第38話 国境砦戦終結

「うまくいったようですね」


 アスタリスが私の隣で云った。

 私は基地の屋上にいて、アスタリスと手を繋いでいた。

 別に屋上デートというわけではない。

 アスタリスが<遠見>で視ている光景を<視覚共有>するためだ。


「だけどあんな大きな砦、よくあの人数で破壊できたわね。魔力は大丈夫だったの?」

「あの人数だから兵に見つからずに破壊できたんですよ。カナンは建築に関する知識もあるんです。少ない魔力の魔法でも、特定の場所を破壊するだけで後は勝手に崩れて来るんですって」

「へえ…。すごいのねえ…!」


 私が感心している間にも、遠くに見える砦から煙が上がっているのが見える。

 どうやら聖魔騎士団は無事、砦を落としたようだ。


「それにしても、エリアナたちが来てるとは思わなかったわ。アスタリスがここに居てくれて良かったよ」


 なぜここに勇者候補がいるのかはわからなかったけど、彼らを逃がすことが出来て良かった。

 エリアナたちと聖魔騎士団が交戦状態になった時、アスタリスを通じて彼らを見逃してやってとジュスターにお願いしたのだ。

 ここで彼と<視覚共有>していなかったら、彼らの存在を知ることもできなかった。そうなっていたら、おそらくジュスターたちに容赦なく排除されていたことだろう。


「あの人間たちはトワ様のお知り合いなんですね」

「うん。大司教公国にいた頃の仲間よ。まあ、仲間って言っても私は落ちこぼれだったから、バカにされてたんだけどね」

「えーっ!?トワ様をバカにするなんて、そんな人いるんですか?」


 アスタリスは驚いて大声を上げた。


「私の能力は人間には効かないから、彼らにとっては役立たずだったのよ」

「トワ様のような素晴らしい方でも、そんな辛い思いをしてきたんですね…」


 アスタリスが私を見つめる目が揺れている。

 このところ、彼は前髪を上げている。

 綺麗な目なのだから、積極的に出した方が良いと私が云ったからだ。

 一気に美青年度がアップした彼と手をつないだままだと、なぜか学校の屋上にいるカップルみたいな気分になってくる。


「僕、そんなことも知らずに自分のことばかり気にして、本当にすいませんでした」

「ううん。私こそごめんね。皆と一緒に戦いたかったでしょう?」

「いえ、いいんです。自分の能力を生かすことが出来て、良かったんだと思っています。それに今はトワ様のお役に立てたことが嬉しいんです」


 彼は私と繋いでいる手を見て、そっと頬を染めたように見えた。

 なんだかこちらまで意識してしまう。


「そ、そう?それならいいんだけど」

「僕、思うんです。トワ様は魔族にとってかけがえのないお方なんだって。そのお力を皆が知ったら、そのうちきっと僕なんか口もきけないような遠い存在になってしまうんじゃないかって…」

「そんなことないよ。だって聖魔騎士団はいつも一緒に居て私を守ってくれる騎士でしょ?」

「は、はい!」


 アスタリスは照れたような笑顔を見せた。


「それにしてもカナン、強かったね」


 それはカナンと将の一騎打ちの一部始終を見ていた私の素直な感想だった。

 将の相手をしていた時のカナンの剣の腕前は、アクション映画で見るような達人の域にあった。それは自身の鍛錬の賜物で、他人から与えられたものじゃない。


「はい。カナンは僕の師匠なんです。あの程度じゃまだまだ本気とはいえませんよ」

「え?あれで?」

「彼は左利きですけど、本来は二刀使いなんです。でも一本の剣でもあの通りですから、二刀になればもっとすさまじい強さです。上級魔族になってからは、たぶんもう無敵です」

「へえ~!そうなんだ」


 それじゃ完全に将は遊ばれてたんだ。

 サレオスを倒した将の腕前がどれほどのものかと思って見ていたけど、カナンの前では素人同然のレベルだった。

 将のことだからきっとプライドをズタズタにされて凹んでいることだろう。


 そこへ魔王がやってきた。


「そろそろカタが付きそうだな」

「あ、ゼルくん…」


 なぜか魔王はムッとした表情をした。

 彼の視線が、アスタリスと繋いでいた私の手に向けられていたことがわかって、反射的に手をパッと離した。


「魔王様」


 アスタリスは少年魔王の前に膝を折った。

 私は眉をひそめて魔王に云った。


「ゼルくん、どう?あなたの嫌がらせにも負けず、彼らは自分たちだけでやり遂げたわよ?」

「別に嫌がらせをしたわけではない」


 魔王はムスッとして云った。


「それより、カイザードラゴンを借りるぞ。状況を直接この目で見たい」

「はいはい、どーぞどーぞ」


 私は首から下げていたネックレスを取って彼の前に突き出した。

 魔王は何か文句を云いたそうにネックレスを受け取ると、呼び出したカイザードラゴンの背に乗って、砦の方に飛んで行ってしまった。

 そんな様子を見ていたアスタリスが思わず私に囁いた。


「トワ様、魔王様に厳しいですよね…」

「当然でしょ。皆を危険な目に合わせたんだから。私が文句言っても全然聞いてくれないしさ」


 私が怒っていると、アスタリスは首を傾げて不思議そうな表情をした。


「そうでしょうか。僕らにとってはチャンスでしかありませんでしたけど」

「チャンス?」

「ええ。この基地にやってきて、僕らはいきなり聖魔騎士団という名誉ある地位をいただけることになりました。でも、前からこの基地にいる人たちにとっては、僕らは単なる新参者にすぎません。面白くないと思っている者も少なからずいたでしょう」

