第115話 優星アダルベルト

 最初は夢だと思った。

 もう一度目覚めれば、きっとラエイラのビーチにいるはずだ。

 そう思って、何度も眠り、何度も目覚めた。

 だけど、何度目覚めても同じこの薄暗い部屋にいた。


 大司教からは「君は生まれ変わったんだ」とだけ聞かされ、下着とローブのような布を身に着けさせられ、この部屋に入れられた。

 外から鍵が掛けられていて、勝手に外に出ることはできなかった。


 一日に2回、食事が運ばれる以外、扉が開くことはない。

 ここがどこで、外で何が起こっているのかも一切わからない。

 何もないこの部屋で、ただ膝を抱えているしかなかった。

 なんで、どうしてこうなった?


 …僕はラエイラでサーフィンを楽しんでいたんだ。

 ホテルに戻る途中で、レナルドに声を掛けられた。

 …それから記憶がない。

 気が付いたらこうなっていた。


 そもそも、なんで、僕は魔族になんかなっているんだ?

 この体は、何だ?誰なんだ?

 僕の身体はどうなった―。


『この体、私じゃないの。この世界に来た時、こうなってたのよ』


 そういえば昔、たしかトワがそんなことを云っていた。

 自分の身体じゃないものに、自分が乗り移っている感じだって。

 今の自分の状態は、まさにそれではないか。

 あの時は、悩む彼女の気持ちなんかちっとも考えずに笑って茶化してた。

 皆で彼女の元の身体がダメになってるとか、生きててよかったじゃん、なんて他人事のように平気で言っていた気がする。

 それが今、自分の身に降りかかっているなんて、なんていう皮肉だろう。


 考えてみると、僕はいつもそうだった。

 いい人のふりをして話を聞いてあげて、その実、他人のことなんか大して関心がなかった。

 人に嫌われないように、うまく立ち回っていただけだ。


 …恋愛もそうだったな。

 僕の恋愛は、本命には嫌われないように距離を置いて、付き合うのはいつも手軽で安全な相手とだった。

 初めて好きになったのは同級生で…気持ちを打ち明けたら「気持ち悪い」って拒絶された。冗談だよってごまかしたら、すごくホッとされた。

 その時の彼は、僕をまるで化物みたいな目で見たんだ。

 それから僕は相手の顔色を伺って、自分の気持ちを偽るように生きてきた。

 大学に入ってからは、同じゲイ仲間の友人もできたけど、僕の気持ちはいつも偽物だった。


 でもそんなの、今の状況に比べたらホントどうでもいいことに思える。

 こんな姿になってまで、恋愛の悩みなんてバカみたいだ。だけど、そんな他愛もないことで悩んでいた頃がもはや懐かしい。

 ああ、考えれば考えるほど理不尽だ。

 僕が一体何をしたっていうんだ?

 のほほんと生きてきたことへの神様の罰だとでもいうの?

 だったらどうしてそれが僕なんだよ?他の誰かでも良かったじゃないか!


 …こんなの酷すぎる。

 よりによって、魔族だなんて。

 僕は自分の外見にそれなりに自信を持ってたし、満足もしていた。

 じっくり鏡を見ていないから何ともいえないけど、元の姿からはきっとかけ離れているだろう。

 こんな姿じゃ将に会っても、きっと僕だとわかってもらえない。

 こんなことになるとわかっていたなら告っとけばよかった。


 …って、僕はこんな姿になってもまだこんなことを考えているし。

 バカだ…。どうしようもない。

 とりあえず、元の姿に戻れる方法を探そう。その前に、自分の身体を探さないといけない。

 あれから僕は、目隠しをさせられて歩かされ、なんだかよくわからないうちにこの牢獄みたいな部屋に入れられた。

 暗くてカビ臭い部屋には粗末なベッドとトイレだけがある。


 こんな姿で生きて行くのは絶対嫌だ。

 誰か、助けてよ。

 将、エリアナ、誰でもいい。僕をここから救い出してよ…!


 現実を受け入れられなくて落ち込んでいると、ふと声が聞こえた。

 隣の部屋からだ。誰かがいる。

 勇気を出して、壁越しに話かけてみた。

 すると、返事があった。


「あの…。あなたは誰ですか?」

「私はイシュタルという。今日、ここへ連れて来られた」

「イシュタル…さん?」

「北国境砦で連隊長をやっていた者だ。魔族との戦いで負傷し、カブラの花粉にやられてずっと施設に入院していたんだが」

「国境砦?あ…ああ!イシュタルって、確か…。僕あんたを知ってるよ!あの連隊長さんだろ?」

「なんだ、私を知っているのか?君は誰だ」

「僕は、勇者候補の優星アダルベルトだよ!」

「勇者候補?なんと…!」


 驚いた。

 まさか、あの国境での戦いで一緒に戦った人とこんなところで再会するなんて。


 その後、お互いの知っている情報を交換した。

 お互いの素性がわかってホッとしたが、どうやらイシュタルの方も魔族の体になっているようで、お互いやはりこの理不尽な現実を受け入れられないでいた。


「どうしてこんなことになってしまったんだろう…」

「考えても仕方がない」

「あんたは納得してるのか?」

「まさか。討伐すべき魔族に自分がなってしまうなど、想像すらしなかったよ。倒すべき魔族の神イシュタムをもじって名をつけるほど、私の両親は魔族を憎む敬虔な信者だったというのに」

