第46話 着替え問題
大宴会から一夜明けた朝、起きると既に日が高かった。
魔王や聖魔騎士団の皆の姿はなく、1人寝坊したことを反省していた。
「起こしてくれたっていいのに…」
『緊急でもない限り、おまえの眠りを妨げる者などおらぬ』
「なーんか私、すっごい甘やかされてない?これでいいのかな…」
ボヤきながら家の外の水瓶で顔と口を洗っていると、森の奥からなにやら大きな物音がした。
「…何?」
そこへ魔王がジュスターと共にやってきた。
「起きたか、トワ」
「あ、ゼルくん、おはよう。大きな音がしてるけど、何かしてるの?」
「ああ、森の奥の小川の脇に風呂を作っておるのだ」
「えっ?お風呂?」
「おまえが入りたいかと思ってな」
「えーっ!本当?」
「昼過ぎにはできるはずだ。少し待っておれ」
「そんな早く?」
「ああ。聖魔騎士団の連中は優秀だ」
元々、カマソ村にはお風呂が存在しなかった。
この森の人々は、体が汚れた時に近くの川か泉で体を洗うといい、お湯に浸かるという入浴習慣はないらしい。
そもそもお風呂は、一部の魔貴族が人間の文化を取り入れて流行した習慣らしく、こんな田舎にないのは当然だった。
遅い朝食をいただいた後、魔王に連れられて森の奥へと向かった。
そこには川が流れていて、キャンプができそうな河原があった。
聖魔騎士たちはそこにログハウスを作っていた。
魔物が入って来れないように底上げされた床の上には、テントが張られていた。
お風呂はそのテントの中に設置されていた。
「わー!すごいじゃない!おっきな浴槽!」
テントの中を覗いてみると、床の底がくりぬかれてそこに木でできた浴槽がはめ込まれていた。浴槽の底からは川の水を直接取り込めるようになっていた。
「浴槽は二重底になっていて、一番下の底には石を敷き詰めておいた。石を熱することで湯を適温に保てるのだ。これならばこの村の者でも使用できるはずだ」
「すごーい!川の天然温泉って感じね!」
私が声を上げて喜んでいるのを見て、設置工事をしていた聖魔騎士たちも笑顔を見せた。
これを設計したのは土木工事の知識のあるカナンだそうだ。
クシテフォンの木工製作のスキルも役に立ったと云っていた。
「完成したら一番風呂はおまえが入れ。テントの入口に見張りを立てておいてやる」
「いいの?」
「おまえのために作ったのだ。遠慮はいらぬ」
「うん、ありがとう!」
お昼過ぎにはお風呂は完成した。
1人で入るには贅沢すぎるので、せっかくだからロアを誘って一緒に入ることにした。
「ふう~、天国~!いいお湯ね」
「はい。このように湯に浸かるのは、本当に何年ぶりでしょうか」
「ロアの故郷にもお風呂はあるの?」
「はい。共同浴場というものが街中に点在しておりました」
「へえ~、銭湯みたいなものかな?」
髪を結い上げたロアは色っぽい上、すっごくスタイルが良い。
そんなロアの前で自分の体じゃないとはいえ、裸をさらすのは公開処刑みたいな気持ちだったけど、女同士だしもういいやと開き直った。
浴槽に浸かって寛いでいると、カイザーの声がした。浴槽の脇で服を脱いだ時、ネックレスも一緒に置いてきたのだ。
『そんなに気持ちが良いのか?』
「うん、カイザーも人型になって入ってくれば?あ、言っとくけど女性限定だからね」
すると、カイザーはなんと私に変身して現れた。
これにはロアも驚いていた。
「ト、トワ様が2人…!?」
「ちょっと!なんで私に化けるのよ!」
「裸を見たことがある女性体はおまえだけなのだ。仕方がないだろう」
「ちょ…エロいこと言わないでよ!」
云われてみればその通りだった。
カイザーの擬態能力は『見た者に擬態する』ため、お風呂に入ろうと思ったら、裸の人物に擬態しなければならない。
カイザーは私が水浴びしてるところを見ているけど、他の女性の裸体を見る機会などなかったはずだ。
「カイザー様、すごい能力ですね…!どちらが本物か、区別がつきません」
私に化けたカイザーが浴槽に入って来るのを見て、ロアが驚きの声を上げた。
カイザーは私の顔でドヤ顔をした。
客観的に自分を見ることになった私は、あらためて本当の自分とはかけ離れた体なのだと思った。
「ふーん、私ってこんな感じなのか…」
「ロアと比べるとかなりあちこちが貧弱だがな」
「うっさい!比べんな!」
「トワ様は美しいですよ。まるでお人形のように完璧なお体をなさっておられます」
