第56話 束の間の休日

 グリンブル王国へ行くことが決まって、魔王やその側近らには、いろいろと片付けなければならないことが山積みだった。

 魔王は、ダンタリアンや大臣たちと国政についての打ち合わせを連日行っていたし、ホルスはグリンブル王国での魔王の迎えの準備をさせるため、ネビュロスとの連絡を取りに出掛けたりと、皆多忙だった。


 暇なのは私だけだ。

 あまりにも暇暇云っていたので、この日私の護衛を担当していたアスタリスが、ある提案をしてくれた。


「トワ様は僕らが日頃何をしているかご存知ないですよね?」

「そういえばそうかも…。ここで護衛に立っている時以外、皆は何をしてるの?」

「じゃあ、それをお見せしますよ。ついて来てください」


 そういうわけで、私はアスタリスと共に部屋を出た。


「トワ様、その指輪、すごいですね。上級魔族のすごいオーラが出まくってますよ」

「ほ、ほんと?変じゃない?」

「全然、変じゃありませんし、誰もトワ様が人間だなんて思いませんよ」

「そうなんだ?良かった」


 魔王がくれた指輪のおかげで、城内を歩いていても以前ほど注目を集めることはなくなった。

 私が『聖魔』という存在であることは、まだ一部の大臣や官吏、高級将校くらいしか知らないのだ。


「今日の休みはクシテフォンで、ネーヴェは半休です」


 騎士団のメンバーはジュスターが組んだスケジュールで動いているらしく、交代で休みを取っているようだ。休憩も随時取っているようだし、うちの騎士団はブラックじゃなくて良かった。


 本城の1階の中庭に降りると、楽器の音と歌声が聞こえた。

 クシテフォンの声だ。

 相変わらずいい声だなあ。

 声のする方に行ってみると、中庭の一角に置かれたベンチでクシテフォンがサロード片手に弾き語りをしていた。

 自然と周囲に人が集まってきていた。

 皆、うっとりと聴き惚れている。


「彼はああして非番の時は城や城下町のあちこちで歌っているんですよ。城内でも随分人気がありまして、彼を追っかけているファンもいるくらいです」


 アスタリスの説明にも納得だ。

 クシテフォンが当番の時には、3時のお茶の時に時々歌ってもらっているのだけど、部屋から洩れる彼の声を聴こうと、部屋の外で立ち止まる者が多くて驚いたこともある。

 

 1曲終わる度にものすごい拍手が起こる。

 知らない曲ばかりだったけど、魔族の間では有名らしい曲が始まると、前奏の時点で歓声が上がった。皆が彼の歌声を認めてくれているのがなんだか嬉しい。

 集まっている人々を見ると、城勤めの女性魔族や休憩中の官吏、警備兵など様々だった。


 そういえば、魔王城に来てから、女性魔族をよく見かけるようになった。

 魔王の云う通り、やっぱり都会は違う。

 城内に勤務する彼女らのファッションは洗練されていて、聞けば魔王都で有名なデザイナーが手掛ける洋服のブランドが採用されているそうだ。

 そのおかげで私もようやくジュスターの作った服以外のものを身につけることができた。

 魔王都にはいわゆる銀座の高級ブランド街みたいな場所もあって、おしゃれを好む魔族の間では、ファッションとメイクを楽しみたいからという理由で女性体になる者も多いという。


 ちなみに魔王城に勤務する人々は、魔族の国の中でも超のつくエリートで、高収入ということもあり、魔族の憧れの就職先ナンバーワンだそうだ。


 観客の邪魔をしないようにそっとその場を離れると、次にアスタリスは騎士団の訓練場に案内してくれた。

 訓練場は本城からは離れたところにある別棟の広場にあった。

 この魔王城の敷地は本当に広くて、たぶんイメージだけど山手線の内側がすっぽり入ってしまうんじゃないかと思う。

 結構な距離を歩くので、カイザーが『運んでやろうか』と声を掛けてきた。けど、どうせ暇だし頑張って歩くからと断った。

 1時間ほど歩いてようやくたどり着いた訓練場では、多くの魔族の兵たちが訓練をしていた。

 整列する魔族の兵たちの前には、カナンが立っていて、彼らを指導しているように見えた。


「カナンが先生なの?」

「実はそうなんです。僕らが最初にここへ来た時は、この兵棟で最も強いとされている上級兵の部隊から、生意気だって喧嘩を吹っ掛けられたんですよ。その時、カナンが1人でその場にいた全員を叩き伏せてしまって。それ以来、皆カナンを師匠って呼んで、ああして指導を仰ぐことになったんです」

