第25話 転送されて来た少女(2)

 マルティスの事務所は、帝都トルマ市内の下町ダウンタウンにある。

 実を云えば帝国貴族らが暮らす市内の一等地に事務所を置けるほどの稼ぎはあるのだが、家賃の安い下町に事務所を借りているのは、後ろめたいところがあるからだった。

 <便利屋マルティス>の事務所は、古い2階建ての建物の中にある。

 1階は事務所で、小奇麗なオフィスの奥の部屋には、魔法局に置いて来たポータル・マシンと同じものが一台置かれていた。

 2階は住居スペースになっていて、彼はそこで寝泊まりしていた。

 マルティスは少女を抱きかかえて2階の自室へ入り、寝室の自分のベッドに彼女を寝かせた。


「とりあえずうちに連れてきちまったが…養護院に連れていくべきか…?」


 養護院というのは、事故や戦争で夫や親を亡くした身寄りのない女子供を受け入れている国の施設である。

 しかし、身元のはっきりしない者を受け入れてはもらえないだろうし、どこから来たのかと訊かれても、「ポータル・マシンで転送されてきました」なんて云えるわけがない。

 それに奴隷制度のあるこの国では、身元不明の娘など、手放した途端に奴隷商に売られてしまうのがオチだ。

 こんな若くて綺麗な娘なら、マルティスの人脈を使えば、大枚を払って愛妾に迎えたいという貴族などその日のうちに見つかるだろう。

 だが彼はそこまで極悪非道ではなかった。


「やれやれ、困ったな。こんな女の子の世話なんて、したことないぞ」


 浅い呼吸をしているから、生きてはいる。

 娘は頬を叩いても鼻をつまんでも、水をかけても目を覚まさない。

 マルティスはふと、先ほどの少女の言葉を思い出した。


「たしかこの娘、『この体を守って』って言ったよな…。普通、『私を守って』じゃねーのか?」


 彼は首をかしげながら少女を見下ろした。

 茶色の長い髪、艶やかな白い肌。華奢だがなかなか美しい娘だ。


「なんで起きねえのかな?ともかく目覚めてくんねーと困るんだが。一度、回復士に見てもらうか…」


 回復士を呼ぶには金がかかる。

 特に大司教公国の回復士は腕はいいが費用が高いので有名だ。

 この国での医療行為といえば、国家回復士のいる救護院に連れて行くことだが、大抵の場合はそこで販売されているポーションや薬草を煎じた塗り薬などを買わされて終わりだ。

 特にこの帝都の救護院は質も態度も悪い上に金ばかりふんだくるので、マルティスにとっては最初から選択肢になかった。

 