うう、ロアにフォローされても素直に喜べない自分がいる。
何しろ、この体は自分の体じゃない。
お人形みたい、という例えは実は的を得ているのだ。
そんな私のことなどお構いなしに、カイザーは初めて入るお風呂に興奮していた。
「うお!熱いではないか!なんだこれは!煮える!煮られてしまうぞ!」
「あのね…鍋じゃないんだから。そのうち慣れるわよ」
「ムムム…」
「カイザーって元々体温低いもんね。無理しなくていいよ?」
「もう少し頑張ってみる…」
「無理そうなら足だけ浸かるとかにしたら?」
「むう…」
「お二人は本当に仲がおよろしいですね」
私とカイザーのやり取りを、ロアは笑ってみていた。
「そうだトワ様、私が作った石鹸をお使いになりますか?」
「え!石鹸あるの?」
「はい。私は植物を使った油脂製品制作スキルを持っているのです。体や髪に塗るオイルや香水、化粧水などもお作りできますよ」
「おおお!!すっごい助かる!是非お願いします!」
浴槽の外に出て、ロアの作った石鹸で体を洗った。
自然由来のものなのでほとんど泡が立たないけれど、流すとスッキリする。
手のひらで溶かすと液状になって、そのままシャンプーとして使った。
ハーブと花のすごくいい香り。洗いあがりはサラッとしてて、トリートメントがなくてもしっとりしている。
これが手作りできるなんて、羨ましい。
私にもこんな特技があればなあ…。
体と髪を洗ってすっきりした私は、再び浴槽に浸かってのんびりくつろいだ。
カイザーはやっぱり熱かったのか、浴槽の縁に腰掛けて足湯状態になっていた。
良い機会なので、私はロアに魔族の繁殖期について聞いてみた。やっぱり経験者に聞くのが一番だ。
「繁殖期に入ると、すべての魔族の優先順位が繁殖行動に切り替わります。繁殖期のために戦争を中断したりもするんですよ」
「へえ…!」
それは生物としての本能なんだろう。
ロアによると、大戦後の最初の繁殖期は、戦が終って30年ほど経ってから訪れたという。
大戦で多くの魔族が亡くなったので、とにかく子供を産めや増やせや、ということだったらしい。魔族が繁殖期で一度に産める卵の数は1~2個だという。
領地によっては、最低1個は産むようにと義務が課せられたところもあったという。
「ロアはこの前の繁殖期はどうしてたの?」
「私はパートナーを失っていましたので、領主としての仕事を優先させていました。繁殖期だからといっても必ずしも子供をもうける者ばかりではありませんので」
「誰かに言い寄られたりはしなかったの?」
「まあ…なかったといえば嘘になりますが、私には<エンゲージ>相手がいますので、その気にはなれませんでした」
「そうなんだ?三角関係になったりとかは?」
「ありますよ。やはり強くて見かけが良い者は人気が集中しますから」
「やっぱり…?そういう時はどうするの?」
「普通は話し合いで決着しますが、それでもダメな時は決闘によって決めることもあります」
「け、決闘!?」
「魔族は実力主義ですから。大抵の揉め事はそれで収まります」
物騒なことをロアはさらっと云ってのけた。
これ以上聞くと、恐ろしいことになりそうなので、話題を変えた。
「ロアのパートナーってどんな人?」
「あまり真面目とは言えないですが、いつも私を笑わせてくれる優しい人です」
「その人、元領主だったんでしょ?」
「ええ。元々ナラチフを治める一族の出だったので、なりゆきで領主になったと言っていました。私はよそからの移民だったのでよくは知りませんが、最初は元の住民たちとなかなか打ち解けられずにいたのです。それでも彼の明るい人柄のおかげで仲良くなれました」
ロアは、なんだか嬉しそうだった。
「大戦前の繁殖期で初めてパートナーになって、次の繁殖期には子供を作ろうと約束していたんです。ところがその後大戦が起こって、彼は一族の者に誘われて従軍することになって、彼は必ず帰って来るから<エンゲージ>しようと言い出したのです」
「そっか…<エンゲージ>したからには絶対戻らなくちゃだものね!」
「ええ。<エンゲージ>の印がある限り、寂しくはありませんでした」
「いいなあ。なんだか羨ましい」
「トワ様も魔王様と<エンゲージ>なさると良いのに」
「ええっ?無理無理!それに相手は子供よ?」
ロアはクスクス笑った。
どうして、いつの間にそういう話になってるんだろう?
