第94話 雷光のゼフォン

 アトルヘイム帝国城は帝都トルマ郊外の小高い丘の上に建っていた。

 別名漆黒城とも呼ばれている。

 城壁や、城壁の上から見える尖塔までも黒く塗られているのがその由来だ。

 それは古い城壁を補修する際に用いられる強化剤による着色で、魔族を連想させるとして不吉だと市民からは不評だが、こればかりは仕方がなかった。

 人魔大戦より以前から存在する年季の入った城は、現在もあちこちで補修工事が行われているのが現状だ。


 私とマルティスが連れて来られたのはその漆黒城の地下室だった。

 私たちを連行してきたのは、首都の治安を守る帝国騎士団である。


「さて、マルティス君。ここへ連れてこられた理由に心当たりがあるはずだね?」


 城の地下にある一室で、マルティスは帝国兵に囲まれて尋問を受けていた。

 マルティスは机を挟んで、男と向かい合っていた。

 向かい側で肘をついて座る目付きの鋭い男は、マニエルと名乗った。


「いや~、とんと記憶にありませんが。何かの間違いでは?」

「そうかね。3日前、城の裏門で君を見たという者がいるのだがね」

「さあ…仕事で通りかかったかもしれませんね」


 マニエルは机をドン!と叩いた。


「シラを切るつもりか?3日前からサラ・リアーヌ皇女殿下が行方不明なのだ。貴様が連れ出したのだろう?言え!皇女殿下はどこだ!?」

「だ・か・ら!知らないって言ってるだろ!」


 マルティスはマニエルから厳しい尋問を受けることになった。


 その頃、私は同じ地下の別の部屋にいた。

 マルティスは私のことを、行き倒れていたところを助けただけだと云った。

 全くその通りなので、私もそれを否定しなかった。

 だけど騎士団の人たちは、私をマルティスがどこからか攫ってきて売り飛ばすつもりで匿っていたと思ったようだ。

 その証拠に私は特に縛られたりもせず、尋問を受けることもなかった。

 テーブルが1つと椅子が2つあるだけの殺風景な部屋で、出されたお茶を飲んでいた。

 部屋には鍵は掛かっていなかったけれど、外には見張りの兵士が立っている。

 しばらくそこでじっとしていたけど、ふと、外が騒がしいことに気付いた。

 ドアをそっと開けてみると、外に立っていたはずの見張りの兵士がいなかった。

 チャンスとばかりにそっと部屋から抜け出した。

 すると、真正面からマルティスが走ってくるのが見えた。


「マルティス!」

「よう。ここにいたのか!探す手間が省けたぜ」

「何が起こってるの?」

「何者かが城に侵入したらしい。おかげで俺の尋問も途中で打ち切りになった」

「見張りは?」

「ああ、ちっと俺のスキルでサヨナラしてきた」

「スキル?」

「まあ、いいじゃないか。今のうちにさっさと逃げようぜ」


 マルティスと共に地下の階段を駆け上って地上に出ると、そこはまだ城の敷地内で、大勢の帝国騎士たちで溢れかえっていた。


「ここから出るのは無理だな。一旦戻って別の出口を探そう」

「兵士いっぱいだったね」

「ああ、あんなとこに俺たちが出てったらすぐに怪しまれて捕まっちまうぜ。何か方法を考えねえとな…」


 私たちは再び地下へ戻って通路を進んでいく。

 鉄格子の嵌っている部屋の前を通りかかった時、そこが地下牢だということをマルティスが教えてくれた。

 鉄格子の奥を見ると、中にはそれぞれ人が収監されていることがわかった。


「…おいおい、驚いたな。人間に混じって魔族がいるじゃねえか!なんだってこんなところに…」

「大司教公国に売るためさ」


 マルティスの問いに、地下牢の中から返事が聞こえた。

 牢の中を見ると、トカゲのように目の離れた容貌の下級魔族が鉄格子にもたれかかっていた。


「なんでもあそこの研究所がぶっ潰されたらしいのさ。そんで再建するまで捕らえた魔族は出荷停止ってわけよ。俺たちゃその間だけ生き永らえたってわけさ」

「なるほどな」

「大司教公国って魔族をお金で買ってるの?」

「ああ、そうだ。いい値段で買ってくれるらしい。大物になればなるほどな」


 私は驚いた。

 あの魔族排斥ってうるさいくらい厳しい国が、他国から魔族を買っているだなんて、にわかには信じられなかった。


「それはそうと、この下の階に、『雷光のゼフォン』が捕まっているぜ」

「マジか…!あのゼフォンが?なんでまた…」

「詳しいことは知らんが、先月南方戦線で捕虜になったらしい。敵方の傭兵団にいたって話だ。かつての闘技場のチャンピオンも落ちぶれたもんだよなあ」

「へえ…」

「ゼフォンって誰?有名人なの?」


 2人の会話に付いて行けない私は、マルティスに尋ねた。


「ああ、有名人だぜ。以前ペルケレの闘技場に出ていた闘士で、未だに連勝記録が破られていない凄腕の戦士さ。あまりに強すぎて賭けが成立しなくなっちまったんで引退したって聞いたが…まさか傭兵団にいたとはな」

