第113話 大聖堂の惨劇(前編)

 その日は、大司教公国の首都シリウスラントにとって最悪の日となった。


 突然、アトルヘイム帝国の黒色重騎兵隊シュワルツランザーが大司教公国の城門を突破して市内になだれ込んできたのだ。


 黒色重騎兵隊は大司教のいる大聖堂を目指して市内を騎馬で掛けた。

 黒色重騎兵隊第一部隊のノーマン率いる数騎が大聖堂へ先乗りした。

 大聖堂の入口で、レナルドら公国聖騎士団が彼らを阻んだ。

 聖騎士のレナルドがノーマンの前に出て、何の用かと尋ねた。


 ノーマンは騎馬から降りてレナルドと対峙した。


「そちらに囚われている我が国のサラ・リアーヌ皇女殿下をお帰し願いたい。再三の問い合わせにも応じず、誠意ある対応をしていただけなかったのは残念だ」

「一体、何のことです?」


 レナルドが尋ねると、「この期に及んでまだシラを切るか!」とノーマンは憤った。

 だが、レナルドは本当に知らない、と答えた。


「我が敬愛する皇帝カスバート三世の命により強硬手段に出させていただく」


 ノーマンが合図すると、黒い鎧の一団は市内に進軍して行った。

 市民たちは悲鳴を上げて騎馬の一団を避ける。


「貴様たち、無礼であろう!」


 レナルドの後ろにいた聖騎士が叫ぶ。

 ノーマンはその騎士を睨むと、レナルドに手紙のようなものを投げて渡した。


「こんなものを寄越しておいて、よく言う」


 レナルドがその手紙に目を通すと、その表情が変わった。


「こんなもの、大司教様が出すわけがない、偽物だ!」


 それはアトルヘイム帝国に届いた皇女誘拐の犯行声明文だった。


「だがそこに大司教の印璽があるではないか。誰が疑うものか!」


 ノーマンと数人の部下たちは、大聖堂の扉の前で聖騎士たちと睨みあいになった。


 その時、別の聖騎士が慌てて駆け込んで来て、レナルドに耳打ちした。


「なんだと…!」


 レナルドはノーマンたちをそっちのけで、その聖騎士と共に市内へ飛び出して行った。

 彼は舌打ちすると部下らに後を託し、どこかへ行ってしまった。


 それは大きな黒い影だった。

 その影が移動するたび、市内のあちこちから悲鳴が上がり始めた。

 ノーマンたちも異常に気付いて空を見上げた。


「あれは…!ドラゴン!」


 ノーマンは叫んだ。

 大きく翼を広げたドラゴンが首都の上空を悠々と、こちらへ向かって飛んで来るではないか。


「ノーマン隊長、あれは先日アトルヘイム帝国に現れたドラゴンでは?!」


 ノーマンの部下が空を見上げながら云った。

 数週間前、アトルヘイム帝国の帝都トルマの上空にもドラゴンが現れた。

 あの時帝都はパニックになったが、ドラゴンはただ帝都の上空を旋回し、飛んで行っただけだった。

 それがここにも現れたのだ。


「一体何が目的でここへ現れた?」


 ノーマンは部下たちに警戒を怠るなと命じた。

 これだけの人がいるところでは二次被害が出る恐れがあるため、ヘタに攻撃することもできない。


 人魔大戦以来のドラゴンの来襲に、公国の人々は恐怖し、逃げまどった。

 ドラゴンはただ上空を通過していっただけだったのだが、どこからか「魔王が攻めてくる」という噂が流れ、混乱に拍車がかかった。

 ちょうどタイミングの悪い事に、全身漆黒の鎧に身を包んだ黒色重騎兵隊の軍馬が都の中を闊歩していたせいで、その噂話が本当だと市民たちは信じてしまったのだ。

 人々は彼らを魔王の軍勢だと思い、助けを求めて礼拝堂へと殺到した。

 一般市民は固く門が閉ざされていて、大聖堂には入れない。

 入れるのは大聖堂の前にある礼拝堂だけなのだ。

 礼拝堂は1000人を収容できる規模の独立した建物で、その真後ろに大聖堂が建っているのだが、礼拝堂側から大聖堂へは入ることが出来ないよう扉が閉ざされている。


 黒色重騎兵隊は城門を押さえ、都市を封鎖してしまった。

 そのため、逃げ場を失った市民たちが、大司教を頼りに大聖堂へと向かった。

 だがすでに大聖堂の礼拝堂は人でいっぱいになり、入りきれなかった人々が礼拝堂前広場を埋め尽くし、更に道路にまで溢れた。

 その数は数万人にも及び、首都シリウスラントの中央に位置する最も大きな中央広場にまで人の列が続いた。


 礼拝堂の入口にいたノーマンたち黒色重騎兵隊員らも、その騒ぎに巻き込まれ、市民たちに押される形で礼拝堂の中へと流されて行った。

 その直後、これ以上市民が入りきれないと、公国聖騎士団が礼拝堂の扉を閉ざしてしまった。

