第146話 嘆きの乙女

「もういい、戻って!」


 私が怒ったように云うと、カイザードラゴンは黒い煙になってネックレスに吸い込まれた。

 咄嗟に魔法防御壁マジックバリアを張ったため無事だったルキウスが駆け付けてきた。


「驚いたな…、君が今のドラゴンを呼んだの?そのネックレスに吸い込まれたように見えたけど」


 私はショックのあまり、ルキウスの声掛けにも答えられなかった。


「トワさん?大丈夫?」

「ルキウスさん、どうしよう…。ドラゴンが人を…殺しちゃった…。私のせいで…」

「君のせいじゃないよ。君を取り囲んでいた女性たち、普通じゃなかった。たぶん、さっきの黒髪の男のせいだよ。それに君じゃなくてドラゴンがやったことじゃないか」

「…でも、私が助けてって言ったから…」


 そのザグレムは、離れたところからこちらを見ている。

 ドラゴンに恐れおののき、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す人々の流れに逆らうように近寄って来る人々がいた。


「おい、見たぞ。あんたがあのドラゴンを召喚したんだな?」

「あんたがドラゴンを操って彼女たちを殺したのか!?」

「あんたのせいで、俺の妻が死んだんだ!」

「そうだ、おまえのせいだ!」


 それは先程の女性たちの身内の男性たちだった。

 彼らは、私のネックレスにドラゴンが吸い込まれて行くところを見ていたらしく、私がドラゴンを召喚して彼女たちを殺させたと思い込んでいた。


「人殺し!」


 そのストレートな言葉に、私はショックを受けた。


「おまえは僕の彼女を殺したんだ!彼女を返せよ!」

「俺の妻もだ!どうしてくれるんだ!」

「死んで詫びろ!」

「そうだ、そうだ!魔族なんか殺せ!」


 男たちに詰め寄られ、どうすることもできなかった。

 私は膝から崩れ落ちた。


「ごめんなさい、ごめんなさい…」


 ドラゴンのしたこととはいえ、結果的には彼女らの命を奪うことになってしまったことに変わりはない。私には謝罪することしかできなかった。


「待てよ、君たち!そもそも、彼女たちがトワを害しようとしていたんじゃないか!だからドラゴンが怒ったんだ!」


 ルキウスが私を庇うように彼らに云った。


「そんなはずがあるか!彼女は今日ここへ初めて来たんだぞ?」

「そうだ!その女を襲う理由なんかない!言いがかりもたいがいにしろ!」

「言いがかりじゃない!僕だって彼女たちに襲われたんだぞ!あんたたちだって様子がおかしいって思ってても止めもせず見てたじゃないか!」

「そ、それは…」


 男たちは急に口籠り始めた。

 ルキウスの指摘通り、彼らも女たちの態度が急変したことに気付いて違和感を感じていたのだ。


「あの男のせいだ!あいつが女性たちに何かやったんだ!」


 ルキウスは後方にいる黒髪の男を指差した。

 彼はすべての責任をザグレムに転嫁しようとしていた。

 人間たちが一斉にザグレムを振り向いた。


 するとザグレムは片手を挙げて、大きな声で彼らに云った。


「私は何もしていないよ。彼女がドラゴンを呼んで女たちを葬ったことに疑いの余地はない。罰すべきはそちらではないのかね?」

「そ、そうだ。そいつがドラゴンを呼んで彼女を殺したことは事実だ!」

「そうだ、そうだ!全部その女が悪い!」 


 黒髪の男に焚きつけられた形で、人間たちはさらにヒートアップして私を責め始めた。

 人を助ける仕事をしていた私にとって、「人殺し」という言葉は胸に深く突き刺さり、精神的にこたえた。

 自然と涙が浮かんできた。

 その時、ネックレスからカイザードラゴンの声がした。


『おまえは悪くない。謝る必要などない、人間などに頭を下げるな』

「違う…違うよ。それでも、殺すべきじゃなかった。だけど、あなたを責めることはできない。だって…助けてくれって言ったのは私だもの。だから、あなたを止められなかった私の責任なのよ」

