第54話 聖魔と騎士団
ロアとホルスが旅立ってから、魔王城は平穏を取り戻した。
魔王はすべての直轄領の現状の把握に忙しく、彼の執務室には常に大勢の大臣や役人が出入りしていた。
魔王は自分の部屋の並びに私の部屋を用意してくれた。
そこは魔貴族などが泊まる貴賓室として使われていた部屋で、部屋にお風呂が付いている最上級の部屋だった。
女性魔族のメイドもつけてくれて、身の回りのことは全部やってくれるので、本当にすることがない。
仕事の邪魔をしてはいけないと思い、執務室には行かないようにしていると、魔王の方から部屋にやって来ることが多くなった。
暇を持て余している私を気に掛けてくれているのだろう。
魔王は食事を一緒にとる以外にも、時間のある時に部屋に来て話し相手になってくれる。
だけど、ここには本もないし、テレビもなければスマホもないので、部屋でカイザー相手に話をして暇をつぶす毎日だ。
『元の世界では何を趣味にしていたのだ?』
「ゲームしたりとかアニメ見たりとか…こっちの世界にはないものばかりね」
『ふむ、それは辛かろう』
「私さ、他人には生活スキルをあげられるのに、自分の生活スキルはちっとも覚えないんだよね。何か打ち込めるものでもあればいいんだけどなあ」
趣味がゲームとか、ここでは絶望的だ。
コマを使ったテーブルゲームとかカードゲームなどはあるのだけど、聖魔騎士団員たちと遊ぶと、皆わざと負けて私を勝たせようとするのが見え見えで、接待ゲームになってしまってつまらない。
絵も歌も好きだけど十人並みだし、料理や裁縫も自慢できるほど上手くない。アウトドア派じゃないから運動もそれほど好きじゃない。
考えてみれば、元の世界でも趣味らしい趣味ってなかった気がする。
看護学校やら看護師一年目やら、気が付けば勉強と仕事に追われてそれどころじゃなかった。
ゲームだって趣味というより息抜きのひとつだった気がする。
こうなってみると、自分がいかに無趣味だったのかを痛感する。
魔王城の中をうろうろしていると、人間だとわかってジロジロ見られるから、あまり出かけたくもない。
そういうわけで、部屋に引きこもりがちになっていた。
それでも寂しくないのは、カイザーと聖魔騎士団のおかげだった。
私の部屋の前には、毎日交代で騎士団の誰かが護衛に立ってくれる。
私の部屋当番になると、ランチと3時のお茶に呼ばれることが恒例になっているので、騎士団メンバーは当番が回ってくるのを楽しみにしているようだ。
魔王も忙しいはずなのに、その時間には必ず私のところへやって来る。
そこで、趣味と云えるものがないと悩みを打ち明けると、魔王はこう云った。
「別に、無理に趣味を見つけなくとも、やりたいことをすれば良いではないか」
「それが見つからないから悩んでるんじゃない」
「美味いものを食べたり、珍しいものを見たりすることも趣味の一つだと思うが」
「旅行ってこと?」
「おまえがどこかへ出掛けたいというのであれば、どこへなりとも連れて行ってやるぞ?」
「それもいいね。カイザードラゴンに乗って、世界中を旅するのも楽しそう」
「まあ、それは我が力を取り戻してからの話だがな」
「だよね…」
「そうだ、グリンブル王国という人間の国にはグリンブル・アカデミーという学び舎がある。そこに行けば何か興味のあることが見つかるやもしれんぞ」
「グリンブル・アカデミー…?学校?」
「ああ、多くの子弟が学問などを学ぶところだ。以前我が訪れたのは大戦前だが、語学からスポーツまで様々なカリキュラムが組まれていた。今も変わらず多くの生徒が通っているというぞ」
「学校かぁ…いいなあ」
そういえばこの世界に来てから、エリアナたち以外に同世代の子たちとの交流ってしたことがなかった。
学校に行けば、一緒にカフェでお茶したり、ショッピングしたりできるような友人もできるかもしれない。
行けるものなら行ってみたい。
だけど、今の私は魔王に保護されている身だし、そんな自分勝手なことをしてもいいものだろうか。
そうして1か月が過ぎた頃、ナラチフへ旅立ったホルスがネビュロスを連行して帰還するとの知らせが入った。
ホルス率いる精鋭軍は、ナラチフの都を占拠していたネビュロス軍をあっという間に無力化してしまった。
ネビュロス軍には、カマソ村で出会ったラルサという魔族がいて、ロアの姿を見た途端、彼がネビュロスに降伏を勧めたというのだ。
ところが降伏するとみせかけて、ネビュロスだけは部下に隠れて逃げようとしたので、ホルスが魔王守護将としての実力を見せつけ、あっけなく捕えられたのだった。