「え…!もしかして基地の人たちに嫌がらせとかされたの?」

「いえ、表立ってそういうことはありませんが、やっぱり彼らの目が気になりました。だから実力を示して、魔王様にいただいた称号が贔屓ではないってことを示したいと思っていたんです」


 思わぬことを聞いて、私は驚いた。

 そこまで考えが至らなかった。


「私が勝手に皆を引き連れてきたことが気に食わなくて、実力を試すなんて言い出したのかと思ってた…」

「魔王様は意味のないことはなさらないと思うんです。きっと僕らが、トワ様の護衛として相応しいことを基地の皆に示したかったんじゃないでしょうか。僕らは誰も、魔王様に嫌がらせされたなんて思ってませんよ」

「そうなんだ…」


 なんだか自分だけが心の狭い人間みたいに思えて、軽く凹んだ。



 一方、ドラゴンに乗った少年魔王は崩壊された砦の上空にやって来た。

 カイザードラゴンはそこでゆっくり旋回しながら、砦を見下ろしていた。


「確かに我は砦を落とせと言ったが、本当にここまで壊滅させるとはな」

『あの連中は、命令の意図を理解している。砦を無力化するためには何もそこにいる軍と戦う必要はない。建物だけを破壊すればそこに人は住めなくなる。手っ取り早い作戦だ』

「確かにな。これでは再び砦を築くまでに何年もかかるだろうよ。むっ…」


 魔王は、ちょうどエリアナがクシテフォンに向かって魔法を撃とうとしているところに立ち会っていた。

 エリアナから強力な魔力の膨らみを感じ取った魔王は、カイザードラゴンに命じた。


「仕方がない。カイザードラゴン、あの娘に向かって火球を撃て。ここであのクラスの魔法が弾けたら、いくら防御系スキルを持っているとはいえ、無傷とは行くまい」

『いや、その必要はなさそうだ。見ろ』


 カイザーの云う方向に視線を移すと、少女の前に銀髪の騎士が現れた。

 ジュスターだった。

 彼は、少女の放った巨大な炎の塊が爆ぜる前に、空中で一瞬にして氷の塊に変えてしまった。


「…ほほう、やるな。カイザードラゴン、あれをどう思う?」

『得体が知れない奴だとは思うが、我らと敵対する者ではないと思う』

「どうかな。我にはなぜか既視感があるのだがな」


 砦の外壁は殆ど崩れ落ち、もはや原形をとどめていなかった。

 多くの兵士たちが砦の外へと逃げ出していた。

 聖魔騎士団のメンバーは、まだ抵抗している兵士や、瓦礫の下敷きになってもがいていた兵士たちを引きずり出しては、砦の外へ放り出していた。


「あの連中、人間を助けているように見えるが…あれはトワの命令か?」

『いや違う。トワはできるだけ人間を殺すなと以前から言っていたからな。あの者たちは命令がなくともトワの意を汲んでああしているのだろう』

「甘いな。人間はいずれまた同じことを繰り返すだけなのに」

『それでも助けたいと願うのがトワだ。あれほどに心の優しい娘を他に知らぬ』

「だがそれがいつかトワを傷つけることにならねば良いのだがな」

『トワを傷つける者がいれば容赦なく葬ってやる』

「…おまえも随分とあれを気に入ったものだな」

『召喚主に似たのであろうよ』


 ジュスターが上空のカイザードラゴンに気付いて、空を見上げた。

 一瞬だが、魔王は彼と目が合った気がした。


「砦は落ちた。戻るぞ」

『承知した』


 ドラゴンは旋回して前線基地へと戻って行った。

 こうして北国境砦は、たった6人の魔族によって落とされた。


 無傷で砦を落とした聖魔騎士団は、基地の兵士らに歓喜の声で迎えられた。

 彼らは真っ先に私とアスタリスのところへ報告に来てくれた。

 信じていたけど、不安じゃなかったといえば嘘になる。

 だから皆が無事に帰って来てくれたことが本当に嬉しかった。


 「テストは合格だ。おまえたちの実力ならばトワに同行させても問題なかろう」


 魔王は聖魔騎士団全員を集めて、緊張感漂う謁見の間でそう伝えた。

 聖魔騎士たちは喜び、互いにハイタッチした。


 私は魔王の玉座の隣に立って彼らの嬉しそうな様子を見ていた。

 魔王のやり方には納得はいってなかったけど、結果的にはすべてが良い方向に転がったので、あえて何も云わなかった。


「よくぞあの目障りな人間共の砦を破壊してくれた。これで我も心置きなく魔王都へ戻ることが出来るというものだ」


 魔王は、大きすぎる玉座のひじ掛けにもたれかかりながら片膝を立てるという、ちょっとお行儀の悪い姿勢で云った。

 魔王は自分が魔王都へ戻ることを、この時初めて公にした。


「当分は連中も手出しはしてこないでしょう。少なくとも砦と国境の壁を再建する間は、一時的に和平を結ぶための工作を仕掛けてくると思われます」


 私とは玉座を挟んで反対側に立つサレオスが云った。

 それで私はハッと気付いた。


「あ…そっか。ゼ…魔王が留守にする間の基地のことを考えて、彼らに砦を落とさせたんだ?」

「無論だ」

 

