第114話 大聖堂の惨劇(後編)

「殺せ!殺せ!」


 興奮する市民らを押えながらも、聖騎士たちは大司教を取り囲んだ。


「くそっ!こうなれば、この宝玉でこいつらを…」


 大司教はローブの袖の中から宝玉を取り出した。

 仮面の人物がすかさずそれを大司教の手から奪い取った。


「はいはい、ずるいことしないの!集団催眠にでもかけるつもり?」


 仮面の人物は笑い声をあげながらひらりと大司教の後ろへジャンプした。


「貴様、それを返せ!」


 大司教は仮面の人物を追いかけようとして背を向けた瞬間、聖騎士に背中から剣で刺された。


「ぐわっ!」


 別の聖騎士も剣を抜いて大司教の背中を刺すと、大司教は壇上に倒れ込んだ。


「殺せ!殺せ!」

「殺せ!殺せ!」


 民衆の煽りを受けて、聖騎士たちは交代で大司教の身体の上に乗っては、剣を突き刺し続けた。

 その様子はまるで熱狂する観客の前で見せる見世物小屋の残酷な出し物のようだった。

 それでも大司教はまだ死んでいなかった。


「貴様ら…よく、も…おの…、れ」


 大司教が地を這うような低い怨嗟の声を上げたかと思うと、突如彼の体から炎の柱が立ち上った。

 彼の上に馬乗りになって剣を刺していた聖騎士の全身が炎に包まれた。


「ぎゃああ!」


 炎に包まれた聖騎士が壇上から転げ落ちると、集まっていた人々はそれを避けようとして逃げ惑った。

 大司教だった者はゆっくり起き上がった。

 その体は全身を炎に包まれ、身に着けていたローブは少しずつ焼け落ちていった。

 それはさながら炎の魔人のようだった。

 だが炎の魔人の体からは多くの人間に刺された傷により、血が滴り落ちていた。


「人間風情が、よくも…よくもよくもこの私を…」


 近くにいるだけでも火傷しそうなほど発火している炎の魔人を前に、さすがの聖騎士たちも逃げ腰になった。剣で切りかかろうにも、その熱で近づけないのだ。


「この業火の魔人タロスが、貴様らを火あぶりにしてくれる」


 炎の魔人は両腕から炎を火炎放射器のごとくまき散らし、周囲にいた人間たちを次々と火だるまにしていった。大聖堂内に焦げたイヤな臭いが立ち込めた。


「あらら、いいの?大司教様が市民を虐殺なんてさあ」


 仮面の人物は再び大司教の背後に現れた。


「貴様、カラヴィアだな…?どういうつもりだ。なぜここにいる?」

「フフッ、ずっと傍にいたのに気付かないからさ、大司教っぷり、なかなか滑稽だったわよ。だけどやりすぎたのよ」

「貴様も殺す!」

「あんたみたいなのろまがワタシを殺すなんて無理無理!でも、あんたを倒すのはワタシの可愛い生徒たちに任せるわ。じゃあね~」


 仮面のカラヴィアは大聖堂の壁をすり抜けるように消えていった。


 壇上にいた勇者候補たちは、大司教が魔族だったことを知ってショックを受けていたが、市民たちに被害が出始めたのを見て我に返った。


「将!このままじゃ皆、焼け死んじゃうわ」

「ああ、やるしかない」


「…ああ…嘘…嘘よ…こんなこと、夢よ…」


  アマンダは信じていた大司教が魔族だったというショックから、まだ立ち直れていなかった。


「アマンダ、しっかりして!」


 エリアナは、怯えているアマンダを叱咤した。

 だが彼女はひどく混乱していた。

 そんな彼女の肩を叩いたのはゾーイだった。


「アマンダ、恐れるな。今すべきことは目の前の魔族から市民を守ることだ。君の力を貸してくれ」

「ゾーイさん…」


 アマンダはようやくいつもの自分を取り戻した。

 勇者候補パーティは炎の魔人の前に立ち塞がった。


「覚悟なさい!大司教の偽物!」


