第95話 帝国城脱出

 脱出するため地下通路を走っていた私は、なんとなく気になって、扉の開いている牢の中を見て、足を止めた。


「おい、何してる!」


 マルティスが私を叱りつけた。


「待って。牢の中に逃げ遅れた子供がいるの」


 開けっ放しの牢扉の奥には、泣きながら座り込んでいる少年がいた。


「んなのほっとけ。そいつは人間だぞ」

「でも、まだ子供よ」


 私は少年の傍に駆け寄って、声を掛けた。

 その子は10歳くらいで、頬には涙の跡があった。


「君、大丈夫?」

「皆必死で、僕を蹴飛ばして逃げたんだ。僕だけ置いて行かれて…気が付いたら足が痛くて立てなくて…」


 少年はそう云って、悔しそうに涙を見せた。

 私が少年の足を触ってみると、痛みに顔を歪めた。

 右足の脛を骨折しているようだった。


「治してやれば?」


 マルティスは軽く云った。

 回復魔法を掛けたけど、やっぱりちゃんと治すことはできなかった。


「ダメ…。治しきれない」


 私が首を振ると、マルティスは驚いていた。


「嘘だろ?だって俺やゼフォンは完璧に…」

「もともと、私の力はこんなもんなのよ」


 そう正直に云った。

 やっぱり私は落ちこぼれの回復士だった。

 マルティスやゼフォンをあんなに完璧に治せた方がイレギュラーなのだ。

 でも今はそんなことを嘆いている場合ではない。

 私は立ち上がって、牢の中を見回した。


「何か、骨折した足の添え木になるものはない?」


 きょろきょろと辺りを見回していると、ゼフォンが牢の中に入って来て、おもむろに木のベッドを拳で叩き壊した。

 そこから木の木っ端を取り出して、「これではどうか」と私に差し出した。


「あ…うん、助かるわ」


 彼から木の破片を受け取って、それを少年の右足に当てて固定し、ベッドシーツを破った端切れを包帯代わりにぐるぐる巻きにした。


「ギプス代わりよ。骨は真っ直ぐに固定したから、後で回復ポーションを使うといいわ」


 私がそう云うと、少年は少しホッとした表情になった。


「俺が連れて行こう」


 ゼフォンはそう云って、少年を抱き上げた。


「あ…ありがとう…」


 少年はか細い声で礼を云った。

 すると、牢の入口にいたマルティスは文句を云った。


「おいおい、おまえさんまで。そんなの連れてちゃ足手まといになるだけだって」

「この少年、俺が傭兵団にいた時に、見た記憶がある」

「おいおい、嘘を言うもんじゃないよ。戦場にこんな子供がいるもんか。それに人の顔なんかいちいち覚えてられるもんかね?」

「俺には<超記憶>というスキルがあって、一度見た顔や場所は忘れないのだ」

「マジか…」

「こっちだ。俺が運び込まれた時に使った入口がある」


 ゼフォンは先程の出口とは別の出口へ案内してくれた。


「もの覚えの良いことで」


 マルティスはぼやきながら彼に続いた。


 たどり着いた出口は城の裏側で、見張りの兵士はいなかった。

 ゼフォンが先導して行き、やがて城門の裏口へとたどり着いた。

 しかし、その裏口付近を帝国兵ではない、別の一団が占拠していた。


「はっはあ…。侵入者ってあいつらのことか」


 その一団の様子をマルティスはじっと見ていた。

 マルティスは彼らの一風変わった衣装に注目した。


「ありゃ南方の小部族だな。帝都に乗り込むなんて無茶するぜ」

「あれはガベルナウム王に従う小部族の者たちだ」


 ゼフォンが云った。


「ガベルナウムって?」


 私が尋ねるとゼフォンが答えてくれた。


「人魔大戦後に南方に興った、小部族をまとめて大きくなった新興国だ。国というより小さな部族の集まりで、中には魔族もいる。俺はその連中に雇われたのだ」

「へえ…。その国が帝国と戦っているの?」

「ああ、そうだ。ガベルナウム王国は魔族を擁護しているので、魔族排斥を唱えるアトルヘイムとは真っ向から主張が違う。国境付近の小国を巡って幾度も戦いが勃発しているんだ」


