第53話 裁きの間

 魔王城の玉座の間。

 すべての裁定や謁見が行われる公式の場である。

 前線基地にあったものとは比較にならないくらいに大きくて豪華な部屋だ。

 そこには魔王城に勤務する大臣や官吏の殆どが顔を揃えていた。


 少年魔王はその体には大きすぎる玉座に座っていた。

 ひじ掛けに肘をついて、座面に片脚を立てて座るという、例のかなりお行儀の悪い態度で腰かけている。

 本当の理由は、そうしていないと椅子から滑り落ちてしまうからなんだとか。


 玉座の左側には青年魔王の姿のカイザーが立っている。

 これは、少年魔王がまだ魔王だということを認知できない者たちへ向けてのためだ。

 私は玉座の右側に、ジュスターと並んで立っていた。

 玉座は臣下たちが並ぶ場所から数段高い位置にあり、ロアと聖魔騎士団員たちは左右に分かれてその階段に並んでいる。


 玉座から見下ろす正面には、ダンタリアンとホルス以下、2人に従った兵士の部隊長が膝をついて頭を垂れている。

 彼らの後ろにはダンタリアンの部下として働いていた十数人の大臣や官吏たちも膝を折っている。


 これから魔王反逆についての裁定が行われるのだ。

 ダンタリアンの反逆に誰が協力していたのか、誰が従わなかったのか、すべてが明らかになろうとしていた。


 ところがダンタリアンが口を開くよりも早くしゃべり出した者がいた。

 財務大臣のマヌアという人物だった。

 

「魔王様のご帰還、誠におめでとうございます。転生間もないとのこと、そのようなお姿でさぞご不便でしたでしょう…」


 マヌアは、帰還した魔王に対するお世辞をペラペラと、訊いてもないのに話し出した。

 明らかに怪しい。

 怪しい奴ほどよくしゃべる、という。

 ふと魔王を見ると、大きな欠伸をしていた。

 

「マヌア、言いたいことはそれだけか?」


 魔王が云うと、マヌアは「ひっ!」と震えあがった。


「貴様がネビュロスから金を受け取っていることはとっくに調べがついている。直轄領ナラチフがネビュロスに侵略されていることを知りながら、目をつぶるようダンタリアンに進言したのはおまえだな?」

「ひいっ!あ、あの…それは…ま、間違いです、何かの間違いで…」


 すると、ダンタリアンは立ち上がってマヌアの方を振り向いた。


「いや、間違いではない。確かにおぬしからそう進言された。おぬしはネビュロスの血統に繋がる者だったな?」

「そ、そ、それは…」

「なるほど、そういうわけか。だがこの城に上がるにあたり、一族に便宜を図ることは禁止しているはずだが、よもやそれを知らぬわけはあるまい?」


 魔王が冷静に云うと、マヌアは「ひっ!」と短く声を上げた。


「ネビュロスは昔から人間の国と貿易していて、かつて魔王様を倒した勇者が使用していたという貴重な宝玉を私に売りつけに来たのだ」

「は、はて?そのようなこと、とんと記憶にございませぬ」

「しらばっくれても無駄だ。貴様がネビュロスを案内してきたのではないか。あの場には私もいたのだぞ」


 ホルスがきっぱりと云った。


「今にして思えば、あの時のネビュロスは、まるで何かに操られているかのようにペラペラとしゃべりまくり、こちらに考える隙を与えなかった。あの宝玉を手にした途端、ダンタリアンは魔王様に取って代わるという野望に取りつかれてしまった」

「そ、それは私には関係ないことではないですか!」

「いいや、ネビュロスはその宝玉の代金として、ナラチフへの侵攻に目をつぶれと要求してきた。財務大臣マヌア、直轄領を管理する地方監督官ビスク、おぬしら2人そろって陳情にきたではないか」