そもそも人間の私には<エンゲージ>なんてできるわけがないのに。
「<エンゲージ>した相手が知らぬ間に死んでいたら、どうするのだ?」
私の顔をしたカイザーが、とんでもないことを聞いた。
私だってそこは聞いちゃいけないと思ってたのに。
ロアのパートナーは大戦に参加したまま100年間音信不通だという。戦争で亡くなったんじゃないかって普通は思うけど、ロアの嬉しそうな顔を見たらそんなこと絶対に聞けなかった。
「ちょっと、カイザー…!」
「さて、どうするのでしょうね?もし亡くなっていたら、<エンゲージ>した印を勝手に破棄できるのでしょうけど…私は怖くてできません」
「バカね。無神経なこと聞かないの!」
私はカイザーのほっぺを両手でぷにっとつまんで叱った。
カイザーはほっぺをつねられたまま謝った。
「しゅまぬ…」
「気にしてませんよ」
ロアはクスクスと笑った。
気まずくなる前に、話題を変えた。
「そういえば、ロアは下着とか服とかってどうしてるの?」
「村に裁縫スキルを持つ者がおりませんので、街に出た時に買っています」
「やっぱり買わないとダメよねえ…。替えを持ってないからお風呂の度に洗って乾かしてるのよ」
「それではすぐに傷んでしまいますね」
「そうなのよ。結構切実な悩みなんだけど、相談できる人がいなくて…」
「ジュスターに作ってもらえばよかろうに」
横から口を出したのは、私に擬態したカイザーだ。
「ジュスターの前で裸になるなんて、そんな恥ずかしいことできるわけないでしょ!」
「ならば私が代わりになってやろうか?」
「は?」
カイザーはおもむろに浴槽から立ち上がって、大声を上げた。
「ジュスター!そこにいるなら入って来い!」
「え…?」
すると、テントの外で見張りに立っていたジュスターが中に入って来た。
「お呼びでしょうか、トワ様」
あまりのことに、私は浴槽に入ったまま絶句していた。
「私に下着と服を創ってくれ」
「かしこまりました。どのようなものを?」
「可愛いのを頼む」
私に擬態したカイザーはジュスターの前で全裸で仁王立ちしていた。
「ちょ、ちょっと!何してんのよ!!やめてよ!」
ジュスターはしばらくカイザーの裸体を眺めていると、指をパチンと鳴らした。
するとカイザーは、まるで魔法少女の変身シーンみたいにあっという間に可愛らしい赤のワンピースを装着した。
「おお、これは面白い。なかなか良いではないか」
カイザーはくるりと回って衣服を確かめていた。
それを見ていたロアは驚きを隠せなかった。
「…話には聞いていましたが、驚きました。あれがジュスター殿の固有スキルですか。誠に見事なものですね」
ジュスターは浴槽にいる私に気付き、ワンピースを着ているカイザーと見比べた。
「…もしやカイザー様ですか?」
「もしや、じゃないって!私がここにいるのに、なんで気付かないのよ!?」
「フフ、私の擬態は完璧だからな。トワはおまえの前で裸になるのが嫌だと言っているから、私が代わりになってやったのだ」
「代わりって…あんたの服は私には着れないはずでしょ?」
「いえ。カイザー様の擬態のおかげでトワ様の体のデータは取れました」
「は?データ?」
「ええ。あとはトワ様のマギを使って衣服を装着させるだけです。裸でさえあれば後ろを向いてくださっていても大丈夫ですよ」
