第14話 野望の代償
帰国してすぐにホリーは大司教の部屋を訪れた。
大司教は紫のローブに、フードを目深に被ったまま、豪華な椅子に座っていた。
「遠征ごくろうだった。報告は受けておる」
「は…ご期待通りの結果にならず、申し訳なく思っております」
「頼んでおいた例のものは?」
「下級魔族の遺体を数体回収して例の施設へ送っておきました」
「上級魔族はいなかったのか」
「残念ながら。勇者候補が指揮官を倒しましたが、遺体は先に魔族側に回収されたようでした」
「…残念だな。あの基地の司令官ならば、魔王守護将クラスのはずだ。まあいい、ラウエデス祭司長が別口で上級魔族を捕らえたようだからな」
その名を聞いて、ホリーの顔色が変わった。
「ラウエデス卿が?」
「以前から帝国騎士団に依頼していたそうだ。帝国領内で巡回中の騎士団が魔族の村を見つけたそうで、そこに上級魔族が潜伏していたとか。それも生け捕りに成功したそうだ」
「そ、そうですか…」
ホリーは唇を噛みしめた。
「勇者候補たちはどうかね」
「問題ないかと。魔法の腕も上がって来ています」
「回復士のトワはどうか?」
「あれは問題外です。早々に放逐した方が良いかと」
「君はあの娘がどれほど貴重なサンプルか、わかっておらんようだ」
「サンプル…ですか?」
「君も召喚に立ち会っていたはずだろう?わからないのかね?」
「あの依り代のことですか?あれが何か?異世界人が肉体を失っている場合にそなえてのものだったと解釈していますが」
「だから君はラウエデスに勝てないのだよ。他の3人とは違い、あの娘だけが生身ではなかった。それがどういう意味か、調べようともしないのかね?」
今回の召喚の儀式に初めて参加したホリーには、大司教の言葉の意味が理解できなかった。
確かにあの時、魔法陣の中に白い布に包まれた人形が置かれていた。
あれがどこからどうやって持ち込まれたものなのか、彼女は知らされていない。
あれは肉体を持たぬ異世界人の依り代になるのだと聞かされていただけだ。
最初の3人が召喚された時、白い布の人形は魔法円の中に置かれたままだった。
だが、あの出来損ないの娘が召喚された時、人形が動き出した。だがそれは想定内のはずだ。異世界召喚とはそういうものだと聞かされていたからだ。
「ともかくあの娘は引き続き観察対象だ。そのように心得たまえ」
「は…」
ホリーは頭を下げたものの、納得はしていなかった。
なぜ、あんな使えない小娘のことで叱責されなければならないのか。
あの娘の召喚のことなどに興味はなかった。
彼女にとって大事なことは唯一つ。
自分にとって有益かそうでないか、だ。
「それから砦の司令官から君宛てに苦情が届いている」
「苦情?」
「君が権力を振りかざし、意に添わぬ出兵を促したことに対する苦情だ。気の毒に彼の部下のイシュタル連隊長は心身にダメージを負ったことにより、再起不能とのことだそうだ。せめてもの償いに、我が国の休養施設で預かることにしたよ」
「わ、私はチャンスを生かせと申し上げただけです!」
「だが、そのチャンスを生かすことはできなかった。帝国側の被害は甚大で、砦の司令官はその責任を君に押し付けようとしておるのだ」
「…そんな」
ホリーは言葉を失った。
「ホリー・バーンズ祭司長」
「はい」
大司教があらたまって呼びかけた。
嫌な予感がホリーの頭をよぎった。
「アトルヘイム帝国軍から上級以上の回復士を派遣して欲しいと要請がきている。行ってくれるね?期間は無期限だ。彼らには借りを作りたくないのでね」
ホリーの顔色が変わった。
「わ…わかりました」
「助かるよ。君は優秀だ。一度の失敗など戦場で活躍すれば取り戻せる。期待しておるぞ」
彼女は大司教の言葉を真に受けたりはしなかった。
間違いなくこれは左遷だ。
枢機卿の座がようやく見えてきたと思ったのに。
大司教の部屋を後にしたホリーは、不機嫌きわまりない表情で長い通路を歩いていた。
すれ違う者たちは、頭を下げて彼女に道を譲っている。だが彼女の頭の中は怒りで満たされており、周囲のことなぞ目にも入っていなかった。
(失敗した。
功を焦りすぎた。
あの砦の司令官め。密告のような真似をするなんて、軍人の風上にも置けない。
帝国に無期限で出向ですって?
あの野獣みたいな男たちの面倒を見ろと?)
どうせホリーを呼びつけたのは
以前、戦場に同行した際に一度だけ同衾した騎士団長で、彼女を自分のものだと勘違いしている脳筋男だ。
妻子があるくせに、倫理観のかけらもない、英雄気取りの男。
こうなれば、あの男を利用して帝国内での地位を固め、大司教を見返してやらねば気が済まない。
(それにしても、ラウエデスですって?
あの変人の狂人めのどこがそんなにいいというの?
大司教も目が狂ったものだわ。
あんな奴が枢機卿になった日には、くだらない研究に国費をつぎ込んでこの国は財政的に終わる。
あの狂人の
それにあの小娘。
出来損ないの、役立たずにどんな価値があるというの?)
