第96話 デジャヴ
桶一杯に水を汲んで、両手で重そうに持って歩いていると、川の下流の少し深い所でゼフォンが体を洗っていた。
見事な筋肉美に思わず見惚れていると、彼は私に気付いた。
上半身裸のまま川から上がり、服を肩に掛けてこちらへ歩み寄って来た。
「俺が持とう」
そう云ってゼフォンは私の手から桶を軽々と取り上げた。
「あ、ありがとう」
隣を歩くゼフォンは背が高くて筋骨たくましかった。
無精ひげを綺麗に剃ったようで、男らしくて精悍な顔が良く見えた。
白金の髪を後ろに撫でつけると、額の真ん中から黒い角が1本突き出ていることがわかった。
マルティスが彼のことを『雷光のゼフォン』と呼んでいた理由がわかったのは、彼が自分の手首に嵌められていた鉄の枷を、自ら電撃を落として外していたところを見たからだ。
彼は雷属性というレア属性を持っていて、戦闘系のスキルを多く持つ生粋の戦士なのだ。
人魔大戦を生き抜いた彼は、自ら戦う場所を求めてペルケレ共和国へ流れ着き、闘士になったという。
「ゼフォンは、どうして傭兵団にいたの?」
「…力試しをしたかった。闘技場ではもう俺より強い相手に巡り合えなかったからな。だが、戦場では、俺程度の戦士はザラにいるということを思い知った。手柄を焦った俺は戦場での立ち回り方を無視したために、あっというまに敵に包囲されてしまったんだ」
「味方は助けにこなかったの?」
「俺のいた傭兵団では自分の責任は自分で取るのが掟だ。他人のために危険を冒すバカはいない」
「そうなんだ…厳しいのね」
「おまえは?どこから来た?」
「私はね…」
私はゼフォンに、大司教公国で召喚された異世界人であること、本当は人間であることを話した。
彼は驚いたけど、人間に対して特別恨みとかは抱いていないみたいだった。
「そうか、おまえは人間なのか。…残念だな。ようやく運命の相手に出会えたと思ったのだが」
「運命の相手?」
「おまえが魔族なら、繁殖期のパートナーに誘おうと思っていた」
繁殖期?
パートナー?
意味の分からない私に、ゼフォンは「これは魔族の秘密だ」と前置きして、魔族についての衝撃的な事実を教えてくれた。
驚きっぱなしの私に、彼は告げた。
「おまえはあのまま死を迎えるはずだった俺に再び生きる力を与えてくれた。だからこの命はおまえのものだ。人間と魔族という垣根を越えて、おまえを守らせてはくれないだろうか」
あ…れ…?
なんだか、前にもこんなことがあったような…。
でも、そんなはずないか。
「でもペルケレに戻ればゼフォンは闘技場のチャンピオンなんでしょ?私なんかに構ってる場合じゃないんじゃない?」
「迷惑か?」
「ううん、そうじゃないけど、私は人間だし、役に立たないダメ女だし…ゼフォンみたいな人に守ってもらう価値なんかないよ」
「そんなことはない。俺を見ろ。手も足も動かなくて左目も失っていたんだ。それが今はすっかり元通りだ。これはおまえが起こした奇跡なんだ。こんなこと、他の誰にもできない。おまえはそういう特別な存在なんだ。そしてそれは自分で思っている以上に大変なことなのだ。おまえはこの俺の忠誠を受けるに値する存在なのだ」
ゼフォンの熱弁に押された結果、受け入れるしかなかった。
「わ、わかった…。じゃあさ、とりあえずペルケレに着くまでってことでどうかな?その後ゼフォンが闘士に復帰するんなら自由にしていいし」
「おまえがそれでいいのなら。だがこの先どこへ行こうが俺の気持ちは変わらない」
「じゃあ、それでお願いします」
その時、ゼフォンの身体が突然光った。
「…むっ」
「えっ?何?今、光った?」
「おまえとの契約が結ばれた、と俺の魔法紋に刻まれた。おおっ…!」
「どうしたの?」
ゼフォンは私の目の前でその姿を変えていった。
ガッチリしていた体は少しだけ痩身になったものの、その筋骨逞しい姿は変わらず、引き締まったいわゆる細マッチョな体型になった。
そして一番変わったのは、その額にあった角が無くなったことだ。
その影響か、それまで少し野性的だった彼の顔もスッキリと凛々しく男らしい容貌に変わっていた。
耳の先が尖っていなければ、人間にも見える。
「な…何が起こってるの…?契約って何?」
そう云いながらも、なぜかこんなことが前にもあった気がしてならない。
こういうの、デジャヴっていうんだっけか…。
だけど、それがいつ起こったことなのか全く記憶にないわけで。
ゼフォンは桶を置いて、その水面に自分の顔を映してみた。そして自分の顔を両手で確かめた。
それから、私の両肩に手を置いて云った。
「おまえは神か?こんな力が、普通の人間にあるはずがない!」