「へえ、イシュタルってそこからきてるんだ?カッコイイ名前だと思ったけど、敵対する神の名前をつけるなんて独特だね」

「そうすることで敵のパワーを取り込んでねじ伏せられると信じていたのだ」

「…信心深いんだね」

「両親は帝国においても熱心な魔族排斥論者だったからな。こんなことになってはもう会う事すら叶わん」

「そうだね…。僕だって、仲間に会ってもきっと…」


 そうしてしばらく沈黙が訪れた。

 やがてイシュタルが云った。


「ここから出よう」

「え?でも鍵が…」

「忘れたのか。我々は魔族の身体を持っているんだぞ。こんな扉ぐらい壊せるはずだ」

「言われてみれば…」


 イシュタルは自分のスキルを確認してみよう、と提案した。

 云う通りにしてみると、確認の仕方が直接頭の中に映像として現れたことに驚いた。

 それでわかったことだが、元の自分が持っていたスキルはひとつもなくなっていて、見たことのないスキルばかりが残されていた。

 これは、この体の持ち主のスキルなんだろうか。体が変わるとスキルまで入れ替わるのか。

 だけど、どういうわけか攻撃スキルはほとんどなくて、能力向上系や肉体強化系のスキルばかりだった。

 能力向上系スキルを発動してから扉に体当たりすると、扉はあっけなく壊れた。


「すげ…!本当に出られた…」


 魔族の肉体ってやっぱりすごい。

 同じように隣の部屋の扉を打ち破って出て来たイシュタルの姿は、自分よりも少し背の低い、スラリとした魔族だった。彼も自分と同じような緋色のローブを纏っていた。


「行こう」


 僕はイシュタルと2人、暗くゴツゴツした通路を裸足で走った。

 自分たちがいた場所がどうやら地下だったことがわかった。


 階段を登っていくと、ようやく知っている場所へ出た。

 ああ、ここは大聖堂の地下だ。

 いつの間にか大聖堂に戻って来ていたんだ。

 この階段の先には、大聖堂の礼拝堂があって、そこではいつも市民が司祭の講話を聴いていて…。


「待て。何かおかしい」


 イシュタルが声を掛け、礼拝堂へ通じる出口の扉を開けようとしていた僕を止めた。

 気のせいか、何かが燃えたようなキナくさい臭いがした。

 この扉は礼拝堂の信者が入って来られないように外から暗幕が掛けられて隠されている。

 扉を少しだけ開けて、暗幕越しに礼拝堂の中を見た。

 大勢の市民がいるようだけど、なにか様子がおかしい。


「何が起こってるんだろう?」

「しっ、声を出すな」


 イシュタルが注意した。


「なんか、煙たくない?」


 気のせいか、目もシバシバしてきた。


 そのうち、市民たちの悲鳴が聞こえ始めた。

 人々は逃げまどい、ある者は炎に焼かれて駆け回り、ある者は人に踏まれて倒れた。


「熱っ…なんだこれ。火事?」


 暗幕越しに熱を感じる。

 それになんだか焦げ臭い。


「礼拝堂が燃えてる…!!」

「やっぱり火事なんだ!」

「扉を閉めて、一旦地下へ戻ろう。こっちにまで煙が充満する」


 イシュタルの言葉に従って、僕たちは扉を閉めて踵を返した。

 その直後、背後に熱風を感じて振り向いた。

 誰かが扉を開けて入って来た。


「えっ?」


 灰色のローブを着た人物がそこに立っていた。


「誰だ!?」


 反射的にイシュタルが僕を庇うように前に立った。

 そこに立っていたのは灰色の長髪に碧色の目をした、美しい顔の人物だった。


「…魔族?」

「おまえたち、地下から出て来たのか?」

「…あんたは誰だ?」

「私はイドラ。おまえたち被験者を匿ってやっていたのだ」

「被験者?」

「ここにいるのは危険だ。ついて来い」


 僕らは何が何だかわからず、イドラと名乗る人物の後をついていった。

 イドラは僕らのことを知っているようだった。

 彼は大きな皮袋を引きずっていて、僕らはなぜかそれを担がされた。


 そのままとぼとぼと地下通路を歩きながら、イドラはつい先程、礼拝堂で起こった事を話してくれた。

 それは驚くべき内容だった。

 大司教の正体が魔族だったこと、それを勇者候補たちが倒したこと、大勢の市民が巻き添えになって虐殺されたこと、礼拝堂が大司教だった魔族によって燃やされてしまったことを語った。