 エリアナの叫びと同時に炎の魔人に向けて、風の魔法を撃った。

 だがそれは上手く躱されてしまう。

 炎の魔人は火炎放射を浴びせて来たが、ゾーイが盾で受け流し、アマンダは彼らを援護した。

 将は光の魔法を付与して剣で攻撃した。

 聖属性魔法である光魔法を纏った剣撃は、炎の魔人に確実なダメージを与えた。

 聖騎士たちにより深手を負っていた魔人には相当な痛手だった。


「ヒデト、こっちへ」


 この騒ぎの中、檀上のシンドウに声をかけたのはダリアだった。

 皇女を抱えたシンドウは、彼女に導かれて壇上から降りて裏口へ移動した。

 だが、その行く手をいつの間にか後を追ってきたノーマンに阻まれた。


「皇女殿下を返せ!」

「ヒデト、皇女はもう必要ないでしょう?返してあげなさい」


 ダリアの言葉に彼は従い、皇女を手放すと、幼い少女はノーマンに向かって駆け出した。

 皇女はノーマンに抱きついて、ホッとしたのか、大声で泣き出してしまった。

 その隙に、シンドウたちは逃げてしまったが、ノーマンは泣きじゃくる皇女に抱きつかれていて彼らを追うことができなかった。

 ノーマンは、皇女を保護することを優先し、後を部下たちに任せ、先程シンドウたちが逃げた裏口へと走った。

 ノーマンの部下たちは、押し寄せる市民たちをかき分けて講壇の前へ駆けつけた。


「我らも加勢する!」


 彼らはそう云うと、勇者候補たちの攻撃に加わった。

 手負いの炎の魔人は、それでも手ごわかった。

 だが、勇者候補と黒色重騎兵隊の苛烈な攻撃により、魔人は瀕死の状態になっていた。


「ぐぬぬ…貴様らも道連れにしてや…る…」


 魔人はそう最期に云い残すと、その体が倒れる前に爆発にも似た大きな炎が上がった。

 爆発は咄嗟に黒色重騎士らが展開した防御壁によって、またゾーイの盾で防がれたため、彼らはかすり傷ひとつ追うことはなかった。

 だがその爆発は礼拝堂の天井を破壊し、火は建物全体に燃え広がって行った。

 天井から瓦礫と火の粉が降ってくる。


「ここは危険です!皆さん、脱出してください!」


 アマンダが、叫んだ。

 市民たちは逃げようと出口の扉に殺到して、将棋倒しのような状態になった。

 なぜか出口の扉は固く閉じられていて、市民たちが必死で叩くが、扉はビクともしなかった。

 天井が崩れ落ち始め、火の手が徐々に迫ってくる。


「開けろー!」

「開けてくれ!!」


 市民らが扉をドンドンと叩く。

 礼拝堂の外にいた公国聖騎士団は、これ以上中に市民を入れないために、外から扉を封じていたのである。彼らは中で起こっている惨劇を知る由もなかった。


 礼拝堂の扉を壊そうとした将は舌打ちした。


「チッ、人が邪魔で扉を壊せないぞ」

「将様、裏口に回りましょう」

「皆、こっちよ!」


 エリアナが市民らに声を掛けながら炎の中を走った。


 人々が逃げ出そうとしている中、燃え盛る礼拝堂内を講壇の方へただ1人歩く者がいた。

 その人物は、壇上に上がり、燃え尽きた炎の魔人の傍に立った。

 驚いたことに魔人はまだ、息があった。


「お…お、イ…ド」

「200年、よくも私を騙してくれたな」


 それはイドラだった。

 イドラは、聖騎士が落としていった剣を拾い、炎の魔人の背中にそれを突き立てた。


「ぐあっ…な…ぜ…」


 今度こそ、彼は絶命した。

 それが長い間この国で大司教と名乗って来た者の最期だった。


 炎に包まれた周囲を見て、イドラはふと思った。

 ずっと、この身は魔王の業火に焼かれたと思っていたが、もしかしたらユミールの邸を焼いたのはタロスだったのではないだろうか。

 だがもう今となってはどうでも良いことだ。