『承服しかねる。今すぐ私を呼び出せ。そこの連中も責任を擦り付けたそっちの魔族も消し炭にしてやる』

「ダメ!これ以上私を人殺しにさせないで!」


 人々に詰め寄られ、「人殺し」と罵られることにはもう耐えられない。

 これ以上、罪を重ねたくない。

 するとカイザードラゴンは、人々に聞こえるようにネックレスの中から叫んだ。


『下がれ、下郎ども!きさまら全員食ってやろうか!』


 カイザードラゴンの怒声が人々にまで伝わって、取り囲んでいた男性たちは驚いて後ずさった。


「なんだ?どこから声が…」


 人々は、ドラゴンの姿を探したが、気配がないことを察知して、再び勢いづいた。


「ドラゴンの声色を使って脅すなんて、卑怯だぞ!」

「見たことあると思ったら、この女、魔族の闘士だ!」

「やっぱり魔族は信用ならない!追い出すべきなんだ!」

「人間を殺した魔族は死罪だ!」

「治安局に突き出せ!」

「処刑しろ!」


 彼らの怒りは姿の見えないドラゴンにではなく、私に向けられた。

 私に掴みかかろうとして、手を伸ばしてくる者もいた。

 それをルキウスが間に入って、必死に止めてくれている。


「やめて!もうやめて…!」


 怒声を聞きたくなくて、思わず両耳を塞いだ。


「魔族の女め!土下座して謝れ!」

「そうだ!責任を取れ!」

「人殺し!死んじまえ!」


 若い男が投げた小石が私の頭に当たった。


「痛っ」


 つう、とこめかみから血が一筋流れた。


『!!』


 それを見たルキウスは青くなって、怒りをにじませた。


「あんたたち、いくらなんでもやりすぎだ!」

『貴様ら…!よくもトワを傷つけたな!殺す…!!』

 

