第28話 黒の爪 前編

 それとは知らず、私は暢気にジュスターに尋ねた。


黒色重騎兵隊シュワルツランザーって、そんなに強いの?」

「人間の軍隊では最強と言われています」

「へえ…そうなんだ」

「我々を捕らえたのもその軍隊なのです」


 それを聞いて、私は絶句した。

 深刻な表情をしたカナンが、ジュスターの傍にやって来た。


「どうします?ジュスター様。逃げますか?」

「いや。こちらは馬車で、機動力が低い。隠れるところもないこの平原では、すぐに見つかって追いつかれてしまうだろう。戦うしかあるまい」


 彼らは覚悟を決めて黒色重騎兵隊と戦うことにしたようだ。

 この時の私はまだ、そこまで危機感がなかった。

 前回の戦場と同じように、自分の回復魔法があれば余裕なのだと思っていた。


「アスタリスは馬車を移動させて、我々が戦っている間に出来るだけ遠くにトワ様を避難させてくれ」

「わかりました」


 ジュスターがアスタリスに指示を出すのを聞いた私は、思わず声を上げた。


「ちょっと待って!私だけ逃げるの?」

「もちろんです」

「だってそれだと回復できないじゃない!」

「トワ様の安全が第一です」

「それならカイザーを出すわ」

「いえ、トワ様にご負担を掛けるわけにはまいりません。それにここでカイザー様が出れば、アトルヘイム軍は魔王様がおいでになると勘違いをして、兵を増強して追撃してくるやもしれません」

『その通りだ、トワ。人間は私の主が魔王だと思い込んでいるからな。それにおまえの存在は奴らに知られぬ方が良い』

「…そっか…」

「万が一の場合には、カイザー様にはトワ様を守って逃げていただかねばなりません」

『わかっている』

「万が一って…そんなのダメよ。皆で一緒に国境を越えるんだから!」


 私が強めに云うと、ジュスターは困惑した表情になった。

 カイザーも何も云って来ない。

 ジュスターと同じように、また私が倒れるとでも思っているのだろうか。


 その時、私は気付いた。

 私と契約して能力は底上げされたけれど、彼らには生活スキルばかりで、戦闘スキルを与えていなかったことに。

 だけど私には攻撃スキルの知識がなく、今すぐに彼らに適性スキルを付与するには時間が足りない。

 武器もない上、回復もなしに人間最強の部隊と戦って、無事で済むはずがない。


「私もここに残るわ。私にも手伝わせて」

「いいえ。トワ様を危険にさらすわけにはまいりません」

「勝手に決めないで!あなたたちは私の部下でしょ?私には部下を守る義務があるのよ!これだけは譲れないんだから!」

「トワ様…」


 ジュスターが言葉を紡げずにいると、私の前にアスタリスが進み出た。


「ジュスター様、トワ様が回復を行えるギリギリの距離まで離れた場所に馬車を止めておくというのはどうでしょう。僕がトワ様のお傍にいてお守りします。何かあればすぐに馬車を出せるようにしておきますから、どうかトワ様のお願いを聞いてあげてください」