 タロスの脇には燃え尽きたローブから転がり落ちた宝玉がいくつか落ちていた。

 イドラはそれをすべて拾い上げ、自らのローブに隠した。


「それ全部独り占め?」


 イドラの背後に現れたのは、先ほどの仮面の人物だった。


「カラヴィア、おまえには感謝する」

「いーえ、こちらこそだわ。コイツがユミールを殺した共犯者だと知って、かたきを討てたんだもの」


 仮面の人物-カラヴィアは先ほど大司教から取り上げた宝玉を見せた。


「ま、いいわ。ワタシはこれを貰うから」

「そうか。これからどうする?トワを追うのか?」

「うん、その前にちょっとやることやってからね」

「そうか、好きにするが良い」

「あんたは?イドラ」

「私は…まだやることが残っている」

「ふうん?あんたも好きにすれば?もう飼い主がいなくなって自由になったんでしょ?」


 カラヴィアは、イドラに「じゃあねー」と手を振って姿を消した。


「自由…」


 イドラは新たに手に入れた宝玉を見た。


「そうだ。もう誰も私に命令できない。私は、自由だ…!」


 炎の中、イドラは絶命している魔人に視線を落とした。

 


 礼拝堂から発生した火事は、大司教公国のシンボルであった大聖堂本棟にまで延焼した。

 荘厳な屋根が焼け落ち、美しかったステンドグラスも粉々に割れて黒い煙に包まれてしまった。


 火事に気付いた公国聖騎士団は、ようやく大聖堂の正面扉を解放すると、堰を切ったように大勢の市民らが飛び出してきた。中には体が炎に包まれたまま転がり出てきた者もいた。


 遅れて黒色重騎兵隊と共に市内に突入してきたホリーは、変わり果てた大聖堂を見て絶句し、立ち尽くした。


「こんな…こんなこと、望んだわけじゃ…」


 何が起こっているのか、外にいたホリーにはわからなかった。

 だが、自分が仕掛けた皇女誘拐のために黒色重騎兵隊シュワルツランザーが突入したことと無関係ではないはずだと思った。

 大聖堂の前の広場には大聖堂から逃げ出してきた多くの負傷者たちが折り重なるように倒れていた。

 もしかしたら、この事態は自分が引き起こしたのかもしれない。


 その時、彼女の耳に女性の悲鳴が聞こえて来た。

 見れば、大聖堂の前の広場にひどい火傷を負った子供を抱えて泣き叫んでいる母親の姿があった。

 そこへ一人の回復士の女性が走り込んできた。

 彼女自身も全身煤まみれで真っ黒になっていたが、そんなことには構わず、子供の回復を開始した。

 それはアマンダだった。

 我に返ったホリーは、治療のために広場に折り重なるように倒れている怪我人たちの元へ駆け寄った。

 ようやく彼女も、自分が回復士であることを思い出したのだった。


 大聖堂の上階にいた魔法士や回復士たちも異変に気付き、続々と集まり始めた。

 自分が最も立場が上だと気付いたホリーは彼らを指揮して大聖堂の消火活動および怪我人の回復作業に務めた。


 皇女を取り戻したノーマンと合流して、事情を説明されたホリーは、大司教が魔族であり、勇者たちに討伐されたという事実に驚きを隠せなかった。


 ようやく鎮火した礼拝堂の中に公国聖騎士団が突入して、焼け落ちた瓦礫を撤去したり、礼拝堂の中で亡くなっていた人々を1人ずつ外へ運び出したりしていた。


 彼らは壇上で焼け死んだはずの、大司教に化けた魔人の遺体がなくなっていたことに気付いた。

 そこには黒く焼け焦げた跡があるだけだった。

 聖騎士たちは大聖堂の中を探したが、見つからなかった。

 結局、燃え尽きて無くなってしまったのだろうということで処理された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る