「さすがね…」


 面倒見のいいカナンらしい話だなと思った。

 私の知らないところで彼らもいろいろな苦労をしていたんだ。


 カナンと一緒に訓練所にいたテスカが、私を見つけて、文字通り飛んできた。

 テスカは兵の宿舎の構造と、訓練の内容について説明してくれた。

 兵舎は下層に下級兵士が、上層には上級兵士が住んでいて、将官らはまた別の上級兵舎に住んでいる。

 魔族も上下関係がハッキリしているようだ。


「僕らは本来なら新参者なので下層兵舎に住むことになってたんですが、聖魔騎士団に任じられていきなり守護将付き騎士兵長待遇をいただいたので、魔王城本城内にとても良い部屋を貰うことになったんです。そのせいで最初は風当たりがきつかったですが、それもカナンのおかげで解消されました」

「そうだったの…」


 そんな話も初めて聞いた。

 上級兵からのいじめにも負けず、実力で黙らせるなんて、この分なら心配はいらないようだ。


「何か困ったことがあったら言ってね?」

「ありがとうございます。でもたぶん、大丈夫です」


 テスカに別れを告げて、次に向かったのは上級兵舎にある将兵用のサロンだ。

 ここは一般の兵士は立ち入れないところで、指揮官クラスの将兵だけが出入りできる場所だ。

 アスタリスは中に入れないので、中にいたジュスターを<遠隔通話テレパシー>で呼び出した。


 彼に代わって、ジュスターがサロン内を案内してくれた。

 さすがに装飾や調度品も豪華で、サロン内にはお酒を飲めるバーまであった。

 他の騎士団長や兵士長らにジュスターが声を掛けると、彼らは慌てて私の前に膝を折った。将校クラスの魔族たちは私のことを知っているようだった。

 

 サロン内にはおしゃれなレストランもあって、将校らの会食が行われていたりするらしい。今日はユリウスが是非にと頼まれて、サロンの厨房に入っているそうだ。

 なんでも今日はこの後、将校同士の会合があるとかで、食堂の責任者にユリウスを貸し出して欲しいと懇願され、ジュスターが特別に許可したのだそうだ。

 魔王城の厨房には<S級調理士>を持つ者は今現在、ユリウスしかいないため、あちこちから声がかかるのだ。

 もちろん魔王と私の食事を作ることが最優先なので、空いた時間になんとか来てもらおうと、他の部門の責任者らが毎日のようにジュスターの元を訪れるのだとか。

 実は以前は魔王城にもS級調理士がいたそうだが、魔王の不在の間にどこかの魔貴族に引き抜かれてしまったという。魔王城から引き抜くなんて、魔貴族というのもなかなかのものだ。


 厨房の中にいたユリウスが、ジュスターに呼ばれて出てきて、私に挨拶をしてくれた。 

 授業参観にきた親みたいで、なんだか申し訳ない気持ちになった。


 聖魔騎士団の主な仕事は、私や魔王の護衛の他、訓練と城内の見回りだ。月に数回、他の騎士団と合同演習を兼ねて近隣の森へ魔物討伐に出かけたりもする予定だという。あとはジュスターの裁量で訓練の内容を決めたりしているみたい。

 忙しい彼らに比べて、私だけが暇を持て余していることに、改めて罪悪感を抱えた。


 部屋に戻る途中、午後から非番だというネーヴェに会った。

 これから街へ出掛けるところだという。


「僕、服を見に行こうと思ってるんだけど、良かったらトワ様も一緒にくる?」

「え、いいの?行く行く!」

「馬車を出してくれると嬉しいな」

「じゃあ、僕が御者やりますよ」

「やった、ラッキー!」


 今日の当番がアスタリスで良かった、とネーヴェは喜んだ。


「じゃあ、先に馬車回して待っててくれる?ゼルくんに外出許可貰って来るから」


 魔王の執務室へ許可をもらいに行くと、最初はいい顔をしなかった。

 聖魔騎士団の2人もついているし、カイザーもいるから大丈夫だと云って説得したけど、本当のところは一緒に行きたかったみたいだ。


「そうだ、これを持って行け」


 出かける前に魔王は私にブレスレットをくれた。

 それは黄金でできたリング状の腕輪で、表面に赤い竜の紋章が入っている。これは城内の官吏に支給されているもので、買い物をする際に見せるとツケ払いができるというシロモノだそうだ。魔王都でのみ有効なクレジットカードみたいなものらしい。