 礼拝堂の中に入れなかった市民たちはますます膨れ上がり、中に入れろと公国騎士団に詰め寄った。

 市民たちは都市から逃げ出すこともできずに閉じ込められ、押し合いへし合いでパニック状態になった。


 一方、運よく礼拝堂の中に入れた人々は、大司教の名を呼び、救いを求めた。

 通常はベンチがあり、そこに腰掛けられるようになっているのだが、この時は多くの人が殺到したため、ベンチの上に立つ者らでぎゅうぎゅう詰めになっていた。

 その中には、黒色重騎兵隊のノーマンと数人の部下たちもいた。彼らは多くの人々に囲まれ、身動きが取れないでいた。

 やがて礼拝堂前方の壇上に大司教が姿を現すと、市民たちは「大司教様!」と叫び、両手を胸の前に組んで、祈りをささげ始めた。


「市民たちよ、落ち着くのだ!この国は勇者に護られている!諸君らの信じる心が必ずや魔王を打ち倒すであろう!」


 大司教がそう叫ぶと、市民らは「おおー!」と歓声を上げ、ようやく落ち着きを取り戻した。

 そこで護衛の聖騎士に引率されて檀上に連れてこられたのはエリアナたち勇者候補パーティだった。


「この勇者たちが諸君らを守る。安心するがよい」


 勇者の正装をさせられ、いきなり檀上に連れてこられた彼らは、事情が良く呑み込めておらず、呆然としていた。

 大聖堂の部屋にいたところを連れてこられた彼らには、外で何が起こっているのかさえ知らされていなかった。


「そんなの嘘っぱちだ!」


 その声は突然聞こえた。

 市民たちは「なんだ?」とざわめき、声の主を探した。

 すると、勇者候補たちの立っている檀上の舞台袖から1人の男が現れた。

 その男は7~8歳くらいの少女を抱えていた。

 将はその男に見覚えがあった。


「あの男、旧市街地で会った奴だ」


 帽子こそ被っていないが、その顔に見覚えがあった。

 そしてもう1人、声を上げた者がいた。


「皇女殿下!!」


 男が連れている少女を見て叫んだのは黒色重騎兵隊のノーマンだった。


「皇女?」

「え?どういうこと?」


 ノーマンの言葉に、将もエリアナも驚きを隠せなかった。

 礼拝堂内の人々もざわついた。

 皇女の姿を確認したノーマンは、人混みをかき分け、檀上へ移動しようとした。


「動くな!動くと皇女の命はない!」


 男の手にはナイフが握られていて、それを皇女の顔の前にチラつかせた。

 健気にも少女は泣きもせず、じっとしていた。


「くっ…」

「俺が用があるのは大司教だけだ。おとなしくしてりゃ無事に帰す」

「貴様、何者だ!」


 ノーマンの問いには男は含み笑いをした。


「俺は12年前にここで勇者召喚された異世界人、シンドウ・ヒデトだ」


 それを聞いていた将たちは驚いた。

 エリアナが思わず男に向かって叫んだ。


「嘘よ!12年前って前回の勇者召喚でしょ?誰も召喚できなかったって聞いたわ」

「表向きはな。そこにいる大司教が望む能力を有していなかったって理由で、俺は、俺たちはゴミみたいに切り刻まれて捨てられたんだ!」

「…どういうこと?」


 エリアナと将は、彼の発言にショックを受けた。

 シンドウの云うことが本当なら、優星が突然消えた理由に説明がつくからだ。それはずっと、2人が心の奥底で恐れていたことだった。


「たわごとを。このような得体のしれぬ者のことなぞ、聞く必要はない!聖騎士たちよ、この者を捕らえよ!殺しても構わん」


 大司教の命令で、礼拝堂内にいた公国聖騎士たちも、人混みを掻き分けて駆け付け、壇上のシンドウを取り囲んだ。


「へえ、こいつらは皇女様の命はどうなってもいいらしいぜ」


 彼はノーマンに向かって挑発した。

 ノーマンは慌てて声を上げた。


「待て!手を出すな!話を聞こう、何が望みだ?」

「決まっている!ここで大司教を断罪することだ!」


 シンドウは大声で叫んだ。

 大聖堂にいた大勢の市民たちはこの様子を固唾をのんで見守った。

 ノーマンは男を取り押さえようとしている聖騎士たちに向かって云った。


「手を出すな!皇女殿下に何かあれば、我々帝国は全軍を持ってこの国を攻撃するぞ!」


 彼がそう云い放つと、聖騎士たちは動きを止め、おろおろと大司教に指示を求めた。

 その時、大聖堂中に甲高い笑い声が響き渡った。


「な、なんだ?誰が笑ってる?」


 大司教は叫んだ。

 聖騎士たちは首を巡らせた。

 市民らは声の主を探して大聖堂中を見渡した。

 すると檀上にいる大司教の真後ろに、天井からローブ姿の人物がひらりと舞い降りてきた。

 その人物は白い不気味な仮面をつけていた。

