第29話 黒の爪 後編

 その一方で、魔族たちの魔法攻撃は止むどころか益々激しさを増している。


「なんだ、こいつらの攻撃、さっきよりも上がっているぞ。なんで魔力が尽きないんだ?バケモノか!」

「それに攻撃が当たっているはずなのに、ダメージがまるでないように見える。何かのスキルなのか?」

「厄介だな。今までの魔族のようにはいかないようだぞ」


 それは私が荷馬車の中から魔族たちの体力と魔力を回復させていたせいだったのだが、彼らにはそれを知る由もない。

 魔族に回復魔法が効くなんてきっと誰も想像もしていない。

 騎兵たちは回復ポーションを飲みながらやっと応戦しているのに、魔族たちはいくら攻撃を受けても平然として戦い続けている。焦りを感じない方がおかしいというものだ。


「くそっ、どうなってる?こいつら全員が自己回復スキルを持っているのか?」

「そんなの聞いたことがないぞ」

「だが、予想以上に手強い。素手の相手に負けたとあっては、我らの名折れだぞ」

「だがどうする?このままだとこっちが魔力切れでジリ貧になるぞ」


 そうしているうち、<防御壁>を展開していた重装兵の1人が、ネーヴェの魔法の直撃を食らって吹っ飛んだ。

 ついに前衛が魔力切れを起こしてしまったのだ。

 これには騎兵隊全員が青ざめた。


「どうなってるんだ?こんなに魔法を撃ち続けられるものなのか?こいつらの魔力、底なしかよ!」


 普通なら、こんなに立て続けに魔法を撃ち続ければ、10分ともたずに魔力切れを起こすものだ。

 それだけではない。

 既にこの時、『黒の爪』の騎兵の半数がジュスターと、カナンとユリウスの体術により倒されていたのだ。

 そのタイミングで、馬の足元を覆っていた氷がパリン!と音を立てて割れ、消え去った。


「おい、馬が動けるぞ!」


 彼らの乗ってきた馬はよく訓練されていて、動けるようになっても足踏みをしながらその場に留まっていた。

 ジュスターと戦っていた騎兵隊長がそれに気づき、隊員らに集合をかけた。倒れた者にはポーションを飲ませ、なんとか馬の周囲に集まってきた。


「全員、早く騎乗し、離れろ!」


 仲間が乗馬している間、前方では交代で重装兵が<防御壁>を展開して時間を稼いだ。


 彼らの前に、氷のように冷徹で無表情な銀髪の魔族が立った。

 今あの氷の魔法を食らったら、全滅する―。

 騎兵隊長はそう思い、冷や汗を流した。


「このまま去るのであれば見逃してやろう」


 ジュスターの言葉に、騎兵隊長は顔をしかめた。


「何…?」

「くそっ、舐めやがって、魔族ごときが!」


 隊長の言葉を遮って、吐き捨てるように云いながら別の騎兵が飛び出し、剣を振り上げてジュスターに斬りかかった。

 ジュスターは、氷のアイスウィップを振るい、その騎兵が近づく前にその手に持っていた剣を跳ね飛ばした。


「うわあぁ!」


 騎兵は呻き声を上げて手を押さえ、その場にうずくまった。

 その手は鎧の小手ごと肘まで凍ってしまっていた。


「次はその首を刎ね飛ばす」


 ジュスターは冷たい声で云った。

 彼の背後には、他の魔族たちが集まってきていて、それぞれが魔法を撃つ構えを見せていた。

 騎兵隊長は息を呑んだ。

 この魔族たち全員から魔法攻撃の直撃を食らったら、間違いなく死人が出る。それどころか、全滅を覚悟する必要まで出てくる。

 それ以上に、彼には気にかかることがあった。 


「わ、わかった。ここは退こう」


 隊長はそう云うと、部下たちに合図をした。

 最後まで<防御壁>を展開していた重装兵が騎乗すると、隊長は撤退命令を出した。

 だが彼の部下たちは口々に不平を漏らした。


「隊長、まだ戦えます!」

「そうですよ!魔族に後れを取るなど、黒色重騎兵隊の名折れです!」


 彼らを制し、騎兵隊長は魔族たちの背後に見える一台の馬車を指した。


「おまえたち、気付かないのか。見ろ。おそらくあの馬車の中に、魔族の親玉がいる。こやつらの動きは先程から、あの馬車から我々の注意を逸らそうとしていた」


 騎兵隊長の指摘に、ジュスターの表情がピクッとかすかに動いた。

 さすがに人類最強の部隊を率いる隊長だけのことはあり、戦場全体を良く見ている。


「気付きませんでした…!」

「ならば、あの馬車を攻撃しましょう!」


 騎兵らがそう云うと、ジュスターたちは身構えた。

 もし彼らが馬車を攻撃するのであれば、何を犠牲にしても全力で阻止するつもりであった。


「そうはさせぬ」


 ジュスターが恐ろしい程の殺気を放った時だった。

 後方の馬車の荷台から、一人の魔族が下りて来た。

 それは長身で筋骨隆々の素肌に胸当てと革のズボンを履いた、いかにも強そうな魔族の男だった。

 だがその魔族の男は、こちらへは来ようとせず、馬車の前で腕組みをしたまま彫像のように立っていた。