「すごーい!」

「ホルスが考えたものだそうだ。基本的には官吏の業務に関する出費に使うもので、私的に使うものではないのだが、それはホルスが我専用に作ってくれたものなので、使用用途や金額に制限はない。気に入ったものがあれば何でも買ってよいぞ」

「本当?ネーヴェたちの服とかも一緒に買っていい?」

「構わん」

「わー!嬉しい!お土産買って来るね!」

「ああ、行ってくるが良い。あまり遅くなるなよ」

「はーい!」


 私はスキップしながら部屋を出て行った。

 値段を気にしないで買い物できるなんて、夢みたいだ。

 アスタリスが操る馬車で、私とネーヴェは魔王城を出て、城下町の方へと向かった。


 私の乗った馬車の後を、密かにつけてくる一台の黒塗りの馬車があった。

 馬車も人通りも多い場所なので、私は全く気付いていなかった。



 その馬車に乗る人物は、仕立てのよさそうな黒地に赤の刺繍の入ったジャケットスーツを身に着けた、妖しい美貌の男だった。

 ゆるいウェーブのかかった漆黒の長髪に漆黒の瞳、印象的なのはその紅い唇だ。

 彼の両脇と前の席にはいずれも美女ばかりが乗っていた。


「ザグレム様、あの娘が『聖魔』だと思われます」


 路地裏に止めた馬車の窓から、外を歩く黒髪の娘を見て、そう報告したのは彼の右隣に座る青い巻毛の美女だった。


「…はて。人間の娘と聞いていたが、そうは見えないね」

「…しかし、一族出身の大臣からの報告と外見は一致しております。『聖魔』は確かに人間だったと聞いておりますが…確認できず、申し訳ありません」

「フフ、嘘を言っているなどと思っておらぬよ。そんなに怯えるのはおよし。今日だっておまえが潜り込ませたメイドからの報告でこうして『聖魔』を直接見られたんだからね」


 ザグレムは青髪の美女の顎を持ち上げて囁いた。

 すると彼女は途端にメロメロになって、ザグレムの胸にしなだれかかった。


「ああ…ザグレム様ぁ…」

「おそらくは魔王が何かバレないよう細工をしたのだろう。だとしたらかなり親密な関係ということになるね…。うーん、それは厄介だな…。こっそり手に入れようと思ったんだけどねえ」

「ザグレム様、私たちが何とかして見せますわ。そのようにお心を悩ます必要はございません」


 ザグレムの左隣に座る金髪の美女が云う。


「おまえたちは実に頼もしいね」

「ザグレム様、私が行って、今からあの娘を攫ってまいりましょう」

「ほう?ヴィラ、おまえ一人で?随分と自信があるんだね」

「もちろんです。私はこの者たちより腕が立ちますので」


 そう発言したのはザグレムの正面に座る赤毛のポニーテールの美女・ヴィラだった。 

 他の女たちがギロリと彼女を睨むのも意に介せず、フフンと笑った。


「私が仕入れた情報では、魔王は随分とあの娘に目を掛けていて、近くエンゲージするという噂です。攫うのなら早い方が良いかと」

「噂だって…?」


 ヴィラの言葉に、ザグレムはジロリ、と睨んだ。


「我が誇り高い魔王様が、人間の娘などとエンゲージできるものなのかね?おまえたち、どう思う?」


 ザグレムは両脇の美女たちに問い掛けた。

 すると彼女たちはコロコロと笑い出した。


「無理に決まっておりますわ。ヴィラは新参者なので、知らないのでしょう」

「ええ、本当に無知なこと。魔王が昔、人間の女を囲っていたことを知らないからそんな噂などを鵜呑みにするのですわ。ザグレム様にいい加減な情報を与えるなんて、どういうつもりかしら?」