「待って、ねえ、今の何なの?ちゃんと説明してくれる?」
ゼフォンは自分の身に起こった奇跡について語ってくれた。
魔族は自分の体内に魔法紋という個人データを持っていて、すべてはそこに記されるのだという。
今彼に起こったことも魔法紋に記され、それがどういうものなのかは、文字ではなく脳内に映像としてもたらされるのだという。
そんな話を聞かされても、魔族じゃない私には今一つピンとこなかったけれど、ゼフォンの説明を聞いてようやく理解した。
ゼフォンと私の間に、たった今主従契約が結ばれたらしい。
その恩恵として、ゼフォンは容姿だけでなく、体力と魔力が段違いに上がり、属性スキルもそれぞれ強化されたらしい。
元々彼は上級魔族で相当強かったのだけど、魔族としての格が上がった、とまで云った。
そう云われてもピンときていない私は「へえ」とか「そうなんだ」とかしか返事が出来なかった。
そしてついにトドメの言葉が出た。
「俺の一命を懸けておまえを守ると誓う。この命はおまえのものだ、トワ」
こんなセリフ、ゲームとか漫画の中でしか聞いたことがなかった。
リアルで聞くと、ちょっとこっ恥ずかしい…。
だけど、彼はいたって真面目だ。
そんなゼフォンと2人、マルティスの元へ戻ると、彼はゼフォンの変化に驚いていた。
何が起こったのかと説明を求めたので、ゼフォンが一部始終を話した。
「トワと契約するとそんなオイシイ恩恵がもらえるのか?」
マルティスは半信半疑だったけど、ゼフォンの変化は一目瞭然で、「これは信じるしかないな」と無理矢理納得していた。
そして、私が予想していた通りのセリフを彼が云った。
「なあ、俺とも契約し…」
「絶~っ対、嫌!」
私は食い気味で即答した。
あんなに私のことを罵倒してたくせに、急に手のひら返したみたいで調子良すぎるっての。
「へえへえ。俺だっておまえの下僕なんざまっぴらだよ」
マルティスはそう云って舌を出した。
その態度にゼフォンが怒って、マルティスの胸倉を掴んだ。
「貴様、トワに向かって何だ、その口のきき方は」
「ゼフォン、落ち着いて!」
「なんだよ、急に尻に敷かれやがって」
「貴様こそ、トワの力に頼って儲けようと考えているくせに」
「俺はこいつに貸しがあるんだよ!」
「まさか、トワを脅しているのではなかろうな?」
「借金を返してもらうのの何が悪いんだよ!」
「ちょっと!もう、いい加減にして!」
その場はなんとか仲裁したけど、その後数日間は2人共ギクシャクしていた。
私と契約したゼフォンは、その後何かと私を気遣ってくれて、今までやっていた水汲みなど一切のことをすべてやってくれるようになった。
「トワを甘やかすな」
と、マルティスは怒るのだけど、そこでまたゼフォンと喧嘩になった。
ゼフォンは、マルティスが私の価値をわかっていないと怒り、彼の私への配慮を欠いた言動が許せないとハッキリ云った。
たぶん、本気で戦ったらマルティスはゼフォンの相手にもならないだろう。だから喧嘩と云っても本気じゃないことはお互いにわかってるのだ。
そんな旅を続けて、私たちはヨナルデ大平原の独立地帯に足を踏み入れた。
この一帯はどこの国にも属していない広大な農村地帯だという。
「しかし、困ったな。金がないぞ。俺のポケットに銀貨2枚だけ残ってたけど、これじゃどこの国にも入れない」
マルティスは嘆いた。
人間の国では、どこの国でも入国する際に入国税や通行税を取られるのが一般的だ。
お金がないのでは話にならない。
思案顔のマルティスの横で、私を乗せた馬の手綱を引きながら、ゼフォンが提案した。
「ヨナルデ大平原の農村に立ち寄るというのはどうだろう。今はちょうど収穫時期で人手が欲しいはずだ」
ヨナルデ大平原には、人間の食糧の多くを生産する大穀倉地帯が広がっている。
そこには農業や畜産を営む集落がいくつもあり、これから収穫期に入るので、人手が必要になるはずだという。
各地から日雇い労働者を集めて作業をさせる集落も多く、そこへ行って農作業を手伝い、当座の資金を貯めたらどうかと彼は云うのだ。
「しかし、俺やトワはともかく、おまえさんは見るからに魔族だ。雇ってくれる村なんかあるかねえ?」
「グリンブル王国とペルケレ共和国に近い東側の村なら魔族でも受け入れてくれるはずだ」
「へえ、そうなのか。農作業は性に合わないんだけどなぁ…。ま、しゃーない。ダメ元で行ってみるか」
そして私たちがたどり着いたのは、アルネラという小さな農村だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます