第30話 国境越え

 その後、追手に見つかることもなく順調に旅を続け、私たちはようやく国境近くまでたどり着いた。

 しかし問題はここからだった。


 魔族と人間の大陸の国境は、万里の長城のような高い壁によって隔てられている。

 この北国境は人間が作ったもので、国境の壁の唯一の出入り口には人間の砦が直結している。

 以前、人間側の戦力として砦に派遣されたことがある私は、砦の内部の構造をなんとなく覚えている。

 砦は1万人以上の兵士を収容できる程の大きな要塞で、その高さは10階建てのビルほどもある巨大な建造物だ。

 国境を越えて魔族の基地へ行くためには、この砦の中を通過しなければならない。


 アスタリスが<遠目>で偵察してくれた結果、現在砦には一個大隊が3つほど駐留しているらしいことがわかった。


 私には軍隊の単位はよくわからないけど、要するにあの砦には今、約3~4000人の兵士がいるということだった。

 たしかこの前の戦では1万人規模の兵士がいたはずだけど、私たち勇者候補が帰った後、兵士らも自国に引き上げて行ったのだろうか。

 ジュスターも、国境を守るには人数が少なすぎると云っていた。

 おそらくは交代要員もしくは増援を待っている状態ではないかと分析していたけれど、それでも十分多いと思う。

 この人数でどうやってあの砦を突破したらよいのだろう。

 この前戦った黒色重騎兵隊シュワルツランザーとは人数も規模が違う。


 ジュスターを中心に作戦を練っていると、カイザーが提案があるというので、ミニドラゴンの姿で出てきてもらった。

 そうだ、よく考えてみればカイザーがいるんだった。


「私がいなければ、カイザーの背に乗って楽に国境を越えられたのにね」


 そんなことを云うと、カイザーが私の頭の上に乗って、しっぽで後頭部をペシペシと叩いた。


「いたたっ!何すんのよ」

『バカなことを言った罰だ。おまえがいなければ私は飛べぬ。それに食料を積んだ馬車を置いて行くわけにもいくまい?』

「そりゃそうだけどさ…」


そこでジュスターが口を開いた。


「カイザー様のおっしゃるとおりです。万が一、前線基地に受け入れてもらえなかった場合のことも考えて、最低限馬と馬車は確保しておく必要があります。さすがにそれはカイザー様でも運ぶのは困難ですから」


 この発言に私は驚いた。

 前線基地に置いてもらえないなんて、そんなこと考えてもいなかった。


「受け入れてもらえないとか、それはないと思うけど…」

「魔王様とサレオス将軍がまだ基地においでなら良いのですが、そうでない場合、新たな指揮官が我々を受け入れるかどうかはわかりません。物資不足だというのなら尚更です」

「そっか…あれから結構経ってるし、その可能性もあるんだわ」


 常に最悪のことを考えておくというのは、彼のリーダーとしての資質なのかもしれない。


 そこでカイザーが提案したのは、自分が囮となって砦の兵士たちを引き付け、その隙に馬車ごと国境を突破するというものだった。


「…っていうか、正直な話、カイザーがいれば砦を落とせるんじゃない?」

「それはダメです!」

『それはダメだ!』


 私の提案に、カイザーを含めた全員が異口同音で反対した。


 研究施設リユニオンを滅ぼしたカイザーの力を皆は見ている。

 砦を落とすことなんてきっと簡単な筈だ。

 なのに皆して反対するのは、やっぱり私の体調を心配してのことだった。


「私なら大丈夫よ。あの時はおなかも減ってたし、精神的に弱ってたから…」

「カイザー様が十二分に力を行使すれば攻略できるでしょうが、その分トワ様の負担も増えます」

『なに、国境を通過するだけのことだ。砦を落とす必要もあるまい』

「簡単なことだよ。僕らがトワ様を基地へ連れて行くからさ。楽にしててよ」


 ネーヴェがアイドルスマイルで云った。

 こんな眩しい笑顔でお願いされたら何も云えなくなってしまう。


 仕方なく私が頷くと、ジュスターが作戦の概要を話した。

 大まかに云うと、カイザーがドラゴンの姿で砦の兵士たちを外へおびき出している間に、手薄になった砦を突破するという単純な作戦だ。

 だけど、砦に残って妨害してくる者もいるだろうし、おびき出された兵が戻ってくる可能性だってある。単純なだけに困難も予想される。

 ジュスターは皆に檄を飛ばした。


「よいか、迅速な行動が成功のカギだ。アスタリスには敵兵を確認してもらいつつ、馬車を走らせてもらう。トワ様を乗せているのだ、慎重に頼むぞ」

「が、がんばります」


 今回、私は走っている荷馬車の中に隠れていなくちゃいけなくて、砦の中で戦っている彼らを回復してあげることができない。

 だから今度は私の回復がなくても十分戦えるように、全員に戦闘スキルを与えようと思う。

 黒色重騎兵隊シュワルツランザーとの戦いの時みたいな、あんな思いは二度としたくなかったから。

「強くなれ」とか曖昧な言い方で戦闘スキルを与えられるほど言霊スキルは万能じゃないから、各自必要なものを申告してもらうことにした。


『遠慮はするなよ。この機会に好きなだけスキルを貰っておけ。この先何があるかわからんのだからな。トワの役に立つことを考えろ』


 カイザーが忠告すると、皆は大きく頷いた。



 国境に夕暮れが迫って来ていた。

 いつものように国境の壁の上から夕日を眺めていた2人の警備兵が、空に何か動くものを発見した。


「おい、あれは何だ?」

「ん?」


 警備兵は、上空を指差した。

 もう一人の警備兵はその方向を目を凝らして見た。

 赤く染まる空に、飛来する影を見つけた。


「鳥か?」

「いやそれにしてはデカすぎる。それに何か動きが…」

「嘘だろ…あれは…」

「ドラゴンだ!」


 それは紛れもなく夕日を全身に浴びた真っ赤なドラゴンだった。

 警備兵たちはなかばパニックになりあたふたと駆けまわった。

 上層階の半鐘を打ち鳴らし、砦中に危機を知らせた。

 そうこうしている間にドラゴンは砦に飛来し、中庭の吹き抜け広場に降り立った。

 巨大なドラゴンの出現に、砦の中はパニックになった。

 ドラゴンは咆哮し、その大きな翼を羽ばたかせた。

 砦内に突風が吹き荒れ、たまたま中庭にいた人間たちはそれに吹き飛ばされた。


 騒ぎを聞きつけた兵士たちが中庭に集まってきた。

 前線基地での戦いでドラゴンが出現したことから、砦ではドラゴンが攻めてくることを想定して訓練をしていたのだ。兵士たちは隊列を組み、中庭のドラゴンを取り囲んで、一斉に矢を射かけた。


 するとドラゴンは上空に舞い上がり、砦の上を旋回すると、砦の外に着地して動かなくなった。

 兵士たちは、自分たちの攻撃によって、ドラゴンを追い払ったのだと思って歓声を上げた。

 そこで守備隊長は、ドラゴンにトドメを刺すべく、砦の約半数の兵を動員して一軍を編成した。

 砦の門が開き、一軍はドラゴンを追いかけて砦から出て行った。

 門は鎖を引くことで垂直に上がり、離すと落ちて閉まる落とし格子式で、門の内側に格子の鎖を巻き取るリールがある。このリールを操作するのは門番の重装兵たちである。

 砦から兵の一軍が出て行くと、それを待っていたかのようにドラゴンは再び空へと舞い上がった。

 一団が追い付くとまた飛び上がる、ということを繰り返し、まるで追いかけっこをしているかのようだったが、兵たちには傷を負ったドラゴンが必死で逃げているように思えた。


 砦の門は兵の一軍が帰還するまで開けっぱなしにされていた。

 国境手前の林の中に身を潜めていた魔族たちは、その様子を伺っていた。

 ジュスターが馬上から手で合図をした。


「私とカナンが馬で先導し、門番を倒す。アスタリスは馬車を門の前まで移動させてくれ。ネーヴェとユリウスは馬車に同乗し、馬車が通過したら門を閉めろ。テスカとクシテフォンは砦上層の敵を排除し、馬車の援護を頼む」

「了解!」

「よし、作戦開始!」


 こうして国境突破作戦は始まった。


 門を守る兵たちは、ものすごい勢いで門へと迫ってくる騎馬を見つけた。

 慌てて止めようと門の入口に立ち塞がったが、その騎馬に何なくなぎ倒されてしまった。それはカナンの乗った馬で、その背後からジュスターの騎馬が砦の中へ入って行った。

 その背後から一台の荷馬車が猛スピードで門をくぐり抜けた。

 馬車の荷台から飛び降りたユリウスとネーヴェが、リールを守る重装兵らを倒し、今通って来た門の扉を下ろした。

 これでドラゴンを追って出て行った一軍が戻ってきたとしても、簡単には中に入れない。


 不法侵入者に気付いたのは巡回していた見張りの兵士だった。兵士は砦上部へ駆け上がり、半鐘を鳴らそうとしたが、テスカとクシテフォンによって阻止された。哀れな兵士は砦の上層階からそのまま落下した。