 それがサレオスという名の魔族の将であることなど、騎兵たちの知るところではなかった。

 その正体がカイザーの擬態であることは云うまでもなかったが、その登場を聞かされていなかったジュスターたちは、ぎょっとして驚いていた。


「ええっ?何あれ!」

「聞いてないよ…」


 テスカやネーヴェたちも露骨に狼狽えていた。

 だがそれ以上に驚いていたのは『黒の爪』の騎兵たちだ。

 新たな魔族の出現に、彼らは怯んだ。


「上級魔族だ…!」


 騎兵隊長は息を呑んだ。

 その落ち着いたいで立ちから、今まで相手にしてきた魔族とはあきらかに格が違うと感じた。


「見ろ、あいつらあの魔族が出てきた途端、縮こまったぞ…!」

「きっとあいつらの上官なんだ。なかなか勝敗がつかないから怒って出て来たんじゃねえの…?」

「じ、自分で始末をつけるつもりでか?」


 騎兵たちには、今戦っている魔族らが、上官にビビっているように見えた。

 つまり彼らは、後から現れた魔族が桁違いに強いに違いないと思い込んでしまったのだ。

 目の前の魔族たちにですらこれだけ苦戦しているのに、その彼らが恐れる程の相手が現れたとなると、今以上に苦戦することは必至だ。

 騎士隊長は、魔力が底をついているこの状態では、到底勝ち目はないと悟った。


「撤退だ」

「しかし、隊長!魔族ごときに背中を向けるのは…」

「ここで魔族相手に全滅したとあってはそれこそ黒色重騎兵隊シュワルツランザーの名に傷がつくことになる。ノーマン団長に何と言い訳するつもりだ?あの魔族を含めて、こいつらが強いことはおまえたちも身に染みただろう?そしてこちらは魔力が底を尽きかけていて、ポーションも底をついている。このまま戦い続けても良い結果にはならん」

「くそっ…回復士を連れて来ていれば…」


『黒の爪』の騎兵隊員たちは、不承不承納得した。

 強がってはいたが、実際彼ら自身、体力も魔力も底をついていた。

 彼らは矜持プライドだけでは戦には勝てないことを経験で知っている。


「これは撤退であって敗北ではない。はき違えるな」


 隊長が云うと、全員が従うしかなかった。

 馬上の人となった騎兵隊長は、黒い兜を脱いで素顔を晒し、ジュスターに話しかけた。その顔は金髪に無精ひげの、30前後くらいの青年に見えた。


「貴様の名を聞いておこうか」

「ジュスターだ」

「私はヘルマン・キーファー。黒色重騎兵隊シュワルツランザー第1部隊旗下第5分隊『黒の爪』の騎兵隊長だ。その顔、覚えておくぞ」


 隊長はジュスターにそう捨て台詞を吐いて、馬首を巡らせた。


「撤退する!」


 そうして黒色重騎兵隊シュワルツランザーは立ち去った。


『黒の爪』が去った後、ホッとした私は、アスタリスと馬車の外へ出た。

 すると魔族たちは一斉にこちらへ駆けて来て、馬車の前で仁王立ちしているサレオスを取り囲んだ。

 真っ先にやって来たのは高速行動を持つテスカだった。


「もしかしてカイザー様ですか?」

「なんか貫禄ありますね」

「すごいですね!トワ様から聞いてはいましたが、これほど完璧な擬態だとは」

「ふふん、そうだろう」


 カイザーが擬態するところを初めて見たネーヴェやカナンたちは、興味津々で彼の外見をじろじろと眺めた。

 そして矢継ぎ早に質問をしていた。 


「ところで、これ誰?」


 ネーヴェが無邪気に尋ねた。


「む?貴様らサレオスを知らんのか?」

「え!!サレオスって、魔王守護将の?」

「どーりで強そうだと思った!」


 その名を聞いた途端、彼らは大騒ぎした。

 サレオスが有名人であることをその時初めて知った。

 荷馬車の中で彼らの様子を見守っていた時、不意にカイザーが『連中をビビらせてやる』なんていうものだから、仕方なく出してあげたのだ。

 まさかサレオスの姿で出るとは思わなかったけど、確かにこうして見ても、サレオスは強そうだし貫禄がある。

 『黒の爪』の連中がビビって逃げ出すのもわかる気がする。


「皆、サレオスさんに会ったことないの?」

「僕らみたいな下っ端が、サレオス様みたいな偉い人にお会いできる機会なんかないですよ」


 アスタリスが答えた。


「ふむ。それもそうか。魔王守護将といえば魔王に次ぐ立場だからな。下々の者らが顔を知らんのも無理からぬ話か」

「前線基地に行けば、本物に会えるわよ」

「ええっ!?サレオス将軍も基地におられるんですか!?」

「うん」

「うわ、ドキドキする…」

「今のうちによく見て、慣れておこうっと」


 有名人に会えるとあって、魔族たちは色めき立った。

 魔族でも、有名人に会うとなるとこんな風にはしゃいだりするんだと、親しみを覚えた。

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