 すると、ヴィラはハッとして急に怯えだした。

 自分がしくじったことを悟ったのだ。


「も、申し訳ございません、不確かなことを申し上げました」

「ヴィラ、おまえは以前から少し増長する傾向にあるとは思っていたよ。それに私の可愛い取り巻きたちとはうまくやって行けそうにないみたいだ」

「そ、そのようなことはございません!」

「あら。あなた、この前も後宮ハレムの末席の子と揉め事を起こしていたじゃないの」

「あ、あれは向こうが言いがかりをつけてきて…」

「ねえ、ザグレム様?このような馬鹿な者を取り巻きに入れていてはザグレム様のお名を穢すだけですわ。いっそ捨ててしまわれては?」

「私もそれが良いと思います。ヴィラは性格に問題がある厄介者だと後宮の者たちが口を揃えて言っています」

「ふぅん?『聖魔』についての情報を持っているというから連れて来てやったのにねえ。がっかりだよ」

「ま、待ってください!次からは上手くやります、ですからザグレム様、お許しを!」


 ヴィラは馬車の床で土下座をし、何度も頭を下げた。


「ホホホ!みっともない恰好ね!」

「美しくないわね。あなた、ザグレム様の愛人という誇りを忘れたの?」


 女たちはそれを嘲笑いながら見ている。

 ヴィラは唇を噛みしめ、悔しそうに顔を歪めた。


「顔をお上げ」

「は…」


 ヴィラが顔を上げると、ザグレムは長く伸びた紅い爪で、その頬を引っ掻いた。彼女の頬には猫にひっかかれたような3本筋の傷が出来、そこから血が滴った。


「ひっ…!」


 頬の3本傷。それは魔公爵ザグレムの寵愛を失った者の証であることを、同乗している美女たちは知っている。


「あああ!お、お慈悲を!ザグレム様…!」

「私がバカと醜い者が嫌いなのを知っているだろう?おまえはこんな街中で『聖魔』を攫って私の馬車に連れてくるつもりだったの?」

「い、いえ、そんなつもりは…。ザグレム様、私にチャンスをお与えくださいませ!」

「そこまでいうなら、一度だけチャンスをあげよう。おまえがあの娘を誰にも知られずに私の元へ連れてくることができたら、その傷を上級ポーションで癒し、後宮の序列10位に加えてあげるよ」

「そ、それはまことですか!?」

「もちろんだよ。ただし誘拐に失敗しても私は一切関知しないけれどね」

「ありがとうございます!」

「まあ!ザグレム様に情けをかけていただけるなんて、なんと幸運なのでしょう」

「本当に。ザグレム様はお優しすぎますわ。こんな取柄のない子」

「なんですって!わ、私は空を飛べるし、後宮の誰よりも力も魔力も強いわ!あんたたちなんか…」

「ヴィラ」

「は、はい」


 ザグレムに急に名を呼ばれたヴィラは、姿勢を正して彼を見た。


「おまえは私の話を聞いていなかったのかい?」


 ザグレムは2人の美女たちに目で合図を送った。すると、彼女らはヴィラの両手を拘束し、馬車から引きずり降ろして路地裏に連れ込んだ。

 そこで2人の女魔族は、殴る蹴るの暴行を加えた挙句、彼女が気を失うとその場へ投げ捨てた。


「お待たせしました、ザグレム様」

「なんだかやる気が失せた。今日のところは『聖魔』の顔を確認できただけで良しとしよう。馬車を出せ」


 2人が戻ると、ヴィラに一瞥もくれず、ザグレムの馬車は走り去って行った。

 彼女はボロ雑巾のように路地裏に打ち捨てられたまま、横たわっていた。

 日も暮れた頃、彼女は目を覚まし、ようやく立ち上がった。

 馬車も、目的の娘もとっくにいなくなっていた。

 ヴィラは頬から赤い血を滴らせながら、呪詛のように繰り返し呟いていた。


「今に見ていろ…。絶対に手柄を立てて返り咲いてやる。ザグレム様の隣で寵愛を受けるのはこの私だ…」

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