 マヌアの後ろに控えていたビスクは名指しされて、ガタガタと震え出した。


「わ、私はマヌア様に命じられて仕方なく…」

「汚いぞ、ビスク!い、いつ私がそのようなことを命じた?」

「ナラチフの監督官を引き揚げさせ、治安部隊にネビュロス軍には手出しをしないよう命じろと言ったのはあなたではありませんか!」

「で、デタラメを言うな!よくもそんな口を、この私に!どうなるか覚えておれ!」


 2人はお互いに罪を擦り付け合い、泥仕合を演じた。

 真実を知ったロアはショックを受けていた。


「…なるほど、ナラチフは貴様らに売られたのか」

「すまない。報告は受けていたのだが、領主がすげ変わる程度のことだと軽く考えていたのだ。ネビュロスが他の魔貴族と戦争になったなら、魔王軍を出して仲裁するつもりではいたのだが」


 ホルスの言葉に、ロアは拳を握った。


「…そのために、幾人もの領民が犠牲になったのですよ!」

「ナラチフの領民には申し訳ないことをした。できるかぎりのことはするつもりだ。このとおり、謝罪する」


 ダンタリアンは、素直に自分の非を認め、ロアに向かって頭を下げた。


「失われた命はもう戻らない。…今更言っても詮無きことですが責任あるお立場にあることを今一度自覚いただきたい。二度とこのようなことを起こさぬよう」

「肝に銘じる」


 ロアとダンタリアンが会話をしている隙に、マヌアはそっとその場から逃げようとしていた。


「小者が逃げるぞ」

「逃がしはしません」


 魔王の言葉に反応したロアは、すかさずマギから弓を取り出し、矢を放った。

 魔法の矢は、逃げるマヌアの右のふくらはぎを撃ち抜いた。


「ぎゃああっ!!」


 足を射られたマヌアは悲鳴を上げてその場に転がった。

 

「痛い、痛い!」

「痛いか?そうだろう、だがナラチフの領民たちはその何倍も痛い思いをしてきたのだぞ」


 ロアは冷たく云い放った。

 いつの間にかマヌアの傍には聖魔騎士団の黒服を着たユリウスが立っていて、転がるマヌアの背中を、逃げられぬように足で押さえつけていた。


「魔王様、この者いかがいたしましょうか」

「ふむ、そうだな」


 ユリウスの問い掛けに、その場にいた大臣たちは目を伏せた。

 彼らは、魔王に逆らった者の末路がどうなるのか身に染みてわかっている。

 マヌアの命は風前の灯火であると思っていた。

 ところが、思いもよらぬ言葉が魔王から飛び出した。


「マヌア、おまえに選ばせてやる。どう禊をすれば我に許してもらえるか、考えろ」

「ひいっ、…え?」

「だがその前に、おまえたちにちょっとした奇跡を見せてやろう」


 魔王は不意に私に視線を送って来た。


「トワ」

「ん?…もしかして、あの人の足を治せって?」

「ああ、頼む」

「仕方がないなあ…わかったわよ」


 私は玉座の階段を降りてまっすぐにマヌアの傍まで歩いて行き、ユリウスに目で合図をした。

 ユリウスはマヌアの両腕を抱えて無理矢理立たせた。

 マヌアは痛むのか、ぎゃあぎゃあとわめき立てた。


「ちょっとじっとしてて。今治してあげるから」

「えっ?な、治す?」

「ズボンの裾を膝まであげて」

「は、はあ…」


 マヌアは恐る恐る右足のズボンの裾をまくり上げた。

 脛からふくらはぎにかけてひどく血が滴っており、矢が貫通した穴が開いていた。

 私はマヌアの怪我をした足に手をかざして回復してやった。


「え…?え?」


 彼は射抜かれた自分の足の傷があっという間に治るのを見ていた。

 マヌアの顔が驚愕の表情に変わり、足の怪我が治ったことを確認するために、その場でピョンピョンと飛び跳ねた。


「な、治ってる…?痛くない!」

「床の血、あとでちゃんと掃除しといてよ」


 私はそう云って、ざわついている大臣たちの前を通り、元の場所に戻った。


 マヌアは「奇跡だ、奇跡だ!」と叫んで、私を見た。

 何も知らない側近たちは、お互いの顔を見合わせて今起こった事を理解しようとした。

 ポーションか?というおなじみの反応もあったが、確かに彼らはその奇跡を目撃したのだ。

 私はその場にいた全員から一斉に注目されることになった。

 こうなるから、嫌だったのだ。


「皆に紹介しておこう。こちらはトワ。人間だが魔属性を持っている。先の広場での騒ぎで知った者もいるとは思うが、今見た通り、トワは魔族を癒せる力を持つ、唯一無二の存在だ」

