぶしながら、私と女たちの間に着地した。
『トワ、無事か』
「カイザー…!」
私はカイザードラゴンを仰ぎ見てホッとした。
『この者らがお前に危害を加えようとしたのか』
「う、うん」
ドラゴンは遠巻きに見ている女たちをギロリと睨みつけた。
しかし女たちはザグレムのために目的を遂行しようとしか考えておらず、ドラゴンを目の前にしても怯えたりもせず、まったく退こうとしなかった。
それどころか、まだ口撃を止めなかった。
「こんなドラゴンを呼んで、私たちから逃げるつもりね?」
「逃がさないわ!ザグレム様への無礼、許さないんだから!」
「どこまで卑怯なの?最低ね!」
ドラゴンの背に遮られているため、私からは彼女たちの姿は見えず、私を罵る汚い言葉だけが聞こえる。
『貴様ら、いい加減にしろ。人間の女だからとて容赦はせぬぞ』
「やだわ、このドラゴン、魔物のくせに人間の言葉を話すわよ?」
「この女、魔族よ。こんな魔物呼ぶなんて法律違反だわ!」
「そうよ、この国では魔族は人間に楯突けないはずよ。私たちを威嚇するために魔物を召喚したにすぎないわ」
「このまま捕えて治安局に突き出して死罪になればいいのよ!」
「だったら今ここで私たちが代わりに鉄槌を下せばいいんじゃない?」
「そうだわ、ザグレム様に逆らった罪、その身で償いなさい」
『グルル…調子に乗るなよ、人間共…』
これには私よりもカイザーの方が腹を立てた。
最初は威嚇したように女たちに語り掛けていたカイザードラゴンだったが、女たちのあまりの非礼ぶりに、完全にブチ切れてしまった。
『トワ、こいつら、始末するが構わないな?』
「えっ?」
『我慢の限界だ』
「ま、待って…」
『これ以上、おまえを侮辱させるわけにはいかん』
「…!」
ドラゴンの喉がグルル、と鳴った。
「危ない、皆逃げろ!」
ルキウスが女たちに向かって叫んだ。
ところが女たちは誰一人として逃げなかった。
「何言ってるの?脅したってダメよ」
「私たちはザグレム様のためにこの女を始末するのよ」
ドラゴンは女たちに向けてゆっくり口を開けた。
それはまるでスローモーションのように思えた。
次の瞬間、ドラゴンの口から激しい炎が吐き出された。
ルキウスは咄嗟に受け身を取りながら脇に逃げた。
ドラゴンは首を左右に振りながら炎を巻き散らした。
悲鳴を上げる暇もなく、女たちの姿は炎の中にかき消されてしまった。
猛烈な熱に、列に並んでいた観客たちが振り向いた。
ホールの最後方に一匹の巨大なドラゴンの姿を見つけた観客たちは、恐怖のあまり我先へと逃げるように出口へ向かった。
私の位置からはドラゴンの体が壁になっていて、何が起こっているのかわからなかった。
ただ、炎の熱だけを感じた。
状況がわからず、私はドラゴンの後ろから前へ出た。
「ねえ…何が…」
前を見て呆然とした。
カイザードラゴンの前の地面には複数の黒く焦げた個所が点在しているだけで、いままでそこにあったはずの客席も何もかもが無くなっていた。
そこにあるのは、すり鉢状に焦げたホールの地面だけだった。
「ね、ねえ、ここにいた人たちは…?」
『燃やした』
「…燃や…え?それって、どういうこと?」
『おまえを守るためだ』
おそらくはそこに先程の女性たちがいたのだろう、人の形に黒く焼け焦げた跡が見られた。骨すらも残さず、その存在は消されてしまったのだ。
「し、死んじゃったの…?」
『これでも手加減はした。だが人間はこの程度の炎でも骨すらも残らぬほどに消し炭になってしまう程脆弱なのだな』
カイザーは静かに云った。
その言葉が信じられなかった。
「嘘…」
『あの者共は、あのまま生かしておけば、いずれおまえを害していただろう』
「だからって殺すことないじゃない…!どうして…?どうしてこんなことしたの!?」
『おまえは私に助けを求めたではないか』
「こんなこと、頼んでないよ!」
『私はおまえを助けるために行動した。おまえを害そうとする者を決して許さぬ。それがおまえとの契約だ』
「…そんな…わたしの…せい…?」
愕然とした。
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