それで、急遽謁見の間にてネビュロスの裁定が行われることになった。
魔王は例によって玉座に小さな体を座らせており、今日はダンタリアンが守護者っぽく隣に立っている。
私とジュスター、ダンタリアンは玉座を挟んで並んで立っていた。カイザーはネックレスの中で待機している。
謁見の間には、主だった大臣の他、聖魔騎士団と魔王城の守備隊が詰めている。
ホルスによって、ネビュロスのでっぷりとした体が玉座の前に引き出された。その両腕は鎖で拘束されていて、歩くたびにジャラジャラと音を立てた。
魔族でもこんな中年太りのオッサンがいるということに驚いた。
目を引いたのは、その顔が歪んで腫れていたことだった。
後でホルスに聞いたところ、ネビュロスはその顔に何度もロアのハイキックを受けたのだとか。これでも腫れが引いた方だそうだ。
「魔王様、このホルス、ご命令通り直轄領ナラチフを無事奪還してまいりました。ネビュロス軍はすべて自領へ去り、領主ロアの下、ナラチフは自治を回復しております」
「うむ、よくやった」
「つきましては、此度の首謀者ネビュロスを引っ立てて参りました。お裁きをお願いいたします」
ホルスはネビュロスを玉座の前へ座らせ、彼が逃げ出さないように、その背後で仁王立ちして見張っている。
ネビュロスは段上の玉座に座る少年魔王を見て、首を傾げた。
「はて?魔王はあんなに若かったかのう?」
「おい。今呼び捨てにしたか?」
「あわわわ、魔王…様!ずいぶんと若返られたようで、おめでたいことです、はい!」
典型的な小悪党って感じだけど、なんだかおもしろいオッサンだ。
「何がめでたいだ。我は転生して本来の姿に戻っておらぬだけだ」
「転生…なるほど、なるほど、そういうわけでありましたか」
「許可なく喋るな、バカ者が」
「あわわわ、も、申し訳ございません!命ばかりは!お助けを…っ!」
ネビュロスは謝りながら、見事な土下座を披露した。
「貴様に聞きたいことがある。命を取るかどうかはその答え次第だ」
「ははーっ、なんなりと」
魔王は宝玉を取り出して前に掲げた。
「これに見覚えがあるな」
「…はて?存じませんが」
「とぼけるな。ダンタリアンが証言したのだ。白状せい」
「た…確かに、私がダンタリアン将軍に売ったものに似ている気がしますが…」
「これをどうやって手に入れた?」
「それは、人間の国…グリンブル王国の商人から手に入れたものでございます」
グリンブル王国。
この前魔王に聞いたばかりだ。
商売第一で、人間も魔族も区別なく暮らしていると云われる人間の国。
そんな国なら、魔族の国とも取引があって当然なんだろう。
その商人については、顔も名前もわからないという。
嘘をついているのかと疑っていたけど、ネビュロスはその商人に精神スキルで操られ、ダンタリアンに宝玉を売ったと自らを弁護した。
ただ、ナラチフへ侵攻したことについては間違いなくネビュロス自身の意思だったので、そこは厳しく断罪されることになった。
ネビュロスから知りたいことだけ聞き出すと、魔王は裁定を下した。
「我の直轄地へ手を出したことは万死に値する」
「ひぃぃぃぃ!!ど、どうか、どうか命だけはお助けを…!」
ネビュロスは悲鳴を上げて命乞いを始めた。
それにかまわず魔王は裁定を続けた。
「…と言いたいところだが、操られていたということを考慮して今回に限っては命だけは助けてやる。そのかわり、ナラチフへ賠償金を払え。要求額全額だ。そのためにもお前の領地はそのままにしておいてやる。但し、今年度の貴鉱石の上納量は倍にしてもらうぞ」
思わぬ判決に、ネビュロスは呆気に取られていた。
「あの…本当に?それだけですか?」
「なんだ、それでは不服か?鞭打ちでもして欲しいのか?」
「いえいえいえ!滅相もございません!なんという慈悲深いお沙汰、ありがたや~ありがたや!」
その様子を見て、私は疑問を抱かざるを得なかった。
それで、隣の魔王にこっそり耳打ちした。
「ねえ、ゼルくん。この人、本当に魔貴族って言われるほどすごい人なの?魔族の国に来てあんな体型の人初めて見たんだけど」
すると、魔王はククッと笑った。
「そうだ、良いことを思いついたぞ。ネビュロス」
「えっ?は、はい?なんでございましょう?」
「貴様、その魔族にあるまじき体型をなんとかしろ。3か月以内にそこのダンタリアンのような体型になれ。でないとお前の個人財産を全没収する」
「え…ええーっ?!」
それを聞いて、ホルスは思わず吹き出した。
このだらしない中年太りのオッサンが、たった3か月で筋肉ムッキムキで腹筋ワレワレのダンタリアンみたいなマッチョマンになれるんだろうか?
