第二章 魔族の国

第26話 馬車の旅(1)

 研究施設リユニオンを脱出した私たちは、北の国境の前線基地を目指すことにした。

 私たちがあの施設から逃げ出したとわかったら、おそらく追手がかかるだろう。

 それ以前に、魔族であるというだけで捕らえられてしまう。

 この国にいるかぎり、追われる羽目になり、常に命の危機にさらされる。

 となれば危険な賭けだが、国境を越えて魔王のいる前線基地へ行くしかない。

 基地には復活した魔王がいる。

 事情を話せばきっと保護してくれるはずだ。


 私と魔族たちは、国境を目指して馬と馬車に分乗して旅をすることになった。

 人目を避けて旅を続けるため、メイン街道を大きく迂回して行かねばならなかった。そのため国境までは通常10日程度のところ、その倍の日数がかかってしまうのも仕方のないことだった。


 それよりももっと深刻なことが、自分の身に起こっていた。

 奴隷部屋での劣悪な生活のせいもあって、急に体調が悪くなったのだ。

 その理由は精神的な疲労の蓄積と、立て続けに魔力を使いすぎたせいだと自分でもわかっている。

 そして困ったことに、こういった症状には回復魔法が効かないのだ。 

 皆は心配して、馬車を止めて休ませてくれた。


 研究施設リユニオンを完膚なきまでに破壊したカイザーは、ネックレスの石の中に戻ったまま出てこない。

 カイザーが力を解放したことが、私の体調不良の原因だと思って責任を感じているのだ。

 確かに、カイザーが魔力を使えば使う程、私自身魔力を吸われることになる。魔王からも気をつけろと云われていたのをカイザーも知っている。

 だけど、実は本当の原因はもっと単純なことだった。


「おなか…空いた…」


 実は施設を出る前から、お腹がペコペコだったのだ。

 私がうわごとのように云ったその言葉に気付いたジュスターは、食糧を調達しようと提案した。


 私が研究施設で助けた魔族はジュスターを入れて7人。

 彼らは全員が知り合いだったようで仲が良く、ジュスターの提案にすぐに賛同した。


「アスタリス、近くに何かないか?」


 ジュスターが話しかけたのは、馬車の御者をしてくれているアスタリスという魔族の青年だ。

 彼だけ、なぜか長い前髪で両目を隠していて、顔が良く見えなかった。

 その理由がその時初めてわかった。

 アスタリスは前髪を持ち上げて、両目を見開いた。

 ビックリする程大きくて青く澄んだ瞳だった。

 彼は遠くが見える<遠目>というスキルを持っていた。

 私と契約して上級魔族に進化した際、見える距離が大幅に伸びたという。

 普段から前髪で目を隠しているのは、見えすぎてしまうからだそうだ。


 彼によると、東へ10キロ程進んだ先に森があり、その奥には湖もあるという。

 寄り道になってしまうけど、森の生き物や木の実、湖では魚も取れるかもしれないと期待された。今後の長旅に備えて、食料を確保しておくことは重要だとジュスターは判断した。


 森の中の道を進み、湖のほとりで馬車を止めた。

 馬車道があるところを見ると、どうやら旅人や商隊の休憩場所として使用されているようだ。

 魔族たちはその能力を生かし、手分けして食料の調達を始めた。

 カイザーの云った通り、彼らがいてくれて良かった。

 私とカイザーだけだったら、このまま餓死していたかもしれない。

 カイザーは、もしかしてこうなることを見越していたのだろうか?


 ジュスターがてきぱきと魔族たちに指示を出している。

 どうやらこの中では、ジュスターがリーダーのようだ。

 彼らは元々仲間で、彼だけが上級魔族だったから、前からそういう関係だったのだろう。


 休んで少しだけ体調が回復した私は、湖で水浴びをしようと思い立った。

 なにしろ5日以上もお風呂に入っていなかったのだ。

 湖で魚を釣っていたアスタリスに見張りに立ってもらい、服を脱いで湖に入った。

 水が少し冷たかったけど、かなり気持ちが良かった。ついでに着ていた下着も洗濯した。

 カイザーをミニドラゴンで呼び出して、魔法で髪や下着を乾かしてもらった。

 カイザーは随分心配していたけど、私が鼻歌なんかを歌っているのを見て安心したようだ。


 食事ができるまで、馬車の近くに座って、森の中で狩りをしている魔族たちを眺めていた。

 イノシシみたいな魔物を追いかけていたのは、オレンジ色の短髪のカナンだった。

 彼は格闘技も強いけど足も速かった。

 カナンは、獣族という種類の魔族で、もともと獣っぽい体つきをしていたのだけど、上級魔族へ進化した際に容姿はより人間ぽくなってワイルド系イケメンになっていた。


 見ていて感心したのは、カナンと一緒に魔物を狩っているネーヴェという名の魔族の使う魔法だ。

 ネーヴェは研究施設リユニオンで、不死者ゾンビイの首を落としてくれた魔族で、珍しいエメラルドグリーンのサラッサラの髪をボブヘアーにしたアイドルみたいな美少年だ。

 彼は、カナンが仕留めたイノシシみたいな獲物の皮を、風の魔法で見事にツルリと剥いで見せた。その胴体には傷一つない手際の良さだ。

 更には手を使わずすべて魔法だけで肉の下処理を行っていた。

 カイザーのダイナミックな魔法とは違って、繊細で丁寧に作動させている。たぶん魔法のコントロールが上手なんだろう。こういうのって性格が出るのかもしれない。


 一方、木の上で果実を採集しているのは、2人の有翼人だった。

 1人は研究施設で私を抱き上げて運んでくれた黒い鳥の翼を持つテスカという魔族で、もう1人はクシテフォンという、背中に蝙蝠の翼を持つ有翼族だ。彼らは森の中を自由に飛びまわり、両手いっぱいに木の実を抱えて私の前に戻って来た。