「アスタリス…ありがとう!ごめんね、私につき合わせちゃって」

「いえ。僕がいてもジュスター様たちの足手まといになってしまうだけですから」

「そんなこと…!」


 アスタリスは薄笑いを浮かべて首を振った。

 だけど、彼のおかげで私は逃げずに済むことになった。

 離れたところに馬と馬車を止めて、荷台の中に隠れて様子を伺うことにした。

 この距離ならば、敵に悟られずに彼らを回復できる。回復し続ければ、少なくとも彼らを死なせることはないはずだ。

 国境の戦場での経験が、私に多少の自信を与えていた。


 黒い軍旗を掲げた不気味な騎馬軍団は、全身漆黒の鎧兜姿だった。

 馬具まで黒に統一されているのが黒色重騎兵隊シュワルツランザーたる所以だとアスタリスが教えてくれた。

 黒色が忌み嫌われている人間の世界であえてこの色を使っているのは、魔族の色である黒色を、魔族の血で染め上げるという皮肉から来ているらしい。

 黒色重騎兵隊は12の部隊から編成されており、その12の本隊の下にそれぞれ下位部隊が存在し、領地内や友好国内の巡回を担当している。 

 ここにいる20騎程の黒色重騎兵隊は、そうした下位部隊の1つではないかと推測された。


「見つけたぞ!魔族の集団だ」

「人数からすると、例の研究施設から脱走した魔族じゃないですか?」

「運が良いな。これで報奨金はいただきだな」


 彼らはジュスターたちを見つけると、馬上で長槍を構えた。


「槍構え!半円展開!」


 隊長らしき男が号令をかけると、黒色重騎兵隊は騎馬を半円形に動かして魔族たちを取り囲んだ。

 騎兵隊の中には、守備専門の重装兵も混じっている。


「できるだけ生かして捕えろとの命令だ」

「了解!」

「突撃!」


 騎馬の軍隊は、一か所に集まっていたジュスターたちへ突進していった。

 彼らは散開して騎馬を避けたが、風の魔法を撃っていたネーヴェは、殺到する騎馬たちの矢面に立つことになった。

 しかし彼の魔法は、先頭に立つ重装兵が展開する<防御壁バリア>によってすべて弾かれてしまった。

 重装兵と横並びに槍を構える騎兵隊は、そのままネーヴェに向けて突撃した。

 ネーヴェの前に、長槍の先端が迫る。

 串刺しにされるかと思ったその瞬間、まるで瞬間移動のようにネーヴェを抱えて空中に舞い上がったのは、黒い翼を持つテスカだった。

 彼は高速行動を使ってネーヴェを救ったのだった。


「ほう、有翼族か。珍しいな!生け捕りにすれば報酬がさらにアップしそうだ」


 騎兵たちはチームに別れ、それぞれ担当する魔族を決めて襲い掛かった。

 さすがに戦い慣れしている。

 しかもこちらは馬上の相手に対して、素手で戦うしかない。

 さすがは世界最強と云われる軍の重装兵、その<防御壁バリア>は物理だけでなく魔法防御にも鉄壁で、魔族の魔法攻撃をまったく寄せ付けなかった。


 テスカとクシテフォンも空中から敵に魔法で対抗しているけれど、<防御壁>に阻まれ、有効なダメージを与えられていない。

 攻撃が届いたとしても、回復ポーションで回復されてしまう程度のダメージしか与えられない。

 唯一、対等に戦っていたのは格闘技を使うカナンとユリウスだけで、ジュスターは魔法攻撃を行うネーヴェを守って防戦している。


「バカが!魔法攻撃など無駄なことがわかんねーのか?学習しねえなあ、魔族ってのは」

「その頭にはワラでも詰まってんじゃねーのか?」


 騎兵たちは笑いながら、余裕を見せていた。

 <高速行動>を持つテスカとユリウスはその素早さを生かして味方の援護を行っているけれど、攻撃の切り札を持っていないため、逃げ回るばかりで防戦一方だ。

 騎兵と交戦中のクシテフォンは、空中にいるところを背後から別の騎兵に投擲用ナイフを投げられ、翼を貫かれてしまった。

 地面に墜落してしまった彼のところへ、チャンスとばかりに騎兵たちが殺到したが、彼はすんでの所で再び宙に舞い上がった。


「チッ、しぶとい奴め」

「隊長、いけますぜ!一気に仕留めましょう」


 騎兵隊長は、彼らを一気に追い詰めるべく号令をかけた。


「第二陣形を取れ!」


 分かれていたチームが集まり、騎兵隊は陣形を変えながら、巧みに攻撃を繰り返し、魔族たちをじりじりと追い詰めていった。

 さすがに職業軍人なだけあって、統制の取れた動きをしている。


「なかなか手強いな。もしやこいつらは上級魔族なのか?」

「ならば好都合!上級魔族を生け捕りにすれば更に報酬アップだしな」

「無駄口を叩くな。集合陣形を取れ!」


 号令がかかると、騎馬隊は一か所に密集し、槍を前方に構えた。


 アスタリスと共に、幌馬車の荷台から彼らの戦いを見ていた私は、騎兵隊の強さにずっとハラハラしていた。

 先程クシテフォンが翼を射抜かれて地面に落ちたときも、素早く回復させることができたけど、生きた心地がしなかった。

 魔力も回復させているけれど、今のところ、どう見てもこちらが不利だ。

 彼らは生身で武器も持たずに戦っている。

 対して、黒色重騎兵隊シュワルツランザーは全身を防御に優れた鎧兜で覆い、リーチの長い武器で攻撃してくる。ハンデがありすぎだ。

 こんなことになるのなら、防御系のスキルだけでも与えておけばよかったと心底後悔した。

 魔法も効かないし、カナンの体術も馬上にいる騎兵にはうまく躱されてしまっている。あの騎兵隊とどう戦うというのだろう?


