第40話 魔王と馬車の旅

 私と魔王は聖魔騎士団と共に、魔王都へと出発した。

 旅に出るにあたって、魔王はブツブツと文句を云っていた。


「魔王都に戻ればスレイプニールがいるのに」

 

 スレイプニールとは、地上で最も早く走ることができるという8本脚の魔獣のことらしい。

 その速度は例えば大司教公国から国境砦まで馬車で10日くらいかかる距離を、ものの数時間で走るという。

 飛行機並みの速さだ。

 でもそんなのに引かれる馬車って、バラバラに壊れたりしないんだろうかと不安になる。

 スレイプニールは魔王が魔界から召喚した使役魔獣だそうで、魔貴族にも貸し与えている。

 つまりスレイプニールの馬車を持っているのは魔貴族の証でもあるのだ。


 それはおいておくとして、それでもサレオスには十分に立派な馬車を用意してもらった。

 今までの荷馬車とは違ってガタガタ揺れないし、客車の座席はふかふかの皮張りソファでお尻も痛くならない。それにゼルくんなら余裕で横になって眠れる程度に広くて、窓には遮光カーテンまでついている。

 これで文句が出るというのは少々贅沢というものだ。

 ちなみに食料や物資などは客車の下のトランクに積み込まれている。


 団長のジュスターと副団長のカナンが馬に乗り、馬車に伴走する。

 二頭立ての魔獣馬車の御者席にはアスタリスとクシテフォンが座り、交代で手綱を持つことになっている。馬車の後部台座にはテスカが立って背後を警戒している。

 馬車の客室内には私と魔王の向かいの席に、ネーヴェとユリウスが乗ることになった。

 2人を指名したのは魔王だった。

 理由は、体格的に2人がちょうどいいことと、「長旅には目の保養が必要だから」だそうだ。


「ゼルくんて案外、面食いだったんだね…」

「もちろん、おまえもだぞ、トワ」


 と、ついでのように云った。

 そんなフォローは、逆に傷つくだけだわ。


 馬車は魔王都目指して、主幹道を走っている。

 東大陸で最北に位置する前線基地から、中央部の魔王都メギドラまでは馬車の旅で最短でも2か月程かかるという。


 前線基地から最も近いのは魔伯爵マクスウェルの領地であるが、魔王都までの主要道路は魔貴族の領地と魔王直轄領との境界を通るように整備されている。


 魔族の国は、大陸中央にある巨大都市『魔王都メギドラ』を中心にして、それを囲むように6人の魔貴族たちの領土が、必ず魔王直轄領を間に挟むように位置している。それは互いの領土を侵略しないようにするための措置だ。

 つまり直轄領は魔貴族領の監視役をも担っているのだ。


 私は馬車に揺られながら、前線基地を出発する前の晩、サレオスが部屋を訪ねてきたことを思い出していた。


「私ごときがこのようなお願いするのはどうかとも思いましたが、どうか聞いていただきたい」


 彼は私の前に跪き、深々と頭を下げた。


「私は魔王様に仕えて400年以上になりますが、あのように声を上げて笑ったところを初めて見ました」

「え?そうなんですか?」

「はい。あなたが来られてからの魔王様はまるで別人のように明るくなられました。本当に信じられません」

「サレオスさんの知っている魔王ってどんな人だったんですか?」

「…恐ろしい、としか言いようがありませんでした」

「恐ろしい?」

「ええ。以前の魔王様は、冷徹で不必要な会話をすることなどほとんどありませんでした。魔王様の会話の相手といえば魔貴族の方々や我ら魔王守護将くらいなものですが、少しでも機嫌を損ねるようなことがあれば、どれだけ高い地位にいる者でも罰せられ、最悪は消滅させられてしまうのです。以前、魔貴族のお一人も魔王様の怒りを買い、解任されたことがありました」

「消滅って…殺すってこと?」

「文字通り、この世界から跡形もなく消されてしまいます。魔王様は空間魔法を操れますので」

「…!」

「魔族の国は、恐怖を持って統治されていたと言っても過言ではありませんでした」


 思わぬ話に、私は驚いていた。

 確かに初めて会った時は、魔族を癒せなければ殺すと云っていたけど、そんなに怖い人だとは思えなかった。子供だったこともあるけど、彼からは恐怖を感じたことはない。

 今は子供だけど、もしかして元の姿に戻ったら、サレオスの云うような怖い人に戻ったりするんだろうか?