「何ですって?」

「なんという…!」

「そ、それはまことですか?」

「今自分の目で見ただろう?それがすべてだ」


 矢傷を治してもらったマヌアが、興奮ぎみにズボンの裾を捲ったままの自分の足を周囲に見せて回っていた。

 そのあと広間はどよめきから歓声に変わった。


「トワのことについては後ほど正式に紹介するとして…」


 とりあえずマヌアとビスクは刑が確定するまで地下牢に入ることになり、ユリウスが部屋の外まで2人をひきずっていき、警備兵に引き渡した。


「事の遠因は我が大戦後に姿を消したことだが、その間におまえたちの不満が暴発したということに尽きるな」

「は…」

「おまえたちに申し開きの機会をやる。なぜ反乱を起こしたのか、我の何が不満だったか、今ここで言ってみるがいい」


 この発言に、大臣や兵士たちはざわついた。

 ダンタリアンとホルスも顔を見合わせた。

 彼らが知る限り、魔王がこんなことを云い出したのは初めてだった。

 しかし、ヘタなことを云って、死罪にされないだろうかと不安な顔を見せた。


「今なら何を言っても不問にする。遠慮なく言ってみよ」


 意見を云っても罰せられないという条件が付くと、まずダンタリアンが口を開いた。


「では、恐れながら申し上げます。これまでの魔王様は一つの失敗も許さず、しくじりを犯した者は更生の機会すら与えられず消されてしまいました。これは恐怖政治であり、臣下たちは心休まる時がありませんでした。こたびの謀反に賛同した者は、そのような理由から、魔王様の帰還を良く思っていない者たちばかりでした。先程のマヌアらのように、今後もミスを犯した者にも救済をお与えくださるよう望みます」

「ふむ。我は失敗したことを攻めたのではない。それを隠そうとしたり、言い訳をしたりする行為が許せなんだのだ。今後はもう少し考えるとしよう」

「あ、あの!私からもよろしいでしょうか…」


 それを皮切りに、大臣や将官らから、でるわでるわ、不満爆発。

 この場は魔王の悪行を断罪する場に変わってしまった。

 少年魔王の顔がだんだんひきつってくるのがわかった。


「ゼルくん、ひどいね…」

「まったくだな」


 魔王は怒るどころか苦笑いしていた。

 いろいろと出てきたけど、つまりは「魔王は人を信用しない、人の話を聞こうとしない、失敗すればすぐ処罰する」ということに集約されるようだ。


「うむ、おまえたちが我をどう思っているのか、よくわかった。おまえたちの言う通り、確かに我にも落ち度はあった。それは認めて素直に詫びよう。すまなかった」


 静まり返った謁見の間に「すまなかった」の一言がこだまのように響き渡った。

 魔王が謝ったという事実に、一同は思った。

 これは本当に以前の魔王なのか?

 転生して性格が変わったのか?

 それともこの少年はやはり別人なのではないのか?


 ざわつく人々を、ホルスが手を挙げて制し、話し出した。


「恐れながら、魔王様。いろいろと申し上げましたが、臣下である我々にも非はございました。魔王様を恐れるあまり、話を聞いていただくことを始めから諦めていたように思います。以前そこのロアが申しておりました。魔王様が間違ったことをなさるのなら、なぜそれを正そうとしないのかと。まったくもってその通りです。誰も魔王様に意見せず、そのくせ、魔王様がお決めになったことに不満ばかり言い、自分では動こうとしませんでした。これは臣下たる我々の落ち度でもあります。…ですが一つお聞きしてよろしいでしょうか?」

「何だ?」

「なぜ今になって気が変わったのです?」


 ホルスの問いに、魔王は咳ばらいをひとつした。


「気が変わったわけではない。気付かなかっただけだ」

「…気付かなかった?」

「我は自分の行動に疑問を持っていなかった。それが当たり前だと思っていたからだ。我が臣下を殺しても誰もそれを咎める者はいなかった。だが、我は転生して、このトワと出会って、それを学んだのだ」