 市民らはその仮面の人物を見て悲鳴を上げた。


 大司教もそれに気づき、後ろを振り向いた。


「何者だ!?」


 聖騎士たちは、仮面の人物を左右から挟むように取り囲んだ。


「あら、そんな邪険にしないでよ。ワタシとあんたの仲じゃない、ねえタロス?」


 仮面の人物はそう大司教に云った。

 覆面マスク越しの大司教が、一瞬躊躇したように見えた。


「貴様、誰だ?」


 突然の展開に、勇者候補たちも、聖騎士らも、シンドウも、ノーマンも、市民たちも息を呑んで、これから何が起こるのかと見守っていた。

 すると仮面の人物は、壇上から市民に向かって呼び掛けた。


「みなさ~ん?大司教様のお顔を見たくないですか~?」


 市民たちは仮面の人物の発言に驚いてどよめいた。

 大司教は慌てて聖騎士たちに命じた。


「ええい、早くその者を捕らえよ!」


 聖騎士たちは仮面の人物に殺到するも、ひらり、ひらりと躱され、なぜかまったく捕まえることができなかった。


「ねえ、どうして大司教サマはこんな覆面を被ってると思う?病気だなんて嘘っぱちなのにね~!」


 そして仮面の人物はひらりと舞って、大司教の背後に立った。


「はーい、皆さん、よく見てね!」


 仮面の人物は大司教のフードを跳ねのけ、覆面マスクに手を掛けた。


「うぐっ、よせ、やめろ…!!」


 大司教は抵抗したが、仮面の人物はどこから出したのか、その手に宝剣を持ち、覆面の後頭部をスパッと切裂いた。

 大司教の顔を覆っていたものは、はらはらと床に舞い落ちた。


 その途端、市民から大きな悲鳴が上がった。

 そこに現れた青白い顔は、耳が尖り、耳まで裂けた大きな口からは牙がのぞいていた。

 髪のない丸い頭の天辺には、小さな角が2つ生えていた。

 その顔はまるで般若はんにゃの面のようであり、人間が思い描く、魔族そのものだったのだ。


「魔族だ!」

「大司教様が魔族だなんて!」

「そんなバカな!大司教様が魔族のはずがない!」


 仮面の人物は甲高い笑い声を上げながら、大声で叫んだ。


「ホホホ!ご覧の通り、大司教サマは魔族よ!あんたたち皆、騙されてたのよ!」


 聖騎士たちも驚きを隠せない。

 魔族は見つけ次第殺すというのがこの国の教義だ。

 だがその教義を唱えていた大司教その人が魔族だなどと、誰が想像しただろうか。

 その時、誰かが叫んだ。


「あれは偽者だ!」


 するとその声は市民に伝播していった。

 聖騎士たちはどうしたらいいかと動揺していた。


「そ、そうだ、大司教様が魔族なはずはない!」

「魔族が大司教様に成りすましたんだ!」

「大司教様と入れ替わったのよ!」

「では、本物の大司教様は?」

「きっとあの魔族に殺されたんだ」

「あの魔族がドラゴンを呼んだに違いない!」

「許せないわ!魔族め!」

「殺せ!魔族を殺せ!」


 市民から上がったその声を聞いた聖騎士たちは、ようやく自分たちを納得させる答えを探し当てた。


「そうだ、これは大司教様に化けた魔族だ、偽物だ!ならば討伐しても問題はない!」

「大司教様に成りすました魔族め、討伐してやる!」


「殺せ!殺せ!」

「殺せ!殺せ!」


 市民たちからも叫びが上がった。

 最初に大司教に向かって市民の誰かが靴を投げた。

 それをきっかけに、市民らは大司教に向かって殺到した。

 沸き上がった群衆心理というものは、伝染し、膨れ上がっていく。もはや誰にも止めることはできず、生き物のようにうねり1つの意志となって行動を起こしていった。


「ま、待て、これは違う、待ってくれ…!」


 大司教―タロスはローブの袖で顔を隠しながらよろよろと後ろへ下がり、逃げようとした。


「あら、どこへ行くつもり?逃げられないわよ」


 タロスを後ろから羽交い絞めにしたのは白い仮面の人物だった。


「き、貴様、何者だ?なぜ私を知っている?」

「クスクス…あらやだ、まだ気が付かないの?守護将ともあろう者が、オバカさん」

「…!まさか、おまえは…」


 そうしていうるうちに、檀上に迫った市民たちは大司教の足を掴み、ローブを掴み引きちぎろうとしていた。


「イドラから聞いたわよ。あんたがエウリノームと共謀してユミールを殺したんだってね。…敵討ちをさせてもらうわよ」


「殺せ!殺せ!」

「魔族を殺せ!」


 大司教の皮を被った魔族は、これまで自分がそう仕向けてきた市民らの意思によって、逆襲されようとしていた。

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