「砦のテストの件で、トワ様は魔王様に意見なさいましたね。正直、私はトワ様が消されてしまうのではないかと内心ヒヤヒヤしておりました」


 食堂で私と騎士団のメンバーが話し合っていた時も、サレオスは心配してわざわざ様子を見にきてくれていたのだ。


「ですが結果的に魔王様はあのようにご英断なされ、笑顔を見せられました。本当に別人になったかのようで、驚きました。もしや魔王様ご本人ではないのではと、その魔力を確認したほどです」


 この前の謁見の間でのことを云っているのだ。

 私が文句を云った時は確かに不機嫌になったけど、謝れとか云っておきながら結局アレだったし…。


「トワ様と共にいる時の魔王様を見て、トワ様の存在が魔王様を変えたのだと確信しました。どうかこののちもずっと、魔王様と共にいて差し上げてください。お願いします」


 サレオスはそう云ってまた頭を下げた。


「ちょっ、ちょっと、頭を上げてください。頼まれなくても魔王とは一緒に魔王都へ行く約束してるから一緒にいますよ。でもね、私は人間なんです。不老不死の魔王とはずっとは一緒にはいられないってことはわかっていてください」

「可能な限りでも構いません。あなたとの出会いをきっかけに、良い方向へ変わってくださればと願っております」

「…サレオスさんって、魔王想いなんですね」

「私は魔王様の臣下ですから。側近には恐れられていますが、魔王様は下々の者にとってはすばらしい統治者なのです。恐ろしい一面があるのは確かですが、魔王様は公平で、有能な者は下級魔族でも取り立てる柔軟さもお持ちです。だからこそ今回の魔王様の変化を私は好ましく思っているのです」

「あの…、まずは魔王都に行ってから、諸々のことは考えますね」


 するとサレオスの表情が急に変わった。


「そのことなのですが、魔王都へ戻るのならば注意をなさってください」

「え…?」

「一応、魔王都宛に、魔王様が不十分な覚醒状態で復活なされたことは伝令を出して伝えてあります。私もずっと魔王都へは戻っていないので、確かなことは言えないのですが、魔王様を恐れる者たちの中にはその帰還を歓迎せず、危害を加えようと企む者もいるかもしれません」

「そっか…100年も戻っていないんだものね」

「ええ。私は魔王様不在の間に、魔王都の権力構図が変わってしまっている可能性を考えています」

「誰かが魔王に取って代わってるかもしれないってこと?」

「そうです。それならば前線基地への補給が滞っている理由も納得がいきます。その者は補給を絶って、古参の魔王守護将である私をあわよくば排除しようと画策しているのかもしれません」

「そんな…!」

「トワ様が参加された最初の戦は、意図的に基地の補給が滞っている情報を流して、基地を攻めるよう人間を誘導した者がいたのではないかと私は疑っております」

「あ…!」


 そういえば、デボラから魔族の基地は物資が不足してるって話を聞いた気がする。

 今がチャンスだから、ってことで攻めたんだった。

 魔族側の誰かが故意に情報を人間側に流してたってこと…?