 ゼフォンは丁寧に教えてくれた。


「だがこの状況、どうする?あの連中が味方だって保証はないぜ?」

「大丈夫だ」


 マルティスが考えあぐねていると、少年を抱いたままゼフォンはその一団に向かって歩き出した。


「え?!おい、待てって!」


 マルティスがゼフォンを制止しようと声を掛けたが、彼はそれを無視した。

 ゼフォンが近づくと、そこにいた集団は一斉に彼を囲んだ。


「あ~あ、言わんこっちゃない…」


 だが、集団の中のリーダーと思われる男とゼフォンが何やら話をしたかと思うと、抱えていた少年をその男の腕に渡した。男は少年の顔を見て、涙を流して喜んでいた。


「ありゃ…どうなってんだ?」


 ゼフォンが、私たちに向かってこちらへ来いと合図をした。

 ゼフォンはどうやら彼らを知っているようだった。


 私たちが助けた少年は、ガベルナウム王国に属するサッカラという部族の族長の一人息子だった。

 少年の名はヒオウと云った。

 ゼフォンはその驚異的な記憶力で、サッカラ族の中に、かつて戦場で共に戦った者の顔を見つけて近づいたのだった。


 彼らがアトルヘイム帝国城に侵入した目的は、囚われたヒオウを救い出すことだった。ヒオウは族長の長子として初陣をかざっていたが、帝国の奇襲に遭い、囚われてしまったのだ。

 彼らはヒオウを救出する機会を伺っていて、城の補修工事の業者にまぎれて城内へ侵入したらしい。


 サッカラ族の仲間が囮になって城内で騒ぎを起こしていたのだが、そこへマルティスが逃がした地下牢の囚人たちが加わったせいで、騒ぎは一層大きくなった。彼らが城内のあちこちで暴れまわってくれたおかげで、サッカラ族と共に私たちは無事にアトルヘイム帝国城を脱出することができた。

 偶然にもヒオウを救い出した私たちは、彼らに大変感謝されることになった。


「運が良かったね、私たち」


 私が喜んでも、マルティスは冷静だった。


「運ねえ…。ちょっと出来過ぎちゃいねえか?おまえが偶然助けた子供がガベルナウム王国の小部族の族長の息子だなんてよ」

「神に愛される者は運命すらも引き寄せるというぞ」


 ゼフォンがさりげなく云った。


「悪いな、俺は神なんかアテにしないタチなんだ」


 マルティスはそう云って肩をすくめた。


 サッカラ族はゼフォンがガベルナウム王国の雇った傭兵団にいたことを知ると、同胞として迎え入れ、裸同然だった彼に服と靴を与えてくれた。

 高級ポーションを貰ってなんとか歩けるまでに回復したヒオウは、族長と共に私たちの元へ来て、助けてもらった礼を云った。


 マルティスが冤罪で捕まっていたと事情を話すと、サッカラ族は同情して一緒に城を脱出しようと云ってくれた。 

 城の裏口の門を強行突破すると、帝国軍が追撃してきた。

 それをサッカラ族とゼフォンが撃退してくれたおかげで、なんとかアトルヘイムの帝都トルマの城下町へと逃げ込んだ。

 ここからはトルマの街を良く知るマルティスの出番だった。

 自宅に戻ろうとすると、そこには既に帝国兵がいて、ポータル・マシンを運び出していた。彼が貯め込んでいた金貨なども押収されたようで、マルティスは足を踏み鳴らして悔しがった。