 馬車は門を通過すると、砦の中を駆け抜ける。

 砦の1階部分は吹き抜けの通路になっていて、国境側の門まで通じている。

 問題はその通路がクネクネと曲がっていることだ。そのためアスタリスが御する馬車は、砦の中に入るとスピードを緩めざるを得なかった。


「魔族の襲撃だ!」


 侵入者を感知した兵士が叫んだ。

 既に先導するカナンとジュスターは国境側の門の前にたどり着いていた。

 そこには国境側の門のリールを守る重装兵の一団が待ち構えていた。

 ジュスターが、彼らに氷結魔法を撃つと、重装兵らは黒色重騎兵と同じように<防御壁バリア>を展開して魔法を防いだ。


「ジュスター様、あの連中は俺が引きつけます。その間に門を開けてください」

「わかった」


 カナンが馬を降りて、重装兵の一団へ踊りかかった。

 物理攻撃にも<防御壁バリア>は有効だが、カナンの戦い方は特殊であった。

 彼は巨大なオレンジ色の豹のような肉食獣に変身したのだ。

 それはカイザーのような擬態ではなく、獣族であるカナンが元々持っていた先祖返りの能力が変身能力という形で進化したものだ。

 その獣は素早くしなやかな動きで兵たちを翻弄し<防御壁バリア>をかいくぐって重装兵たちを攻撃した。

 これを見た重装兵たちは、<防御壁バリア>など展開している場合ではないと、剣を抜いてオレンジの魔獣と戦おうとした。

 だがそれはジュスターの氷結魔法の餌食になるだけだった。

 彼らは一瞬のうちに氷の彫像と化してしまった。


「なんだこれは…!」


 加勢しようと駆け付けた兵士らは凍り付いた味方を目撃し、思わず足を止めた。

 すると彼らの目の前に、上から弓部隊の兵が降って来た。


「ひいっ!!」


 ドサリと地面に落ちて来た兵士は、弓を持ったまま、ドス黒い顔色で泡を吹いていた。

 上方を仰ぎ見ると、砦の上層で翼の生えた魔族が飛び回っては、兵士を下へと叩き落していた。


「う、上にもいるのか!?」

「下にはあんな獣もいるのに、む、無理だ…!」


 恐れをなした兵たちは、門の守りを捨てて砦の奥へと逃げて行った。

 カナンはそれを追撃していった。

 それと入れ替わるように荷馬車が通路を突進してきた。


 重装兵が数人がかりでリールを巻き上げる作業を、ジュスターはたった1人で行い、国境側の門を開けた。


「アスタリス、そのまま直進せよ!他の者も順次脱出してくれ!全員が通り抜けたら門を下ろす」 


 ジュスターが叫ぶと、アスタリスは馬車の荷台に向かって声をかけた。


「トワ様、行きますよ!しっかりつかまっててください!」

「は、はい!」


 ジュスターの命令を受けて、馬車を追いかけながら伏兵を排除していたユリウスとネーヴェは、走る速度を上げて、馬車の荷台へと飛び乗った。

 アスタリスの御する荷馬車はスピードを上げた。

 馬車は、ジュスターの前を通り過ぎて国境側の門を通り抜けて行く。


 馬車が出て行くのを見送ったジュスターは、部下たちに撤退命令を出した。

 敵兵を追い回していたカナンは肉食獣から元の姿に戻り、騎乗して待機した。

 カナンが待っていたのは砦上層で敵兵と交戦していたテスカとクシテフォンの2人だ。

 国境側の外壁には、魔族の侵入を防ぐための強力な防御壁バリアが張られているため、彼らは上層の壁の上から国境を越えて飛び出さぬようジュスターから命じられていたのだ。

 クシテフォンがジュスターの乗って来た馬に騎乗し、カナンの後ろにはテスカが乗り、2騎はそのまま門を突破していった。


 砦の中に残ったのはジュスターただ一人となった。

 彼は、開いたままの国境門のリールの前に立っていた。

 カナンから逃げ回っていた兵士らが門へ戻ってきて、ここぞとばかりにジュスターへ襲い掛かった。

 ジュスターがたった一人で立っていたので、有利に戦えるとでも思ったのだろう。

 だが彼はカナンよりも冷酷で魔法に優れていた。

 ジュスターの周囲には、タダならぬ冷気が立ち込めていた。

 それは近付いて来た兵たちを片っ端から容赦なく氷漬けにしてしまった。

 氷の彫像になってしまった兵士たちの前で、彼はリールの留め金を蹴飛ばして門扉を降ろすと、そのリールも凍ってしまった。


 ジュスターは周囲に人影がいなくなったのを確認すると、背中から黒い蝙蝠のような翼を出して砦の壁の上へひらりと飛び乗った。

 砦の壁は国境である。

 眼下には脱出した仲間たちが走り去っていくのが見える。

 そして、彼の立つ壁の真下には、クシテフォンの騎馬が待機していた。


 ジュスターは、砦の向こう側を飛ぶカイザードラゴンの姿を見つけた。まだ兵士らと追いかけっこをして、時々やられたフリをして遊んでいる。

 <絶対防御>を持つカイザードラゴンに、人間の兵士の攻撃など効く筈もないのにだ。


 ジュスターは、カイザーへ向けて氷の粒を放つと、<防御壁バリア>などものともせず、壁の上から平然と飛び降りた。

 ジュスターの放った氷の粒は夕陽を弾いてキラキラと輝き、カイザードラゴンの目の前で弾けて消えた。

 それが作戦終了の合図だった。


 兵士の一団と追いかけっこを愉しんでいたカイザードラゴンは、作戦終了の合図に気付くとその場で大きく翼をはばたかせて突風を起こした。

 その風が巻き起こす砂塵に目をやられ、兵士たちが怯んでいる間に、カイザードラゴンは上空高く舞い上がり、魔族の大陸方面へと飛び去って行った。

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