「トワ様、魔王様はまだお力が戻っておられません。どうかあの方を頼みます」

「わかりました。忠告ありがとう」

「いえ。私にできることはこれくらいしかありませんので。あなたといれば、魔王様はきっと『良い魔王』になられることと信じております」


 サレオスは信頼できる人だ。

 私は彼の言葉を心に重く受け止めた。


「トワ、どうした?車に酔ったか?」

「えっ?あ、ううん」


 魔王の声で我に返った。

 向かいの席に座るユリウスが心配そうに私を見ている。


「大丈夫よ。それより、緑が深くなってきたわね」

「ああ、北東部の魔の森だな」


 馬車の窓から見える景色は一面森だった。

 魔族の国には、『魔の森』が各地に点在し、全国土の約3割を占めているという。

 魔の森には例のカブラの木が自生しているので、ここでは人間は生きていけない。

 しかし魔族にとっては命の森と称されている。

 魔の森の木々や草花の成長速度は異常に速く、魔族が食料として収穫を繰り返しても枯れることがない。

 同じ理由で森にすむ動物や魔物たちも飢えることがない。魔族が食べるためにその数を間引いても、繁殖数を大きく下回ることがないそうだ。

 つまり、魔族は最低限、魔の森さえあれば生きていけるのだ。

 だが、昨今は魔族も農作業や畜産をするようになり、以前に比べて食糧事情はかなり充実してきている。


 魔王都をめざして長旅をする私たちも、道々魔の森で食糧を調達する予定をしている。

 小休止を兼ねて、街道から外れて森の近くに馬車を止め、魔の森で聖魔騎士団の皆が手分けして食料を確保することになった。

 魔王と私は馬車を降りて、大きく伸びをした。


「ふむ、100年の間に随分道も荒れてしまったな。このあたりは直轄領に近いというのに、整備もされておらんとは情けない」

「この道路、ゼルくんが作ったの?」

「そうだ。いや実際には下級魔族たちに命じて作らせたのだが」

「フフッ、そうよね。肉体労働とか無理そうだもんね」

「そ、そのようなことはないぞ?ただ、我は魔法の方が得意なだけだ」


 魔王はムッとして云った。


 他の団員たちが魔の森の中へ姿を消してしまったので、ジュスターが護衛として私と魔王の側に残った。


 ジュスターは自分のマントをしゅるっと外して地面に敷いた。


「どうぞこちらへお座りください」


 レジャーシート代わりに敷かれたマントの上に、魔王と私は足を伸ばして座った。


「ね、ゼルくんも疲れたんじゃない?」

「うむ。多少はな」

「膝枕してあげるから横になりなよ」

「…膝枕…だと!」


 私が正座をして膝をポンポンと叩くと、魔王は驚いた顔をしていた。


「お、おまえの膝を…枕にして良いのか?」

「うん。ほら、おいで」


 魔王はどこかぎこちない動きで、そろそろと横になり、私の膝に頭を乗せた。

 私は彼の髪を撫でながらその整った顔を覗き込んだ。


「金色の瞳って不思議だね。でもすごく綺麗」

「そ…そうか?」

「うん、宝石みたいだよ」

「…人ならざる者のだからな」

「えっ?」

「なんでもない」


 魔王は少し照れたように横を向き、なかなか私と目を合わせようとしなかった。

 こんなことできるのも今の内かな、と思いながら私は彼の額や頬に触れた。

 大人になってあんなイケメンになったら、こんなことも気軽にはできないだろう。


「魔王様、横になるのでしたらそのお召し物では少し窮屈ではありませんか?よろしければ私がお創りしましょうか」


 ジュスターがそう提案してきた。

 確かに少年魔王の着ている服は詰襟で首や肩が窮屈そうだった。

 転生してすぐに、サレオスが基地で縫製スキルを持つ者に作らせたものらしい。


「おお、それは良い。前々からおまえのその衣服創造とやらのスキルに興味があったのだ」


 魔王はそう云うと、起き上がってさっそく自分用の服をジュスターに注文した。


「魔王様、その前に今着ているお召し物を脱いでいただきます」

「何?全部か?」

「はい」

「そうか、わかった」


 魔王は頷くと、隣で急に服を脱ぎ出した。


「ちょ、ちょっと!!ここで脱がないでよ!も~、女子の前なんだから、考えてよ!やるなら馬車の中でやってよね!」

「別に、おまえになら見られても平気なのだが」

「マナーってもんがあるでしょうよ!」


 私に叱られた魔王は、渋々ジュスターと馬車の中へ入って行った。

 いくら子供だからって、最低限のマナーは守って欲しい。

 馬車の中から声が漏れ聞こえる。

 ジュスターにいろいろ要望をして、とっかえひっかえ着せ替えているようだ。

 そうしてようやく気に入った服ができたらしく、馬車から少年魔王が下りて来た。


「どうだ?」


 少年魔王がくるりと回ってポーズを取った。

 金の刺繍が施された丈の短いボレロ風ジャケットにズボン、ブーツまですべて黒で統一された、まるで舞台俳優みたいな出で立ちだった。差し色として腰に赤いサッシュを巻いている。マントをつければ魔王というより小さな王子様の出来上がりだ。


「わお!ゼルくん、かっこいいよ!王子様みたい」

「フフン、だろう?しかもこれは体にフィットして伸縮するし非常に動きやすい」

「それはようございました」

「なあトワ、このスキル、我にもくれないか」

「だから無理だってば。こないだも試して契約できなかったじゃない。立場的に魔王を私の下僕にはできないってことよ」

「むう。つまらん」


 唇を尖がらせて文句を云う少年を見て、皆に恐れられる魔王とはとても思えなかった。


 その時、ジュスターが急に話を遮った。


「魔王様、トワ様、馬車にお戻りください」

「え?」

「敵か」

「わかりません。ですが複数の人の気配があります」

「アスタリスはどうした?」

「…それが、森の中は<遠隔通話テレパシー>が届かないようです。ともかくお隠れになってください」


 ジュスターに促されて、私と魔王が馬車の客車に乗ると、彼は扉を閉めて馬車を守るようにその前に立った。

 私と魔王は扉の窓のカーテン越しに外の様子をこっそり見ることにした。


 しばらくすると、森の中から複数の人影が現れた。

 魔族だ。

 全員武器を持っている。


「貴様ら、何者だ」


 ジュスターが凄んだ声で誰何した。

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