「大司教が魔族って、本物の大司教に取って代わってたってこと?じゃあ本物の大司教はどこに行ったんだい?」

「そんなものは最初からいない」

「…そんなことってある?だいたい、何で魔族が魔族排斥なんて言ってるんだよ?意味が分からないよ」

「それは…いずれわかる」


 イシュタルはずっと黙っていた。

 大司教が魔族だったと知り、やはりショックだったのだろう。


「さっき、僕らのこと被験者って言ったよね。一体何の被験者なんだ?」

「<移魂術>というスキルの実験だ。魂を、他人の体に移す、魂の乗せ換えの実験だ」

「魂の乗せ換え!?一体どうやってそんなこと…」

「100年前の勇者が持っていたスキルだ。これまで何度も試してきたが、魔族の体で成功したのは君たちが初めてなのだ」

「冗談ではない!魔族なんかになりたい人間がどこにいる!」


 イシュタルは吐き捨てるように云った。


「ところがそうでもないのだ。魔族になりたい人間は大勢いる。王侯貴族などの権力者の中には、不老長命の魔族の身体を手に入れたいと願う者も多いのだよ。彼らはこの実験に大金を払ってくれているんだ」

「金儲けのための実験で私たちはこんな姿になったというのか!?ふざけるな!」


 イシュタルが声を荒げた。


「その通りだ」

「嘘だろ…信じられない…!」

「君たちの実験が成功した以上、今後魔族の身体に乗り換えをしたいという申し込みが殺到するだろうよ」

「何で僕たちが実験に選ばれたのさ?」

「詳しいことは知らん。たまたま死に掛けていたから選ばれたのかもしれん。特に君は異世界人だから選ばれたのだろう。そのおかげでわかったことがある」

「わかったこと?」

「異世界人は成功する確率が高い。そして異世界人と同じ場所で<移魂術>を行ったそちらの君も成功したというわけだ」


 イドラはイシュタルを指差した。


「そういうことか…。だが、私はそんなこと頼んでいない!」

「君は死に掛けていた。<移魂術>で生き永らえたのだ。感謝するのだな」

「だれが魔族の体になどなって嬉しいものか!」


 イシュタルは本気で怒っていた。


「もしかして今まで何人もこんなことをして失敗してきたってわけ?」

「ラエイラの『人魔研究所』という施設の奥には実験に失敗して不死者ゾンビイになった者共が大勢いる」

「なんということだ…!実験に失敗すると不死者ゾンビイになってしまうのか!?」

「そうだ」

「…それじゃ僕、死んだの?」

「ああ。気の毒だが」


 うっすらとわかっていたけれど、やっぱり僕は死んでしまったらしい。

 だけど、どうして?


「もしかして…誰かに殺されたの?」

「おそらくな」

「そんな…」

「私の場合はきっとあのまま死んだのだろうな。元の私の体はどうなった?」

「君たち2人の遺体は、人魔研究所の遺体安置所に保管されているはずだ。移魂術はあそこで行われたからな」


 イドラは事務的に答えた。


「元の体に戻してくれ!」

「そんなことをすれば死ぬぞ」

「魔族になるくらいなら死んだほうがマシだ!」


 イシュタルは必死で訴えた。


「悪いがそれは出来ん。君たちは魔族として生きていくしかないのだ」

「無茶言わないでよ。今だって自分が誰かもわからないのに」

「魔族には各々魔法紋クレストというものがある。腕に印があるはずだ。それに触れて念じれば、自分の名前や立場、親子関係なども確認できるはずだ」

魔法紋クレスト…?」


 自分の腕を見てみると、確かに左腕に細い腕輪ブレスレットのような刺青があった。それに触れると青く光る。これが魔法紋か。


「あ…!すごい、なにこれ。文字じゃなくて頭の中で映像が言葉に変換されて認識できるんだ?」

「魔族は文字など必要としない。より直接的でわかりやすいだろう?」


 イドラはどことなく自慢気に見えた。

 人間より魔族の方が優れているとでも言いたげな感じだ。


「…この体の持ち主はエルヴィンというのか。しかも魔貴族の一族とは…。私は、本当に魔族になってしまったのだな…」


 イシュタルがポツリと呟いた。


「僕はアルシエルだって。待って、魔王守護将って…!?嘘だろ…!?」

「君らのその体は人魔大戦で敗れた魔族の将たちだ。仮死状態のまま100年もの間大切に保管されて来た器だ。あのまま置いておけば、おそらくはエウリノームとタロスの器として上書きされたに違いない。だから君らを密かにこちらへ連れ出したのだ」

「どういうこと?」

「二度も死にたくないだろう?」


 僕にはイドラの云っている意味がさっぱりわからなかった。


「私たちは、これからどうなるんだ?」

「これからは私に従ってもらう。君たちがこの国で生きていくためだ」

「あんたは一体何者なんだ?」

「この国の魔族を統べる者だよ」


 イドラはそう云って笑った。

 もはや僕たちに選択肢はなかった。

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