 魔王は隣に立つ私に視線を送った。

 同時にその場にいた者全員から注目されることになった。


「え?わ、私?」

「ああ。おまえは我に、皆から好かれる良い魔王になって欲しいと言った。我はトワが望む通りの者になりたいと思うようになったのだ。…今更だがな」

「さようでございましたか」

「ゼルくん…」


 なんだか嬉しかった。

 以前の魔王を知らないけど、私の知ってるゼルくんは皆が云うような酷い人じゃない。

 それを皆にわかってもらいたいと思っていたから。


「とはいえ、今は裁定の刻だ。ダンタリアン、おまえたちは他への示しがつかぬゆえ、全く無罪放免というわけにもいかぬ。マヌアは解任し、関わった者たち全員の俸給を3か月減給する。既に次の大臣の任命は済んでいる。サーシャ」


 魔王に呼ばれると、側近たちの列の一番端にいた魔族が会釈をした。


「魔王様より新たに財務大臣を仰せつかりましたサーシャと申します。若輩者でございますがお見知りおきください」


 サーシャと名乗った人物は赤髪をボブカットにした、まだ若い魔族だった。

 彼は魔王が反逆の証拠を調べている時に協力してくれた官吏で、マヌアの不正についてずっと告発する時を伺っていたという。


 ダンタリアンはその場で両膝をついて頭を下げた。


「魔王様、私が浅はかでした。小さな野望に支配され、何も見えていませんでした。不肖の身をお救いいただき、生まれ変わった気持ちです。どうか、変わろうとなさっている魔王様をお支えすべく、再びお仕えすることをお許しください」


 すると、ホルスもそれに同意した。


「私も、許されるならば魔王様にもう一度、お仕えしとうございます」


 ホルスが頭を下げると、他の大臣たちも「私も」「私も」と次々と低頭した。


「よかろう。おまえたち、これまで以上に我と魔族の国のために働いてくれ」

「ははっ!」

「勿体ないお言葉です」


 反乱を企てた張本人のダンタリアンが許されたことで、彼の麾下の兵士長たちは安堵した。

 俸給を減らされるなどのペナルティはあったものの、事実上おとがめなしという結果に大臣たちも胸を撫でおろした。

 これまでの魔王ならばまず命は無かったので、やはり魔王が変わったと思わざるを得なかった。

 そしてそれが私のおかげだということで、後日大臣たちから感謝の品と称して私宛に山ほどの贈り物が届いた。


 魔王はホルスに、ロアと共にナラチフへ赴き、ネビュロス軍を追い出してナラチフの自治権を取り戻すよう命じた。ついでにネビュロスを引っ立ててくるようにとも云い渡した。

 他の直轄領についても早急に調べるようダンタリアンや大臣たちに命じた。


「ネビュロスの出方次第では奴の領地は全没収だと伝えてやれ」


 魔王はそうホルスに言付けした。


 ホルスは魔王軍兵2000を率いて出発した。

 すべて精鋭の魔獣騎兵で構成された。

 2000で良いのかとダンタリアンが心配したが、ホルスは十分だと答えた。あまり大所帯ではかえって動きが鈍くなり時間がかかってしまうことを危惧してのことだ。

 ホルスはロアのために、一刻も早くナラチフを解放してやりたかったのだ。


 ナラチフに発つ前に、ロアは私のところへ挨拶に来た。


「なにもかも、トワ様のおかげです。本当にありがとうございました」

「ナラチフを取り戻したら、こっちには戻って来ないの?」

「はい、そうなると思います。不在の間、滞っていた手続き諸々のことが山積みだと思いますので」

「そう…寂しくなるわね」

「短い間でしたが、トワ様にお仕え出来て幸せでした。できればずっと、お傍にお仕えしたかったです」

「落ち着いたら、会いに来てね」

「はい、トワ様も一度ナラチフにお越しください」

「ええ、是非!」


 そうしてロアとは別れることになった。

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