「そんなに強い人でも囚われちゃったわけ?」

「まあ、闘技場と戦場じゃ勝手が違うからな」


 マルティスと話していると、牢の中の魔族が懇願してきた。


「なあ、あんた。頼む、ここから出してくれ」

「鍵が無いんだよ」

「鍵なら、ここの階の奥の詰め所にいる兵士が持ってるはずだ。ひとつのカギで全部の牢が開くんだ」

「へえ…。雑だねえ。これだから古い国は防犯がなっちゃいねえんだ」


 マルティスは、私にここで待っていろと云って、通路を走り去った。

 その間、牢の中の魔族は、気安く話しかけてきた。

 それがなぜだか左手の指輪を見てようやく悟った。

 どうやらこの下級魔族は、私を魔族だと思っているようだ。

 マルティスの云った通り、この指輪は魔族に成りすませるアイテムなのだ。


 やがてマルティスがカギを持って戻ってきた。

 私は驚いてどうやったのかを尋ねたが、彼は「まあいいじゃないか」とはぐらかした。


「よし、おまえら全員ここから出してやっからな。せいぜい騒ぎを起こしてくれよ?」


 そう云って彼は地下牢のカギを片っ端から開けて回った。

 マルティスに感謝の言葉を口にしながら、牢に囚われていた人間や魔族たちは続々と脱出した。

 彼らは急ぎ足で出口に向かって行き、途中で遭遇した地下牢の見張り番を殴り飛ばして逃げて行った。


「よし、俺たちはこっちだ」

「え?私たちも彼らと一緒に逃げるんじゃないの?」

「ゼフォンを助けに行く」

「ゼフォンってさっき言ってた人?」

「ああ。いざって時に戦える奴がいた方がいいだろ?」

「マルティスは戦えないの?」

「俺は後方支援タイプなの」


 地下通路の階段を降りて1つ下の階に行くと、そこにも地下牢が続いていた。

 マルティスはその牢も片っ端から開けて回った。

 そしてその階の突当りには鉄格子ではなく、扉があった。

 その扉も牢と同じ鍵で何なく開いたので、マルティスは「雑すぎる」と呆れていた。

 中に入ると、そこは洞窟をくりぬいたような、天井の高い大きな部屋になっていた。


 その部屋の中央に、その男は力なく天井から鎖で吊り下げられていた。

 天井から下りた2本の鎖で左右の腕を吊られ、足は地面に投げ出されていた。

 白髪は背中まで伸びており、俯いているため顔はわからなかったが、顎には無精ひげが見えた。

 鍛え抜かれた肉体は殆ど裸で、腰に短パンのような足通しを着けているだけの姿だった。


「壁に油が塗られてるな。雷避けってとこか…」


 マルティスがそう云うと、その男はようやくこちらに気付いたようで、わずかに顔を動かした。


「誰だ…」

「よう、ゼフォン。こんなとこであんたに会えるなんて思ってもみなかったぜ」

「何だ、魔族がなぜ…こんなところにいる」


 ゼフォンは顔を上げた。

 その顔には左目から頬にかけてざっくりと大きな傷がついていた。


「…その傷、戦場で受けたのか」

「ああ…もう左目は使い物にならん」

「あんたを助けに来た」

「…無駄だ。手足の腱をすべて切られている。今の俺は逃げるどころか立つことすらできん。もはやここで死を待つのみだ」

「…酷いことをするな…」


 マルティスは眉をひそめて云った。

 よく見ると、ゼフォンの体には無数の傷がついていた。


「おい、トワ。治せるか?」

「う、うん、やってみる」


 私はゼフォンの傍に近寄った。

 汗と血が混じり合ったような、饐えた臭いが鼻を突いた。


「…何をするつもりか知らんが、ここにいたらおまえたちも捕まるぞ」


 間近に寄ると、白髪だと思っていた彼の髪が白に近い金髪だったことがわかった。

 ゼフォンの体に軽く触れて、回復を試みた。


「回復」

「…!」


 ゼフォンは不思議な感覚を味わっていた。

 彼女が触れたところから、何やらむず痒い感じが手や足の先まで広がる。

 ザックリと切られた顔の傷の部分にも、彼女の手がかすかに触れた。

 冷たく冷えた体に熱が戻る気がした。

 その直後、だった。

 感覚のなかった手足に力が戻り、えぐられたはずの左目が、すんなり開いて視界が広がった。


「あ…ああ…!なんだ、これは。力が…戻ってきた。それに…目が、左目が見える」


 彼はそう呟くと、力なく投げ出されていた足を上げ、しっかりと地面を踏みしめた。

 鎖で吊り下げられていた両手にも力が戻り、拳を握り締めた。


「成功した?」

「ああ、さすがだな!」


 ゼフォンはゆっくりと立ち上がり、自らの手足を確認するかのように動かした。

 立ち上がると優に2メートル以上はある。


「細かい傷まですべて消えている。おまえが、何かしたのか…?」

「へへ、驚くなよ?このトワはな、魔族を癒せる力があるんだ」

「魔族を癒す…だと?信じられん」


 ゼフォンは、私を脚の先から髪の毛の先までじろじろと眺めた。

 私が回復魔法を使ったことに対しては、まだよく理解していないようだった。


「女性体の上級魔族がこんなところにいるとは驚きだ」

「それがそうじゃないんだな。とにかく、治ったんなら良かった。脱出しようぜ。その鎖、壊せないか?」

「ふむ。やってみる。危険だから、おまえたちは部屋の外に出ていろ」


 マルティスと私は云われた通り、部屋の外に出た。

 その直後、ドスン!ガラガラ…と岩が砕けたような大きな音がした。

 部屋の中を見ると、鎖が吊り下げられていた天井の一部が崩落していた。

 瓦礫と埃の中から、ゼフォンがゆっくりと歩いて出てきた。

 彼の両腕には鉄製の手枷が嵌ったままで、その手枷からは引きちぎられた鎖がぶらさがっていた。


「あ~あ、手加減てもんを知らないもんかね…」


 マルティスが呆れて云った。

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