「ああ、忌々しい!」
ホリーはタン!と足を大きく踏み鳴らした。
その音に驚いて、通路にいた者たちは思わず振り向いた。
「どうしました?随分とご機嫌ナナメのようですが」
その声にホリーはハッとして顔を上げた。
いつの間にか彼女の前に男が立っていた。
「ゲイブス祭司長…!」
そこに現れたのはリュシー・ゲイブスという初老の男性で、ホリーと同じ祭司長の1人である。国内でも数少ないSS級の攻撃魔法士であり、次期枢機卿の有力候補と噂されている。
何の前触れもなく突然現れたリュシーに、ホリーだけでなくその通路にいた他の者も驚いていた。
一体どこから現れたのか。相変わらず神出鬼没な男だ。
「いけませんね。上の者がそのように感情を露わにしては、下の者に示しがつきませんよ」
「も、申し訳ありません」
頭を下げながらも、ホリーは苦々しい顔をしていた。
この男には不思議な噂がある。
急にいなくなったり現れたりするというのだ。
それを目撃した騎士やメイドたちは1人や2人ではない。
そこで、リュシー・ゲイブスは隠密スキルか空間魔法が使えるのではないか、という噂が立った。
隠密スキルはそのままの意味で、自分の身を他人の目から隠すスキルだ。
これを獲得している者は盗賊や暗殺者などを生業にしていることが多い、厄介なスキルだ。
一方の空間魔法というのは、異空間へアクセスして遠い場所へ瞬間移動したり、異空間に物を出し入れできるという超レア魔法である。
だが、空間魔法を使える者は魔王など極一部の魔族のみで、生身の人間には使用できないと云われている。もしリュシーがそれを使えるとしたら、祭司長などの地位に甘んじているはずがないというので、この案は否定された。
「ホリー・バーンズ祭司長。何か悩み事があるのならば、相談に乗りますよ?」
人の良さそうな下がり眉と細い目をして、リュシーは云った。
「いえ、大丈夫です。急ぐので失礼します」
ホリーは急ぎ足でその場を立ち去った。
リュシーはやれやれ、と肩をすくめてそれを見送った。
ホリーが退出した後、大司教は椅子から立ち上がり、部屋の奥のカーテンに向かって声を掛けた。
「いるのだろう?出て来て良いぞ」
するとカーテンを開けて、灰色のローブを頭からすっぽり被った人物が姿を現した。
「偵察ご苦労だったな、イドラ」
「いえ」
イドラと呼ばれた人物は、大司教に礼を取った。
「ドラゴンが現れたそうだな」
「はい。あれはカイザードラゴンに間違いありません」
「カイザードラゴンが、復活したのか」
「そのようです。カイザードラゴンの背中に人影が見えました。あれはおそらく魔王でしょう」
「カイザードラゴンが主以外を背に乗せることはないからな。…ついに復活したということか」
「まさか前線基地にいたとは予想外でした」
「魔王の考えることは常人には理解できぬからな。いつ、どうやって復活したのだ?」
「わかりません。サレオスが何か知っているやもしれませんが、勇者候補との戦闘で倒されたはずです」
「確かか?」
「遺体がない以上、死亡したかどうか確認ができておりません。判断するのは早計かと」
「ふむ。残念だ。サレオス程の上級魔族ならば依り代として文句なかったのだが。あの方もさぞ残念がっておられるだろう」
「…それよりも問題は魔王です。復活したのならば早く対応せねば」
「まあ、いずれこうなるとは思っていた。だから例の手を打っておいたのではないか」
「…ええ。魔王が魔王都に戻ってくれれば良いのですが」
「失敗したらその時はまた別の手を考える」
「あの、その件ですが」
イドラは言葉を継ぐのを一瞬躊躇した。
「例の計画の件、本当に進めてよろしいのですか?」
イドラは意を決して云った。
大司教はフン、と鼻を鳴らした。
「もともとこの計画のために建てられた国だ。同情などおまえらしくないぞ?魔王が憎いのだろう?」
「…憎いです」
「ならばもう何も言うな。おまえはおまえの仕事をすれば良い」
「…はい」
「ところで勇者候補をおまえはどう見た?偵察に行っていたお前の意見を聞きたい」
「回復士の娘は途中で見失いましたが、攻撃役の3人はそこそこの能力を発揮していました。特にサレオスを倒した将という勇者候補は見どころがあります。ですが、まだまだ実力不足かと。あれでは魔貴族ですら倒せないでしょう」
「やはり、まだまだ修練が必要か。実戦を積ませねばならんな」
「そう思って、国境付近に魔物を数体召喚しておきました。あのあたりの遺体を綺麗に始末して、力を蓄えるでしょう。その後は彼らの練習台になってもらいます」
「ふむ。おまえの召喚能力も日増しに強くなっておるな。実に役に立つ。上々だ」
「恐れ入ります」
「ああ、それと、例の宝玉の行方はどうだ?」
「現在も探させております。今しばらくお待ちを」
「そうか。頼むぞ。必ず取り戻せ。ごくろうだった。下がってよいぞ」
「は。では」
大司教がそう云うと、イドラは来た所へ戻り、姿を消した。
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