 テスカは森の中へ戻り、クシテフォンは馬車の近くで木の枝などを拾っていた。

 クシテフォンは<木製工作>という生活スキルを持っていて、集めた枝などで簡易的な食器を作り出した。

 金髪に黒メッシュの入った、ビジュアル系バンドの人みたいな外見で、一見クールそうな彼が、恥ずかしそうに私を振り向いて云った。


「そんなに見ないでください。下級スキルなので、つたないものです」

「そんなことないよ。すごく手先が器用なんだね」


 金属性を持つ彼は体の一部を硬質化することができる。

 片手を手斧のように使って、木の枝を削り始めた。

 瞬く間に、木製のフォークとスプーンや、木の葉を編み込んだ皿などの食器を作ってくれた。それは粗削りだけど食器としての機能は十分だった。これがなければ料理ができても手づかみで食べる羽目になるところだった。


「せめて上級にでも上がれればよかったのですが」

「上級にはどうやったらなれるの?」

「下級から上級に上がるには、相当の年月修行して熟練度を上げなければなりません。魔族の場合は100年か200年か…それでもなれない者の方が多いです。才能の違いですかね」

「クシテフォンならなれるよ。上級と云わずにもっと上を目指そう?ね?」


 そう彼に声を掛けた。

 すると、クシテフォンの体が短く光った。


「…あっ」


 彼は手を止めて、自分の腕を見た。

 それから驚いたように私を見た。


「…どうしたの?」

「これは…<S級木工製作>スキルに進化可能、だって…?こんなことが本当に起こるなんて…信じられない!」


 彼と目が合った私は思わず微笑んだ。


「良かったね、おめでとう」

「トワ様…、ありがとうございます。あなたは本当に神のようだ…!」

「大袈裟だってば。それより、S級って今すぐに進化できるの?」

「いえ。S級になれるからといって、熟練度が急激に上がるわけではありません。スキルを使い続けて修行する必要があるのですが、私の場合、S級になるのに要する必要時間が極端に短縮されるスキルも同時に得ています」

「どのくらいかかるの?」

「おそらくは数日中に」

「すごいじゃない!じゃあ、がんばっていっぱい作んなきゃね!」

「はい。まずはトワ様がお座りになる椅子とテーブル、全員分の食器を作ります。S級に上がれば、トワ様がお望みになるものを、なんでもお作りできます」

「フフッ。楽しみにしてる」


 そうしているうちに、他のメンバーも戻って来た。

 ジュスターも野草やキノコなどを収穫してきていた。

 皆それぞれ、かなりの収穫があったみたいだ。


 そうだ、一番大事なことを忘れていた。


「この中で、料理のスキルを持っている人はいる?」


 私が聞くと、手を上げた者が1人いた。

 私は内心、ガッツポーズをした。

 最悪、調理士が誰もいなくても食べられるだけマシだと思っていた。


「ユリウスです、トワ様。私は<上級調理士>スキルを所持しています」

「上級…っていきなりすごいじゃない!それって魔王に食事を提供できるレベルでしょ?」

「はい、一応は。魔族の村でも料理を担当していました」


 私は目をパチパチと瞬きさせた。

 こんなイケメンがまだいたのかと驚いた。

 ユリウスはワインレッドの長い髪を1つに束ねて肩から前へ垂らしている、物腰の柔らかい優し気な雰囲気の青年魔族だった。

 ジュスターとはまた方向性の違う美形で、おそらくはユリウスの方が一般受けするイケメンだろうと思った。


「ユリウスのごはんは美味しいんだよ!ね、カナン?」

「ネーヴェの言う通りです。きっとトワ様も気に入っていただけるはずです」


 仲間にこれだけ褒められるとなると、本物なんだろう。

 期待が高まる。


「じゃあユリウス、お願いするわ。すっっごく美味しい料理を作ってね!」


 私がそう声を掛けると、ユリウスの体が短く光った。


「…!」


 ユリウスは驚きの表情をして絶句していた。

 <S級調理士>にスキルが進化可能になったというのだ。

 彼によれば、<S級調理士>は、料理人の憧れでもある最上位スキルで、他の生活スキルと比べても神レベルと言われているほどレアだそうで、半ば諦めかけていたという。

 このレベルの料理人は、世界中探しても片手に余る程度しかいないということで、自力で何年も修行してもたどり着けない達人の境地なのだそうだ。

 ちなみにSS級に至っては、厳しい修行をすればいつかS級からSS級に昇級することも理論的には可能だということだが、いまだかつてそれを実現した者を誰も知らないという。


「他に何か、欲しいスキルはある?」


 私はユリウスに聞いてみた。

 美味しい食事ができるのならどんなスキルだってあげるつもりだった。


 すると、ユリウスは更に<調味料生成>と、食材を吟味したいというので<食材鑑定>スキルが欲しいと云った。

 だが<調味料生成>スキルはユリウスではなく、隣にいたテスカが代わりに覚えた。

 テスカは木の実や薬草を煎じたりする<調合>を持っていたので、適性が合致したのだろう。

 こんなこともあるものかと、初めてのパターンに正直驚いたけど、仲の良い彼らならではのことだったと理解した。


 お腹が空きすぎていたので早く作って欲しいと願うと、ユリウスとテスカは2人共<高速行動>なる新たなスキルを覚えた。

 これはその名の通り、早く動けるスキルだ。余談だが他の者にも<高速行動>を与えようとしたけど、取得できた者はいなかった。


 後にユリウスは、最高位料理人ゴッドキュイジーヌとして世界中から称されることになるのだが、それはまた別の話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る