 カイザーは黒曜石が少し熱く感じるほどに怒っていた。

 そして自分を呼び出せとせがんだ。

 私はそれを無視して、深々と頭を下げた。

 土下座して謝れというのなら謝る。

 謝って済む問題じゃないけど、今の私にはこれしかできなかった。


 私が地面に両膝をつこうとした時、誰かが私の腕を掴んで引き上げた。

 私はその人を驚きをもって見上げた。

 サラサラの黒髪に金色の瞳。

 見惚れる程に整った顔。

 その顔は少し怒っていた。


「あ…あなたは…」

「よせ。そんなことをする必要はない」


 それは魔王ゼルニウスだった。

 もちろん、その場にいる人たちは彼が何者であるか知らない。

 彼は突然現れて、私を両腕で軽々と抱き上げた。


「遅くなってすまなかったな」


 彼は私を抱いたまま、取り囲む人々の方を振り向いた。


「な…なんなんだおまえ、ば、化け物め!」

「どけ!その女は人殺しだ!」

「そうだ、そいつを吊るすんだ、邪魔をするな、魔族!」


 彼らの目には、魔王の姿はそれぞれ異なる姿に映っていたのだろう。

 それでも強気なのは、この都市では魔族は人間に逆らうことができないと信じていたからだ。

 魔王は人々を睨みつけ、一喝した。


「黙れ」


 魔王はほんの少し、魔のオーラを解放した。


「ひっ…!」


 すると人間たちはそのオーラに圧倒され、立っていられなくなりその場に崩れ落ちた。


「貴様ら、よくも我の大切な者を傷つけたな…!」


 彼らは見えない大きな力で上から押さえつけられるように地べたに這いつくばった。

 それは魔王の重力魔法だった。


「うう…うごけ、な、い…」

「い、息が…」


「何が人殺しだ。貴様らだって闘技場の魔族たちが虫けらのように殺されるのを笑って見ていただろうが」


 人間たちは地面に這ったまま、身動き一つ取れない状態で魔王の言葉を聞いていた。

 胸を圧迫され、息をするのがやっとで、言葉を発することすら難しくなっていた。

 ルキウスには魔法は及ばなかったものの、魔王の魔のオーラにあてられたのか、ブルブルと小刻みに震えながら立ち尽くしていた。


「大丈夫か、トワ」


 彼は優しく私に語り掛けた。

 私は涙越しに、彼の金色の瞳を見た。

 その目を見た途端、気が緩んで涙が溢れ出た。

 言葉が出て来ず、ただ彼に縋りついて泣くことしかできなかった。


「う…ううっ」

「怪我をしているではないか…。酷いことをする」


 魔王はそう云うと、血の滲むこめかみに優しく唇を当てた。


「トワに怪我をさせたのはどいつだ?」

「ひっ…」


 魔王の問いに声を上げた者が1人いた。若い男だった。

 魔王はその男をギロリと睨み、彼にだけ魔法を解除した。


「おまえか」

「ひいっ…!ち、ちがっ…お、俺は…ちょっと脅すつもりで…」


 若い男はそう云いながら、立ち上がって逃げようとした。

 魔王がフッと息を吹きかけると、その男の身体は瞬時にその場から消えた。

 正確には消えたのではなく、目にも止まらぬ速さで飛ばされたのである。

 その男は悲鳴を上げる間もなくものすごいスピードで宙を飛ばされ、ホールの一番外側のフェンスに激突して宙づりになったまま気絶してしまっていた。

 目の前で男が飛ばされたのを見て、他の人間たちは恐怖のあまり震え上がった。

 それを見ていた私は思わず叫んでいた。


「やめて…!あなたもカイザードラゴンと同じことをするの?」

「罰を与えただけだ」

「もうやめて…お願い」


 私は涙をこらえて云った。


「…わかった」


 魔王は傍にいたルキウスに視線を移した。


「何があったか説明せよ」

「あ…あの男のせいです!あの男が、女たちを操ってトワを追い詰めたんだ!だからドラゴンは彼女を庇って女たちを焼いたんだ…!」


 そう叫びながらルキウスが指さした先には、背中から翼を出して飛び立とうとする漆黒の巻き毛と紅唇を持つ男の姿があった。


「ザグレムか」


 ザグレムは魔王の方をチラッと見て、慌てて飛び去って行ってしまった。


「なるほど、奴が魅了スキルで人間共を操っていたのか」


 魔王は今のルキウスの説明ですべてを理解したようだ。

 ようやく涙が止まった私は、魔王の今の言葉の意味を尋ねた。


「魅了スキルって…?」

「ザグレムという者の固有ユニークスキルだ。人を籠絡して操り、自分の代わりに行動させる厄介な精神スキルだ。特に女が操られることが多い」

「…あの女の人たち、それで操られていたの…?」


 あんな気持ち悪い男に好きに操られるなんてゾッとする。


「奴と言葉を交わし、その体に触れられただけで簡単に虜になってしまう」

「え!触れられるだけで…?」


 私の反応に、魔王はピクッと右眉を吊り上げた。


「まさか、奴に触れられたのか?」

「うん…このあたり」


 私は自分の顎のあたりを指でなぞった。

 魔王は驚いて私をじっと見つめた。


「…なんともないのか?」

「気持ち悪かったから、あの人の手をはたいてやったの。そしたら女の人たちが怒って追いかけてきたんです」