 仕方なく、路地裏から帝都の門を目指した。

 マルティスが門番になにやら話しかけると、私たちは何の取り調べも受けることなく簡単にトルマの外に出ることができた。

 これには一同、びっくりしていたけど、マルティスは「コネがあるんだ」とだけ云った。


 トルマを脱出してしばらく走ったところで、サッカラ族たちは馬を一頭、お礼にと私たちにくれた。

 馬の鞍にはナイフや桶などの生活用品の他、飲み水と少しばかりの食糧を積んでくれていて、とても有難かった。


 南西方面へ帰るという彼らに別れを告げ、私たちはペルケレ共和国を目指して、ヨナルデ大平原を南東へと進んだ。


 マルティスが牢から逃がした魔族たちがどうなったのかはわからない。

 うまく逃げおおせてくれればいいとは思うけど、マルティスは首を振るだけだった。


「他人の心配するより自分のことで精一杯だろ」


 マルティスの云う通りだった。

 私たちは、追手が来ないかとヒヤヒヤしながら旅を続けた。

 アトルヘイム帝国領内には噂に聞く黒色重騎兵隊が巡回しているという。

 彼らに見つかったらお終いだ、と彼は云う。


 ともかく少しでも早くアトルヘイム帝国の版図から抜け出すことが大事だというので、昼夜の別なく、歩き続けた。

 ようやく帝国領から脱したところで、一息つくことにした。

 なだらかな丘が続く平原で、私たちは野宿の準備をすることにした。


 傭兵生活が長かったゼフォンは、こういったサバイバル生活には慣れていたようで、手枷についていた鎖を武器にして、いとも簡単に野生の獣や鳥を仕留めてくる。

 彼がナイフで獲物の皮を剥いでさばいていく様を目にして、「ひゃっ!」と思わず声を上げて目を背けた。

 ゼフォンは少し困ったような顔をして、「向こうへ行ってマルティスの手伝いをして来い」と私を追い払うように云った。

 マルティスの元へ行っても、することと云えば水を汲んだり、焚火のための枯れ木を集めることくらいだった。

 回復魔法以外使えない私は、道具なしで火を起こすこともできないし、釣りも狩りも出来ない。料理をするにしても、この世界のやり方がわからないから、味付けの仕方なんかひとつも知らない。調味料の種類すら知らないのだ。

 何度か野宿を重ねる度に、私は自分が足手まといだと実感した。


 マルティスは火おこしから料理まで全部やってくれる。

 食事は大司教公国のよりいくらかマシだったけど、文句を云おうものなら、「二度と食うな」とお皿ごと奪い取られることになる。初めてマルティスの作った食事を食べた時、感想を聞かれて思わず「イマイチ」と云ってしまった時はひたすら謝って返してもらったけど、その後「働かざる者食うべからず」なんてお説教が小一時間ほど続いたのだった。

 慣れない野宿が続いて、疲れが蓄積していた私は、「お風呂に入りたいなあ…」と思わず愚痴をこぼしながら、マルティスの元へ歩いて行った。

 それを聞いていたマルティスは、桶を私に投げて寄越した。


「ぜーたく言うんじゃねえ。それ持って川で水汲んで来い。そのついでに行水でもしとくんだな。どーせそんくらいしかできねーんだから」


 文句を云おうにも、その通りだから何も云い返せなかった。

 最初に野宿をした時、何もできない私をマルティスは容赦なく罵倒したものだ。


「おまえって使えねーな。勇者候補とかいって今まで周りの奴らにチヤホヤされてきたんだろ?いいか?役立たずはこの世界じゃ生きていけねーんだ。おまえも自分のできること見つけて、少しは働けよ?」


 酷い云われようだけど、確かに生活周りのことは全部侍女かレナルドがやってくれていて、何もする必要はなかった。

 食事の支度なんて、この世界に来てから一度もしたことがなかった。

 元の世界にいた時でも、自炊はしてたけど、それだってちゃんとした設備や道具があってのことだ。素材から吟味するとか、こだわりが強いわけでもない。仕事から疲れて帰ってきたらお惣菜を買って済ませたりもする。

 異世界転生キャラのくせに、異世界人だってことを何一つ有効に生かせていない気がする。


 仕方なく、桶を持って川へと出かけて行った。


 野宿の場所から100メートルほど下った場所に小川が流れていた。

 水浴びするには深さの足りない川だったけど、顔を洗ったり口をゆすいだりする分には十分だった。


「はぁ…」


 私は思いっきり溜息をついた。

 この世界では生活スキルってものがないと何事もうまくできないってことをマルティスから聞いて、絶望した。

 そんなの持ってないし。

 何かできることはないのかと考えてはいるのだけど、マルティスとゼフォンの方が何事にも器用で、私の出る幕なんかないのだ。


 この旅で、今までいかに自分が世間知らずだったかを知った。

 勇者候補という肩書きが無くなった今、私はただの役立たずだ。

 こんなんで私、やっていけるのかな…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る