 そんな心配を振り払ったのはジュスターだった。

 彼は集合陣形を取っている騎兵隊の前に立ち塞がった。


「貴様が魔族のリーダーか。いい度胸だ。たった1人で我らに挑むか」


 騎兵隊長は余裕を見せ、馬上からジュスターに名乗りを上げた。


「我らは栄光の黒色重騎兵隊シュワルツランザー第1部隊旗下第5分隊、通称『黒の爪』だ。我々に捕らわれることを光栄に思うがいい」

「そうだぜ。大人しくすれば痛い目を見ずにすむってもんだ」

「よく見りゃ魔族にしておくのも惜しいくらいの美人さんじゃねーか。施設へ送る前に可愛がってやるぜえ!」


 騎兵隊員たちは笑い、ジュスターを侮辱するような発言をした。

 これにはカナンたちも拳を震わせて怒っていた。

 だがジュスターはそんな挑発には乗らず、彼らの一瞬の油断が生んだ隙を見逃さなかった。


「<範囲氷結ワイドフリージング>」


 ジュスターは呟くように短く唱えると、騎兵隊の騎馬の足が一斉に、地面に縫い付けられたかのように凍り付いてしまった。

 重装兵が<防御壁>を唱える間もなく、ジュスターの氷結魔法の餌食になってしまったのだ。


「な、何だ、これは!魔法か?!」

「た、隊長、馬の足が凍り付いて動けません!」

「くっ…!奴め、我らが一か所に集まる時を狙っていたのか!」


 彼らは必死に馬に鞭を当ててなんとか動かそうと必死になったが、馬はいななくだけでまったく動けなかった。

 騎馬が動けなくなったことで、彼らの最大の武器である機動力を奪われることになってしまった。

 ジュスターは彼らが集合陣形を取るのを待って、氷の広範囲魔法を使用したのだ。


「チッ!こざかしい真似を!」

「全員下乗!槍を捨てて剣で戦え!」


 隊長が命じると、『黒の爪』は全員馬から降りた。

 この機を逃さず、魔族たちは一斉に魔法攻撃を開始した。

 4人の重装兵が前に出て<防御壁>を展開し、それをかろうじて防いだ。

 戦いなれている彼らは、こんなことでパニックになったりはしなかった。

 重装兵を盾に、騎兵たちは馬上用武器である長槍を捨てて、腰に帯びた剣を抜いて魔族たちに襲い掛かった。

 見た所、騎兵たちの中で魔法攻撃を行う者はいないようだ。

 魔族たちは魔法を撃つチームと体術で戦うチームに別れて騎兵らと戦っていた。

 魔族たちの素早い動きに、重い鎧をつけた騎兵らは翻弄されたが、それでも彼らはチームで巧みに戦った。

 重装兵が絶妙な範囲で<防御壁>を展開しながら魔族の攻撃を防ぎつつ、アタッカーが攻撃を加える。

 魔族たちも一歩も退かずに戦っているが、<防御壁>の前に決定的なダメージを与えられずにいた。


 そんな中、戦局を変えたのは、またしてもジュスターだった。

 彼は自らの手に氷のアイスウィップという武器を作り出した。

 これも例の衣服スキルの応用なのだろう。

 彼は『黒の爪』の隊長に狙いを定め、氷のアイスウィップを振るった。

 騎兵隊長はそれを辛くも剣で受け流したが、その鞭の正体は、接触した剣の一部分が凍ってしまい、使い物にならなくなるという恐るべき魔法武器だった。

 武器を持たない魔族など容易く倒せると侮っていた『黒の爪』の騎兵たちは、ジュスターの鋭い鞭裁きに翻弄され、じりじりと後退させられていった。


 騎兵隊長は、今更ながらに彼らが思いの外強いことに焦りを感じ始めていた。

 そして何より危惧していたのは<防御壁>を展開し続けている重装兵の魔力切れであった。驚くことに、最初からずっと魔族の魔法攻撃が続いていて、今もジュスターの背後から魔法攻撃を受けている。すでに重装兵らは回復ポーションをがぶ飲みしながら魔力を維持している状態だ。

 騎兵隊長は防御魔法を展開している重装兵らに声を掛けた。


「あとどのくらい持つ?」

「ポーションが底をつきました。かなりマズイ状況です」

「まさか…。連中の狙いは最初からこれだったのか?」


 騎兵隊長はようやく気が付いた。

 魔族たちが<防御壁>で何度弾かれても魔法攻撃を止めなかったのは、重装兵の魔力を切れを狙ってのことだったのだ。

 <防御壁>は展開しているだけでも魔力を食うが、敵の攻撃を弾くたびに更に魔力を消費する。

 防御の要である重装兵が魔力切れを起こして<防御壁>が無くなれば、こちらの陣形は総崩れとなる。

 そうなれば、魔族たちの魔法や物理攻撃を正面から受けることになる。

 いくら防御能力の高い鎧と云えど、無事では済まない。

 彼は敵を侮っていたことを後悔した。

 せめて回復士を連れて来ていれば、と騎兵隊長は舌打ちした。

 この軍に回復士が同行していないのは、これまで魔族と交戦してきた中で、回復士が必要だった戦いなど一度もなかったからだ。

 まさかここまで手こずるとは思っていなかった。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る