 私の言葉に、魔王は目を丸くした。


「…驚いたな。おまえには奴のスキルが効かぬということか」

「そ、そう…なの…?」


 魔王は地べたに寝たままの人間たちを見下ろした。


「この者たち、どうする?」

「自由にしてあげてください」


 魔王は仕方がない、という顔で人間たちへの魔法を解いた。

 重力魔法から解放された人々はようやく立ち上がった。

 私は魔王に降ろしてもらい、彼らの前で頭を下げた。


「本当にごめんなさい。謝って済むことじゃないけど…私にできることがあれば…」


 するとカイザーがネックレスの中から声を上げた。


『謝るな、トワ。おまえは悪くない。すべて私がしたことだ』


 すると1人の男が叫んだ。


「そうか、わかったぞ、外の魔獣もおまえが召喚したんだろ!」

「…え?」


 この発言に人間たちはざわついた。

 今度は別の男が云った。


「魔族め!おまえら人間を皆殺しにするつもりだな!?」


 これには私も唖然とした。


「違うわ!私たちは魔獣を止めようとしただけ…」

「騙されないぞ!やっぱり魔族なんて信用できん」

「謝るフリしてそんなバケモノを呼び寄せて、俺たちを殺すつもりだったくせに!」


 人間たちは自分たちの勝手な解釈と妄想を現実として話し出した。


「どうしてそんな…!そんなわけないじゃない!話を聞いて!」


 私は声を振り絞って叫んだ。


「魔族の言うことなど、信用できるか!」


 人々は再び私を責め始めた。


「誤解よ!どうしてわかってくれないの?」

「無駄だ」


 魔王は冷静に云った。


「どうして…?」

「奴らの根底には魔族への畏怖がある。いくらおまえが謝罪をしても、奴らは聞く耳を持たぬ。謝れと言っておきながら、はなから受け入れるつもりなどないのだ」

「そんな…!」


 ショックだった。

 私が思っている以上に、人間と魔族の間には溝が出来ているんだ。

 魔王は人間たちをひと睨みして云った。


「貴様ら、命が惜しくばとっとと立ち去ることだ。それとももう一度地面を舐めるか?今度は二度と立ち上がれぬよう内臓を潰してやるぞ」

「ひぃっ!」


 彼らは短く悲鳴を上げて後ずさりした。


「治安局に訴えてやる!魔族なんか全員死罪にしてやるからな!」

「魔族なんか皆殺しにされちまえ!」


 人間たちはそう捨て台詞を残して、その場から逃げ出した。


『今の物言いは納得いかん。あのまま見逃してよいのか?』

「仕方あるまい。トワがそうしろと願うのだ」

「…ごめんなさい。でも、あの人たちの気持ちもわかるから…。大切な人を失くしたんだもの、怒るのも無理ないわ」


 私は改めて魔王を見上げた。


「あの…助けに来てくれてありがとう」

「礼には及ばぬ。部屋まで送ろう。外の魔獣の決着もついている頃だ」

「あ…!魔獣、倒されたの?」

「ああ。傭兵部隊と合流して上手くやっているようだ」

「そう…。結局私、何の役にも立てなかったのね…」


 しくじった。

 自分のことで頭がいっぱいで、魔獣と戦ってるゼフォンたちのことを失念していた。

 彼らだって命がけで戦っていたのに…!

 これじゃ、足手まといどころか役立たずだ。


 そんなことを思ったら、また涙が出て来た。


「私…どうしよう。どうしたらいい?人殺しって言われちゃった…。なんだかもう、わかんなくなってきちゃった…」

「1人で思い詰めるな。おまえには我が付いている」

「…どうして…?どうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」


 どうして魔王が私を助けてくれるのか、未だによくわからない。

 魔王はそれには答えず、ただ微笑を返した。


「ひとつ、教えておいてやろう。ザグレムの魅了に掛かった者は死ぬまで解けぬ。どのみちあの男たちの元へは戻ることはなかっただろう」

「そ、そうなんですか…?」

「それに、ザグレムは駒として使うだけで、人間など相手にしない。魅了された者たちには気の毒だが、いずれ捨てられ魔族の愛人たちによって殺される運命だ。ここで苦しまずに死ねた方が幸せだったやもしれぬ」


 魔王は優しく語り掛けてくれた。

 彼は、私が女性たちを死なせてしまったことに対して感じている罪悪感を少しでも軽くしてくれようとして、こんな話をしてくれたのだろうか。

 真偽はどうあれ、今はその優しさに縋りたかった。


「送って行こう」

「え」


 そう云って魔王は再び私を両腕に抱き上げた。


「あ、あの…」

「しっ」

「え…?」


 魔王は私のおでこに額をくっつけてきた。

 イケメン過ぎるその顔を直視できず、慌てて目を閉じた。


「今は何も考えず、眠っておけ」

「…」


 そうするとどういうわけか、強烈な眠気に襲われた。

 いつの間にか彼の腕の中で、私は眠ってしまっていた。

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