 とっとと気が付いて、勝手に出て行ってくれればいいと思っていたが、数日経っても彼女は一向に目を覚まさなかった。


「まいったな…」


 マルティスは、ベッドを占領している少女を見下ろして、大きくため息をついた。

 おかげで1階の事務所のソファで眠ることが日常になっていたのだ。


「こんなに目を覚まさないのは、やっぱり異常だな。何かの魔法に掛けられているのかなあ…?やっぱ回復士を呼ぶしかねえか」


 その時、棚の上に置いてある時計から音がした。

 グリンブル王国から取り寄せた最新式のアラーム時計だ。


「おっと、時間だ」


 時計のアラームを止めて、その隣に置かれていたブローチに目を止めた。

 それは白鳥をモチーフにした綺麗な細工で、どこかの貴族の紋章だと思われた。

 年代物らしいが、面倒くさくて調べる気にもならなかったが、マルティスが骨董市で気に入って手に入れたものだった。

 彼は無意識にそのブローチと眠る少女を見比べた。


「…いや、まさかな…」


 独り言を云うと、すぐさま寝室の扉を閉めて、1階の事務所へ移動する。

 奥の部屋の鍵を開けて中に入ると、慣れた手つきでポータル・マシンを起動させ、台座に乗った。

 スイッチを押すと、彼の姿は一瞬にして消えた。


 次にマルティスが姿を現したのは、別の場所にあるポータル・マシンの台座の上だった。


「う~、やっぱ気分悪いぜ…」


 ぼやきながら台座から降りると、そこは薄暗いレンガ造りの部屋の中だった。

 雑然と物が置いてある、物置のようだ。

 その正面にはローブ姿の人物が立っていた。

 マルティスはその人物に手を挙げて挨拶した。


「よう、イドラ」


 イドラと呼ばれた人物は、被っていたローブのフードを後ろへはねのけた。

 そこから現れたのは、左半分が赤く焼けただれたようなケロイド状の皮膚を持つ、異形の顔だった。


「定期報告だ。無事アトルヘイムの魔法局にポータル・マシンを納品してきたぜ」

「ご苦労。相変わらずが上手いな」

「まーな。この耳は生まれつきだしよ」


 マルティスは金髪の髪に埋もれていた自分のを触った。


「幼いころはもう少し魔族っぽかったと思うがな」

「そうかい?やっぱ、死に戻りだからかな?」

「…冗談はそのくらいにしろ」


 イドラは、ローブの袖の中から皮袋を取り出した。


「これは今月の分だ」


 マルティスはその皮袋を受け取り、中身を確認する。

 中身は金貨だった。


「まいど」

「例の捜索の件、どうだ?」

「待ってくれよ。今だってまだ例の件を抱えてるんだぜ?そういくつも同時にこなせねえって」

「依頼主から催促があってな。片手間でもいい。探しておいてくれ」

「まったく、宝玉宝玉ってよ。以前もネビュロスのオッサンに売ったじゃねーか」

「悪いと思っている」

「なあ、この前聞き忘れたんだが、その大司教の部屋から盗まれたって宝玉、<封印>だったか?あれって何なんだ?」

「100年前、勇者が魔王を封印したスキルだ」

「…は?マジか?なんでそんなもんがあるんだよ?」

「詳しくは言えん。そういうことだから早急に頼む」

「ったく、秘密主義もほどほどにしとけよ」


 イドラは懐から透明な小さな玉を取り出して見せた。


「これは<防御力増加>スキルの宝玉だ。おまえにやろう」

「なんだよ、貴重なモンじゃなかったのかよ」

「貴重さ。同じ物はもう手に入らないのだからな」

「ありがとよ。けど、これ転売するぜ?いいのか?」

「構わん。売るならアトルヘイム魔法局にしておけ」

「ふ~ん?なんか企んでるな?」

「グリンブル国内に流言を流す。その信憑性を高めるためだ」

「…あの国で内乱でも起こすつもりか?」


 それまで笑っていたマルティスは、急に真顔になった。

 イドラはそれに沈黙で答えた。


「ま、いいや。俺には関係ない。で、何か手がかりは?」

「グリンブルにいる密偵に調べさせたところ、王家御用達商人に持ち込まれたことが分かった」

「コルソー商会か。わかった、探りを入れてみる。その代わり報酬ははずんでくれよ?」

「いいだろう」

「それじゃあ、俺からも一つ、頼みがあるんだが」

「何だ?」

「腕のいい回復士を紹介してくんねえかな」

「回復士だと?魔族のおまえがなぜだ?」

「いや、俺じゃなくて人間の女なんだが、なりゆきで面倒みることになっちまってさ」

「人間の女だと?」


 イドラはマルティスをギロリ、と睨んだ。


「厄介事は避けろと言ったはずだ」

「わかってるって。その女が治ったらオサラバするつもりだからさ」

「…ちょうどSS級の回復士がアトルヘイムに赴任することになっている。ホリーという女だ。魔法局に顔の利くおまえなら、上金貨10枚程度出せば呼べるだろう」

「上金貨10枚!?たっか!!」

「それでも安い方だぞ。言っておくが相手はSS級魔法士だ。おまえの精神スキルが効くと思うな」

「あっちゃ~…マジか…」

「それくらい大した金額ではないはずだ。おまえにはかなり融通している」

「まあな。恩に着る。じゃあ戻るぜ。次は3か月後にな」


 マルティスはイドラに軽く挨拶をして、ポータル・マシンの台座に再び乗り、スイッチを押した。

 だがなかなか電源が入らなかった。


「ん?おい、これ調子悪いのか?」

「ああ、たまにそうなる。何度か押せば起動する」

「おいおい、ちゃんとメンテナンスしろよな。誤作動するととんでもないことになるぜ?」

「ああ、わかっている」


 もう一度スイッチを押すと、彼はそのまま転送されて姿を消した。


 自分の事務所へと戻ってきたマルティスは、2階の住居スペースへ向かった。

 少女の眠っている寝室の隣の部屋に入ると、はーっ、と深くため息をついた。


「上金貨10枚か…。さすがにボるねえ…」


 その部屋の中にはウォークインクローゼットがあり、そこにはたくさんの服や帽子、靴や鞄などが収納されていた。

 マルティスはスーツを脱いで、今度は金色の刺繍の入った、キラキラした金持ちっぽい豪華な衣装に身を包んだ。金色の巻き毛をすっぽりと覆うように帽子を被り、髭を着けた。

 寝室の扉を開けて、眠っている少女に声を掛けた。


「そんじゃ、ひと稼ぎしてくっから、いい子で待ってな」


 彼は鼻歌交じりに出かけて行った。

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