なんだかよくわからないうちに、ジュスターに服を創ってもらう展開になってしまっていた。
後ろ向きでも裸ってところに抵抗あるんだけどな…。
「トワ様、せっかくですし、お願いしていただいては?」
「う…わかった。ジュスター、良いって言うまで後ろ向いてて」
「わかりました」
ジュスターはくるりと背を向けた。
その間に浴槽から上がり、布で体を拭いてから、ジュスターに背中を向ける形で彼を呼んだ。
「もういいわよ。は、早くしてよ?」
ジュスターは振り返って、ものの数秒で私に衣服を創ってくれた。
後ろを向いている間に考えたのか、カイザーに創ったものとは別の衣装だった。
膝上丈の白いワンピースの上から、両肩が丸くふんわりとした七分袖のジャケットを羽織る。
スカートは中にペチコートがついていて、動くたびにヒラヒラと揺れる。
足首までの白いブーツとも相まって、さながらアイドル歌手のステージ衣装のようだ。どっからこういう発想が出てくるんだろう?
そして、次からは服を着たままでも、新しい服に着替えができると云った。
いちいち脱がなくても別の服を上書きすれば着替えることができるのだ。
その場合、着ていた服は消滅するので、気に入った服なら脱いで取っておく必要がある。もし太ったり痩せたりしても、自分自身のマギで補正できるので着れなくなることはないそうだ。
「た、確かに便利だわ…。洗濯しなくていいんだもの」
「恐れ入ります」
便利だけど、なんとなくモヤモヤする。
何しろ、下着まで創ってくれているのだ。
このスカしたイケメンが、結構可愛い目の下着のデザインを頭の中で考えていると思うと複雑な気持ちだ。
「魔王都で、服一式が手に入るまでの間だけだからね」
「承知しました」
私はロアにも服を創ってもらったらどうかと勧めたけど、他の村の者を差し置いて自分だけが貰うわけには行かないと固辞した。
確かに、1人だけジュスターに服を創ってもらったら他の者も欲しい、となるに違いない。そうならないように彼女は拒否したのだ。
こういうところは領主らしいなと思った。
お風呂でのんびりと過ごした後、村長の家に戻ると魔王が待っていた。
私が新しい服を着ているのを見た彼は、同行してきたジュスターをキッと睨んだ。
「貴様、よもやトワの風呂を覗いたのではあるまいな?」
魔王が怒りの表情を見せたので、慌てて事情を説明した。
それでも彼はムスッとした顔のままだった。
「今後、トワに服を着せる時は我を呼ぶのだ。良いな?」
「何でゼルくんを呼ぶのよ?」
「不埒な真似をせぬよう、見張るために決まっているだろう!」
魔王は不機嫌そうに云った。
「不埒って…」
私が呆れていると、ジュスターは真面目な顔で魔王の前で膝をついていた。
「申し訳ありません、魔王様。私ごときがでしゃばった真似を致しました」
「そんなに謝らなくてもいいのに…。全部カイザーのせいじゃない」
魔王は横目でジロッと私を見て、ジュスターに云った。
「まあ良い。我も風呂に行ってくる。おまえもついて来い」
「わかりました」
彼らを見送って部屋に戻った私は、皮をなめして作った紙にいくつか欲しい服のデザイン画を描いた。
あとでジュスターに渡しておくつもりだ。
これで旅の間の着替え問題はおおむね解決した。
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