相当頑張らないと無理だ。
ダイエットに忙しくて悪だくみをしてる暇もなくなりそうだ。
そもそも、こんなショボイオッサンがどうして魔貴族に取り立てられたのか不思議に思っていたら、それは彼の持つ特殊なスキルのおかげだと、後で魔王が教えてくれた。
彼の領地には豊富な貴鉱石を産出する鉱山があり、魔族の国の重要な資源のひとつになっている。ネビュロスのスキルは、鉱石の体積を増やせるという非常にピンポイントなものだった。
戦闘の能力や魔力はそれほど強くないが、彼の持つ金属性の能力は無機質なものに対してその威力を発揮する。
国元へ納める分とは別に、自分のスキルで増やした分の鉱石を人間の国へ売って私腹を肥やしていたのだが、それに関しては魔王は大目に見ていた。
魔族の国の鉱山が枯れないのは、確かにネビュロスの功績であったからだ。
ちなみにこのスキルは彼の一族に代々遺伝しており、ネビュロス一族は安泰なのだった。
しかしネビュロスはそれだけでは満足せず、直轄領を挟んだ先にある魔子爵ダレイオスの領地のダイヤモンド貴鉱山に目を付けた。
ダイヤモンドは魔族の国でも貴重な鉱物で、聖属性に対応する石が精製される。
そのため、人間の国ではかなりの高額で売れるのだ。
私が魔王からもらった扇子に嵌まっている大きなダイヤも、ダレイオスから献上されたもので、特殊な磨かれ方をしていてかなり高価なものらしい。
ネビュロスの鉱山でも少量のダイヤモンドが採れるのだが、ダイヤモンドは聖属性の貴鉱石なので、ネビュロスのスキルを以てしても増やすことはできなかった。
それで手っ取り早く儲けるために、魔王のいない隙に直轄領を前線基地にしてダレイオス領へ攻め入りダイヤモンド鉱山を奪おうと考えたのだ。
仮にダレイオスと全面戦争になったとしても彼には魔王都がついている、そんな計算もあったのだろう。彼の唯一のミスは、魔王が戻って来ることを想定していなかったことだ。
ネビュロスはひとまず自分の命と財産を確保できたことに安堵したようだったけど、与えられた難題に頭を抱えながら、謁見の間からホルスに連れ出されていった。
ネビュロスが去った後、魔王は椅子から立ち上がり、その場にいる側近たちを見渡した。
「皆に言っておくことがある。トワ、前へ出ろ」
「え?…はい」
突然名前を呼ばれて驚いたけど、云われるままに一歩前に出た。
「おまえたちは先日の件で、トワの能力を見て知っているはずだ。そしてこれは魔族にとっては僥倖、人間にとっては脅威となることもわかっているはずだな」
一同はその言葉に頷く。
「そこで、我はトワに魔王に次ぐ位として『聖魔』という特別な地位を与えようと思う。これは領地を伴わぬ名誉称号だが、一部の軍の指揮権を持たせるつもりだ。どうだ?」
「異存はございません」
皆を代表してダンタリアンが云った。
魔王は私を振り向いた。
「良いな、トワ」
「は、はい」
その称号については聖魔騎士団設立の時に聞いていたので、今更驚くことでもなかった。
ここで正式に認定するということなのだろう。
それを受けて、列席していた大臣たちが口を開いた。
「恐れながら魔王様、聖魔様のお力は世界の常識を覆すもの。聖魔様の御身の安全が気にかかるところではございます」
「でしたら、魔王城の者全員に箝口令を敷いてはいかがでしょう?当面の間は聖魔様の存在を秘匿なされては」
大臣たちの提案を聞いて、魔王は答えた。
「ふむ。一理あるが、秘密というものは隠せば隠すほどに漏れるものだ。既に先の決闘に立ち会った者の口から外部に伝わっている可能性もある。
そこで『聖魔』を守護する『聖魔騎士団』を新たに組織した。ジュスター、一同挨拶をせよ」
「はっ」
魔王が命じると、ジュスターをはじめとする聖魔騎士団の7人が魔王の前に出て膝をつき、大臣たちに向かって各々自己紹介をした。
大臣の後ろで筆頭書記官が魔王の一言一句を自分の魔法紋に記録している。
「本日より『聖魔』および『聖魔騎士団』の制定、発足を正式に宣言する。騎士団の住居、俸禄などは守護将付きの騎士長と同等とする」
この発表に、異論を唱える者がいた。
「魔王様、いきなり守護将付きと同等とは…その、少々早すぎるのでは?」
「この者たちは、この人数で北国境の人間の砦を落としたのだぞ。それに我をここまで送り、団長であるジュスターはホルスを倒した。働きに相応しい地位だと思うが?」
「そういえば、そのような報告が来ていたような…」
「この者たちが砦を落としたとおっしゃるのですか?」
「ああ、前線基地のサレオスに照会してみよ。北国境は今、無いも同然だ」
「なんと…!」
謁見の間は再び驚愕の声に包まれた。
彼らだけで砦を落とさせたことが、こんなところでも役に立つなんて思わなかった。そこまで魔王は考えていたのだろうか。
魔王の決定に、もう誰も口を挟む者はいなかった。
「ではここまでにしよう。不明な点があれば追って申し出よ」
裁定はそれで終わった。
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