 魔王はチラッとこちらに視線をくれて、不機嫌そうに云った。


「おまえがサレオスや魔族たちの怪我を癒してくれなかったら、落ちていたのはこの基地の方だったやもしれぬ。我が留守の間に再びそのようなことにならぬよう、手を打っておくのは当然だろう?」

「それならそうと、最初から言ってくれれば良かったのに…テストなんて言うから、変に誤解しちゃったじゃない」

「この者たちの実力を知っておきたかったのは事実だ。サレオスを待機させておいたが無駄になったな」

「誠に見事な働きでした。私なぞの出しゃばる隙はございませんでした」


 サレオスは私に頭を下げた。

 でしゃばるどころか、彼はカナンに剣を渡してくれて、そっと見守ってくれていたのだ。


「我はこやつらの勝利を信じていたぞ?だがおまえはどうなのだ?」

「わ、私だって信じてたわよ」

「その割にはやめさせろとか、随分文句を言っていたではないか」

「そ、それは心配だったから…」


 魔王は私に文句を云われたことを根に持っているのだ。

 だからこんな風にネチネチと嫌味を云うのだ。


「…嫌がらせだなんて言って悪かったわよ…」


 私が立ったまま謝ると、魔王は私の顔を睨むように見た。


「それが謝る態度か?」

「え?あ…ごめんなさい」

「ここへ座って謝れ」


 彼がそんなに怒っているとは思わなかった。

 云われた通り、私は魔王の玉座の前で両膝をついた。

 謁見の間が静まり返った。

 側近たちや聖魔騎士たちは、私が罰せられるのではないかと固唾をのんで見守っていた。


「あの…すいませんでした」

「よし、顔を上げろ」

「…はい」


 私は正座したまま、少年魔王の顔を見上げた。

 すると、少年魔王は玉座から降りてきて、私の前に立った。

 彼はその小さな体を少しかがめると、不意に顔を近づけてきた。


「我に文句を言った罰だ」

「…え?」


 あまりにもさりげない仕草だったので、私は呆然とそれを受け入れた。

 唇にが触れた感触があった。


(え?

 もしかして、キスされてる…?)


「…ちょっ!!」


 私は口に手を当てて、後ろにのけぞった。

 こんな公衆の面前で?

 ありえない!!

 私は耳まで熱くなるのを感じた。


「ゼ、ゼルくんっ!?」

「何だ?」

「い、い、今、何したの?」

「何って接吻キスだが」

「キッ…!!」


(もしかして、わ、私のファーストキス~~っ!?)


「ば、罰って…!」

「それが罰だ。いけなかったか?」


 魔王は半笑いでそう云った。

 確信犯だ。


「こ、こういうことは普通、人前でしないもんでしょ!」

「人前でなければいいのか?」

「バッ…!ちっがーう!そういう意味じゃなくて!お、大人をからかうんじゃないの!!」

「おまえのどこが大人だ?」

「お…、おとな…だもん!ゼルくんより背高いし!」

「クッ…」

「な、何よ!何で笑うの?」

「クックック…アハハハ!そうか、初めてだったのか」


 少年魔王は立ったまま、声を上げて笑った。

 その魔王を見て、サレオスや側近たちは驚いた顔をしていた。

 完全にからかわれてる。


「そ、それが何だっていうのよ!」

「クッ…怒るな。そんなに嫌だったか?」

「そ…そーゆーわけじゃないけど…く、唇にすることないじゃん…おでことかほっぺとかさ…」

「それではつまらん」

「っていうか!怒ってたんじゃないの?」

「これくらいで怒ったりするわけがなかろう。からかってやっただけだ」


 私はカーッと頭に血が上った。


「ムッカつくー!!土下座までさせといて?もー、怒ったもんね!今のはナシ!子供とのキスなんてカウントしないんだからね!ふーんだ!」

「クッ…ハハハッ!」


 魔王は何が楽しいのか、大笑いしている。

 緊張が解けたのか、聖魔騎士団の面々もクスクス笑っている。

 なんだかムカついて来た。


「ちょっとそこ!笑わない!」


 私が聖魔騎士たちを指差して叫ぶと、彼らは一瞬グッと堪えたけれど、すぐにプッと吹き出した。

 笑っていなかったのはジュスターだけで、全員が爆笑していた。

 でもそのおかげで、それまでの緊張した空気から一転して謁見の間は和やかな雰囲気に包まれた。

 心中穏やかでなかったのは、私だけだった。

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